今日はこのタイトルをご紹介いたしますが内容が長いので、適当にご笑覧ください。
先ずは夫婦が同じ趣味はダンスです。その良しあしもあります。また、継続の難しさもあります。
良く、みなさんからご夫婦でダンスが趣味とは良いですね!と言われます。
私がダンスを始める前の趣味と経緯(いきさつ)です。
*画像は何度かご紹介したのもを使っています。
私が21歳の時、2週間かけて船旅で渡米しました。もう54年前の話からです。
学生時代は1年ちょっとですが、晴海ふ頭からハワイまで1週間、そしてハワイからサンフランシスコまで1週間(計2週間)の船旅です。行く先も泊る所も決まっていません。単身でグレイハンドバスで北米一周(3カ月)いたしました。
その後サンフランシスコの隣町のオークランドでアパートを借りて学校に通い、日本食レストランで皿洗いバイトをしていました。住んでいたアパート近くと愛車のワーゲン超ボロ車(50ドル)を買い求めました。
リンダ・ミケルフ先生とパチリ。
日本職レストランでは2食付きですので、食費の高い米国ではこの方法しか生きる?道はありませんでした。仕送りなどは全くありません。金が無くなると身の周りのモノを売っていました。いつしか皿洗いから天ぷら係に昇格?です。
若くして結婚しましたので、75歳ですが結婚50年を迎えております。
子どもが小さい時は、自作艇ですがヨットも4カ月かけて作りました。
自転車(タンデム二人乗り)を特注して長男坊は自分の自転車で、次男坊と私は二人乗り自転車で東京から女房の実家(山梨の旧竜王町)まで行きました。途中丹波村で一泊です。
中心的な趣味はスキューバダイビングでした。
インストラクターを目指していましたが、仕事が忙しくなり目的は叶いませんでした。
船舶免許も取得してます。
ローラーブレードやスカイダイビングもです。
250ccですが、こんなバイクにも乗っていました。
ホームステイも受け入れていましたので、ステイした子どもたち会うためにオランダにも伺いました。
ちょうど、ベルリンの壁も崩壊した直後でしたので、ベルリンにも立ち寄りました。
*ベルリンの若者とビールを飲みながら話し込みました。お互いに英語しか通じませんので、やさしい単語を並べた会話です。「Ich bin alleine aus Japan gekommen」(私は一人で日本から来ました)・・・。
次々と取り壊されていますので、どの辺が残っているのか聞くために、ベルリンの総領事館に電話したところ、教えるので先ずは来なさいと言われタクシーで伺いましたが、ちょうど総領事が帰ってきましたのでお会いしました。お名前は木村総領事だったと思います。一人での旅でしたので、貴男みたいな若者は現状を見て欲しと、総領事の車(運転手付き)で、現場を見させていただきました。
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仕事での海外研修でノースカロライナ州のダラム市やニューヨーク市にも伺いました。これも単身でです。地元の新聞に紹介された記事です。
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この方々も縁あって、我が家にもお出でいただきました。その他、仕事で延長ですが、テキサス州のダラム市の名誉市民(たまたまです)にもなっています。
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ちょうど50歳くらいの頃です。あと10年で退職ですので、退職したら女房と船旅でもして、ホールでダンスでも踊れれば・・・と思っていました。
ある方が、ダンスが一通り踊れるには10年かかるよ!と言われ、それじゃ~今からやらなきと思った時です。女房もお付き合いで公会堂でダンスを始めたばかりでした。
そろそろ陸に上がってダンスしない?と言われたのもあります。
市のダンスサークルを覗きに行きました。もっと楽しパーティーダンスだと思ったのですが、そのサークルは競技志向の団体だったのです。
まだ、習い始めたばかりで試合に出されました。ベストも燕尾服も着れないランクです。習い始めて3カ月後だったかと思います。この時は準優勝だったかな?
