なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

気分転換

2006-08-30 16:55:55 | 日記
久しぶりに頭を使っている。

大変な量の文書作成である。

スタイルがあるわげではない。提案してほしい項目は例として出ている。
が、実際に書き出してみると書きすぎてしまう傾向にある。

あ~もこ~もと想いだけが先走りする悪いクセで

20項目の提案を書き終えた。
これから校正にはいる。

空が曇って゛カミナリが轟き、犬が吠える。

当方の犬はカミナリが嫌いらしく、吠える。臆病なのだ。

雨に打たれたらさぞかし気持ちよかろうと心がそそられる。

ちょうど、ランタナを剪定して、バケツに突っ込まれていた。
挿し木の準備らしかった。

いくつか鉢を準備した。土壌整えた。
鋏で適度の長さにランタナを切った。
頼まれてもいないのに鉢に植えようとしているのである。

雨がじゃじゃー、肩にあたる。
頭はタオルを巻いた。
ザブザブとたまり水をはじいた。

頭もびっしょり、気持ちよい。
まるで、つきものが落ちるようにスーと頭が空になるのが分かった。

雨が、私の頭から身体から溜まった色々を取り去ってくれた。

それでも、バカじゃない?という視線を気にして、目立たない場所を選んだ。
園の後ろの片隅の木々の後ろで
雨のシャワーを浴びた。

肩こりまでも治った気がした。

お昼寝中のことである。

あれから4時間、、、限界だ。
また気分転換が必要だ。忍耐力が全くない。わたし。

濃い仕事はできるが持続力が短いときている。やっかいだ。



はかどった

2006-08-29 18:44:50 | 日記

提案書の作成のことである。
朝から、新報社の仲西記者の訪問をうける。

これまでの支援の仕事から見えてきた「男の家事育児参加」へのインタビューを受けた。
仕事をしないことを選択した家庭の主婦を、もっと評価して欲しい。
そのことが子育ての価値を高めることにつながる。の様な話をした。かな?

11日新報夕刊、もみじの手あ引いての欄ようとか。
まとまりの無い話になってしまった。

ところが、その話をしていて、何のために提案をするのか
だれのために提案するのか

なぜそうしたいのか、などなどが明確になってきた。

それからは、かなりのピッチで提案書作成がはかどった。
自分のか考えを明確にしていく作業が、、事業の提案なのだから

何のために、だれのために、なぜ・・・
が、しっかり、すればはかどるというもの。

そこで、こんな時間まで、まだまだ書けそうなのだ。
事務所には蚊が訪問、、、ぶ~ンぶ~ん
パチッパチッと手のひらで蚊を追う。

あちこちみみずばれ・・。あー、もうだめ、線香をつけようかなー。

やる気

2006-08-29 09:32:41 | 日記
やってみようと、、、やる気が出てきた。

民営化への参入である。
公立保育所は公立の役割があり゛それを永い間果たしてきた保育園である。
地域の親子の為に幸せを提供し続けた

いや幸せは提供するものでも無いから・・共に子育てを支えてこられたというべきかな?その役割の移譲の時期・・・。

先日、実際の現場へとでかけた。つまり保育所へ、である。

古い保育園だが、メンテが良くて古さを良さに代えていた。
むしろ昔の心地よい空間づくりが生きていた。

なによりも子どもたちが自然体で遊んでいた。
かべにはゴーヤー棚があり、所長さんの話では園児一人一人に一本づつ持たせるほど収穫があったとのこと。

ゴーヤー棚が、うまい具合に陰を作り出して清涼感に溢れていた。
建物との相性はピタッと着た。

ここで、子育て支援を基本に置いた保育園づくりをしてみようと思った。

やってみよう。新しい意味での保育園づくりを・・・。
ガツンと胸に届いた。
心の中に灯火が・・。

この地でこのわたしが役に立てるならば・・・やってみよう。
新天地がいい。

首里ではないの?と人は多分怪訝な顔をするだろう。
いまの続きではなく。
新しい地で、これまで忘れていたもっとたい大切なことをさがしながら
新しい保育づくりを、、、子どもと若い親たちの顔をイメージする。

