なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

こどもの会話

2008-06-30 11:12:17 | 日記
すごい勢いで5才のユウキがまくし立てている。
「おまえよー、セミの幼虫はヨー17年もよー土の中で眠ってからよー」
息切れ。ハーハー。
「それでよー生まれてくるのによーおまえが掘ったらよー」
あまりの勢いにどんどん人が集まってきた。
同じクラスの子が息を止めて見守る。
今朝の9時ガジマルの木陰でのできごと。

ユウキは続ける。
「17年というのはヨー、おまえが大きくなってよー死んでしまうぐらい長いのにー」
ここまでまくしてい「あれ?」そうかなーと
「だのにおまえは、それを掘りおこしただろう」と、


つまり、庭の片隅の木の下を掘り起こしてセミの幼虫を掘り起こした
友への抗議のようだった。
一所懸命に頭の中にある知識を集めて、何も考えないで幼虫を掘り出した相手をいさめているのだろう。

掘られたら17年もの命の誕生を無駄にするだろう。
17年という長さは、おまえが生まれて死ぬまでと同じだと・・・。
この迫力に、私も含めて周りの仲間たちは口をはさめなかった。

興味本位にただ掘り起こすな!ということだと思う。
私は何もいわずにただフムフムト見守った。

さて、どうするのだろうと・・・。

透明の虫や幼虫を飼う小さな飼育箱をだれかが持ってきた。
砂を入れて幼虫を中に埋めてもとに戻そうと考えたのだろうか。

すると、傍から
「それは砂だろう、砂では死んでしまうだろう」という。
はてどうしたものかと・・・。
「あの木の下の黒い土を取ってきてこれ(箱)野中に入れればいいんじゃない?」と。

5才になれば科学する力も、周りとの話し合いも、その意味も、理解して
さて、ではどうすればいいのかも、それぞれの持っている知恵を出し合って解決していくものなのだと、実感した。
こどもがこどもらしく考えて、小さな知恵を集めて行動に移していることに私は
安心と希望をもったのです。
あっぱれ・・だなー。


水遊び

2008-06-27 12:20:05 | 日記
園の片隅に小さなプールをだす。
小さいとはいえ1、5メートル四方のプール。
それを二つ並べて水を張っていく。
それを見るとこどもたちはワクワクする。
もう、入りたくて堪らない。
何もいわないのに服を脱ぐ。
このプールは2歳児専用。
それぞれのクラスでプールを持っている。

キャキャといいながら水しぶきをあげる。
二つのプールからお互いに水を掛け合ったり、心が響きあう。
プールの中では、ぶつかり合っても水しぶきがかかっても
だれも怒らない。いさかいは無い。

だんてそんなこと気にならないほどに楽しいんだから。
心も身体も気持ちがいいときには
誰もが穏やかな精神。
大人だってこどもだってそれは同じ。
水は人の心を開放する。
水遊びはこども達には必修の遊びだ。

健康診断

2008-06-26 17:19:21 | 日記
職員の健康診断の日だった。
昨日から、体重計が気になって「絶食絶食」を合い言葉にして
職員は少しでもメモリを落とそうとしていた。

そんなことできるはずも無く、またたった一日で変わるはずも無く
虚しく体重計の針がぐーんと右に移動。
いや、この頃は針ではなく数字が出るのである。
つい、お腹をへっ込めて体重計へと乗ってしまった。
今年から、腹周りを計りますと。いうことになった。

あらまぁ、お腹を裸のまま~ズドンとだすのである。
へそを見られてしまうのである。

気にるメタボは流行語になるのかも。
3日間便秘なのでお腹が張っているから・・。と、だれかの声が。
それぐらいでは変わらない変わらない。
「・・・かわらないかなー」と、残念そうにつぶやくのは誰だ?。
なにはともあれ、全員が受診。
チクリと痛い注射針に顔をしかめるのは,こどもも一緒。
こどもの気持も分かる健康診断の日でした。

