なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

花冷えまだのこる東京

2007-04-30 10:12:59 | 日記
一人しかいない妹を看病するため東京世田谷明大前にて、四日目の朝を迎える。
妹は入院中のため、夜は一人狭い部屋に戻る。
私はこれまで一人暮らしの経験がない。それに引き換えこの部屋の持ち主は沖縄を離れて三十数年かなりの年月を一人で暮らしている。
京王線と井の頭線の電車が交互に走りさる。沖縄にはない音の風景だ。

今回わたしはとにかく妹に沖縄行きを納得させようと思っている。納得まではいかないにしても、説得するつもりだ。東京で思春期に心を病みながらも、生きようと頑張る人々と共に彼らの社会復帰を手伝う為のグループホームを十何年前に立ち上げた。
 東京での看護婦としての仕事で出会った人々とともに、そして当事者参加の精神障害者のグループホームを十何年前に立ち上げたが、余りにも仕事が、ハード過ぎた。寝る時間などあったのだろうか。

人が人の為に先駆的なことを成そうとしとき、必ずや起こるであろう問題が、次々に顔をだし、寝る時間を忘れさせた。と私には推測するしかない。
なぜならば。彼女の口からはグチや弱音を一度も聞かない。

彼女は、精神障害者が普通に暮らし安定している時には普通に仕
事もできる社会を、
望めば聞き入れられる社会をと願って、寝る時間すらも惜しんだ。ここにきて障害者自立法という、障害者を脅かす法律が制定され、またまた怒りが彼女の全身を包んだようです。
病と戦いながらの仕事には限界があるのです。苦しいとも不安があるとも、言わないのですが、もう十分人様のことははやったのだから、生まれた島に連れて帰りたい。
 沖縄の太陽の恵みを浴びれば元気になりそうで、連れて帰りたい。まだまだ余力を残して、沖縄に帰って欲しいと話し合いを続行中。あんなに頑固にやらねばならない仕事があると言い続けて来て彼女の中にわずかながら、里心に火が付いた感あり。

あとは病院の受け入れ先をどう見つけていくかの課題を解決するかだ。入院中の病院の医師の話し合いを続けながら情報を入手し、とにかく沖縄に連れて帰りたい。
 
東京は、昨日に続き好天に恵まれ最高の日和だが、花冷えはまだ残す。こんな天気は、誰にとっも気分のいいもので昨日は微熱はあるものの一日気分よく顔色も良く、食欲あって看病どころか、病室から合唱がながれた。
東京にて唯一、妹の近くに住みながら、仕事も妹の手助けをしているわが娘が、妹のリクエスとにこたえ歌いだしたもので、明るいお日様をみながら、しばらく尻取り歌合戦で盛り上がりました。
 
 昼寝ね時間を見計らい娘と二人で世田谷線にのり、三軒茶屋まで行き今度歩いて渋谷まての散歩を楽しむ。
みどりがまさに芽吹きのじき、気持ちのいい時間をありがとうです。さて、これからまた楽しい歌の時間もあるかな?病室へと急ぎましょ。暖かそうなので、シャワーも、髪も洗えたら気分もいいかも。

これから勉強会そして歓迎会

2007-04-26 18:31:42 | 日記
一日が終わろうとしている。
6時半、すでに多くの子どもたちは家路について延長保育の園児だけ。
元気な声が廊下から聞こえる。

シンイチが大きな空き箱を手に「ダイヤモンドと、パールが入っているのだという。こんなことば誰に聞いたのやら。
お金持ちになるのだともいう。ダイヤやパールの意味を知ってかしらずか。

カスミが側から「それってなに?」と首を傾げて、ジャスチャー。
いつの間にか空き箱は大きな風呂だと。
足湯だとも。子どもの創造性は明日の体験を今日的な会話に結びつける。