にこにこ笑った顔が浮かぶ。
生きにくいと言われている現代。親も子も生きやすい世の中になってほしい。それを願いながら
提案書づくりをしてみようかなー。
ご支援を・・。息切れしたら、少し休めといってください。

まだ作成の段階に突入したばかり、膨大な資料づくりに汗を流すゾー。今日一日。

待合室

2006-08-27 12:25:06 | 日記
整形外科にでかけた。

土曜日、12時前、かなり混んでいる。
整形外科はお年寄りが多い。

待合室の隅で血圧を計る人。
とても辛そうに杖で歩く人。
ひざがぱんぱんに張って車椅子で移動する人。

肩の痛みを訴える人。
腰が直角に曲がっている人。様々である。

待合室出での話は結構面白いのだ。
聞くとも無しに聞いていると吹き出すことさえある。

昨日の場面。
「うんじょうまーぬわっさが(あなたはどこが悪いのですか)」と老女
「検査うきーがちゃん(けんさをうけにきたよ)」隣の老女
「まーぬわっさくとぅ(どこが悪いから)」
「ちちどうんぬーすんよー(身長が縮んだようで)」
「としとぃねーたーやてんちぢぬさ(年取ったらだれでもよー)」
「あらん3㎝びかーのーちぢどうるはじ(3㎝は縮んでいると思う)」
「ちゃーしわかいが(どうしてわかったのか)」
「たっちんかがんがみーらんなとーん(立っても鏡が見えないから)」
「あきさみよーうれーんちゃでーじやふさ(それは大変だねー)」
「骨祖損傷やあらんがやーんでちぃ(骨祖損傷ではないかと)」
「あんやみきーちきりヨーヤー(気をつけてねー)」

後部座席をわたしは振り向いた。
身長の縮んだという可愛いおばぁさんがちょこんと座していた。

これ以上小さくならないでくださいと口の中で唱えた。

公立保育園の民営化

2006-08-25 16:52:43 | 日記
那覇市の公立保育園を民営化していくという。
世の中の流れである。

民間でできることは民間に・・・
改革を勧めるために小泉総理の口癖である。

確かに民間と公立の保育園の保育内容に違いはない。どこに入っても子どもたちが
幸せでなければならない。
どこの保育園でも子どもにとっても親にとっても「幸せ」だと感じ
安心できる場でなければならない。

信頼関係の基礎を築く葉所としての保育園でなければならない。
乳幼児、一人一人の人権が尊重されなければならない。

それはどこの保育園でも同じだ。

さて、那覇市の松山保育園と
城北保育園が今回の対象である。民に移管される対象というわけ。

説明を聞きにいった。プロポーザルの説明という。
いやはや大変な事務量だコリャ。と、まずその提出物の内容に驚く。

期間はそんなに無い。でもどこも同じ条件ではないか。と自分を励ます。

これまでの保育経験を生かす時期ではないか。いやいやこれで十分ではないか。
葛藤がある。

「みどりさんまだ若いのだから必ず参加しなくては・・」と大学の先生にハッパをかけられた。
「そうか、やっぱりなー」と少し腰を上げてはいるが。いまいちガシッと決めきれない。

わたしが役に立つことがあればと、自分を必要としている隙間を見つけようと

誰かの役に立つのであれば、これまでの経験を生かしたい。と・・・

とりとめもなく
そんなこんなの時間が流れている。
ガツンとこれだというものを見つけるために。
わたしでなければできない保育園づくりがあるはずだ。

親子が普通の暮らしができる居場所としての保育園。
支援という立場から保育園づくりをする。

こちらが決める時間ではなく
保育時間を親が選択できる保育園づくりはできないものだろうか・・・。
仕事の空き時間を、保育園で子どもと過ごせる保育園づくりはできないものだろうか。

これまでの保育園のイメージをまずいったん捨てて新たなる保育園づくりはできないものだろうか・・。

いやいや、、、頭が混乱してきた。もう少しゆっくり考えてみようかなー。

魚が届いた

2006-08-23 11:05:42 | 日記
伊是名島から新鮮な魚が届いた。

大きな箱を明けると魚が続々・・・。
ぐるくんが一匹二匹・・・十数匹もある。
ミーバイが・・やっぱり沢山。

えっ、すごいどうしたの?どなたから?

