槇島城は、宇治川の中州に所在した。 この地には、槇島氏という豪族が、根を張り、城郭を築いていた。それが室町時代から安土桃山時代にかけて宇治に勢力を張った槇島氏の居城とされる槇島城です。槇島氏は、奉公衆として足利将軍家に仕えた。元亀4年(1573年),将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻して槇島昭光を頼り、槇島城で挙兵、籠城した。そして城に籠った足利義昭は敗れ、槇島昭光とともに落ちのび、名実ともに足利幕府は滅んだ。伏見城築城後は、その戦略的価値を低下させ廃城となった。現在は、宇治川の流れも変わり、城域と推定される場所の一隅に「この付近、槇島城」という石碑が立っています。
[所在地:京都府宇治市槇島町]
<アクセス>JR奈良線・宇治駅から徒歩
▼この付近槇島城の石碑(住宅地の公園内) ▼槇島城の場所
▼元亀4年(1573年)槇島合戦における織田信長軍の進路
2013/07/26訪城
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宇治川の戦 寿永3年(1184年)
木曽義仲の追討で、源範頼、義経が上洛してきて、宇治川の渡河で、激突する。梶原源太景季と佐々木四郎高綱が激しい先陣争いをする。源義経、京都へ進撃する。木曽義仲は、敗れて大津打出浜へ退去する。
槇島合戦 元亀4年(1573年)
第15代将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻し、足利義昭から知らせを受けた摂津の伊丹氏等とともに槇島城で3,700騎で挙兵、籠城したが、織田軍に攻め落とされ、足利幕府は滅び去った。