体験を
よりよく場合わせる能力もある。それこそ、こどもの創造性なのだろう。

あっ、勉強会なのだ。時間がないのでまた後で。
今夜は新人歓迎かの焼き肉屋、ビールが準備されている。
早々に勉強会を切り上げないとみんなに叱られそう。ワインもあるらしい。
飲んだら、車はもたない約束で飲み会を始めるなー。

晴々の空鯉のぼり

2007-04-26 11:59:24 | 日記
今日こそ鯉のぼりを空高く掲げなくっちゃ。
そんな思いを抱かせてくれる晴々とした朝を迎えた。

昨夜、9時就寝。なんだか疲れがたまっていたのか、もう眠りたくてベッドへと
いつもなら、寝付きのよくない私なのだが、ベッドに着くやいなや睡魔が襲ってくれた。嬉しい限りだった。

6時前に我が家の犬が吠えたもので、現実の世界へと。夢から覚めた。
おーなんとも深い睡眠の後は頭もすっきりと、鳥のさえずりが心地よさを引き立て
スキット、シャント。

一番乗りの上地さんが、なんと6時半にはもうオートバイの戸とを響かせて出勤。
この人は勤勉な人で、7時から10時までのパートさんなのだがいつも早出。
いつもなベッドで上地さんのオートバイの音を聞くのだが、今朝は庭でおはよう。
相手の方が驚く・・「えっ、おはようございます」というわけで、一人でくすくす。

8時に園に電話。
「鯉のぼり掲揚の準備お願いねー」「はーい、そうおもっていました」と職員。
お互いに気持のいい朝の会話。

9時15分。
園庭は太陽の腕の中。眩しいくて空が見れない。
全員集合のこどもたち。眩しすぎるので、ガジマルの木陰で集会をすることに。
屋上から大きな鯉のぼりが次々と姿を現した。おもわず「お~」とこどもの歓声が空へと。

小さな鯉のぼりがこどもの数だけ。大きな鯉のぼりも何匹か数えきれない。
庭を埋めつくして、空が見えないほどに・・・。少しオーバーな表現だったかな。
「鯉のぼりをなんのためにあげるともいますか?」のわたしの質問に
「赤ちゃんが見て喜ぶから」とこたえたのはタイチ。
「好きだから」とこたえたのはソウ。
「みんなでつくったから」とこたえたのは・・だれだったかなー。
「こどもの日だから」とこたえたのはマークン。
十人十色の答えをのせてこいのぼりが泳ぎます。



とじッてしまった。

2007-04-24 17:40:22 | 日記
 今朝9時に家を出た。10時からの裁判傍聴のために。
先日書いた、金城あつし被告の判決言い渡しの日。

予定表には「裁判所へ10時」と書き込まれていた。この時間、中央にでかけるのは久しぶりのことで、車の混み具合も年頭にいれて一時間前に家を出た。

10分前、那覇地方裁判所到着。
玄関の警備員さんが経っている裁判予定表を確認する。
予定表には無い。警備員さんにたずねて確かめてもらう。
裁判の予定表がぎっしりとならぶ。被告人の氏名。裁判長の氏名。
弁護人の氏名。などなどが記載されているのだ。

主に201号の部屋は刑事裁判だと。
これまでの虐待の事件すべてが201号法廷だった。
「ありません」と警備員。
まさか、そんなはずはない。先日9日の裁判のときに裁判長の話を聞きながら日程表を書き込んだのだから。

と、手帳を出して確かめる。
「?」今日は24日だったっけ・・・。ということに気づいた。
裁判の日程は25日の10時と我が手帳に明確に書かれていた。

「ごめんなさい、手間を取らせました」と電話を手にしている警備員へ。
「すみません,なにかの間違いではないですか?確認をお願いします」と食い下がっていたので、きまりが悪かったのだ。
「わたしのミスです。明日が25日ですヨーねー。間違いました」と後ずさりして裁判所を出た。

