なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

現地で物を考える(2)

2008-06-23 14:21:18 | 日記
再び、仙台での話をします。
私は保育園の全国大会に参加のために保育園を離れました。
14日のことです。

全国大会入りは17日に山形入りというスケジュールでしたが、それより早く
友人と東北への旅を計画したのです。
沖縄からの団体の企画は、17日に神戸周りで乗り継いで仙台に入る予定でした。
多くの方はそれに乗りましたが、私は自分での企画をしたのです。

さて、初めは青森の十和田湖と奥入瀬にしようとホテルを予約していたものの
地震のニースのあと、すぐにキャンセルしておきました。
遠隔地でのこと、現場に行けばどうにか一番良い方法が見つかるだろうと。
「現地でものを考えよう」と・・・。

案の定、昨日書いたようなことで、現地での様子はその場にいかないとわからないものだと。

そして、一つ大きな出会いが待っていました。
仙台のあおば通りと、ひろせ通りが交差する近辺に位置する寿司屋
「山こう」で盛岡から野球観戦に来たという夫婦に出会いました。
武田さんという仲のよい夫婦でした。
山こうの山田崇司さんが気を利かせてくれて、武田さんとの話がはずみました。

地震のあった仙台によくぞきてくれたということです。
明日からのスケジュールが未定という私たちに申し出てくれました。
「知り合いの旅館に連絡して泊まれるようにしましょうか?」と。
しかも、知り合い価格でということです。
あっと言う間に話はトントンと進み、翌日には御宿温泉の客になっていました。
宮沢賢治ワールドの一角にその旅館「ホテル森の風」はありました。

団体客のキャンセルが相次ぐ中、新しい予約の電話に応じてくれたのは森の風の支配人でした。
武田さんの友人の方です。
キャンセルでくさり切っていたところに「予約」の電話だったのでしょう。
大変なもてなしを受けました。
とても大切にされたという満足感がありました。
友人と「人は出会いだねーやっぱ」と感じ入ったのです。

武田さんの奥さんも翌日にはホテルに顔を出してくれて、寿司屋のカウターでの
出会いに感嘆し、沖縄旅行をを勧めたりと、話も弾みました。
長年培った友情・・・そんな雰囲気でした。

岩手山を真っ正面から眺めながら露天風呂にも入りました。
従業員価格というのでしょうか、こんな価格でいいのですか?と
感謝して大切な心をいただきました。
その地のことを知るにはその地にでかけないとわからない。

どれだけの被害があったのか、憶測では考えられないことでした。
被災地は大変なことです。
でも、その周りの人は心配しながらも暮らしています。
暮らすということは、そんなことなんですね。
私は一過性の旅人でしたが、今回の旅を通して大切なことを学んだのでした。

その場で物を考える。出会いから信頼は始まる。人をもてなす心。
とても大切にされたことを私はわすれません。

母の唸り声

2008-06-23 13:46:44 | 日記
私の耳にいまだに残る母のうめき声があります。
突然、夜中に発せられるのです。
「あいえーなー」「あいえーなー」と聞こえるのですが
その声が聞こえると怖くて身が縮み声も出ないのです。
真っ暗な部屋で突然、何の前触れもなしにその声は聞こえました。
夢を見ているのです。
母は夢の中で何か怖いことがあったらしく「あいえーなー」を
くりええしました。

家も小さくて、みんなでざこ寝状態です。隣で寝ていた母が突然うめくのです。
周りに寝ていた姉も目を覚まして「かぁちゃん~かぁちゃん」と母を揺すり
起こします。
その間、怖くて私は声も出ずに膝を抱えてうずくまります。

「かぁちゃ~かぁちゃん」と何度が呼ばれて母は目を覚ましていいます。
「あきさみよー、また戦のいみんちょーたん(ゆめをみていたよー)」と。
「起こしてしまったねー大丈夫だからもう寝なさい」と、母は言い、私たちの頭をなでてくれました。
暫くは寝られないのです。よっぽと怖かったんだねーと。子ども心にも思いながら母の戦争を唸り声という形で体験しました。

「あいえーなー」声を震わせて地獄の底で声を出しているような
絞り出すような声でした。

何十回も何百回も聴きました。
姉も妹も兄たちも、同じような声を聞いたと・・。母の思い出話になると必ず出てくる場面です。
97才で、5年前に亡くなったのですが、
その唸り声は、戦争が終わって30年間も40年間も続きました。
戦後50年も経って、その頻度は落ちましたが、死ぬまで記憶にはあったはずです。
イクサの場面が。
南洋で戦争に遭遇た父と母でしたが、母の心に残る傷は死ぬまで続きました。

今日は慰霊の日、「戦争は愚かなことです。勝っても負けても人々には何も遺してはくれません」と、先日行ったひめゆりの塔で語って居た体験者の声が聞こえます。
あの母のき声唸り声は私の耳にいまも残ります。