自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

もう大変なんですからぁ~(道志)

2019年08月31日 | なかま道志

いやぁ~今回は何としても雑草との戦いをしようと、意を決していました。

草ぼうぼうとはこのことを言うのでしょう。

 

 

 

草刈り機を入れたいのですが、草花も植えてあり花も咲いています。

また、これから咲く花もあります。

結局、手作業で行うしかありません。

朝6時半からスタートしました

 

 

斜面になっていますので、中腰で雑草か?草花なのかを見極めながらの除草(草取り)です。

最初は体力?もまだあって順調に進みました。

正直、アルバイトで草取りをしてくれる方がいればお願いしたいくらいです。

以前、道志でお願いした方は草刈り機使用で1万円でした。

他の作業は1万3千円をお支払したこともあります。

今では高齢化も進み、お手伝いをしていただける方もいないと思います。

本来は自分でやるべきなのですが、雑草の成長の方が早いのです。

ふと、女房の親父さんのことを思い出しました。

今いれば、喜んで手伝ってくれたのでしょう。

 

 

昼前になんとか一部を終えました。

植木屋さんの手間賃をネットで調べてみました。

ピンきりですね。

一般的には1万8千円(1人/日)くらいとあります。

シルバーさんはもう少し安いようですが、処理まではしないことが多いようです。

我が家(東京)は門かぶりの松と庭木の松が2本あり、ほかに大きな木もありますので、除草含めて一人3万円と処分代、そして会社経費が計上されています。

5人が2日間だと、それなりの計算になります。

 

 

夕刻4時まで、草取りをしていました。

もう、ヘトヘトの状態です。

草刈り機を使えば、ものの30分もかからないのでしょう。

自分の住処ですからやっていますが、1万5千円いただいても割に合いません。

また、バイトでもやってくれる方は、この辺(道志)にはいないと思います。

普段の仕事(会社の給料)から、見れば効率的賃金とは天地の差です。

逆に言えば、会社で働く時間給はそれなりの額をいただいていることになります。 

 

 

途中、何しているの?と訪問客がありました。

野鳥さんです。(名前は分かりません)

 

 

雑草は軽自動車の荷台を大盛りにしたくらい出ました。

更に剪定枝も燃やして処分しています。

生木ですので、放置しておけば燃えやすいのでしょうが、片付けることにしました。 

 

 

煙でボートも霞んで見えるくらいです。

こんな燃やし方は道志だから出来るんでしょうね。 

 

 

一先ず、予定しておいた除草作業は終えました。

あとは草刈り機を使って、畑周りの刈込ます。 

 

 

ウッド出来に植えた、白樺の苗木も大きく成って来ました。

当初のイメージに近づいたものもあれば、他の管理(畑と除草、木の選定)も大変です。

 

 

早朝の料理を紹介いたします。

ミニトマト煮です。

ベースは冷蔵庫に入っていた、スパゲティー用のトマトスープにミニトマトを30個くらい入れて、煮こんでいます。

良い香りがしてきました。

きっと、何にでも使えるトマト煮だと思います。

今日、雨が降れば早々に帰宅しますが、先ずはブルーべリーの収穫と畑に肥料を撒いて・・・。

ウッドデッキを高圧水洗浄機(ジェット)で洗い流し、室内外の片付けました。

のんびり優雅な生活とは程遠いい別荘生活です。

先代の林家三平さんを思い出しました。

”もう大変なんですから~”が道志生活です。

 

Hiro


先週22日のことでした(道志)

2019年08月29日 | なかま道志

その日は疲れも溜まっていましたので、ゆっくり準備して道志に向かいました。

普段ですと早朝に家を出るのですが、夜にもう少し落ち着いて行動したらと女房に言われたものですから・・・。

自分では気が付いていませんでしたが、私は(A型)かなりせっかちで、先へ先へと考え行動する性格のようです。

これからの暮らし方も考える時期になっているのでしょう。

 

 

中央道に入りますと普段では混んでいない高速道も、何故か?相模湖の先まで渋滞情報です。

友人に聞いたのですが、まだ夏休み中なのでどの時間でも混んでいると言っていました。

また、雲行きも良くなく不安を感じます。 

 

 

道志に入りました。

案の定、小雨が降っています。

そのうち・・・。

 

 

にわかに暗雲が立ち込め・・・。

強い雨が降り出しました。

この豪雨が通り過ぎるのを待ちました。

 

 

 

1時間ほどすると雨も上がり、付近の山々もこんな景色になっています。

庭を確認すると、事件?が起きていました。

生簀に10匹近くのマスを飼っていますが、栓が抜けており?また水源の水が止められていました。

生簀の栓が何か(小動物)のせいで抜けるのは理解できますが、水源の水は人でしかできません。

作為的に起きた事件?だと思います。

何故、このようなことが起きたのかさっぱり分かりません。

1週間前には異常は無かったのですがね。

次に発生したら、駐在所に届けます。 

 

 

そして、道志の養魚場へマスを買い求めに行きました。

マスは2年生ですが、ヤマメは長生きするそうです。

 

 

マスを分けていただきました。

キャンプ場を経営されている方はお得意さんで安いかと思いますが、私は一般価格で1匹200円です。

 

 

生簀に放すと元気に泳いでいます。

普段は魚のソーセージを細かく切って、エサ替わりにしていました。

そんなことを、養魚場の方に話すと、専用のエサを少量ですがタダで分けててくれました。

養魚場で使うエサは20kgで6000円するそうです。

マスを飼うのも楽しいものですよ。

 

 

夕食は鹿肉にしました。

味を付けて冷凍保存しておいたものです。 

 

 

グリルで焼き、舌鼓です。

ヘルシーで実に美味い!

 

 

そして、2000枚近く撮ったダンスパーティーの写真を整理していました。

今回はプロ並みの写真が撮れたと思います。 

 

 

結構な時間、パソコン画面とにらめっこしていました。

それでも時間は夕刻の6時です。

音楽を聴きながらウトウトしましたら、気が付けば朝4時です。

結局10時間寝ていたことになります。

普段は6時間くらいですからね。

やはり、いろいろと疲れていたのでしょう。

71年間生きて来ましたので、いろいろとあり疲れも出ますよ。

性格は変わらないと思いますが、やるべきことと何を優先するかなどゆっくりと考えます。 

 

 

今日はこの雑草と手作業で戦います。

無理せずに・・・! 