あー、朝の大切な時間にこんなミスをして。園にもとらねばと、車を出そうと。
大きな雨が降ってきた。ジャンジャンぶりだ。

えいっとバカリさぼってしまった。午前中。雨を眺めながら、ホテルのロビーでコーヒータイム。ぼーとしてしまった。
そして、もう一つ私用をすませて・・・。園に戻った。

薄暗いので、子どもたちも寝入るのが速い。もうすでに、どの部屋もカーテンが引かれて静かな昼寝タイム。
給食は、沖縄風煮つけ。三枚肉がとても柔らかに煮えて、昆布や大根に味が染みてうまかった。
県産品の豚肉はうまくて、・・・。
食欲旺盛~先日お医者より3㎏体重を落とすようにとの指示を忘れてしまった。

食べて後から「食べすぎ?」と自問自答。
「おいしかった」と調理へ。味に深さが出たこの頃。3人のチームワークと子どもにおいしいものをという愛情が、「うまい料理」への秘訣。
ベテラン調理人が定年退職の後、不安がっていたが、もう大丈夫。と、太鼓判。
どじッたおかげで、少しだけ朝の時間をさぼりに使って・・(これナイショ)
あっと言う間に6時前。元気に皆が帰っていく。雨の合間にどんどんお迎えが。

安心して我が家で暮らしたいだけなのに

2007-04-23 16:52:53 | 日記
話を聞けば、家の向かいの人からの嫌がらせはもう7年もつづいているという。
最初話を聞いたときから、そうかもう7年もたったのかとそうおもった。

家の玄関を向かいから監視カメラでとらえて、でかけるとなるとすごい勢いで追いかけてきて、聴きたくないことばで罵るのだというのだ。
7ね年前、子どもがまだ小さいとき(いまでも小学生と幼稚園児がいる)家に帰るのが怖いといって、なんくる家で時間を過ごすことがしばしばあったことを、思い出した。

サーチライトで家を照らされたことがあるという。毎晩毎晩、我が家に向かってあのサーチライトが照らされるのだ。考えただけで異常者じゃないの相手は?といいたくなる。これが7年もつづいていると言うのに、警察は「自分たちで解決してください」と取り合ってくれないと言うのだ。

周りの住民がターゲットだったときには間りの住民たちも一緒に対策を考えることが会った。というが、だんだんターゲットが絞られてきてその方の家だけになったとのだという。いまや孤軍奮闘になってしまったのだ。

夫婦二人ともが調子を合わせてすごい剣幕で、手をかざして拳をあげて罵るのだと。先日テレビでみた「やかましいののしりおばさん」の映像をみたことがある。「あれと同じように?」と問うてみた。「そうですあんなふうです」というのだ。
我が家が一番くつろげるはずなのに我が家に帰るとき、恐怖心で胸が張り裂けそうになると言うのだ。
持ち家なので、家を離れるわけには行かない。

運が悪いと片づけられる問題なのだろうか。
前の住民も、その前の住民もこの行為に心や身体をやられて、病気になり出ていったのだとも。それを知らずに家を買ってしまったことからこの悲劇が始まった。

「今度どんなことをどんな風にやるのか見せて」と私は、その人に伝えた。
学校に行く子どもに向かって罵る。行き交う人にも暴言はあるらしい。
その辺りではその悪行は有名らしいが、誰も注意することもできず警察も見て見ぬふりだと言う。こんなことってあり?
腹が立つ。話を聞きながら私は飛んで行って話し合いたい気持になったほどだ。

あまりにも嫌がらせが続き、ご主人が相手に手を出したことから警察沙汰になったと言う。警察沙汰にしたいのはこっちの方なのに。
もちろん暴力に出たことは悪いことだと、重々罪を認めて反省して、そのことの償いはするつもりだ。が、今後またつづくことを考えたら~

こんなときにこそ警察は住民の安全を守り、自分の家で安心して暮らす権利を守ってあげないといけないのではと、腹を立てているのだが。間違いなのか?

