なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

お話

2007-05-31 12:55:27 | 日記
なんくる家でのお話をした。

昭和47年にみどり保育園を作り、地域の人々へお世話になった。
そのお返しとして
なにか地域為にできないかと・・・。子育て支援センターの名称の前は

地域コミュにてーセンター「なんくる家」だったと。
それから時が過ぎで
国が少子化対策のエンゼルプランを打ち出し、

もともとやっていた地域の子育て支援が認められて
国の援助を受けるようになったと。
利用する人々はすべてが気持ちよく、みんなの家だという心を大切にして欲しいと。
子どもたちも、仲間と群れる場所であり、ケンカも解決も一人一人が学ぶ場所だと。

お母さんたちも、自分が平常でいられるために、仲間づくりをして欲しいと。
そんなことをかい摘んで話した。
大勢のお母さんたちが一所懸命聞いてくれた。

ありがとう。

実がつく

2007-05-30 10:14:50 | 日記
シークァーサーの木に小さな実がいくつもついた。

柿の木にも小さな実がいくつかついた。

みかんの花は香りが高い。白い花がついていた。

柿の花を覚えていない。うかつなことに。

園の庭の実のもの。秋が楽しみだ。

はくしょん

2007-05-30 10:07:46 | 日記
昔も今も、子どもの花は、いや鼻はつまり気味だ。
不思議だが、そうなのだ。

洟垂れが多い。

風が気持ちいい今朝。も、また。
あの子もこの子もはなをずるずる~。

はっはっはっはくしょん。
思い切りはくしょん。
そのあとに、華厳の滝が二つ流れる。

きゃ~と、保育士はティッシュペートーを取りに走る。

はっはっはっはくしょん。
子どもは、顔中洟ずるの滝を・・・・。どうすることもできずに、大人を待つ。
「あ~気持ちよくなったねー」という言葉と、同時に、ヌルヌルの滝がきれいにさっぱりと拭き取られる。

あ~大人っていいなー。
どの子もそう思うのである。

はっはっはっはくしょん。小さな天使たちのいたずらか。鼻をくすぐる。

昔沖縄ではおまじないがあった。
いたずらマジムンがその辺りで悪さをすると考えられていて。
「くすくぇーひゃー」と、周り大人は叫んでいた。
今日もまた、あの子もこの子も
「はくしょん」とすっきり。

指紋

2007-05-29 13:33:20 | 日記
指紋を取ります。協力してくださいという。
では、まずわたしからと言うわけで、別室に。

黒い墨をしみ込ませたものに、一本一本の指を載せて280度くらい回転する。
そして、それを別にグルリとまわしながら写し取る。
10本の指と、4本合わせた状態と、手のひら(掌)までも写し取る。

これがなかなか時間のかかるもので。

一方では、泥棒の指紋の採取のために、柔らかそうなハケで墨色の粉を蒔くというか
丁寧に作業を進めていく。

子どもたちは、本物の警察官が出たり入ったりするのを興味深そうにながめる。
ある子は、若い警官にくっついて離れない。一所懸命気を引こうと話しかける。
が、仕事をしているときの警官は子どもとの会話はしない。
気が緩むのを恐れているかのように、黙々と仕事をする。

「はい、第一発見者は誰?」
「鍵がかかっていなかった窓があった?」「誰が見つけた?」「その人は誰?」
若いのに、ぶっきらぼうに質問をするので
主任が吹き出す。思わず吹き出す。だって子どもぽい口調の質問だったか。

ご本人も気づき、態度を少し改めて、です。ます。の口調に変化。面白い。

午前中を費やし、4人全員引き上げた。
カバンを忘れて行ったとか。もちろん、すぐに気づき取りに戻ってきた。

ためこんでいたいらない書類も、ひっくり返されていたついでに
今朝から、書類の片づけをしたわたし。
何年も前からの年賀状の束。手紙の束。なかなか捨てられない。
手紙を残して年賀状を処分することに。今年の分は側に置いたまま。


泥棒にはいられた

2007-05-28 10:32:01 | 日記
朝からてんやわんやなのである。

朝から、事務所が荒らされていた。という訳で警察に通報。
現金は置いていないので、被害は無かったが、物色の後が甚だしく残る。
棚の書類はすべて投げ出されている。

テーブルの引き出しはひっくり返されている。
見るからに「荒らされている」。

警察の方が二人。カギはかかっていたかどうかの質問が続く。
カギが壊されていないということで・・・。しかし、それぞれにまちがいなく閉めたと証言。する職員たち。信じる。
乾式の方が現れて、わたしのテーブルへと・・・。ここで一旦閉じます。