 

 

朝食は完熟トマトと大きく成り過ぎたキュウリをいただきます。

そろそろ野良着に着替えて、マスのご機嫌伺いと雑草取りに取り掛かります。

 

Hiro


野良着以外でも、こんな世界

2019年08月27日 | なかま道志

先週の日曜日は通っているダンススタジオ「木下ダンスワールド9周年サマーパーティー」に参加してきました。

場所は恒例となっている会場で、恵比寿のウェスティンホテル東京のギャラクシールームです。

東京では一等地の有名な?ホテルです。

今回は私もデモンストレーション(女性先生と踊る)に参加いたしますので、11時半からのリハーサルに間に合うように家を出ました。

荷物の衣装などもありますので、もちろん車です。

外は大変な暑さだったようですね。

 

 

こうして振り返って見ると、初回からですので9回参加していることになります。

参加費用もそれなりのお値段です。

デモンストレーションは2回目ですかね。

今回は高橋真理子さんのFor Youを選曲し、自ら振り付けなども(先生とご相談しながら)考えました。

 

 

さすが立派なホテルですね。

一度は泊まってみたいところです。

 

 

リハーサル前にロビー近くで、ボーイさんに頼んでパチリしました。

 

 

先生もヘアーのセットをしていただいています。

昨夜からこの日のために泊まり込んで、準備をしていたのでしょう。

ダンス教室にとっては、一大イベントになっています。

気合も入っています。

先生もこのイベントが一年のサイクルになっていて、これが終わると新年度になるような気持ちだと言っていました。 

 

 

私もリハーサルを終えました。

まぁ~まぁ~でしたね。

普段の教室の広さとは異なりますので、感覚的には多少はまごつきます。

出されたお弁当も豪華です。 

 

 

私の出番になりました。

第2部の5番目です。

アマチュアと先生のデモンストレーションが32組になっています。

やはりろくに練習もしていなかったので、もう少し演技と表現をしたかったのが反省点です。 

なんでも練習は必要です! 

 

 

まぁ~古希を過ぎていいますが、3分間踊り切りました。

競技ダンスとは違って先生もリードしてくれますので、その分は気が楽ですね。

私も歌いながら踊らさせていただきました。

そうやって、曲の内容が分かると見ている方も楽しいかと思います。

そんな意味で、みなさんが分かる曲を選定しています。 

 

 

先生も何人もの生徒さんと踊っています。

良く体力が持つなと感心するくらいです。

考えて見ればこれが仕事ですから・・・。

私は3分踊るのに、朝10時ごろに家を出て、出番は夕刻6時近くですからね。

待ち時間だけでも辛いものがあります。

道志に居れば野良着になって、草取りも十分に出来る時間があります。

美味しいと評判なウェスティンホテルのディナーがスタートしました。 

 

 

車ですので、ウーロン茶です。

 

 

マリネサーモンと真鯛のスモーク 夏仕立て

ライムのヴィネグレット

メニューにはこんな風に書かれています。

見た目に彩が綺麗だなと思うくらいで、内容を説明されても、あぁ~そうですか?くらいで良く分かりません。

美味しいのは事実です。

道志では冷凍食品で済ませている私です。

 

 

鱸(すずき)のグリルとホタテ貝のダンブリング グリーンベジタブル添え

バジル香る白ワインソース

美味しいのですが、結構手の込んだ料理なのでしょう。

鱸(すずき)ってこんな字を書くのですね。

この黒い網みたいなものは何かな? 

 

 

オーストラリア産牛フィレ肉のスローロースト 夏野菜添え

赤ワインとブランデーのソース

道志産の鹿肉でも使ってくれればとも思います。

私には別に赤ワインとブランデーが飲みたかった!

しかし、車ですから・・・。

この辺でお腹いっぱいにになって来ました。

みなさんビールや赤・白ワインをいただいていましたね。

お一人で白ワインを一本飲まれているご婦人もいらっしゃいました。

余程、気持ちや雰囲気が良かったのでしょう。

ワインと雰囲気に酔われている様子です。

私も車(運転)でなかったら・・・。

 

 

 

美味しいディナーとプロフェッショナルのダンス16曲を堪能いたしました。

今回はCannonのEOS5Dに24-105mmのレンズを付けてパチリしました。

近くにいたプロのカメラマンの方にダンス写真を撮る時の設定方法をお聞きしました。

快く教えていただき、なるほどと思うくらいです。

私のカメラレンズの接続が途中で不良になり、プロの方が同種のレンズを貸してくれました。

やはり、プロの方の設定で撮ると、同じカメラでも出来栄えが異なりますよね。

ダンスもカメラも奥が深くて面白いものです。

今ご紹介してる写真はほとんどがコンデジです。 

 

 

 

いよいよフナーレです。

(やっと?!が本音です)

夜8時半を回ってます。

それから帰り支度の準備をして、仲間の方々を乗せて約1時間かけて帰宅です。 

 

 

家に着くと結構そんな時間になっていました。

きれいなお月さんが見えます。

普段なら8時ごろにはウトウトしてる私です。

 

 

出演していただいた記念品はグラスでした。

それを使用して、いつもの晩酌がスタートしました。

時間は12時近くです。

翌日(今朝)は出勤日ですので、睡眠時間は4時間くらいで辛い一日になりました。

出社して8時前から役員と話をして、適当な時間?に退社いたしました。

大きなため息の付く一日です。

やはり、一番落ち着くのは野良着ですね。

燕尾服はどうも似合いません。

 

Hiro


親戚がやっている鰻屋

2019年08月25日 | なかま道志

先日は久しぶりに女房の実家に行ってまいりました。

途中、道志に寄ってブルーベーリーを収穫し土産にしたかったのですが、両国屋(県境で相模と甲斐)付近で、かなりの降雨があっため通行止めになっていました。

村役場に電話しましたが、開通の見込みには時間がかかりそうだとのことです。

Uターンして大月から中央道に入りました。

まぁ~1時間くらいのロスですかね?