段々ランクも上がり、ラテンの3級戦で優勝したこともあります。
社交ダンスで大きくはプロとアマチュアに分かれますが、アマチュアの場合でA級やB級、1級といったランクはその人の実力を示します。
各団体によって異なりますが、私の所属している団体はJDSFと言って、ちなみにダンスランクは5級からスタートし4・3・2・1・D・C・B・A級のランクごとの試合になります。その他、シニアやジュニアと言って子どもさんたちもあります。シニアもⅣ・Ⅲ・Ⅱ・Ⅰがあり、その中でまたD級・C級・B級・A級にも分かれています。*複雑で説明も出来ません。
私のランクはスタンダードはB級でラテンはC級、シニアⅢはA級でⅣはB級だたと思います。今はコロナで試合が中止となり、出場していませんでしたので、ランク落ちになっています。
まだ、初心者の頃です。
50歳代の頃は仕事も忙しかったのですが、何故か無我夢中で週に何回もダンスの練習をしており、月に1回は試合にも出場していました。
どのスポーツも言えますが、競技人口も年々少なくなってきています。それこそ10年くらい前は全盛期だったのでしょう。
どの試合でも、動きや表現力かと思います。もちろん基礎的な体の使い方も重要です。見た目よりハードなスポーツなのでしょう。
私の性格として、どうしても仕事の延長上のような気持になっていました。
みなさんそうだと思いますが、出場する以上は勝つ!ことを考え、それにはもちろんどうやって踊るかもありますが、表現力が無いと7人のジャッジの目には止まりません。(点が入りません)
先ず、ジャッジはどこにいるのか?どこからスタートするか?フロアーに立った姿も大事です。同じフロワーの中で上手に踊れたと自己満足では点が入りません。やはり目立つ表現力なのでしょうね。ダンスは苦しくても顔は楽しい!と表現しなければなりません。それには練習も必要でした。もちろんプロのレッスンも受けます。
仕事も同じです。勝ち負けは付きものです。それなりの努力はしないと結果は出ません。
この試合では私は228番が背番号で決勝戦に進むことが出来ました。
そうか、シニアⅣのB級スタンダードでした。
決勝戦も終えて、下位から背番号が呼ばれます。この決勝まで来ればランクが上がりますが、上の方で呼ばれたいですね。
3位になっても呼ばれません。2位でも・・・と言うことは優勝でコールされました。
それは誰だって、結果が出れば嬉しいものです。このころまでは、結構トロフィーも増えました。
Hiroさんはもっと練習すれば、上位狙えるんだけどなぁ~とよく言われていました。自分でもサボり気味を感じていた時期もあります。他にもやることが多くて(仕事も趣味も)、ダンスばかりが趣味じゃないと・・・。
私はパーティーは嫌いなんです。今では女性から踊ってくれませんか?と声をかけてきます。嫌いになる大きな理由は、他の女性と踊ることが苦手なんです。そして、単身での海外出張やいろいろなストレス?などから、突発性難聴になって音が聞こえないのです。
女房や先生はそれとなく、曲の出だしなどをリードしてくれますので、その後の踊り方はなんとかできます。
時には、通っているダンススタジオなどのパーティーに女性先生と出演していました。やはり先生は気持ち良く踊らさせてくれます。
ホテルの会場ですので想像は出来ますが、どのようなステージ(フロアー)で先生と踊る(デモンストレーション)かを自分で考えます。
曲選びもです。多くは先生が用意し振り付けもしていただけますが、ここが性格なのでしょう。曲は出来るだけ日本語の曲を探し、見ている方が口ずさめるような、そしてムード(曲)に入り込めるようなものを選び、どこでどうのような表現をするかも、先生と相談して決めています。
広いフロアーがキャンバスに例えて、絵を描くようにです。見ていただく方が楽しめることは、自分も先生も楽しめるのです。
フロアーのどこから踊り出して、どこでエンディングするかなど考えます。
まさに仕事と同様で課題を探し、場面を想定しながらです。
結果、デモンストレーションなどは、試合とは異なり楽しいのは事実です。
その分、豪華ホテルでの開催ですので、費用もかかりますけどね。参加費やもろもろ合わせて、3分間踊るだけで15万円くらいにはなります。その前に教室でのレッスン料も加わります。女房なども参加すれば、ホテルのディナーとプロの踊りが見れますので、それなりの料金がプラスされます。
女房もパーティーでは男性先生と踊っています。
65歳となりセカンドステージも終え、サードステージで懸命に働いていました。しかし、体力の衰えや気持ちも今までとは異なりました。何故か戦う気持ちが薄れたのです。
60歳くらいから書道も習い始めていましたが、いつしからか筆を休めています。*準師範でした。自宅での教書を見ての書道の練習時間も必要ですし、結構お稽古ごとは費用もかかります。
そして、70歳の頃に新型コロナウイルスの発生です。試合も2年間くらいは中止になりました。さらに練習もサボりがちになります。
女房は試合に出場して、その緊張感とドレスを着たいと言っていますが、私の気持ちが動きません。奮い立ちません。今ではあれだけ楽しんだダンスも完全に対立関係になってしまいました。
そんなに出たいなら、誰か探して試合に出れば?と言っても・・・。他人とのカップルであれば解消し、次の相手を探すことはできます。
夫婦共通の趣味であるダンスはなかなか相手を変えられません。女房もダンスで試合に出場することは、あきらめたようです。
共通の趣味であるダンス考え方が異なって来たのです。原因は私にあるのでしょう。
女房は勝ち負けではないと言っていますが、どうしても仕事人間でしたので、戦うためには勝つことが目的になります。コロナ禍ですとマスクをしていますので、女房が口でカウントを取るのも分かりません。さらに耳も遠くなってきました。
コロナも落ち着き、そして自分自身も気持ちが変わって勝ち負けではないと思う日が来れば、出場するかも知れません。
とりあえず、ダンスの指導員資格だけは更新しました。まだ、仲間との練習会に参加していますが、先生にレッスンを受ける気持ちまでには至っていません。小さなパーティーなども開催されていますが、前述したように今でも苦手になっています。
「どうする家康」ではありませんが、「どうする?」ですね。
共通の趣味である競技ダンスは離れつつありますが、いつもダンス音楽は流れています。
そうか!私には道志村の別荘生活(趣味)もありました。
*長い内容になってしまいました。自分の趣味や考える良い機会にもなりました・・・。
速報です!大谷選手が31号ホームランを打ちました!
月間でも15本目で新記録になっています。大谷選手を表現する言葉は「凄い!」しかありません。
明日は道志に入る予定です。
Hiro