なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

卒業パーテー

2006-12-31 18:31:52 | 日記
8年間、慣れ親しんだ店がまたひとつ消えた。
東町の静かな住宅街にぽつりと灯る明かりが消えた。

偶然にも、8年前の12月オープンと同時に友人に紹介されて気に入って通い続けた。
腰をかがめないと入れないほどの高さのにじり戸が印象的な店だった。

異空間を作り上げてきた、オーナーのシモンさん。
も、とうとう、卒業とのことだった。
4~5年のつもりではじめた店で、こんなに持ったのは不思議です。と、最終日の昨夜、挨拶をしていた。

淡々といつものように、ただ卒業します。というのだった。
客の方がむしろ、慌てふためき落ち着かなかった。
「これから私たち、ぼくたちはどこに行けばいいの?」というのだった。

ある女性はいった。
「ある時は3時まで話を聞いてくれました。ある時は放しも聞かずに無視されました」「優しいのか優しくないのかわかりませんが、この店が好きでした」と。

そしてまたある人は「結婚式をあげる前に妊娠して、親にも言えずに困っている私たちを、ここの仲間が祝ってくれました」と。

そして、ある男性は「普通は店の人が客に気をつかうのにこの店は客がマスターにきをつかうのです」と。
「酔ってきたら追い返されました」
「団体を断り続け貧乏しながらこの店が好きな客のために貧乏しているマスターありがとう」とも。

一本気の男ッ気のあるマスターは男性からも女性からも人気者でした。
しかし、なんせ、入り口がにじり戸ですからいちげんさんには入りづらいこともあり
いつも暇な店でした。
客の私たちは静けさが提供されてありがたい店でした。

また、ひとつ、わたしの好きな店がなくなってしまう。
なんとも寂しいこと。

とても好きな空間でした。居心地のいい店でした。
マスターの間の取り方、話すときの間の取り方がとても好きでした。
センスのよさは超一流でした。

雰囲気のよい方でした。
「つぶれたのではない、卒業させてくれ」とみんなに挨拶をしていました。
別の道を歩みたいのだと。決断したシモンさんにみんな感謝の言葉でした。

これまで儲かるということに縁がなかったので、次は儲かる仕事をしてみたいと・・。冗談のようにいいました。
「お元気で」といわれると戸惑いました。

「またねー」ではなく、「お元気で、」と。

12月、決断の月でもあるんだと改めて思ったものです。

雨模様の大晦日。ありがとうございました。

一年間ありがとう

2006-12-28 13:16:02 | 日記
毎日毎日、新しい朝がきて
毎日毎日、日が暮れる。

そして、365日回朝日が登り
やっぱり、365回日が沈む。

それを何じゅう回も繰り返し
わたしは、大人になった。

朝がきて
「おはよう」と子どもたちが顔を見せ
「あそぼー」と群れる。

「お腹がすいた」とご飯を食べて
大きなうんちを「バイバイ」といいつつ流す。

昼間過ぎ
眠たいとごろりと眠り
また元気で起きて木登りをする。

西に日が沈むころ
「また明日」と家に帰る子どもを見送る。

そしてまた朝が来る。

一年間はこうして過ぎていく。
ありがとう、こどもたち。ありがとうパパとママ。
ありがとうみなさん。

うさぎの嫁入り

2006-12-27 14:09:46 | 日記
うさぎ小屋がぼろぼろになり
新築の話が持ち上がっていた。

30万の見積もりが届いた。それから3年。
小屋はまだぼろぼろのままだった。

雄と雌、同じ小屋だけど、一階と二階の別居暮らしだった。
同居させると、子供を産みすぎるからと。
時々、小屋から出すときだけ、つがいになれる、はかないうさぎたちだった。