母も元気で何よりです。

長男と長男の長女さんともしばらくお話をしていました。

嫁さんは仕事で不在でした。

昼時前でしたので、いつものように鰻をいただきます。

鰻はやはり店でいただくのが一番です。

この鰻屋さんは親族(お婆さん方の実家身延出身)です。

同じ山梨県民ですが、山梨と言っても広すぎて道志村は知っているが行ったことが無いと言う人がほとんどでした。

親戚と言う身近な存在と思うと、また格別の味がします。

 

 

今までは隣にあったのですが、すぐ近くに新しくオープンいたしました。

そう、最近「甲斐市うな竹」の閲覧(ヒット)が非常に多く、一日に100件近くの閲覧数の時もありました。

理由は分かりませんが、「うな竹」の新しい情報が欲しかったのでしょう。

その移転した「うな竹」はきれいな造りになっていました。

移転早々、連日大賑わいで予約をしないと入れないと言っていました。

それは大変結構なことです。

 

 

店主(大将)の昭夫さん(身延出身)と暖簾前でパチリです。

彼(大将)は本場浜松の「うな竹」で修行を積んで、甲斐市(旧竜王町)に店を開きました。

周りからいろいろな意見があったそうですが、自分は鰻一筋ででやると貫きました。

 

 

年齢も私とほぼ同じです。

商売は世間の景気に左右されて難しさもあるかと思います。

また、鰻が高値になっているので商売も大変なのでしょう。

本人もこの辺で・・・と思ったようですが、店を手伝っていた若大将(長男)がどうしても鰻をやりたいとのことで、心を動かされたようです。

 

 

千客万来です。

 

 

新規移転の意気込みも感じます。

 

 

私が知っているころは恥ずかしがり屋?息子さんでパチリしようとすると、すぐに顔を隠していました。

このようにです。

 

 

しかし、今では若大将(専務?)も一人前になり、捌きから焼きまで切り盛りしているとのことです。

それをアシスト?しているのが店主の昭夫さんです。

目を細めて息子の成長を喜んでいるようにも見えました。

 

 

連日、大勢のお客さんが来られていただき、繁盛するのは嬉しいのですが休む暇もないようです。

若大将も、仕事を終え包丁の手入れをしている時に、忙しさの疲れか?ふらつきケガしそうになったとのことです。

繁盛も結構ですが、健康が一番です。 

 

 

また、奥さんも鰻以外のモノを手際良く準備されていましたね。

ゆっくりと会話する暇もないと言っていました。

 

 

若大将が焼いてくれる鰻です。

良い照りも出ています。

 

 

 

私は特特上を注文しました。

白焼き付です。

こうなると、一杯やりたいのですが我慢です。 

 

 

今日は豪勢なお昼になりました。

女房は上うな重です。

 

 

 *スミマセン画像の撮り方が斜めになっています。

 

家族で鰻屋さんに来ても鰻を食べられない方もいるようです。

したがって、煮カツ丼や天重も用意したとのことです。

しかし、本来は鰻専門店です。

 

 

店内にはイス席もありますが、また掘りごたつ式の席もあります。

通しの部屋(まさにウナギの寝床)にすると34~35名は入れるとのことです。

美味しい鰻を久しぶりにいただきました。 

 

 

新店舗は旧店舗のすぐ斜め前です。

大変混みあっていますので、電話で確認するか予約が必要だと言っていました。

実家に戻り、母と女房は何か話し込んでいるようです。

その後、女房は近くの親戚の家に行っていたようです。

久しぶりの里帰りで、気放しになったと思います。

そして、道志に向かいました。

ブルーベリーの収穫もありますが、湧水と忘れたカメラボックスを取にです。

翌日は恵比寿のウエスティンホテルでダンスパーティーに参加(出演)してきます。

 

Hiro


今度は女房の昔の写真

2019年08月23日 | なかま道志

女房の昔の写真です。

許しを得ていませんので、分かったら怒られるかもしれません。

もう60年以上も前の写真だと思います。

 

 

場所は山梨県中巨摩郡竜王町(現在は甲斐市)です 

田舎の無い私は、こんな写真を見ていると憧れを感じます。

一家団欒の場面です。

当然ですが、おばあちゃんもおふくろさんや叔父さんなど、みんな若かったですね。

一人だけ分からない方がいますが・・・。

きっと、農作業か何かを終えてくつろいでいるのでしょう。

私の家は商売(呉服商)をしていましたので、何世代が一緒に写っている写真はありません。 

 

  

微笑ましい(幸せ感のある)写真ですね。

気持ちが伝わります。

私は母親はもちろんですが、おばあちゃんの膝に座った記憶はありません。

母親はあったのかも知れませんが、お婆ちゃんやお爺ちゃんは商売中心で、忙しくしており孫を構うような暇?は無かったのでしょう。

私の96歳になる母たち姉妹は、ばあやさんに育てられたと聞きます。

家庭環境が異なり過ぎていましたね。 

 

 

女房は長女で、みんなに可愛がられたと聞きます。

夏は母親の実家(身延線の大塚)で過ごしたとのことです。

私も覚えていますが、村長候補にもなった?無口なお爺ちゃんと小まめに動き、良く気が付くお婆ちゃんでした。

大勢の親戚家族に見守られて育った女房は、気持ちもやさしく控えめで、何でも前向きに考える人です。 

 

 

近所の牛小屋の前の写真のようです。

こんな日常写真にも憧れます。 

 

 

この時の服の柄などはまだ覚えていると言っていました。 

三つ子の魂百までもと言いますが、モノが無くても心豊かな生活をしていたのでしょう。

誰にも優しい女房です。

それもこのような助け合いながらの田舎生活を経験してきたからでしょう。

 

 

親族など総出で、お蚕さんの世話をしているのでしょうね。

道志でもお蚕さんやっていたのかな?

大変だったかと思いますが、みんな良い顔(笑顔)です。

食糧事情もそんなに良くはなかったと聞きます。

毎晩、夕食は〝ほうとう”だったようです。

ほうとうを食べ飽きたので、好きなものではない言っていますが、たまに作ってくれるほうとうは息子たちの好物になっています。

やはり、本場の味なんでしょうね。 

 

 

父(義父)は、畑仕事だけでは食べて行けないので、国鉄のポッポ屋さんでした。

甲府の機関区で、蒸気機関車などの整備を行っていたようです。

休日や早朝は畑に出向いていましたね。

父は長男ですので、責任感もあり面倒見も良くて、周りの方々からも強い信頼を受けていました。

 

 

D51(でごいち)の整備などをしていたようです。

縁あって、女房は田舎を離れて東京で私と暮らすことになりました。

嫁いだ娘のことをず~っと心配したのでしょう。

数年後には胃潰瘍になり、胃を半分切ったこともあります。

親が娘を思う気持ちが良く分かります。

その分、田舎(女房)の両親には心配かけさせないと、子どもを連れては女房より頻繁に田舎に行きましたね。

東京の婿さんがまた来ていると有名?になったそうです。

 

 

 実家の玄関前です。

田植えなど田んぼの仕事や、側溝の清掃も手伝いました。

 おかげさまで、最近までは米は田舎から送っていただいていました。

 

 

 

お爺ちゃんも孫たちを過ごすことが楽しみだったのでしょう。

これも親孝行の一つです。

 

 

私の好きな写真です。

母親の実家で、お婆ちゃんと孫(女房)とひ孫(子どもたち)と過ごす一コマです。

 

 