太陽が出てきた。5時過ぎ。明日は晴れるかなー。

夏野菜の料理

2008-06-26 12:58:42 | 日記
保育園の畑で夏野菜が取れた。
ピーマン、ナスビ、キューリなどなどがどっさり取れた。
それを昨日は料理して、もちろん子どもたちが料理をして
自ら食した。

あの暑い日に毎日毎日水やりをして、芽が出た喜びから3カ月。
野菜の種類によって咲く花の色が違うことを体験した。
ナスビの花は薄い紫。
ピーマンは白い小花。
キューリはというと・・・黄色だねー。
花だけ見るとゴーヤーと同じに見えるけど。
葉っぱの形が違うねー。
キュウリとゴーヤーは同じ種類なんだ。
だって、朝顔のように巻きついて伸びていくんだ。

水やりをしながら、虫にも関心が向けられて。
野菜の種類や分類も理解し。
収穫をして、野菜のかさを確認し、見た目と重さ、そして量を自分たちの手で
確認した。
その嬉しそうな顔・・
「みてみてこんなに取れたよー」というひまわり組のこどもたち。
ゆり組のこどもたちは、誇らしげだった。

そして「食べてください」と料理した夏野菜を自慢げに持ってきた。
うまいというと嬉しそうだった。満足そうだった。
サラダと鉄板焼きの野菜を食した。

そして昨夕はやっと雨。
水やりをしなくても良かった。と、担任のほっとした顔を。


現地で物を考える(2)

2008-06-23 14:21:18 | 日記
再び、仙台での話をします。
私は保育園の全国大会に参加のために保育園を離れました。
14日のことです。

全国大会入りは17日に山形入りというスケジュールでしたが、それより早く
友人と東北への旅を計画したのです。
沖縄からの団体の企画は、17日に神戸周りで乗り継いで仙台に入る予定でした。
多くの方はそれに乗りましたが、私は自分での企画をしたのです。

さて、初めは青森の十和田湖と奥入瀬にしようとホテルを予約していたものの
地震のニースのあと、すぐにキャンセルしておきました。
遠隔地でのこと、現場に行けばどうにか一番良い方法が見つかるだろうと。
「現地でものを考えよう」と・・・。

案の定、昨日書いたようなことで、現地での様子はその場にいかないとわからないものだと。

そして、一つ大きな出会いが待っていました。
仙台のあおば通りと、ひろせ通りが交差する近辺に位置する寿司屋
「山こう」で盛岡から野球観戦に来たという夫婦に出会いました。
武田さんという仲のよい夫婦でした。
山こうの山田崇司さんが気を利かせてくれて、武田さんとの話がはずみました。

地震のあった仙台によくぞきてくれたということです。
明日からのスケジュールが未定という私たちに申し出てくれました。
「知り合いの旅館に連絡して泊まれるようにしましょうか?」と。
しかも、知り合い価格でということです。
あっと言う間に話はトントンと進み、翌日には御宿温泉の客になっていました。
宮沢賢治ワールドの一角にその旅館「ホテル森の風」はありました。

団体客のキャンセルが相次ぐ中、新しい予約の電話に応じてくれたのは森の風の支配人でした。
武田さんの友人の方です。
キャンセルでくさり切っていたところに「予約」の電話だったのでしょう。
大変なもてなしを受けました。
とても大切にされたという満足感がありました。
友人と「人は出会いだねーやっぱ」と感じ入ったのです。

武田さんの奥さんも翌日にはホテルに顔を出してくれて、寿司屋のカウターでの
出会いに感嘆し、沖縄旅行をを勧めたりと、話も弾みました。
長年培った友情・・・そんな雰囲気でした。

岩手山を真っ正面から眺めながら露天風呂にも入りました。
従業員価格というのでしょうか、こんな価格でいいのですか?と
感謝して大切な心をいただきました。
その地のことを知るにはその地にでかけないとわからない。