ぼろぼろの小屋で、何年もの間台風にも耐えた。
ブルーシートをグルグル巻きにして、雨風をしのいできた。

いよいよ、小屋がつぶれそうになっていた矢先。
宜野湾にある、幼稚園でうさぎのつがいを探していると、
飼育係のヨウコが話しにきた。

「えんちょうーあの、、うさぎをお引っ越しさせたいのですが・・」ということで
急に年末のお引っ越しなのだ。

大きな小屋で、ちゃんと地面で放し飼いができる環境という。
雄雌、二匹がいつでも一緒にいられる環境とも。

沢山子どもを産みなさい、、とお嫁に出した。
小屋に放したうさぎの写真をとって子どもたちには納得させると
カメラを担いで、ヨウコとアヤコがかごをかついでいきよった。

きっといまごろ「幸せになろうねー」とハグハグをしているのかもしれない。

お散歩

2006-12-27 11:45:07 | 日記
昨夜は遅くまで、職員の園内研究会だった。
ひよこ組、すみれ組、たんぽぽ組の三クラスの発表と生活のビデオを見た。

零才児と一歳児
月齢の幅は一才違いということになる。
が、一生のうちでも一番発達の著しい二年間だけに、人間の発達の凄さを
見せつけられた想いだった。

ハイハイから二足歩行への移行が始まったばかりのベビーたちから
少しの高さをジャンプしようと試みるこどもたちの発達が2年間では行われるわけだ。

遊びにしても、平行遊びから交わって遊べる交流遊びへと発達している姿が
ビデオを通して克明に伝わった。

子どもは自分で自らの命の輝きを
自らのもての能力を発揮するものだ。ということを伝えられる映像だった。

さて、けさ、
天気がいいのでお散歩へと子どもたちを誘う。
いつもいつものお散歩仲間が、すぐに寄ってきた。

「園長センセー、お散歩いこうよー」とコウ。
「さんぽ」という言葉には敏感に反応する子どもたち。
たちまち5人も「いくいくー」と手にぶら下がる。

門からでるのをすばやく見つけて我も我もというわけだ。が、一人では多すぎる人数。
言葉も達者なマナは「ハナと手をつなぐからだ偉丈夫」とわたしの心を察してくれる。
自分は手がかからないようにするから、ということを言いたいのだろう。
そして行きたいという一心である。

「わかった、でも園長一人だから、おりこうさんにしていてよー」というと
「はーい」と返事を返してくるのはたんぽぽ組(一歳児クラス)の子どもたちなのだ。

さいわい、園の近くは畦道が広がり、車の危険性が少ない。
コウ、マナ、ハナ、ナナミ、ネオの5人でいってきまーす。とでかけた。

もうすでに月齢としては2才に達している。
こんなに、言葉の表現が的確なんだと感心する場面が多い。
「たんぽぽみつけたー」とナナミがいえばマナはすかさず「たんぽぽは黄色だからこれは違う」というのだった。

月齢の差はたった3~4か月。
白い花が咲く服にくっつく小花を見つけて「たんぽぽたんぽぽ」と摘み取るネオ。
そのうち花の種子が服にくっつくことを知っているハナが
「ぷれぜんと」とわたしの服に種子をくっつける遊びをはじめた途端

「園長せんせー座って」とわたしを引きずり座らせて
毛糸のカーデガンにはくっつくが、インナーのシャツには、うまく種子がくっつかないことを発見してしまった。

何度がやって失敗をしている内に服の素材感で種子のくっつきが違うことを分かっていくのである。

遊びは次々と展開する。
ちょっとした箱を見つけて「ご挨拶」と舞台に見立てるのである。
それから飛び下りたり登ったりと、見立ては、舞台から跳び箱へと遊びが変化する。

想像力はこれまでの体験に結びついていることが手にとるようにわかる。
いつか、どこかの場面で、見たり聞いたりしたことを再現していることがわかる。
2才という年令で、よくもここまで遊び込む。と、大人のわたしは関心ばかり。

昨夜の勉強会の映像と重なる。
畑を風が渡ってきた。「あ~きもちいいねー」とマナが遊びの手をとめて
風を感じている。
これが「間」を感じる心へと通じるのかもしれない。