午後から太陽がのぞく。小さな鯉のぼりを外にだす。短くて軽くて絡みつかない大きさの鯉のぼりが何十匹も泳ぐ。
動きがリズミカルなもので子どもたちも小躍りする。動くものが嬉しい。自然に鯉のぼりのうたが聞こえる。だれもが口ずさんでいるのだろう。

鯉のぼりでおもう。

2007-04-23 11:32:13 | 日記
あー雨だっと朝目覚め、わたしはそうそうつぶやいた。
カーテンを開けると、
今朝は薄いペールのカーテンを下ろしたような・・・ハッキリしない空なので。

案の定、わたしの出勤を待っていたように「こいのぼり掲揚はどうします?」と職員が待ち受けていた。
何匹もの鯉のぼりが、ひとつの紐にゆわえられて、大空高く登るのを待ってた。
年長さんの手作りのこいのぼりが、色も鮮やかに鎮座して出番を待っている。
さて、どうしたものか。わたしの考えは決まっていた。天気のよい日まで延期と。

職員は、決まった日にやりたい風で「やりましょう」のことばを待っている。と見て取れる。
「予定通りやった方がいいとおもう?」と問うと、「はい」という。
「なんのためにやるのか考えてから返事して」と意地悪なわたし。
「決まったことをやることが目的ではないとおもうが・・・」とわたしはなおも突っ込む。

決まったことをとにかく片づけて、なんとなく「ほっ」としたい。けじめをつけたい。と、おもう気持も分からないでもない。が、わたしはしつこいのだ。
なんの為に、誰の為に、最上の方法を検討したか・・・そのことにかなりこだわる。

折角つくった手作りのこいのぼりが、雨の予報が確実で、どんどん空模様があやしくなっている中で、決行すれば、どうなるか予想するのは簡単なこと。
雨でぐっしょり濡れた洗濯物を見るのは心が晴れない。
ましてや新品の新作の手作りこいのぼりが色鮮やかに目の前にある。
それが一時間後には濡れてぐしゃぐしゃになり、濡れ雑巾のようになるのは忍びないではないか。
風に舞うどころか、雨のしずくを集めて流す吹き流しなんて見るに忍びない。

そんなことを一人思いながら、
また意地悪く「こんな天気にやる意味があるの?晴れを待つことはできないのですか?」と少しきつい言葉になった。
察した職員は、どきまぎしながら「そうですねー」と少しひるむ。

わたしがだす決断を待つまでもなく、「こんな風にしたいと思います」「今日のところは子どもが期待しているので、こんなことをしたいとおもいます。」と持ち前の保育センスで、いま、一番いい方法を提案してほしかった。

予定通りには行かないことを知るのも、子どもにとっては大切なこと。雨が降りそうな中で、(これを書いている途中土砂降りになった。)予定だけをこなすことには教育的意義もない。

子どもは、延期を告げると「やりたい、いやだー」と来るだろう。
でもその時が、大切な時間。「予定を取りやめるのも大切な勉強」生きていく上には予定と降り行かないことが山ほどあることを知ることにもなるからだ。

あさから、ちょっとしたことでわたしの心は揺れた。
保育士も、もっともっと学ばなければならない。現状判断能力を培わなければならない。
保育センスをあげなければ、子どもの好奇心や子どもにとって大切な「いま」を豊かにはできないだろう。

ほんのちょっとしたできごとの中に我が保育園の全体のレベルをしることになりる。
いずれにしても、レベルを上げるのもわたしの責任なのであって、誰の責任でもない。
30人の職員ひとりひとりのステージをあげ、柔軟で掘っても掘っても水が湧いてくるような心ゆたかな人間に育てる義務をわたしは担っているのだから。

