なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

盛岡から

2008-06-15 22:57:55 | 日記
日本全国の人が心配した昨日の地震。
テレビは終日東北内陸部地震を報道し続けた。
昨夜はたまたま仙台にいたものですから、家族は心配したようだが、仙台は全く普通の流れ。
ただ、駅は混雑のまま夜を迎え、通常ダイヤに戻りのには時間を要したもよう。
さて、今朝は予定通り仙台から東北新幹線にのり、くりこま高原、一関を通過。
最も地震の被害が大きく、山の亀裂が激しいといわれた場所を通り過ぎ盛岡に来た。
盛岡から宮沢賢治のゆかりの賢治ワールドにバスで到着。
あの地震の翌日であり、内心どうなることかとの不安ガ無いわけではない。
が、天気が最高によく緑の街路樹も涼しい。
人は、それだけで安心するもの。なぜか、大丈夫と。
地震などもう来ないなどと思うのでした、
今夜は雫石に泊まることにしたのです。
満天の星空の見える小さな森の中の宿にたどり着きました
林の向こうに月も見えました。
岩手山が見えました。
布団に入り、又起きて、寝間着を脱いでジャージの服に着替えました。
もしかのためです。何事も無く明日の朝を迎えたい。

子どもの疑問

2008-06-13 15:18:39 | 日記
なんで戦争をするの?
なんで人を殺すの?
なんで鉄砲で殺すの?
なんで爆弾を落とすの?

これは、ひめゆりの塔への平和学習に行ってきた時の子どもの質問です。
ひめゆりの塔の資料館の入り口から中へ。暗い壕のの様な作りの資料館を
入っていく。
騒いでいた子どもたちも
何かを感じたのでしょう。静に厳かな歩き方を。かたの当たりに緊張感が見える。

中には駆ける子もいるが・・。

おおきな画面に映像が流れる。
証言者の話と悲惨な映像が交互に流される。
食い入るようにみている子どもたち。
全てを理解しているわけではないが、何となく戦争の場面であるとの理解。

雨のように降る爆弾の映像。
空から落とされる爆弾の映像。
壕に爆弾を投げ入れるアメリカ兵。壕の爆発。
人々がで両手を掲げて壕から出てくる。
火焔放射の映像。
焼け野原での死人の映像。

氏は楽映像を見たあと、平和祈念公園に移動。お弁当の時間である。

車に乗っての移動時間・・・。
しきりに訪ねてくる冒頭の質問。
なんで戦争するの?
私には答えられなかった。
なんで?人を殺すの?
あなたならどう答えますか?

登り棒

2008-06-11 11:33:53 | 日記
庭のガジマルの高い枝と地面を結ぶ
登り棒が設置された。
竹の棒を垂直に立てて、枝に縛るのである。
毎年のことなので、待ってましたとばかりに
年長さんが列をなす。

順番順番と、背中にどんどんならぶ。
スイスイと登れる子は積極的に挑戦する。
できる子には挑戦とは言わないのかなー。スイスイ登る。

さて、まだ少しだけ心の中に自信を育てていないい子も
「やってみたい・・・」と10番目ぐらいに並ぶ。
10人がやっている手足の使い方を見ていることにするのだ。
それから、いざ自分の番になると
一瞬の戸惑いはあるものの
「やってみー」などと外野の声に押されるように、登り始める。
長身のテツロウがスイスイ登る。
おれさー、リユウヤがさーやってごらんと言われたからやって見せたのという。
なるほど、手本を示したということか。

ひとしきり登れる子が登ったあとの、閑散とした時間に
サヤカが初挑戦。ハルカが隣から体重支えようとする。
ミホが見本を示して登る。が半ばまで「できないなー」と自問の声。
スズカもやってきた。
みていてよー、スズカはすいすいと登る。
一旦登り棒から離れたミホ。でもまた気分を換えて寄ってきた。
今度は登り棒スイスイ成功。
みて、ケガしたんだーとと擦りむけた足の甲の擦り傷を見せる。
名人への勲章だねー。と私。勲章って何?とミホ。

サヤカ、ハルカも少しだけ手を貸すだけで、枝まで到着。
周りの子に褒められて、少し照れながらも登れた満足感を身体中から発散。
こうやって、いつの間にか自力で全員が登れるようになるのは
近いのかも。

お手紙

2008-06-10 13:01:11 | 日記
お手紙が届きました。と、なんくる家のマサミさんがにこにこ顔で届けてくれた。
4月に転勤していったニシダさんからだという。

なんくる家のママ友が色紙を送ってくれたらしくそのお礼かたがた近況報告が。
新しい暮らしに慣れようと、いろいろなことに挑戦するのだと。
色々なことに積極的な人だったので、水戸に行っても
もう、動き出したのかと感心した。