ふと手を止めて相手を見る。ふと手を止めて何かを感じる。
何かと何かの間には大切な空気があることを子ども自身知っている。
大人のわたしも「間」の大切さを忘れないようにしようと。

突き進むことと、立ち止まること・・そのどちらも大切なんだ。

一所懸命に打ち込むことと、ふっと休むことのバランス。
縦と横、交わる時に間がうまれる。それを時間というのだろうか。


大掃除

2006-12-26 13:54:36 | 日記
小春日和の師走。
暖かいを通り越して、暑いですねーのご挨拶。

朝からなんくる家は大賑わい。
一年間の大掃除の日である。
利用しているお母さんたちが大掃除をしているのだ。

脚立に跨がり高窓拭き。
庭の草取り。
ずっと向こうの道路までも釜を持ちつつ遠征。
一個一個、子どものおもちゃを消毒して汚れを拭き取る。

驚いたことに、赤子を背中に背負っての大掃除なのだ。
「おんぶだけでも大変なのにありがとう」とわたしは声だけかけてオマカセ。
慣れたもので、身動きが敏捷なママたち。
おしゃべりにも花を咲かせながら楽しそうに、手は忙しく動く。

ごった返していた部屋が、すっかりきれいになって。
後はオードブルをとっての「ゆんたく会」

ベビーに乳を含ませながら、わきあいあいの食事タイム。にわたしは呼ばれた。
おにぎりは持参。オーブル皿には大量のおかず。
「えっこんなにたべられるの?」と思っていたら。
「ぜんゼーン大丈夫デース」と澄まし顔のママたち。
食欲旺盛なのだ。若い若いを実感。

暑い師走、水仕事も楽しくできた大掃除でした。ごくろうさん。ありがとう。

手紙

2006-12-26 11:05:47 | 日記
思わぬクリスマスプレゼントをいただいた。
なんくる家卒園児のお母さんかの、お手紙である。

2年前、息子が一年生のときである。
突然、難病に冒された。街ではイルミネーション彩られ、華々しい12月のことだった。

闘病生活の苦しさは言葉では言い尽くされない。それはそれは大変なことだっただろう。
その息子が、無事退院して、学校行っているという報告とお礼の手紙だった。

息子の闘病、入院暮らしを支え、苦しかった過去をふりかって
いまの幸せを語っている。

小さな身体に通される数々のチューブ。痛々しくて自分の身体を切り刻まれる方が楽だと感ずる状態。
治療とはいえ痛々しい。

小児病棟での子どもたちの様子。こんなにも大勢の子たちが治療のために入院生活を余儀なくされている。そのことを知らなかったこと。
そして、患者さんを取り巻く家族の苦しみや深い愛情。
家族の絆という支えあい。

普通に暮らしていたら気がつかなかったであろう。現在の幸せ。
布団の上で手足を伸ばして寝られることの幸せ。
家族が同じ家に住んでいるということの幸せ。何気ない会話ができることの幸せ。

それらがつづられている手紙。
読めば読むほどお手紙をくれたトモヨさんの気持が伝わり。感謝。

なんくる家での友人たち、仲間たちに支えられたことに感謝するお手紙。
支えあったお母さんたち。この支えあいは私たちが言い出したことではない。
自らの気持が重なり合い、お母さんたちが色々なことを支えた。

看病疲れで寝られないだろうと察すれば、昼間交代要員として。
風呂にゆっくり入ってきて、、と交代要員の申し出。

とても小さなことだけど、かゆいところに手が届く細やかな申し出。
お互いさまといえる関係をの始まり。

ランドセルを背負って「いってきまーす」と息子を見送るときの安らかな幸せ。
それらを伝える手紙だった。
何にも勝るクリスマスのプレゼントだった。

手紙をなんくる家のお母さんたちに読ませてください。と書かれている。
支えられたことを
支えられた喜びを伝えたいからと。

そして出口のないトンネルに入ってしまったときには、「私たちのことをおもい出して、頑張ってください」「私たちにできることがあれば声を掛けてください」と
のメッセージで手紙が閉じられていた。