なんくる家の正美さんがコーヒーをいれてきてくれた。コーヒーの香りが事務所に流れ~。気持を切り換えなければ。と、そうおもった


学習する力

2007-04-20 11:39:31 | 日記
昨日の浜うりでのこと

運動公園の芝生に荷物を置いた。手入れの行き届いた芝生、モクマオウ、ユウナ、クワディーサー、テリハボクなどが、みどりをたたえる。

いざ海へ。
サンゴのかけらだらけで、足を取られて転ぶ子続出。
靴のままなので、足の裏は大丈夫なのだが、転ぶと危ない。危ないというより、痛い。ギザギサの岩だらけ引っかき傷になるのだ。
うまい具合に手を着く子はまだいい。ギザギザが、見た目も痛そうなので、手を着くことに躊躇したら膝がひっかかれる。

我先にと、海に向かって歩く。気が急いているので足元に気が集中しないのだ。
友だちに後れをとりたくない。と急ぐ。
もちろん、ゆっくりゆっくり、一歩一歩マイペースで歩く子は転ぶことが少ない。

気早い子は、なんどもなんども、イテッとよろけることになるのだ。
しかし、10メートル~20メートル~と歩調を進めている内に、足元のごろごろ、ごつごつを感覚で覚えてしまう。すると、バランス感覚が目覚めてしまうのだろうか、転ぶ子はほとんど居なくなる。

水の中の深さを読みきれずにザブンザブンと波と戦う子。しかし、水の中でゆれている岩場も足と目とで距離感を体験すると。
10分もすると、読み方を学習する。すると、ザブンと悲鳴を上げる子は確実に減る。

これはこの海でしか学べないこと。

さて、さざ波の間にゆれる色々な生き物がある。触ってみるとその違いが解る。
触らなくてもその違いが解るようになるにも、そう、時間はかからなかった。
マリカが、「もずくみつけたよー」とわたしの真似をしてゆらゆらゆれている海草を採る。
「これはもずくじゃないの、ほら触ってごらん。柔らかくてぬるぬるしているのがもずくよー」と教える。
マリカは手で触り、「あっホントだぬるぬるしている」とすぐに自分の持っている海草との違いがわかった。

それからというもの、的確にもずくを見くけることができたのだった。
岩場にゆれているもずくを手でもぎ取る。その後、もずくを、その場でゆらゆらとすすすいでから、ビニール袋にいれるのだと説明すると。それもすぐに理解して、手早く塩水でもずくをすすぐのだった。

コウヤもハルキもナツキも、一度の説明でしっかりと理解し、
その後は、岩場でゆれている海の草を、手にふれずに上からゆれ方をみただけで違いを理解したのだった。
静かに行動するマイペースのコウヤは何も言わずに「はい」と手に余るほどのもずくをせっせと収穫。そして「はいとれたよー」とわたしのビニールに放り込むのだった。それはもう見事なほど。
昨日の、もずくとりに関しては大人のわたしと子どもたちとの間に収穫量の差はほとんどなかった。

「子どもはわからないもの、子どもはできないもの」
と、勝手に決めつけている大人が大勢いるが,それこそ失礼な話で、

昨日は「こんなにも見分ける能力があったなんて・・・」とわたくし、子どもたちに、脱帽したものです。

やりたいときに、必要なことを体験させることで、子どもの能力も研がれるのだ。教えこむよりさせてみることだ。と、いうことが子どもを見つめいるとわかる。
子どもの可能性の高さに触れたとき、私たちの仕事はますます面白くなる。

あさから爽やかな太陽。きもちいい~。
庭の楓の木が一気に若葉をたたえ、春の息吹を発散している。一週間でみどりがしっかりとしてきた。
樹木も、日々成長しているのだ。さて、わたしは?・・・。

学習する力

2007-04-20 11:39:24 | 日記
昨日の浜うりでのこと

運動公園の芝生に荷物を置いた。手入れの行き届いた芝生、モクマオウ、ユウナ、クワディーサー、テリハボクなどが、みどりをたたえる。

いざ海へ。
サンゴのかけらだらけで、足を取られて転ぶ子続出。
靴のままなので、足の裏は大丈夫なのだが、転ぶと危ない。危ないというより、痛い。ギザギサの岩だらけ引っかき傷になるのだ。
うまい具合に手を着く子はまだいい。ギザギザが、見た目も痛そうなので、手を着くことに躊躇したら膝がひっかかれる。