田舎(実家)の田舎(母の実家)で過ごす一枚(長男坊)です。

縁側に腰掛け、お爺ちゃんとお婆ちゃんがひ孫の世話をしています。

女房も夏になれば、こうしてこの縁側で過ごしていたのでしょう。

田舎の無い私にはうらやましい光景です。

 

 

 父は他界しましたが、母は90歳を過ぎていますがすこぶる元気です。

明日は道路も少しは空くだろうと思い、山梨の実家に行くつもりです。

また、母と女房とで方言交じりの会話をしていることでしょう。

親戚の鰻屋さんが近くに移転して開業し、繁盛しているとのことで、美味しい鰻でも食べて来ますよ。

私も大好きな女房の実家です。 

 

 

 

息子たちも40歳半ば近くです。

気持ちを穏やかにして暮らしたいですね。

 

Hiro


アルバムを片付ける(55年前の私)

2019年08月21日 | なかま道志

また、アルバムをスキャナーに読み込んで整理をしていました。

今度は高校生時代です。

時は前東京オリンピックが開催された頃で、ボーイスカウトに入っていましたので、国立競技場内で各国の国旗を掲揚した記憶があります。

もう55年前のことになります。

今回も、ほとんど私の面影は無い?(分からない)と思いますので、加工せずにアップします。

 

 

当時使っていた国鉄とバスの定期です。

国鉄の前は、鉄道省でしたので、親父などは省線(しょうせん)と言っていましたね。

今では国鉄からJRになりました。

あの通勤・通学地獄?は凄かったですね。

乗り込むと重たいカバンを離しても落ちないくらいの混雑でした。 

 

 

今とは異なった真面目なそうな顔をしていますね。

修学旅行にでも行くときなんでしょうか?

 

 

知り合いに誘われて、ヨット(ディンギー)のレースにも出ていました。

高校生時代です。

 

 

親父が行っていた会社の保養所が山中湖にありました。

何年も利用しましたね。

家で一番早く車の免許を取得したのは母でした。

そう、高速道路でスピード違反をして捕まったこともある母です。

今でも無謀な面影は残っているような気もします。(96歳です)

初めての車は、箱型のダットサン(濃紺)でしたね。

当時は白や赤などの色つきの車は規制されていた時代です。

その後はブルーバードやアコードなどでしたね。

湖畔の馬を借りては、一人で2時間くらい自由に野山を駆け回っていました。

一番気の荒そうな馬を借りるのです。

乗馬クラブのような洒落たものではありません。

 

 

昔はモーターボートも自由に借りれた時代です。

山中湖などを周遊しては楽しんでいました。

 

 

 

 

高校時代に所属していたのは水泳部です。

記録はイマイチでしたが、体づくりはできましたね。

当時は結構、逆三角型でしたが、今では見るがけもありません。 

 

 

九州一周のバスによる修学旅行だったと思います。

熊本城をバックにしてパチリです。

昨年は熊本に出張していましたので、まさに55年ぶりです。

しかし、熊本城は地震で一部崩壊していましたね。

高校生時代の流行はJUNとかVANでしたが、俗に言うみゆき族です。

(銀座のみゆき通りが発祥の地でした)

服装はコンチとかアイビールックでしたね。

あぁ~アルバムを整理して、懐かしい時代を思い出しています。

昔のことは鮮明に思い出せるのですが、最近(4~5日前)のことが思い出せません。

そんなに波乱な人生ではなかったと思いますが、比較的行動派でしたね。

やがて・・・

 

若き日が夢多き蕾とすれば・・・

 

やがて、花が咲き・・・

(いつが花だったのかは分かりません) 

 

 

そして、枯れる時期がやって来るのでしょう。

昨日パチリした蓮の花です。

まさに、この状態が私かも知れません。

良く言いますが・・・

青い春で青春(せいしゅん)

朱(赤い)の夏が朱夏(しゅか)

白い秋が白秋(はくしゅう)

黒い冬が玄冬(げんとう)

今は白秋か玄冬なのでしょうか、気持ちは朱夏です

今日は昼に道志に入りました。

また、雨が降ってきました。

今日は昔を思い出しながらのんびりと過ごしますよ。

 

Hiro


別荘暮らしも楽じゃない!?

2019年08月19日 | なかま道志

別荘に通い生活していると、いろいろありますよ。

今回の道志に来る大きな目的は、ブルーベリー畑に蚊帳のような大きなネットを張ることと、広い面積の草刈りです。

そのネットで防止するのは、甘いブルーベリーの実を啄んでくる野鳥(ゲラと地元の人は言っていたかな?)とハチです。

一人作業ですと、ビール箱に乗って網を張って行きます。

大変な作業です。

 

 

試し採りですが、ブルーベリーとブラックベリーを収穫いたしました。

ブルーベリーの周りなどに、鉄管パイプで支柱を立て枠取りも鉄管パイプです。

この炎天下の作業ですので、鉄管は熱せられています。

 

 

そこに網掛けをするのですすが、熱せられたパイプに触り、あちこちヤケドで水膨れができるくらいです。

高さも2mはありますので、良い?ストレッチにはなりますが背中が痛い!

生傷が絶えません。

痛てえ!と思ったら、ハチに刺されていました。

 

 

駐車場や庭先、畑周りの草刈りです。

使うのはエンジン式のナイロン刃(紐)を回転させるタイプです。

どう見ても、1日では終わる様子はありません。

燃料も足りなくなりそうですので、バイクを出し近くのガソリンスタンドに行く用意をしました。 

 

 

バイクは斜面を上がった家の脇に置いてありますので、出すには後退しながらエンジンを前進にふかし抵抗力?を付けて徐々に下るのです。

ブレーキだけではとても無理で、そのまま引きずられて落っこちてしまうような坂道です。

体力も無くなったのか?踏ん張れないのか?バランスを崩し転倒です。

幸い土手側に倒れましたので、ケガはありません。

それでも、足は挟まっていますので、バイクから抜け出すのに7~8分以上は格闘してしていましたね。

反対側に倒れていたらどうなっていたのでしょう? 

 

 

いつも行く、役場近くの佐藤さんのガソリンスタンドです。

顔見知りになっています。

今回は混合油50:1と25:1を各10リットル作ってもらいました。

いつも(冬場)は石油を買いに来るのですが、今回は草刈り機は50:1の混合油とチェンソー用オイルや他の器具の25:1の混合油を作ってもらいました。

最初はまごついて、機具に何を入れるかなど名札を付けたくらいです。

 

 

別荘に来て辛いのは食事の用意です。

この日の昼飯です。

一人ですと優雅に何かランチと言う雰囲気はありません。

女房が持たせてくれたものか、冷凍食品で済ませます。

今回は冷凍のスパゲティーにしました。

作り方を読んで、電子レンチでチンします。

出来上がると・・・。

ハッキリ言って不味い!