当事者の木強さと優しさが溢れた手紙、ありがとうございました。

人見知りから

2006-12-22 11:28:14 | 日記
4月の入園式の時、真顔で担任が心配していた。
事細かく、子ども活動の一部始終を聞いてきたからだ。

考えてみれば、当たり前のことではある。初めての子どもが保育園に入る。
そのこと自体、親子が緊張するものだから。
5月になれば、一番に3才になる。月満ちて2歳児クラスを過ごす子である。

身長もあり、顔をもおねぇちんゃ。クラスでは一番のしっかり顔だ。

ところが、クラスに慣れなくて、朝は毎日母親に抱っこされての登園になった。
大きな子を抱っこして、あの手この手で、すかしながら母親はがんばる。

家を出てて、園に向かう道中から「イヤダイヤだ」が始まるのだという。
母親も、心を引きちぎられる想いなのだ。
担任が抱っこして「いっていらっしゃ~い」と母親を見送っても、園の囲いの外で
じっと見つめている日が続く。

親も子も、涙をながして「なぜ保育園に入れなければならないんだろうか」と思ったに違いない。
「3才にもなっているのだから・・・」
「すこし突き放してもいいんじゃないのかしら・・」
「一人っ子なのだから、甘えさせすぎでは・・」

などなど、そんなおもいが心の中で交差したに違いない。
でも、母親はしっかりと、甘えたい気持を受け止めた。
担任たちも、その母親と本児の気持を
理解し、親離れ子離れを根気よく待った。

10月になった。すでに7か月が過ぎていた。
成長がはやく、頭のいい子で理解も優れ、子度場も十分に発達している本寺である。
「なぜ、朝泣いてくるのか」と聞いてみた。
「寂しいから」だという。
「なぜさびしいのかしら」「お友達も待っていて、先生もしっかりと抱っこして迎えてくれるのに」と具体的に聞いてみた。

もちろん3才の子にちゅんとした答えがあルはずはない。それは十分承知していた。
担任も、安心できる居場所を作るために、本児の担当を決めてシカッと
受け止めていた。

「甘えて、泣いて、お母さんが困っているのは分かる?」と聞いてみた。
「うん」という。

お母さんが見えなくなるとちゃんとニコニコ遊べるのだから、そろそろ、お母さんにも安心しさせるために、泣くのを我慢できる?としんみりと話してみた。
もう三歳、イヤ、まだまだ三歳。
どのように理解しどんな反応が来るのかも、ふくめて試みた。
それは10月の頃だ。

まんまるい目をパチパチとさせ、愛くるしくわたしを見つめ、「泣かないでくる方が楽しいと思うからやってみようか」の言葉に大きくうなづいた。

頑張っている姿がしばらく続き
担任も「泣かないで登園できました。ほめてください」と嬉しそうな報告があった。
「約束も守れたし、泣かないという頑張りもできた」とっても素敵なことだと
まい朝、日課のように本児を抱きしめほめる日が続いた。

運動会の練習にはいり、楽しくて楽しくて「はやく保育園にいこうよー」というんです。母親が嬉しそうに報告があり。

いつの間にかニコニコ顔が、当たり前の姿になっていることをふりかえった。
「えっ、そうかそう言えばこのごろ、友達との遊びも発展しているねー」
「遊びこんでいるねー」「泥んこになるのもいやがないねー」

12月、もう、暗くなるまでお迎えを気にせずに遊んでいる。
4時ころ、お迎えに来ていたあの時期が、懐かしくさえある。


予測し、行動することが

2006-12-21 12:36:50 | 日記
一才半のリンちゃんの話をしたい。

石嶺公民館をかしていただき、園となんくる家の合同のクリスマス会をした。
小雨、いや、ぬか雨が朝からけむっていた。。
ちょうどいい肌もちの会になりそうだ。と予感しながらサンタさんを伴って会場入り。