我先にと、海に向かって歩く。気が急いているので足元に気が集中しないのだ。
友だちに後れをとりたくない。と急ぐ。
もちろん、ゆっくりゆっくり、一歩一歩マイペースで歩く子は転ぶことが少ない。

気早い子は、なんどもなんども、イテッとよろけることになるのだ。
しかし、10メートル~20メートル~と歩調を進めている内に、足元のごろごろ、ごつごつを感覚で覚えてしまう。すると、バランス感覚が目覚めてしまうのだろうか、転ぶ子はほとんど居なくなる。

水の中の深さを読みきれずにザブンザブンと波と戦う子。しかし、水の中でゆれている岩場も足と目とで距離感を体験すると。
10分もすると、読み方を学習する。すると、ザブンと悲鳴を上げる子は確実に減る。

これはこの海でしか学べないこと。

さて、さざ波の間にゆれる色々な生き物がある。触ってみるとその違いが解る。
触らなくてもその違いが解るようになるにも、そう、時間はかからなかった。
マリカが、「もずくみつけたよー」とわたしの真似をしてゆらゆらゆれている海草を採る。
「これはもずくじゃないの、ほら触ってごらん。柔らかくてぬるぬるしているのがもずくよー」と教える。
マリカは手で触り、「あっホントだぬるぬるしている」とすぐに自分の持っている海草との違いがわかった。

それからというもの、的確にもずくを見くけることができたのだった。
岩場にゆれているもずくを手でもぎ取る。その後、もずくを、その場でゆらゆらとすすすいでから、ビニール袋にいれるのだと説明すると。それもすぐに理解して、手早く塩水でもずくをすすぐのだった。

コウヤもハルキもナツキも、一度の説明でしっかりと理解し、
その後は、岩場でゆれている海の草を、手にふれずに上からゆれ方をみただけで違いを理解したのだった。
静かに行動するマイペースのコウヤは何も言わずに「はい」と手に余るほどのもずくをせっせと収穫。そして「はいとれたよー」とわたしのビニールに放り込むのだった。それはもう見事なほど。
昨日の、もずくとりに関しては大人のわたしと子どもたちとの間に収穫量の差はほとんどなかった。

「子どもはわからないもの、子どもはできないもの」
と、勝手に決めつけている大人が大勢いるが,それこそ失礼な話で、

昨日は「こんなにも見分ける能力があったなんて・・・」とわたくし、子どもたちに、脱帽したものです。

やりたいときに、必要なことを体験させることで、子どもの能力も研がれるのだ。教えこむよりさせてみることだ。と、いうことが子どもを見つめいるとわかる。
子どもの可能性の高さに触れたとき、私たちの仕事はますます面白くなる。

あさから爽やかな太陽。きもちいい~。
庭の楓の木が一気に若葉をたたえ、春の息吹を発散している。一週間でみどりがしっかりとしてきた。
樹木も、日々成長しているのだ。さて、わたしは?・・・。

浜うりへ行ってきた

2007-04-19 17:42:14 | 日記
昨日の悪天候から一夜明け、窓貸さす太陽に心が躍った。
海へ、初海へ・・の浜うりの日だから。旧暦の3月3日の今日は最も潮が引くといわれ、潮干狩りにはうってつけの日。

沖縄では女たちの節句の今日は、朝から海に出て一年間の安全と健康を祈る日なのだ。
風は少し冷たいが、これだけの太陽があればこの季節、寒さはないだろう。
大型バスにのって3才4才5才の全員ででかけた。
沖縄市の泡瀬海岸にはもうすでに人が大勢出ていた。