あれこれ

2007-05-27 12:32:25 | 日記
ゆうこの結納結婚式そして披露宴に出るため、家をでた。十一時に着いたがどうも早過ぎ感あり。招待状を持たないまま飛び出したため、確実な時間が分からない。誰もいない地下のロビーで、はて。まぁコーヒでもと、落ち着いて考えることにした。こじんまりとした親戚身内だけの会に呼んでいただいた訳だから、結納です。中にどうぞと、の案内にも躊躇する。たっぷりの時間がのこされた。ので、昨日のあれこれ。 昨夜宜野湾農協の温泉に行った。 塩がたっぷり置かれたスチームバスに恐る恐る入った。年配の方が私にちかずき、背中に塩を揉み込みましょう。と言う。恐縮するわたしの背に回りゴシゴシゴシゴシとマッサージを、してくれた。気持ち良かった。おばさんありがとう。 ホカホカ気分で、家路に 家に近くまで、なに?検問らしいです。警察官私の顔を覗き、大丈夫ですよね。と言う。なにがですか?と私 どうも、飲酒の検問だ。勿論ですよと、わたしは胸を叩いた。さて、もう披露宴の時間だ。ゆうこの。

学校に行きたくない

2007-05-25 10:41:20 | 日記
40才になる姪いっこの話である。

小学校のとき、一時、登校拒否をしたという。
なぜそうなったのか、なぜ、学校にいけなかったのかは不明瞭であると。

父が心配して車で学校まで送ってくれたという。
教室に上がる階段の前まで父は連れてきて、自分の姿が見えなくなるまで見届けてから帰って行ったという。

そして、自分は父の姿が見えなくなってから、そっと階段を下りてきて階段下でたたずみ、父にばれないように時間を過ごしたともいう。

母に叩かれても、行く気にはならない。休んでしまうと周りの友だちの「なぜかな?」の視線さえも痛い。
「ほんとうに病気にかかればいいのに」と思ったと、また、別の人も言っていた。
「入院するほどの病気になったら学校に行かない理由になる」と・・・。

姪の話だが、学校へ行かない自分を責めていたと。学校に行けなわたしは悪い子なのだと。ズーと責めていたと。
ある日、学校に母がでかけた。
担任と自分のことを相談するためであると分かっていた。だから、別の部屋から聞き耳をたてていたらしい。

母が深刻に(あのころは登校拒否の言葉が使われ始めたころ)自分のことを悩んでいることは日々感じていた。なんとかしようとも思っていたができなかった。
だから、母の気持を知りたかったと。

でも聞こえてきたのはコロコロとリズムよく笑う先生の声だったと。
「だいじょうぶだとおもいます~」と笑い飛ばしていたという。
その声にどれだけ救われたか・・・・。
「わたしは、だいじょうぶ~なんだ」と先生の声を反復してほっとして。
「わたしは悪くないんだ~」とほっとして、肩の荷が下りて、心の重荷が軽くなったことを覚えているという。

翌日から、何のわだかまりも亡く朝目覚めて、学校に行けるようになったと。

周りが心配すればするほど「悪いのは自分だ」と責めるのかもしれない。
色々な示唆にとんだ話ではないだろうか。


それぞれの性格を理解

2007-05-24 16:07:00 | 日記
このタイトルでいいのかどうか・・。

4月の入園式から50日経過。初めての保育園生活ということで親から離れず
泣いて離れず、思い切り泣いていた子たち。
ひよこくみから見てみよう。
いまでは、ニコニコと「なんさい?」の問いに指を一本上手に目の前で立てることができる。カンタロー。

あんなに激しく泣いていたのに・・・・激しく激しく泣いていたのに・・・。
保育園にも自分を大切に思っている人がいることが分かり、
自分のこと守ってくれる人がいることがわかり、安心すると同時に楽しい場所であることを感覚的に理解したのだ。

思い切り自己表現をする子は以外にケロッとする。思い切りがいいというか。
性格なのでどうしようもないことなのですが、
初めから自分を出せずに、小さく静かに自己表現をしていた2才のヒメちゃん。
慎重に周りと自分の関係を見ている。
なかなか大声で笑う場面に出会わず、いつの日にかはじける笑顔を見たいと待ち望む。

そして、もう一人、イイちゃん。
入園したその日からお話し上手で、家族のことも話すほどだった。
おばァちゃんこのようで、お迎えもおばぁちゃ。首を長くしておばァが来るのを待っていた。
ところが他の子がなれてきたころから、急に大きな声で「イヤー」と泣きだした。
こらえていたのだろう。

