天文6年(1537年)に美濃の守護代一族である斎藤妙春が、標高276mの古城山の山頂に鳥峰城(うほうじょう)という名で築城したと伝えられ、斎藤妙春が天文17年(1548年)に謀殺されると、長井道利が城主となったが、織田信長の美濃攻略の過程で永禄8年(1565年)織田信長の家臣の森可成が城主となって金山城と改称した。以後は森長可、森蘭丸、森忠政に継がれ、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦の後、森忠政が川中島へ転封となり、金山城は犬山城主石川光吉の預かりとなり、翌年建物は解体されて犬山城の改修に使われた。美濃金山城は慶長6年(1601年)に壊されましたが、その時のままで残っているので、城の壊され方がわかります。平成25年(2013年に国の史跡に指定されました。
【所在地:岐阜県可児市兼山】
<アクセス>名古屋鉄道・広見線『明智駅』からYAOバスで『城戸坂バス停』下車、南へ徒歩約15分。
▼美濃金山城の縄張り図
▼美濃金山城の出丸の概説
▼出丸の石垣
▼出丸
美濃金山城の第一戦の防御ために大手口に築かれた防御施設で、規模は東西55m南北33m。
▼木の階段を上って行く
▼三の丸の門跡 ▼三の丸
▼二の丸
▼南腰曲輪 ▼天守台西南隅石
▼東腰曲輪
▼本丸の石垣 ▼本丸枡形虎口
▼本丸
▼本丸からの眺め
2019/06/06訪城