なんくる家の卒業生ママは毎年転勤で全国に散らばる。
パパの転勤で住まいを移すので、望と望まないに関わらず、何年かごとには
それは住まいを移動する。
なかなか大変なことだとおもう。
移った場所で近所との付き合いを一から始める。人見知りの人には
気の重い話である。
人との友情を紡ぐのだから、付き合いが始まったといっても
心を許し合えるには時間がかかるであろう。

ニシダさん、
なんくる家は、全国でも珍しい特別の場所です。と書いてある。
まま同士が気持を合わせて、色々な企画をしたり、子どもを預かりあったり
とても協力的な支援センターだから。
そんな場所を見つけるのは、至難の業です。と・・・。
それはママたちの努力であり、心持ちがみんなおおらかで助け合いが気軽にできて
いるという、歴史があるからで。
それは利用するママたちの望みでもある。だから、そうなってきた。

どこの場所でも、自分たちが居心地よく過ごせるには、誰もが平等であり
誰でも受け入れてもらえる「仲間」の存在が大切だから。
なんくる家は、その希望通りになってきた。

誰もが声をかけあって、お互いに迷惑もかけあえる関係。
これこそが大切な心の支え。

ニシダさんのお手紙を読みながら、そうおもった。
何よりの楽しみは「5時にビールを飲んで・・・」とあった。
それを読みながら嬉しくなった。
ありがとう。

議論を楽しむ

2008-06-09 16:54:58 | 日記
女性だけのモアイの席で、ある人が言った。
やっぱり子どもにとって、両親揃った方が幸せだと思う。と・・。
普通に結婚して、ちゃんと家庭を作って、その方がいいと。

彼女は、若いときに二人の子どもを連れて離婚した女性である。
もう、孫もいる人である。
だから彼女の子どもといっても30代の後半である。
どうして、そうのような話題になったかは定かではない。覚えていない。
先週の土曜日のことである。

モアイのメンバーは40代後半から70才までの6人だった。
それぞれに人生の半分を過ごした仲間たちであり、それぞれの生き方はそれぞれに決めてきた女性たちである。

その普通の結婚ということばが気になった。
その時気がつかなかったが、いま、考えてみればその時の女性たち6人の内
4人は、離婚経験をしていた。

言い出しっぺの彼女は、自分のことを語ったわけではなく
一般論として、評論していたのが私は気になった。
私はこうだったからこう思う。と、自分を語るのには人それぞれの生き方であり
だれもが、認めるところであるが・・・。
一般論として「ちゃんと結婚して、離婚するならいいが・・・」
「結婚もしないでこどもをつくって・・・」と、続いたときから私の気持がざらついてきてしまった。
否定ことばが気になったのだろうか。
「一般論はすきではないし、評論家にはなりたくないので・・・」と、私は
切り返してしまった。

どう生きるか、どう生きてきたかは、一人一人の問題であり
否定はできない。否定してはいけない。

普通の結婚が一番だと、誰が決めたのかということだ。
子どもはそう思うはず・・・。との前提での話である。つまり憶測である。
大いに議論になり、話が盛り上がった。
大人の女性たちであり、人の意見を否定はしない。議論である。
反論もあり、認める発言もあり・・。
お互いに議論を戦わせることのおもしろさを味わった。

結論なんか出るわけが無いが、「自分の人生、その人が生きていくことを応援するのが私たち大人の役割では?」と。
少なくても私はそう思う。
普通の結婚が良いとか悪いとか~そんな次元を超えた。よかった~。
と、胸をなでおろした。


勇気がでたから

2008-06-09 12:02:27 | 日記
5才のシオリ、笑顔で私を呼びにきた。
見ていてよーと手招きしてガジマルの下へ。
ガジマルの木に登り、丸太ん棒へと移る。
まだ恐る恐る、顔が真剣そのもの。
「見ていてよー」と再び私が見ているかどうかを確認。
ゆっくりと慎重に丸太ん棒から滑り降りる。

着地成功。
その嬉しそうなこと。
朝から何回も何回も挑戦したという。
足の甲が真っ赤になるほどに。湿って空気は丸太を滑りにくくして
その為にゆっくりと練習はできた。しかし、摩擦が起こりやすく
足の甲を摩擦熱で擦りむいた状態に。

それでも本人は、その痛さよりも嬉しさの方が勝っていて。
たまたま、パパが忘れ物を届けにきてくれた。
今度はパパに見せるとまた登り、滑る。
嬉しそうに自分の気持を話してくれた。

あのね、初めはできなかったけどね、人がやっているのを見ていたらねー
勇気が出てきてね。
朝からやってみようかなーと思ってねー。
やったからできた。と、いうのである。
何度もやったからできたの?
うん、一回目はできなかったし、2回目もできなかったし。
でもさー何度もやったからサー、今はできた。