表面は焦げて?中はまだ冷凍状態です。

もう一度チンして、マズイ冷凍食品を食べました。

夕食は漬け込んでおいたスペアリブです。 

 

 

 

小さな焼き網器で焼いていただきました。

これは美味しかったですよ。

後片付けが大変ですがね。 

 

 

 

大きくなったキュウリと完熟のトマトを添えました。

 

 

先週ですが、夕方7時半ごろのお月さんです。

今朝も超早く起きました。

昨日の出来事を日記に付けて、ブルーベリーを収穫して、草取りをして、部屋掃除や工具を片付けて帰宅の準備です。

大体、月に2回ペースで道志に入っていますが、自宅や仕事でもやることが多すぎて、長居できません。

別荘暮らしは優雅に思われるでしょうが、思うほど楽じゃないですね。

 

Hiro


先週の話(道志)

2019年08月18日 | なかま道志

定期健康診断が、あまりにも時間を費やし(自宅から品川のセンターへ検査も含めて)往復5時間半かかり、もうその日の午後に道志に行く気持ちは失せました。

朝、姉さまからいただいた、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、翌日荷物を積み込み5時半に家を出ました。

道路はまだ空いていて、いつもと同じ時間で到着です。

1時間20分です。

 

 

いつものように雨戸を開けて、空気の入れ替えです。

そして、畑のご機嫌伺いです。

池に放ったマスは何ものか?にやられていましたね。

冬越しして大きなマスは元気でした。 

 

 

青空に観賞用のトウモロコシが大きく成長しています。

今年は上手くいくかも? 

 

 

 

完熟になっていたトマト類です。

完熟にしたのではなく、完熟になっちゃったのです。

甘くて美味しいですよ。

 

 

キュウリやナスも太く、大きくなっています。

不揃いですがね。

これも土産にしますよ。

きっと女房も困るかと思いますが・・・ 

 

 

モロッコインゲンもたくさん採れました。

これも困ったものです。

畑仕事は作るのが楽しいだけで、収穫した後のことは考えていません。

個人的に百姓を趣味にしてる方は、同じかも知れません。

みなさん処分?(その後)はどうしているのでしょうかね? 

 

 

いろいろなトマトです。

今回は黒いトマトも育てました。

甘みもあって美味しいですよ。 

 

 

今回の目的(やること)の一つに、ブルーベリー畑(約30坪くらい)の網掛けです。

これが口では言い表せないくらいの大変さなのです。

写真と撮る余裕などもありません。

小動物や蜂が入ってしまうからです。

大きな蚊帳のようなものです。

こうしておけば、ブルーベリーも安心して収穫できます。

今朝、試し撮り(収穫)をしてみます。

 

 

昼になり、一度網掛け作業中止です。

本当にヘトヘトで部屋に入りました。

扇風機も2台回しています。

自撮りして女房に送りました。

誰かと?思ったと返信がありました。

このくらい疲れていた状態です。

 

 

夕刻まで動き詰めでした。

汗もびっしょりかいて、シャツや作業服も変えました。 

 

疲れてもこんなことをしているのが好きなんですね。

何のために来ているのか分かりません。

小さな私の居場所(お城)なんでしょう。

城主とは言っても家来はいません。 

 

 

女房が持たせてくれたアナゴです。

でも鰻も食べたい!

近々、甲斐市の実家に行くので、親戚の鰻屋さんで食べて来ますよ。

このトマト美味しそうでしょ!

美味しいんです!

 

 

汚れた作業服などを洗濯しました。

ここでは誰もやってくれませんからね。

 

陽も落ち始めてきました。

いつものとおりの晩酌タイムがスタートです。

7時過ぎには寝てしまいました。

当然、超早朝に目が覚めました。

これから小鳥さんたちを起こしてきます。

4時半です。

これは先週の話です。

実は、16日に道志に寄って実家に行こうとしたのですが、前日大雨(豪雨)のために、両国屋あたりで通行止めになっていました。

Uターンしてまた、高速に乗り甲斐市に向かったのです。

オートキャンパーも突然の豪雨で、近くの建物に避難するしかなかったようです。

誰の責任でもありませんね。

 

Hiro


コーヒーを淹れるのが面倒になりました

2019年08月17日 | なかま道志

先日、姉さまと話をしていて、最近コーヒー豆を挽いて淹れるのが面倒になったと伝えました。

すると後日、姉さまが自宅で使っているコーヒーメーカーを持参していただき、試飲させていただきました。

簡単で美味しかったですね。

今、NESPRESSOの新製品が出て、銀座の専門店で売っているとのことです。

姉さまは、わざわざお店まで行って、私に新製品を送ってくれたのです。

 

 

昨日の夕方届きました。

デパートの包装された大きな箱です。

道志で使うかどうかも考えましたが、先ずは自宅で使うことにいたしました。

 

 

 

開封して、セットしてみました。

いや、簡単でおいしく飲めます。

電源入れて、豆カップをセットしてスイッチを入れるだけで4種類できます。

これなら朝、出勤前の忙しい時間に、私でも簡単にできます。

 

 

 

豆カップセットも、たくさん詰め込んでくれました。

いろいろと飲むと、自分に合ったものが分かるのでしょう。

ヤフーでは検索できませんでしたが、グーグルでは詳細が分かります。

良いものをいただきました!

感謝です。

昨日も山梨の実家に行く途中に道志に寄って、ブルーベリーでも土産にと向かったのですが、大雨で道志街道の両国屋付近で通行止めになっていました。

道志役場に電話を入れると、雨が上がってから様子を見てから通行止めを解くと言っています。

結局、Uターンして高速に戻り山梨の実家に向かいました。

こんなことは初めてです。

 

Hiro


これも日常生活

2019年08月14日 | なかま道志

静寂な道志生活とは異なって、喧騒な生活もしています。

先日の朝方、ちょっと時間に余裕がありましたので、カメラを持ち出しパチリしていました。

 

 

メダカを飼っている小さな小さな池です。

ちょうど蓮の花が咲きましたのでパチリしました。

我ながらきれいに撮れています。

 

 

 

どれかをプリントアウトして仏壇に飾ります。

その日の10時半に予約した定期健康診断があります。

場所は品川港南口です。

駅から5分ほどでしょうか?あるビルの2階すべてがそれ様(健康診断病院)になっています。

 

 

 

この日はわざわざこのために品川に向かいました。 

秋葉原から乗り換え山手線と京浜東北線がありますが、京浜東北に乗りました。

新しい駅「高輪ゲートウエー」を造っている最中です。

線路も次々と入れ替えています。

この暑さじゃ、働いている人も大変だなと思います。

品川駅に着きました。

 