職員が集まってきた。
もちろん子どもも・・・。

急速冷凍の魚たちは動かないが・・眼が生きている。
こどもたちが小さな指でチョンチョッとつつく。
まるで飛び跳ねそうなほど魚たち。新鮮!

あの子もこの子も、こわごわ指でつっつく。
いきているの?
ねーどこから?どこでとったの?
なんで?なんで魚があるの?

子どもの興味はつきない。

職員は、から揚げにしたらうまそう・・と早速料理談義。
ミーバイはおつゆですかねーだしがあるから。
から揚げがいいでしょう、骨まで食べられるから。

あー、来週の月見会にはから揚げにして食べよう・・。

わたしが口を出す前に決まってしまったようだ。
「えーあんたたちよーこれは、うちにきたんだからねー」と小さな声のわたし。
お嫁さんの父東江さんからの贈り物なのだから、、、。

まぁいいか、みんながこんなも、喜んでいるのだから。

先日は元職員が嫁いだ伊平屋島からもパインが届いていたっけ。

今夜は、グルクンのから揚げを食べようかなー。ぐーお腹がすいた。
まだ昼前なのに。

滝への誘い

2006-08-21 17:25:42 | 日記
浮輪がなければとても無理。
滝壺での泳ぎのことである。

水がヒャッとして冷たくて身が縮んだ。
どの子も「冷たい!」と一瞬ひるんだ。
でも、なれてくるもので、いつの間にか冷たさを忘れる。

それよりも楽しい気持のほうが勝っているからだ。

始めの内、一人で、滝の下まではいけなかった。足がつかないほどの深みだから。
コワイ気持の方が強かった。

でも、滝に打たれるときの気持ちよさを忘れていない。
だっだっだっと、頭にあたる水の強さ。
息もできない。苦しい。でもすぐに滝に流されて通過してしまう。

ほんの一瞬の怖さと喜びである。
そこまで行くのに必死で手で水をかく。
足をばたつかせる。

滝の流れに戻されそうになる。必死でこぐ。浮輪がなければ泳げない。

何度も何度も繰り返す。
自分一人で浮輪を操作するこつを覚えたわたし。
面白い。嬉しい。楽しい。

何度も何度も繰り返す。
もう上がろうよーと子どもがいう。
わかった。でも、もう一回だけと私は滝へ。

子どもががくがくと顎をならす。さむいのだ。

もう着替えていて、、、と副園長に声をかける。
そしてまた滝に打たれる。

浮輪にあたる水の音がカミナリを想像される。すごい音が。
静かな山に、だっだっだっと音が呑み込まれ、陽炎が揺れる。
そろそろ上がろうかと・・・。

いやいや最後にもう一度と、また引っ返して滝へと。
「園長、楽しかっただろう」と帰りの車で子どもたちに言われた。
もちろんよーあなたたちは?と聞く。

「楽しかったよー、海老もとったし、魚もとったから」という。
自然はそれぞれの好きな遊びを満喫させてくれた。
行きたくていきたくてたまらない。

また滝へと行きたくて。

祭りのの夜

2006-08-18 10:53:14 | 日記
年に一度の地域のまつりにでかけた。

この地域の特徴は沖縄戦の後、戦争孤児達を収容する施設がすぐに作られた地ということ。
その後、戦争孤児の収容施設は、児童園に移行。親とともに住むことがままならない子どもたちが、今でも大勢暮らしている。