どれだけの被害があったのか、憶測では考えられないことでした。
被災地は大変なことです。
でも、その周りの人は心配しながらも暮らしています。
暮らすということは、そんなことなんですね。
私は一過性の旅人でしたが、今回の旅を通して大切なことを学んだのでした。

その場で物を考える。出会いから信頼は始まる。人をもてなす心。
とても大切にされたことを私はわすれません。

母の唸り声

2008-06-23 13:46:44 | 日記
私の耳にいまだに残る母のうめき声があります。
突然、夜中に発せられるのです。
「あいえーなー」「あいえーなー」と聞こえるのですが
その声が聞こえると怖くて身が縮み声も出ないのです。
真っ暗な部屋で突然、何の前触れもなしにその声は聞こえました。
夢を見ているのです。
母は夢の中で何か怖いことがあったらしく「あいえーなー」を
くりええしました。

家も小さくて、みんなでざこ寝状態です。隣で寝ていた母が突然うめくのです。
周りに寝ていた姉も目を覚まして「かぁちゃん~かぁちゃん」と母を揺すり
起こします。
その間、怖くて私は声も出ずに膝を抱えてうずくまります。

「かぁちゃ~かぁちゃん」と何度が呼ばれて母は目を覚ましていいます。
「あきさみよー、また戦のいみんちょーたん(ゆめをみていたよー)」と。
「起こしてしまったねー大丈夫だからもう寝なさい」と、母は言い、私たちの頭をなでてくれました。
暫くは寝られないのです。よっぽと怖かったんだねーと。子ども心にも思いながら母の戦争を唸り声という形で体験しました。

「あいえーなー」声を震わせて地獄の底で声を出しているような
絞り出すような声でした。

何十回も何百回も聴きました。
姉も妹も兄たちも、同じような声を聞いたと・・。母の思い出話になると必ず出てくる場面です。
97才で、5年前に亡くなったのですが、
その唸り声は、戦争が終わって30年間も40年間も続きました。
戦後50年も経って、その頻度は落ちましたが、死ぬまで記憶にはあったはずです。
イクサの場面が。
南洋で戦争に遭遇た父と母でしたが、母の心に残る傷は死ぬまで続きました。

今日は慰霊の日、「戦争は愚かなことです。勝っても負けても人々には何も遺してはくれません」と、先日行ったひめゆりの塔で語って居た体験者の声が聞こえます。
あの母のき声唸り声は私の耳にいまも残ります。



f現地で物を考える

2008-06-22 17:26:15 | 日記
たまたま被災地の近くに居ておもったこと。
日本も広いのだと痛感。
地図を広げてみると、仙台の直ぐ上の方の山手の方が被災地です。
新幹線で仙台から盛岡駅までの間に6つの駅があり、
テレビで流れるニュースは直ぐ目と鼻の先でした。

でも、仙台は震災のその日からもう、普通の生活が行われ、市民は被災地のことを
心配しながらも、普通の生活でした。

私が、仙台に発ったのは14日の、那覇発仙台行き14時15分でした。
テレビを見ながら、大変なことが起こったのだと感じ果たして、出発できるのかと不安でしたが
飛行機も遅れなしで出発しました。
仙台の上空は晴れていました。雲が少しへんダナーとは感じましたが、
気のせいかもしれません。

市内までのパスも普通通りに運行していました。
乗りました。
40分程でつきました。
何事もなかったような仙台の街に、安心しました。

でも、飛行機の乗客はあとで聞いたのですが、キャンセルの人が多く
機内は人数が少ないと感じました。

ホテルも旅館もキャンセル客が続出で、近隣の観光は大きな打撃を受けたようです。
今回友人と二人で仙台に行きましたが、現地は災害とキャンセルで二重の打撃だということが、分かりました。