 

駅から近くですが、天気は猛暑?酷暑?それ以上です。

もう着くまでに疲れています。

国内外の旅行者も目立ちます。

まさに喧騒的な街が品川です。 

 

 

ビルの2階ですが、いつもは検診車が会社に横付けされて受けるのですが、こんどの会社は健康診断専門病院での検診です。

嘱託なので、健康診断はもう良いんじゃない?と言っても、社員ですからと命令口調の回答です。

さて、この病院の受付に行くと、便の検査もあるようですが、その容器?が入っていませんでした。

受付の方は便検査もありますよ。

入っていませんねと言うのです。

そして、今ここでお願いできますか?と言われましたが、なんとか採便いたしました。

いろいろと測定しましたが、2時間はかかっていますね。

受けている方も20~30人近いいるんじゃないかな?と思います。

昼過ぎにやっと終わって駅に向かいました。

 

 

逆戻りで、駅に向かいます。

往復、なんだかんだと言って、5時間半はかかっています。

今日は道志に行こうかな?と思っていましたが、止めて水分補給することにいたしました。

帰りの電車の中でも、珍しく夢を見るくらいですので、かなりお疲れなんでしょう。

いつのもペースで早寝しました。

 

Hiro

 


三つの責務?

2019年08月12日 | なかま道志

先日のダンスの試合結果から、かなり落ち込んでいるのも事実です。

何をどうして良いのか?ダッチロール状態です。

簡単に言えば練習不足の一言です。

私には三つの責務(やらなきゃならないこと?)があります。

 

 

*これは何て言う花ですかね?

毎年咲いてくれます。

その一つはダンスだと思います。

最初は退職して船旅をするときにダンスぐらいは踊れればと思っていたのですが、ダンスは覚えるのに10年かかるよ!と言われたので、50歳から始めました。

いわゆる、市のダンスサークルグループに行ったのです。

そこは楽しパーティースタイルではなく、競技選手を育成するグループでした。

最初は出場すれば勝っていたのですが、だんだん難しくなり、あまり楽しいと言う感覚ではなくなりました。

女房や他の方からも練習すれば勝てると言われますが・・・。

それは分かっています。

しかし、練習する気になれないのです。

したがって、ダンスはあまり好きじゃなかったのかも知れません。

耳も遠くなりましたし、今までも楽しい?と言う気分になったことが無いのです。 

しかし、パートナー(女房)のためにも、ダンスを続ける必要(責務?)があるのでしょう。

 

 

それは勝てば嬉しいですよ。

嬉しいと楽しいは別ものだと思います。

少し時間を置いてみることにしました。 

 

 

じゃぁ~何が自分に向いているかです。

写真も好きですね。

上手く撮れると楽しく感じます。 

好きなことは責務とは異なりますが、積極的に行っています。 

 

 

道志の別荘生活も月に2回程度しか行けませんが、それなりに楽しいものがあります。

ほとんどが大変なことばかりですがね?

行って、雑草との戦いや管理も大変です。

これも責務かもしれません。 

 

 

まぁ~ブログも何とか続けています。

また、多くの方々に閲覧いただいています。

毎日1000件は越えていますね。

ただ、長く続けているので、何かがヒットしているのでしょう。

仕方がなしにではありませんが、なるべく続けるようにしています。 

 

 

今朝、三尺ササゲを少し収穫いたしました。

これはお赤飯用に使うためです。

 

 

これも楽しいですよ。

枕木で作った一坪ですが、種を蒔いて収穫し、お赤飯のササゲにするのですから・・・。 

 

 

こうして見ると、今一番向いている(楽しい)ものは仕事かも知れません。

71歳になっても、ある意味ではお役に立てているようです。

そのようなコメントをいくつもいただいています。

まぁ~年金もいただいていますが、仕事をするうえで何か問題かとか課題は何か?など常に考えています。

いくばくかの給料をいただいていますので、仕事のことを考えるのも責務なのでしょう。

 

 

 

今まで仕事でいろいろと苦労?してきましたからね。

今は過去の経験や少しの見識?をお伝えしているだけなのです。

期待される分、やりがいもありますね。

近々、定期健康診断に行って来ます。そう、18日はダンスのパーティーで先生とデモンストレーションを踊ることになっています。

それにはダンスのデモレッスンも必要です。

先日も主治医(同級生)に薬をいただきにあがりました。

その時の会話で、もういろいろな検査はいいや!と話していましたが、まだ結論出すのはちょっと早いんじゃない?と言われました。

次が最後だと思って、検査しろとのことです。

結局、10月ごろに大学病院で大腸関係の再検査をする予定です。

自分に向いているのは、今のところ仕事だとの結論に達しました。

明日の午前は健康診断で、午後から道志にでも行って来ようかな?

あぁ~、いろいろとやらなきゃならない(責務)が山積しています。

 

Hiro


沖縄に行くのに身分証明書が必要だった時代

2019年08月10日 | なかま道志

今日は道志に来ています。

ニュー田代オートキャンプ場は満杯です。

台風10号が気になるところです。

先日写真を整理するために、スキャナーに読み込んでいました。

大学時代のアルバムです。

今年は2019年ですので、終戦74年経ったことになります。

私の初めての海外旅行?は沖縄でした。

19歳の時で、返還前でした。 

 

 

日本政府より身分証明書を受けたのです。

今の方は、沖縄に行くのに身分証明書?とお思いでしょう。

 

 

記載内容はパスポートと同じです。

*顔写真は面影が無いかと思いますので、加工せずに載せています。

日本人○○は「観光の目的で沖縄へ渡航するものであることを証明する」となっています。

総理大臣 佐藤榮作になっていました。 

 

 

そして、43.3.-4 US$98.60(当時一ドル360円時代)をどこの銀行で交換したかも記入されているのです。

アルバイトで稼いだうちの36000円分を交換したら98ドル60セントでした。

もちろん当時も高校野球はありました。

沖縄より選抜された球児たちは、試合に負けてグランドの砂をかき集めて持ち帰りますが、沖縄まで検疫法で持ち込むことができなく、近くの海に撒いていたのが記憶としてあります。

まさに外国扱いだったのです。 

 

 

当時、沖縄に行くには飛行機と船がありましたが、私は安い船賃にしました。

竹芝桟橋?から「那覇丸」に乗船して二日かかりで沖縄(泊港)に着岸するのです。

行き帰りの旅費は、東京で買い求めて置きました。

台風が通過した後でしたので、船は木の葉のように揺れて船酔いで酷い目にあいました。

船内の夕食はカレーだったかな?