海の中に名が道ができている。どんどんどんどん、走って海の道を先へ先へと進む。
さざ波が気持ちよく太陽を受ける。
さすがの年長さんは私たち大人より足が速い。まってーまってーと若い恵さんでも子どもたちに追いつかない。
サダハルが波にざぶん。つめたーい。といいつつも気持よさそうな声。それに誘われるかのように、ハルキがつづく。ズボンのすそを手でたくし上げていた子たちもが、どんどんと波と戯れ濡れネズミ。

どこまでいってもどこまいっても深みがない。。遠浅の海だ。
海から渡ってくる風がきもちいい。
水の冷たさも慣れてしまえば気持ちいいもので。

サンゴのかけらに足を取られて転んだってききもちいい。ザブンザブンと波しぶきを上げ泳ぎだす子。子どもの目の中にも海がある。
おやおや~ゆれているもずく発見。たしかにもずくだ。採ってゆすいで口にほほ張る。と、すこししょっぱいがいい味だ。

食べる食べると、子どもたちが大きく口を広げて~「いいしょっぱいよー」「あっおいしい」「しょっぱい」「もっと~」

「こうして潮でゆらゆらとゆすぐと砂が落ちるから、そしたら口にほほ張るのよ」。とわたし。どの子も真剣にみつめる。ちぎって潮で洗うとユラユラト浮遊。浮遊しているもずくを上手にすくい取り、口に~。
「おいしい」「ほくも」「わたしも」

「あっもずくみつけた~」「ちがう、ぬるぬるしているのがもずくなの」お互いに学んだことを話しながらのもずくとり。体験実習は分かりやすい。

あっと言う間にもずくが手に重い。
どんどんどんどん汐がひいて。海だったところがたちまち陸になり
「せんせい~海はどこに行ったのサー」と問う。
さてさて、海はどこにいったのやら~気持ちいい潮風。男の子も女の子も私たち職員もみんなみんな、この海で健康祈願。
気持ちのいい一日が終わろうとしている。ありがとう。

ベビー誕生

2007-04-18 17:50:03 | 日記
携帯の待ち受け画面に産まれたばかりのベビーが登録された。
ゆう子さんの子どもである。3人目、初めての女の子。産まれた日に撮った写真というが、しっかした顔である。

産休中の職員のベビーである。
まだ20代の彼女が3人のママになったなんて・・。感慨深いものがある。初産で双子を身ごもり、大変な苦労の末に男児二人誕生。旦那さん側の家族に助けられながら仕事と子育ての両立をこなしている。
独身の頃の彼女は、それはもう呑気ものだった。勤めたばかりの頃、わたしによく叱られていた。呼び出しを多く受けたことが懐かしくさえある。

「あのね、ゆうこねー」「あのねーゆうこねー」とわたし。
「はい解りました気をつけます」悪びれない。「やくそくできますか?」「はい必ず」「・・・」そんなやりとりを何度もなんども繰り返し、一つ一つ彼女が大きくなった。それが7年も前のこと。

いまでは、中堅のリーダー的存在になった。去年は、率先して食育委員会の委員長も務めた。一年間保護者への調理実習の責任者としてお産の準備で休みにはいるまで頑張った。
「無事に産まれました」とメールが届いたのが4月4日だった。
安心、そして3人のママになったことを不思議な気がした。
親子とも元気でしたと、見舞いに言った由香里さんが話していた。
ハッチアッチー(初訪問)をマチカンテー。

朗報が飛び込んできた。リョウコ、リョウジュン、マリさんの三人兄弟の下双子誕生なのだ。無事に女の子が二人産まれたという。安堵。
長い間安静入院を余儀なくされていた。
ママは40代、そして双子。無事に産まれる日を皆が願っていた。昨日産まれたという。朗報が続きうれしい限りだ。

隣のちゅーりっぷ組をのぞくとマリが平常心でお絵描きをしていた。
「赤ちゃん生まれって?」と聞くわたしに「・・・」大きな目をパチクリ開けて「?」。「パパときた」と、とんちんかんな答えだった。
命の誕生はうれしい。温かきもちになる。ありがとう。