親子で賑わう広間。クリスマスの雰囲気をうまく演出した飾りつけ。
ひよこ組も何組かは参加していた。
人見知りをしっかりと見守られたひよこ組のこどもたちも、
いまでは、探索行動の真っ最中と見える。

何もかもが不思議な世界なのだろう。あそこには何があるのかな?
あの物陰には何があるのかな?どうなっているのかな?
手に触ることで確かめる頃なのだ。

音楽が流れるとからだを曲げて、くねられせ、音楽を自分のものにしているアイル。
小さな、マイケルジャクソンなみの乗りだ。

舞台に上がりたくてたまらない。リンとアイル。
つられてチビたちも応援ステージ。応援のつもりが主役を奪う程のかわいさ。

音楽に乗っていたリンが突然踊りをやめて舞台袖にトコトコト。
そして、舞台から下りる準備をはじめた。
お尻からのずり這いで、なんとかして下りようと試みている。

音楽が残り一小節でおわる事を感知したのだ。
「音楽をしっかり聴いているのだ、この子。」
「終わりに近づいた事を予測し、次の行動へと・・」わたしは声に出してヨウコに告げる。

「あぁそうですねー」「いやいやこの能力凄いねー」とわたし。本気で驚いた行動の予測だった。
たった一才半の子ですよ。アンヨだってまだまだで、
ヨチヨチ歩きの状態なのに。
階段だって後ろ足からずり下りる状態なのに。

音楽を聴いて、もうすぐに遊戯が終了する事を感知して、すでに下りる事を予測し、
自ら行動へと移しているのだ。

こどもは何も分からないと思って、何もかも教えなければならないと
思っていた時代があった。

ところが、こども一人一人を丁寧に見ていくと、こどもの凄さが手にとるように見えてくる。
こどもは、自ら備わった能力がとても繊細で、
とても高い能力を持って生まれてくる事を、大人は知らなければならない。

子どもは、教えなくても見て学びとる能力があることを、大人は知らなければならない。
こどもは守らなければならない存在だけではない事を、知らなければならない。

クリスマス会の楽しい雰囲気ももちろん面白かった。が、今日は目の前のチビちゃんに
大きな事を教えられて、それが一番の宝物になった。ありがとう。

お散歩

2006-12-20 15:44:50 | 日記
涼やかな朝。
爽やかな朝。どの子も朝から庭で思い思いの遊び。
つられてわたしも出勤と同時に庭へ。

ボールをもってひまわり組がドッジボールを楽しみに遠出だという。
腰には縄跳びの縄をそれぞれ巻いている。
イヤ、綿の布を三つ編みにした紐が色とりどりの腰ひもになる。