食べる気もしませんでした。

しかし、沖縄の海(泊港)に着いた時に、今まで見たことが無いような美しいコバルトブルーの海が広がっていました。

やはり、その時は異国を感じましたね。

 

 

大学で知り合った方が、沖縄出身で帰京するとのことで、本島の時はご自宅でお世話になりました。

那覇市役所近くで松山中学校??付近で、池原さんと言うお宅でした。

その節は大変お世話になりましたね。

ご友人に車を出していただき、島内を一周しましたが、北部方面は凸凹道ですれ違う車はほとんど米軍用車でしたね。

もちろん右側通行です。

支払いもすべてドルでした。

 

 

守礼の門です。

その後行ったことがありませんので、今はどうなっているかは分かりません。

52年前の話ですからね。

 

 

各慰霊碑にご案内いただきました。

終戦となって3年目に私は生まれましたが、子どもの頃ですが東京の自宅付近でも良く米軍用車を見かけましたね。

 

 

かなり若かった私(19歳)です。

沖縄に行くためのバイトはガソリンスタンドでしたね。

やっとの想いで、5万円くらい貯めたのです。

 

 

島内のいろいろな場所をご案内いただきました。

心の中にはいろいろな想いがあります。

そして、八重山(石垣島)へ行くことにしました。

ここからは単身です。

 

 

 

行きはプロペラ機を利用しました。

はじめて飛行機に乗ったのです。

眼下にはいろいろな島々が見えます。

石垣空港まで$16.68となっています。

今の額で計算すれば1700~1800円くらいなんですね。

こんな飛行機を利用できたのです。

 

 

寝袋を担いで、あてもなく島内を歩き始めました。

確か、村営バスも利用しましたね。

いわゆるカニ族の走りです。

満天の星空を見ながら、テントも張らずに寝袋に包まって一夜を過ごしていました。

辺りは誰もいません。

大きな貝殻(東京に持って帰れば売れると思うくらい)が、あちこちに落ちています。

ヤシの実も転がっていましったね。

朝目が覚めると、地元のお爺さんが馬を引き連れて海岸を散歩していました。

その鞍のない馬をお借りして、海辺を散策したのを覚えています。

 

 

途中の公民館(屋根だけで壁なし)で、沖縄大?の学生さんと一緒になり、いろいろな話をしましたね。

結構、引っ込み思案で、内地(本土)の人と話すのは苦手だと言っていました。

彼らと焚火をしながら、泡盛をいただき、三味線を聞いて過ごしたのも良い経験でした。

こんなことが、一人旅好きにしたのでしょう。 

 

 

帰りはイシガキから那覇(泊港)までは、船を利用しました。

やはり南の島の景色です。

一週間くらいの短い旅でしたが、ある意味では人生観を変える旅にもなりました。

そして、那覇から鹿児島ま、また船で本土に向かいました。

そこで一泊し、東京へ戻るのです。

持ち金は日本円で3000円ちょっとくらいありましたかね?

宿代と列車の切符は買ってありますので、西鹿児島で夕食のために街をぶらつきました。

そんな雰囲気の街並みのなかで、一杯飲んで行かない?と声をかけられ(安いことを言われ)、誘いを受けて店に入りました。

結局、有り金のほとんどが消えてしまいました。

西鹿児島から東京まで、丸一日(24時間)かかります。

 

なんとか列車(特急寝台)に乗り込みました。

その寝台車は2等車で3段ベッドスタイルです。

私は真ん中の2段目です。

沖縄から初めて本土に来るおばあちゃんと一緒でした。

そのおばあちゃんは最上段でしたので、私と代わってあげたのです。

喜んでいただき、いろいろな差し入れもいただきました。

感謝です。

だって、西鹿児島で一文なしになっていた私です。

弁当も買う金がありません。

何も食べない(弁当を買わない)私に、おばあちゃんは不思議に思ったのでしょう。

理由を説明すると、弁当を買ってくれたのです。

思い出と言うのか、19歳でそこらの飲み屋に入っちゃだめだと反省する次第です。

52年前の話ですので、時効は成立していますよね。

これが私にとって、はじめての海外旅行でした。

道志では雑草と戦っています。

燃料も2度補給しました。

 

Hiro


ちょっと気なる雑誌を買い求めた

2019年08月08日 | なかま道志

帰宅途中です。

最寄りの駅を降りて、バスの時間表を見たら出たばかりでした。

他のルートもありますが、10分程度時間待ちのために本屋に立ち寄りました。

あくまでの時間つぶしですので、立ち読みのつもりです。

 

 

すると、一冊の雑誌が目に入りました。

*週刊文春 令和元年7月日発行(引用しています)になっています。

タイトルが刺激的でしたので、ぺらぺらと・・・。

全体としては、何て言うことない内容です。

私の葬儀やお墓のことは、菩提寺の檀家総代をしていますので、私の自由にはなりません。

住職にお任せします。 

 

 

今、一番悩んでいる?ことは、趣味も多いので片付けることです。

こんなことはいつでも出来ると思っているのですが、自分では捨てられないものが多くあります。

他人(私以外)なら、簡単に処分できるのでしょう。

アルバムも大事にしていますので、スキャナーに読み込んだものは処分しています。

しかし、程遠いい手間暇がかかります。

きっと、スキャナーに保存しても誰も見ることは無いのでしょうね。 

 

 

男性の健康寿命が平均で72.14歳とあります。

と言うことはあと1年無いのです。

70歳代を見てみますと、年金・介護・医療・贈与・運用とあります。

まぁ~ここでは私が介護の必要な状態になった時はどうするかです。

医療は診察券だけが増えて行きますが、成るようにしかならないと覚悟しています。

贈与?女房と息子二人ですので、自分の意思は何かに書き留めて置くことは必要だと思います。 

 

 

問題はデジタルなどのパスワードですね。

パソコンのウィルスガードなどは、自動継続になっています。

その自動継続を解除するパスワードなども明記する必要がありますね。

保健や年金関係は事務的に処理できるかと思います。

資産などは、きっと公認会計士にお任せするかと思います。

自動車は私名義です。

何か問題はあるのでしょうか?(贈与になるのかなぁ~)

道志の別荘は土地は借地ですので、建物だけです。

解体して返す方法もありますが、不動産屋を通して安く売ればとも思います。

自分では元気なら77歳まで道志を活用すると決めています。

その時は、あの山道の運転も心配ですし、今の車も処分するつもりです。

これはあくまでも考えだけです。

 

仕分けは60代で、手放すのは70代と書かれています。

免許返納をいつにするかです。

その頃は更に車の安全性能も向上しているのでしょう。

甘い考えかな?