周りに遠慮していたのだろう。「いやだおばーがいい」と大声で叫んでいたのが5月の初めの頃か。
きっかけは、風邪で休む日が続いたということだったが。
あんなに聞き分けのいいイイちゃんが、急に「いやだー」と丸ごと自分をだしてきた。
担任は、「我慢しなくてもいいから泣いてもいいから」としっかりと抱きしめてい5日間。
けろっと、遊ぶ姿が戻ってきた。
今度こそ、本当に心からの遊びを楽しんでいるのかとよろこぶ。

呑気な性格がいいのか、慎重でじっくり型がいいのか、どちらともいえないが
子どもの表現には、それぞれに区分できる時がある。

2才3才、そして4才、5才、七変化のように脱皮するこもいる。
本当に脱皮としかいいようが無いほどの変化を示すこも居て、
目の前にいるこの子らが、どんな成長をするのかと、面白いわけだ。

ヒメちゃんにちょっとアクションをしてみた。これから毎日少しづつ間を縮めてみようかとおもう。多分長くかかりそうだが、慎重で人見知りの強い子が、どのような変化を示してくれるのかを楽しみたい。

ゆうこの結婚

2007-05-23 14:29:49 | 日記
職員の結婚式の招待状をもらう。

「結婚します」と彼女が言ってきたのは、いつだったっけ。たしか、4月ごろだった。
23才かなー。若いなー。
職員にはまだ知らせていないという。
ゆう子が結婚します。と伝える、「えっ」とだれもが驚きそして次に喜びの声だった。
「ほんとですか、、、えーよかったですねー」
今週の日曜日なのだ。いよいよ日にちが迫る。

面白がることの大好きな職員たちは、趣向をこらしてビデオレターを作成している様子。
「結婚、おめでとう」の手話は、小指と親指を合わせて、そのまま手のひらをうえにかざすのだと。ビデオにとられる前に予行演習。

いざ、職員に混ざり手話で結婚おめでとうと・・・。いう場面だが、親指と小指がうまく合わないまま、、撮影終了。
「園長一歳児だって、できますよー」といわれた。

職員全員が招待されるだけの広い会場ではないということで、代表でわたしが参加するので、その前にゆう子が二人のアルバムを持ってきた。
なかなかの好青年だ、お婿さんも。幼いころからの写真に、家族が写っている。
お母さんを小さいころに亡くしたゆう子のメッセージ。
「お母さんに見せたかった」にジーンときた。

後何日か、結婚のの日までどきどきのひびだろう。
若いゆう子に先を越された先輩たちが口々にいう「ゆうこいいはずよー」
明るい、わが園の独身娘たち。「いいはずよー」がくちぐせ。結婚する気があるのかないのか・・・。のんびりとしたものだ。

ゆうこおめでとう。幸せに。

ゆうこの結婚

2007-05-23 14:29:32 | 日記
職員の結婚式の招待状をもらう。

「結婚します」と彼女が言ってきたのは、いつだったっけ。たしか、4月ごろだった。
23才かなー。若いなー。
職員にはまだ知らせていないという。
ゆう子が結婚します。と伝える、「えっ」とだれもが驚きそして次に喜びの声だった。
「ほんとですか、、、えーよかったですねー」
今週の日曜日なのだ。いよいよ日にちが迫る。

面白がることの大好きな職員たちは、趣向をこらしてビデオレターを作成している様子。
「結婚、おめでとう」の手話は、小指と親指を合わせて、そのまま手のひらをうえにかざすのだと。ビデオにとられる前に予行演習。

いざ、職員に混ざり手話で結婚おめでとうと・・・。いう場面だが、親指と小指がうまく合わないまま、、撮影終了。
「園長一歳児だって、できますよー」といわれた。

職員全員が招待されるだけの広い会場ではないということで、代表でわたしが参加するので、その前にゆう子が二人のアルバムを持ってきた。
なかなかの好青年だ、お婿さんも。幼いころからの写真に、家族が写っている。
お母さんを小さいころに亡くしたゆう子のメッセージ。
「お母さんに見せたかった」にジーンときた。

後何日か、結婚のの日までどきどきのひびだろう。
若いゆう子に先を越された先輩たちが口々にいう「ゆうこいいはずよー」
明るい、わが園の独身娘たち。「いいはずよー」がくちぐせ。結婚する気があるのかないのか・・・。のんびりとしたものだ。

ゆうこおめでとう。幸せに。