ゆり組も遠出の散歩だという。が、全員ではないらしい。部屋の中での遊びの続きをしている子は残る。

さて、「いってらっしゃーい」。と手を振っているはずの
サワとコウが、わたしの手を引っ張って外を指す。

それゃそうだ、いきたいものねー。と気持ちもいいのでわたしの方が嬉しくなって
「散歩へ行ってくるから」とカズさんに声をかけてでかける。

角にでると松田のおばぁちゃんが畑の手入れ。
ほうれん草が豊作だ。
「おはようございま~す」と声をかけのご挨拶上手なふたり。

こどもの声はいやされる。松田さん、手を休めて笑顔で「おりこうさん」

「もっともっとー」と指さすままに児童園まで行き着いた。
芝生が広くて気持ちいい。
思わずかけだすふたり。

児童園の園長さん(宮城さん」お百姓姿で草刈りに精を出している。
サーカー場にもなる程の広さを持つ運動場。芝の手入れも行き届き気持ちいい。

風爽やかかに吹き、なんとも爽快な気分。
人は自然によって快適さをいただいていることを実感。

救護園の屋上から手を振る利用者のおじいさん。
こどもの声に誘われて屋上に出た模様。

「おじいさーん、ばいばい~い」
「元気でねー」サワちゃんが大きな声で応える。

嬉しそうなおじいさん。

さて、帰り道は救護園と厚生園の中道を通ることに。
キャキャと笑う。コロコロと歌う。虫にも花にも呼びかける。その声につられたのか
腰の曲がったおばぁさんが幾人もベランダへと顔をだす。
畑仕事をしているおばァさんも、顔を上げて歩み寄ってくる。

人懐っこいコウとサワが愛想よくご挨拶。
「こんにはおばぁさん」。「こんにちはおじいさん」とこんにちは赤ちゃんをもじって歌っていたので、
覚えたのか、それを繰り返して「わたしはこうくんでちゅ」「わたしはさわちゃでちゅ」と一人一人に声をかけてご挨拶。

こどもとのお散歩がこんなに効果的に人と人を結んでいくことになるなんて・・・。
こどもが少なくなるということは、こんな光景が見られなくなるんだと・
改めて知ったものです。

人は一人ではいきられないことは知っている。誰もが知っている。
でも人は、煩わしいものから避けたがる傾向にもある。
その意味で、こどもほど、人を煩わせるものはない。だって一人では生きていけないものがこどもなのだから。
人の手を借りる。人の時間をもらう。人の気持を全部自分のものにしたがる。それらがすべてこどもの特徴なのだから。

でも、でも、大人が与えられない妙薬をこども自身持ち合わせている。
心を溶かし、心を開かせ、心の中に飛び込むことがたやすくなる妙薬を。
こどもが居なくなるということは、考えてみるととても恐ろしいことなのだ。

天使の様な所作そのものも愛おしいが、存在そのものが大きな役割なのだと
つくづくうなっている。

「ありがとうねー一緒に散歩できて嬉しかったよー」と帰り道二人に伝えると
「うんまた連れて行ってあげる」と約束してくれました。

すねる

2006-12-19 15:26:40 | 日記
朝のことだ。

一階の廊下を通り事務所へと向かうわたし。
ちゅうりっぷ組の入り口にモトキがひとり、すねている。
すねているというよりも、何か我慢しているという表情?

少しだけ涙を浮かべてうつむいている。
「あらら、、そんなにかなしそうにしてどうしたの?」と声をかけると
ますます、こらえているって表情が濃厚になる。

「うーんなにか、我慢しているの?」と身をかがめて手を差し出してみる。
上目づかいにわたしをじっと見ながら涙をためて、、涙がスーとひとすじ。

わぁっこどもってこんなに悲しそうな表情になるんだ。愛おしくなり
抱き上げようとした。

でも分かってほしい相手はわたしではないらしく・
担任が追っかけてくれるのをまっているようで、目線はクラスの入り口に釘付け。

こどもがすねるには理由がある。タイミングを見計らい迎えに来るのをこどもは知っているのだ。
叱られたらしい。自分が悪いッと気づきながらも、すねてみる。

苛立ち、悔しさ、ごめんなさい、でも寂しいよー。
それらが先ほど見せた、あの悲しそうな目だったのだろうか。

わたしは、グルグルと頭の中で対処を考えてる、と
「モトキくーん」と担任が迎えるきた。
モトキはすっ飛んでいった。ホッとした表情で・・・。

しばらくして部屋をのぞくと、手をつないでお遊戯をしていた。
ニコニコ顔で。
しか、2秒後には、勢い余ってマナを追いかけ、ソファーに追い込み、
また叩いてしまっていた。

何がなんでも自分の思い通りにしたい年齢。これも大切な自我のぶつかり合い。
時には諭され、時には抱き抱えられ、時には褒められ・・。そうやって色々なことを学ぶんだ。

あの涙が忘れられない朝だった。