自分の子どものことになるとなかなか冷静になれない。
それが親というものである。
当然私もその内の一人であり、
頼まれて人前で話すとき、赤面するときがある。
自分にできないことを、さもできるように人前で話すとき、
その内容に我ながら恥ずかしさを覚えるときがある。
さて、レクレーションのときの親子の気持を考えてみたい。
一つ目。
子どもたちへの目配りが少し足りなかったかなーと反省する場面。
保護者から手紙。
わが子が友だちにチョッカイを出したり、友だちが嫌がることをやっていたり
するのを見て、気が気でなかったと。
そんな時、先生が傍にいて手をつないだり、声をかけてくれていたら・・・。
わが子はもっと落ち着いてできたのでは、わが子が他の子に嫌がられないかも
気になってしまった。
確かそんな内容でした。
親としては当然の悩みでしょう。
日常ではない行事の場合、特に子どもは高揚する。
そのことを頭に入れてはいるものの、私も目配りが足りなかったし、手の空いている保育士に頼んだりすることを怠ったのかもしれない。
担任からの報告を受けながら「アーそうだったねー親にすれば気が気でなかったかもねー」と反省しきりでした。
二つ目。
当日、参加した子ども全員にお土産を・・・。
「この子たちはちゃんとできなかったのだからお土産はあげないでください。
いいですから」と、あるお父さんはとてもささやかなお菓子を受け取られなかったと。
これも担任が報告にきた。
あらら・・・。あのパパらしいわー、とは思ったものの、
なんとなく心に残ってしまった。
行事はあくまでも行事であり、子どもにとっては保育園が日常の場。
日常の保育園で楽しんで、喜んで、毎日活き活きと参加していたらオッケーであり。
行事をやったばかりに、親に怒らレ子どもの気持を思うと申し訳ないなー。
どの子もユニークなのが子どもです。
本番に強い子、緊張のあまり本番にはうまくいかない子。
大勢の場にはまだ自分を発揮できない子、大勢の方が自己発揮できる子。
人前で話すのが苦手な子、人前で話すことも平気な子。
年齢もありはしますが、個々の持っているものに左右される。
でも、それがそのこの持っている性質であり性格ならば、それでいいのであり
そのままでオッケー。
でも、そうはいいつつ。親にすれば「あの子ができているのに」
「もう○○才になっているのに」と、わが子への想いを深くする。
親心なのですね。
親のき持ちわかります。
子どもの気持もわかります。
どちらもわかるのが私たちの仕事でしょうか。
オセッカイながら、その2例にお手紙を書いてしまいました。
親の気持わかります。だからこそ子どもは親が好きなのです。
親と子、どんなにしたって私たちよりは絆は深いものです。
でも、時々オセッカイをしたくなるのですね。
みんなが幸せに、いてほしい。
それが親というものである。
当然私もその内の一人であり、
頼まれて人前で話すとき、赤面するときがある。
自分にできないことを、さもできるように人前で話すとき、
その内容に我ながら恥ずかしさを覚えるときがある。
さて、レクレーションのときの親子の気持を考えてみたい。
一つ目。
子どもたちへの目配りが少し足りなかったかなーと反省する場面。
保護者から手紙。
わが子が友だちにチョッカイを出したり、友だちが嫌がることをやっていたり
するのを見て、気が気でなかったと。
そんな時、先生が傍にいて手をつないだり、声をかけてくれていたら・・・。
わが子はもっと落ち着いてできたのでは、わが子が他の子に嫌がられないかも
気になってしまった。
確かそんな内容でした。
親としては当然の悩みでしょう。
日常ではない行事の場合、特に子どもは高揚する。
そのことを頭に入れてはいるものの、私も目配りが足りなかったし、手の空いている保育士に頼んだりすることを怠ったのかもしれない。
担任からの報告を受けながら「アーそうだったねー親にすれば気が気でなかったかもねー」と反省しきりでした。
二つ目。
当日、参加した子ども全員にお土産を・・・。
「この子たちはちゃんとできなかったのだからお土産はあげないでください。
いいですから」と、あるお父さんはとてもささやかなお菓子を受け取られなかったと。
これも担任が報告にきた。
あらら・・・。あのパパらしいわー、とは思ったものの、
なんとなく心に残ってしまった。
行事はあくまでも行事であり、子どもにとっては保育園が日常の場。
日常の保育園で楽しんで、喜んで、毎日活き活きと参加していたらオッケーであり。
行事をやったばかりに、親に怒らレ子どもの気持を思うと申し訳ないなー。
どの子もユニークなのが子どもです。
本番に強い子、緊張のあまり本番にはうまくいかない子。
大勢の場にはまだ自分を発揮できない子、大勢の方が自己発揮できる子。
人前で話すのが苦手な子、人前で話すことも平気な子。
年齢もありはしますが、個々の持っているものに左右される。
でも、それがそのこの持っている性質であり性格ならば、それでいいのであり
そのままでオッケー。
でも、そうはいいつつ。親にすれば「あの子ができているのに」
「もう○○才になっているのに」と、わが子への想いを深くする。
親心なのですね。
親のき持ちわかります。
子どもの気持もわかります。
どちらもわかるのが私たちの仕事でしょうか。
オセッカイながら、その2例にお手紙を書いてしまいました。
親の気持わかります。だからこそ子どもは親が好きなのです。
親と子、どんなにしたって私たちよりは絆は深いものです。
でも、時々オセッカイをしたくなるのですね。
みんなが幸せに、いてほしい。