もちろん災害地の近くは通行止めになっているのですが、それ以外は新幹線も災害の翌日には再開をしていました。が、旅行は取りやめた人がきっと多かったようです。

「危なきい場所には近づかない」もちろんよく分かりますが
安全な場所でも、近くということで(東北地方)ということで観光の方々は取りやめたようです。
盛岡から30分ほどの所にある御宿温泉に泊まりましたが、団体客が旅行を取りやめて大変だと、悲鳴を上げておられました。
泣き面に蜂のようなものですね。

テレビの報道は現地をの危険性を伝え、被災に会われた地域の状態を報道しています。
テレビだけをみていたら、仙台や盛岡もとても大変そうには感じます。

でも、私が見た限り、感じた限りでは、変わりない暮らしをしていました。

どこまでが危険で、どこが安全かは分かりませんが、
そこに住んでいる人は、心配しながらも、そこしか住むところがないということなのですね。

私のようなよそ者は、また自分の故郷に戻りますが、そこを故郷としている人は祈りながら暮らしているのだと。
「どうか安全でありますようにと」祈りながら普通の暮らしを営むしか無いのだと。
たまたま被災地の近くに居た5日間を振り返って思いました。

これ以上の災害がないようにいのります。

講演会より

2008-06-19 15:07:23 | 日記
私立保育園の全国学会に参加。
子どもたちに、心のふるさとを残せるか、を考えるシンポジウムがありました。
汐見先生は、ふるさと、をイメージしたとき、3つのことを揚げてみたい。と、話された。
まずドキドキ、ワクワクした体験。次に山、土手、川、畑、木々、などの風景。
そして人間。友達であり隣のおじさんでありおばあちゃんであり、家族は勿論のこと地域の大人たちとの関係。
それらが折り重なりながら、時間と空間のなかて人は育つ。それを、ふるさとと言うのではと、定義しながら話しを展開された。
続く加藤先生。
子どもの時代をどう守るか、子どもの時間を大人が支配しない。
大人に支配されない時間を子どもたちに保障し、子どもが夢中になれる時間を保障しなければ、
いつでも大人に管理されていては、心のふるさとは生まれないと。
いまの子どもの1日を考えると、果たして自分だけで居られるじかをはあるのか。
全ての時間を親が管理していないだろうか。
それが当たり前のように、、、。
子どもの時間をこどもに返し、子どもたちだけで考え行動する体験をつみながら、

山あいの月

2008-06-16 23:58:46 | 日記
森の中の宿です。部屋の外は林です。
見上げんばかりの高い木々に囲まれた離れをあてがわれ、別世界の味わいです。
その部屋のベランダにでると、山の上に月がくっきりと見えています。
あー旧暦では何日かな、と。
そろそろ満月は近いだろいなーと。
こもれる月明かりが木々の葉のうらを照らします。
裏白の葉を風が揺らし、月明かりに浮かび上がります。
まるで幾千もの蝶の舞を見るようです。
風は天に近いところで吹いているのですね。

晴天の岩手から

2008-06-16 16:56:11 | 日記
岩手山がくっきりと見えました。
雫石のスキー場もはっきりと見えました。
周りの景色が色鮮やかな緑を発生され、穏やかな空気です。気温は何度ぐりなのかな、肌寒さを感じるほどです。
太陽の光はまぶしいのに、爽やかです。木立を渡ってくる風は実に粒子が細かな、
いや…粒子とはいわない。
つまり、蝉の衣のような透明感と柔らかな風なのです。
それに包まれ身体も心も脳みそも、ゆったりしているのです。
あっ、自分が喜んでいる。と、自分で感じるのです。
明日から、山形で仕事です。もう夕暮れ、ベランダの向こうで木の葉が揺れます。
西日を受けて、木の葉の影も揺れます。
光でも風を感じるのですね。
5時に友人が訪ねて来る予定です。
小岩井農場の近くに住んでいるとはなしていました、