そして、また一方では養護を要するこどもたちや、訓練を要する大人たち、作業療法を通して社会とのつながりを学んでいる大人たちの施設、
老人収容施設、厚生園や特別養護施設などなど様々な福祉施設がまとまって作られた。

そんな地域である。

地域福祉祭りと称して行われる祭りが33回目になるという。

車椅子の人々が参加している。精神の病からの回復を待つ人々もいる。
頭に転倒帽子をかぶりながらおどる人々もいる。片手に杖で身体を支えて懸命に踊りに参加する人もいる。

そこで働く人々がいる。
地域に住む子供会も参加する。婦人会も踊る。老人の方々も若者たちを圧倒する。
青年会のメンバーは旗頭を先頭に勇壮なエネルギーを発散している。

6時、まだ太陽が眩しい時間から始まった祭りが最高潮に達するのはやはり、エイサー隊が勇壮な踊りを披露するころ。

芝生の上で思い思いにご馳走を広げていた家族も、エイサーが始まると我先にとその周りに集まる。
特にこどもたちは、エイサー太鼓の音に敏感に反応する。

足をあげ、手を掲げてそれぞれの想いを表現している。
手に持っているペットボトルが、いきなり太鼓早変わり。身体で拍子をとりうまい具合に踊る。

歩き始めたばかりのマークンも3歳のタイキくんもエイサー大好き。
リズムの取り方が並ではない。
人々の視線を釘付けにして得意気に踊っている。

花火も無い地味なまつりだけど、人と人が身近に交わるには丁度いい。
沢山の卒園児たちが訪ねてきてくれた。成長を見せてもらうまつりでもある。
時には茶髪の男の子と目が合う。「あ~たろうく~ん」の声かけに幼子のような表情に戻る。

「私の名前覚えている?」と試されるときもある。記憶喪失回復を願った。

記憶喪失・2

2006-08-16 11:05:40 | 日記
携帯電話に取り込んである個人情報のことが気になった。

無くしたことでの不便はわたしだけのもの、しかし、いまや個人情報の漏洩が社会的な問題になる時代。
夕方になり、ともたくも電話を破棄するしかない。そう決めた。
つまり、これまでの情報も含めて電話機に内蔵されている記憶を消さなければ、、、と決めた。

そんなことができるかどうかは定かではない。それよりも、ショップに走ることにした。一番いい方法を選択するために。

でも時はすでに7時を廻っていた。
何度も鳴らす電話のベル・・。相変わらずの返答無し。

ガッカリして、ベッドに腰を下ろして呆然としていた。自分への怒りが渦巻く。
ベッドにある枕を掴んで投げようと・・・

あらら、、、ベッドのしたから電話がひょっこりと出てきたではないか。
枕のしたに入れて寝たのを、すっかり忘れていたというわけ。
本当の記憶喪失だっこりァ危ない、本当に。

なにはともあれ、ほっほっほっ。


記憶喪失

2006-08-15 15:18:24 | 日記
携帯電話紛失。いや置き忘れだと思うが・・。

朝から不機嫌なわたし。
電話が無いことでの不機嫌ではない。いや、それも少しはあるかも。

自分が昨日、何時にどこで何をして、その時携帯電話をどうしたか・・・
思い出そうとしても、明確ではないことが不安の材料であり不機嫌の元だと思う。
自分への怒りだ。

夕方までは確かにあった。夜もあった・・・はずが・・・。
朝になったら消えていた。
そんなバカな。

それよりも何よりも、友人の携帯番号をまったく覚えていないし、記録もしていない。
電話番号を100件も登楼しておきながら、たったひとつも覚えていない。
こんな恐ろしい話し、、、幽霊話よりコワイ。

実体がないのにあると思っているわたし。
実際は覚えて無いのに「わかる」と思い込んでいる現実。

あ~なりっぱなしのベル・・・。どこでなっているのかよー私の携帯君よー。
帰宅時のタクシーの中に置き忘れ?
なら、どなたかがとってくれそうなものだし。

あ~頭が痛くなってきた。どうしよー。電池切れになる前に見つけなくては。