いまや、もう自尊心も満足したシオリ。
二つ違いの 弟は、運動神経が敏しょうで、スイスイスイと木登りをこなし
スイスイと丸太を滑っていたもので。
これで本人も「おねぇちゃんとしての」自尊心が満足した模様。
「あのサー勇気が出たから」のことばが
こうやって、自分で何かに挑戦することを体験していくことが
大切なんだと。゛嬉しくなった朝でした。

涼しい風がガジマルの木立を通り抜けていきました。

産着

2008-06-07 18:37:40 | 日記
何十年ぶりに百貨店のベビー用品売り場に行った。
なんとも可愛い品ばかり。
小さいサイズは可愛く見えるものらしい。
ちっちゃな靴が色とりどりにならぶ。
服も帽子も小さな食器もスプーンもエプロンも、どれもちっちゃくておもちゃのよう。
さて、まだ見ぬ我が孫に何かを買おうと立ち寄ってみたものの、しぼりきれない。
どれもこれもかわいくて。
とはいえ、まだ生まれもいない。あと2ヶ月は会えない。
だから、シンプルな肌着を3枚かうことにした。
赤い顔をしたハンサムな孫への初の買い物は、なんだか面はゆい。でも嬉しい。

すいちょる

2008-06-06 15:44:46 | 日記
ある人が自分の夫のことを話した。
いや、自分と夫との関係をといった方がいいかもしれない。
別れたくても分別れきれなかった夫との関係を語ったといった方がいいのかも

別れる機会は何度でもあった。
別れたい気持は何度もあった。
でも別れられなかった。

どうしてなんだろうと、考えて考えて考えた結果
見えてきたのは
ことばにすると「すいちょる」ということではと・・・。

私は思った。
いいことばだと。
これまでの結婚生活の中で、破れそうな場面が何度もありながら
踏み切れなかった。
常に、二人の関係を見つめて、考えて
50代に突入して出した結果は
「すいちょる」から別れない。

胸が熱くなった。
彼女曰く「どうしようもないひとなんだけど・・・」「すいちょる」から。
どんなにしても添い遂げるんだと。
いいことばだなーと、人ごとながら胸を熱くした。

「すいちょる」ということばを自分に当てはめた彼女の文学素養もさることながら
そこにたどり着いた分析力すごい。
行きつ戻りつ考えあぐねて「すいちょる」を実感したのだろうか。
いいことばだなー。「すいちょる」
こんな人となら、長い友だちになれそうな気がした。

農園

2008-06-05 12:15:06 | 日記
大人の足で歩いて5分。
子どもの足なら8分~10分。
の場所にみどり保育園の農園がある。

児童園をの運動場から右に少し登る。
首里厚生園の裏手の高台へ。
児童遊園へとの登り口の手前に農園がある。

厚生園さんに貸していただいているものだ。

雨の前に野菜を植えた。
ピーマン、オクラにナスビ、それにキューリにゴーヤー。
夏の野菜だ。
朝夕、ひまわり組の子どもたちは担当の先生たちと水やりの当番をこなした。
この恵みの雨で、
額に汗の水やりは暫く休止。ほっ。

しかし、ナメクジ、カタツムリが発生したらしい。
いずれも雨大好きな小動物たち。
子どもたちはナメクジ、カタツムリを見て、野菜を見るより喜ぶ。
カタツムリを探して、どの子も夢中になる。
一晩の間に青い葉っぱがギザギザハートに。
葉っぱが無くなれば、実りは無い。
だから、先生たちは、カタツムリの嫌がる薬を根っこに置く。

昨日、青々とした夏野菜はすくっと立って、
それぞれに30㎝ほど伸びていた。
ピーマンに一個実がつき
キューリに黄色の花が咲き
ゴーヤーはというと、、少し弱々しい。
でも今日のこの天気では、オクラも実が付くのではと
期待している私です。
さぁ、ご飯だ。いつの日か「園長食べて」と取り立ての野菜を想像しながら
給食へと。

親の気持(2)

2008-06-04 11:45:54 | 日記
子どもの個性を個性として認められるものの
大人は、そのまま認められることはめったにない。
大人は泣かないものだ。
大人はできるものだ。
大人は強いものだ。
大人は考えられるものだ。
大人は気がつくものだ。
大人はてきぱきしているものだ。
大人は人前でも話せるものだ。
大人は人当たりがいいものだ。
大人はにこにこするものだ。
大人は挨拶するものだ。
大人は誰とも分け隔てなく話せるものだ。
大人は悩まないものだ。
大人は・・・・。
あれ?違うなー。
大人だって泣くときがあり、泣いてもいい。
大人だって苦手なことがあってもいいし、できないこどがあってもいい。
大人だって気分を持っている。
上機嫌のときにはできても下降気味のときにはやる気が無い。
相手次第ではやれることもあり、やりたくないこともある。


そう考えると
大人も子どもも、、、人間だから
個性があり、それでいいのだ。
子育て中のパパもママも、頑張りすぎなくてもいいんだよ。
そのままで認めてくれる家族をもてば。
家の中ではへまもしましょう。ねー。