nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

岩村城

2019年10月12日 | 岐阜県の城郭・環濠

 岩村城は、源頼朝の重臣加藤景廉が美濃恵那郡遠山荘の地頭に任じられ、文治元年(1185年)、標高717mの城山一帯に築城された山城です。山頂に本丸が築かれ、二の丸、八幡曲輪、出丸などが階段状に配置された。加藤氏は、加藤景廉の嫡男景朝から遠山氏を名乗った。

 室町・戦国時代には、美濃遠山七家の岩村遠山氏の本拠となっていた。織田氏と武田氏の東美濃をめぐる抗争の場となり天正3年(1575年)、遠山氏が滅亡し、その後、城主は川尻秀隆、団忠正、森長吉、森忠政、田丸直昌とめまぐるしく代わり、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦後、松平(お給)家乗が岩村城に入った。戦国時代、屈指の山城であった岩村城でしたが、江戸時代になると山上に住む理由がなくなり、慶長6年(1601年)に松平家乗は山麓に居館を造り、城下町も整備した。

 明治6年(1873年)、廃城令により岩村城は解体されたが、平成2年(1990年)、山麓の居館跡に藩主邸の一部と表御門、平重門、太鼓櫓などが復元された。

 [所在地:岐阜県恵那市岩村町岩村]

<アクセス>明智鉄道岩村駅から徒歩40分。

JR名古屋駅中央本線(約60分)JR恵那駅明智鉄道・恵那駅飯羽間駅極楽駅岩村駅

岩村城の概要

岩村城略図

藩主邸          ▼太鼓櫓

岩村城登山口       下田歌子先生の生誕地

下田歌子の概説

 下田歌子先生は、日本の女子教育の先駆者であり、実践女子大学の創設者です。

登城坂の登っていく

霧ヶ井

六段壁

 上段の石垣を補強する目的で下段に石垣が築かれた。

長局埋門

昇竜の井戸(本丸)     ▼本丸

本丸

本丸からの眺め

出丸           ▼南曲輪

2019/10/06訪城



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