 

 

私は以前より簡単なエンディングノートを付けています。

そこにはパスワードから、金庫の開け方、臓器提供の有る無しなど、自分の思いも記しています。

自分の貴重品(モノ)は特にありません。

思い出はたくさんありますけどね。 

 

 

この自分年表に記入してみようかな?と思っています。

あと20年すれば、団塊の世代はほとんどがいなくなり、人口減少がさらに増し、コンビニより多い有料老人ホームは半減することでしょう。

世の中すべてが異なった世界(環境)になるかと思います。

前東京オリンピックが開催された時は、今のような時代になるのは想像できませんでした。

当時はウサギ小屋と言われるくらいに、一軒の家で何人もが住んで、ぎゅうぎゅう状態で暮らしていました。

それを外国の方は、まるでウサギ小屋と比喩していたのです。

今や近所でも空き家が目立ちますが、また、新築の家屋も立ち並んでいます。

ジタバタしても、成るようにしかならないのが、世の中の常かも知れません。

 

 

昨夜のダンスレッスン前の写真です。

8月半ばに女性先生とデモストレーションを予定しています。

男性の平均健康寿命を考えると、1年ありませんのでそれなりに生活しますよ。

あと1年かぁ~。

 

Hiro


マクロレンズで睡蓮などを撮る(道志)

2019年08月06日 | なかま道志

大仕事だった階段づくりも終えて、ほっとしているところです。

少しはこんな時間を持ちたいですね。

 

 

さて、杉本工務店さんにいただいた、ボートに沢の水を入れて池にしました。

春先には、中に水草や睡蓮などを植えました。

今では、メダカも孵化し泳いでいます。

ほぼ完成したモネ風のボート池です。

鑑賞者は私一人です。

入場は無料です。

 

 

睡蓮をパチリしました。

今回はCanon EOS 5Dでレンズは、マクロ100㎜ (1:2.8L)を使ってマニュアルで撮っています。

 

 

やはり、コンデジとは一味違いますね。

これらの写真は、我が家の画廊(トイレ)に飾っています。 

 

 

F2.8 にして一点ピントにして周りをぼかしたり、F8くらいでは全体がそれなりに撮れるようにしたり・・・。

いろいろと機能を試してはパチリです。

こんな時も楽しいですね。

全くの素人ですので、上手には中々撮れません。

 

 

鳥の声(ホーホケヨ)や、せせらぎの音を感じながらのひと時です。

周りをあまり見ないようにしています。

それは雑草が伸び過ぎて、草取りのことを考えると滅入ってしまうからです。

 

 

睡蓮の中が燃えているように(偶然ですが)撮ってみました。 

 

 

次回は少し気持ち的な余裕を持って、雑草と戦います。

別荘生活も優雅とはほど遠く、管理はエンドレスな作業が続きます。 

 

 

ボート池に入れた岩にも植物が自生しています。

日差しが強くなって来ました。

本当に台風が接近するのでしょうかね? 

 

 

ボートの脇にユリらしき花が咲いています。

あとは自作の農機具小屋を、バラやツタ類で覆うことです。

きっと来年は雑誌にも載せられる?くらいの雰囲気になるのでしょう。

 

 

観賞用のトウモロコシも青空に向かって成長しています。

今までの長雨(日照不足)で、野菜類は不作です。

やはり、傍にいてやらないとダメなんでしょうね。

仕事やらダンスの練習などで、今しばらくは道志に常駐するのは無理な状況です。

 

 

お盆さん前後のキャンプ場も、大勢のキャンパーで混むことでしょう。

そんな賑やかさは隣ですが、私はモネ風のボート池をこんな風に楽しんでいます。

これも贅沢なのでしょう。

それだけの労力は必要としますがね?

 

Hiro


畑に通じる階段づくり

2019年08月05日 | なかま道志

前回の続きです。

いやぁ~長年の懸案だった、畑に通じる階段を作り直さなければと思いつつも月日は流れていました。

今回は意を決して、改修工事?に着手しました。

 

 

ストレッチやごろ寝する場所(ウッドデッキの一部)です。

 

 

着工前の余裕の私です。

他にもやることはたくさんあるんですがね。

先ず、階段改修を何とかしなければと、意気込んでいるところです。 

 

 

中央に、板を重ねたのが見えますよね。

以前、来た時に寸法に合わせてカットしたものを積んでおきました。

手前の作業台で木ネジ(75mm)を使って、ドライバードリルで踏み台を作ります。 

 

 

 

こんな風に組み立てですが、7枚の板を幅45cmで奥行は55cmのブロックにいたします。

これを計9つ作りました。 

 

 

施工前です。

草はぼうぼうですし、階段も危険な状態です。

手前の方は昨年、一部改修いたしました。

奥の方を改修します。

 

 

階段の板も外れてすべりゃすくなっていました。

 

 

先ずは基礎づくりのためにスコップで掘りおこします。

ブロックを平らに据え付けるために、水準器を使ったり砂利敷いて盤を作ります。

太い根っ子も出てきます。

この切断撤去も結構大変ですね。

昔、おばあちゃんに、”あんたは土木の学校を出ているので、穴を掘るのが上手だね”と言われたことがあります。

確かに理工学部土木工学科でしたが、穴を掘ることは習っていません。(笑)

そんなことを思い出しました。

学生時代のアルバイトは静岡の山奥で東名高速道を造る現場でした。

そう言えば、横浜の下水道工事もやった記憶があります。

測量機械を担いだり、土方仕事で労務者一緒に飯場(はんば)生活をしていました。

東名高速は開通していない時なんです。

現場でのアルバイトは18~19歳の時でしたので、53年前の話です。

 

 

下地を作ったり、何段か設置したところで昼にしました。

蒸し暑さで、汗が絞り落ちるように出て余裕のない姿になっています。

 

 

昼はカレーうどんにしました。

女房が持たせてくれたカレーに冷凍うどんを投げ込んだだけです。

皿を出すのも面倒なので、ナベでいただきました。 

 

 

施工前です。

 

そして、施工後です。 

 

上の方から見た感じです。

もう夕刻の5時近くになっていました。

念願の階段が完成いたしました。

71歳になるオジサン(お爺さん?)が良く作ったものです。

万歩計も13000歩になっていました。

 

 

シャワーを浴びて、晩酌のスタートです。

夕食は作る気がしませんでしたので、豆腐とゆで卵で済ませました。

7時過ぎにはベッドに入りましたが、女房はダンスのレッスンに行って来るとのメールです。

大きな仕事が終わりました。

少し気が楽になりましたね。

 

Hiro