自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

57年前と同じ場所でパチリ

2023年07月27日 | なかま道志ベース

今日も道志は朝から大変な暑さになっています。日中は何もできませんので帰宅することにしました。

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さて、私が18歳の時に単身で沖縄県に行きました。バイトで100ドル稼いでです。現地の方の話を聞くと、当時の月給が30ドルか40ドルだったと言っていました。それだけ本土(内地)はバイトでも恵まれた収入だったのでしょう。

そして、57年が過ぎて同じ場所を訪れました。遺跡(ひめゆりの塔)などは変わりませんが、周りの景色などは全くの別世界です。

当時の同じ場所でパチリしました。受付や案内される方など説明者は、当時のことはほとんど知りませんでした。(当然のことだと思います)

当時の沖縄(半世紀前)は、治外法権でいわゆる外国なのです。身分証明書を取得し、出入国管理があって使えるお金もドルでした。沖縄は日本であっても日本ではなかったのです。

車は右側通行(米国と同じ)で、生活も占領地の延長だったかと思います。

同じ場所でパチリです。私も歳をとりました・・・。

しかし、当時のことは鮮明に覚えています。これから夏の甲子園野球が始まりますが、当時 沖縄の選手が出場して甲子園の砂をかき集めても、沖縄には砂などは持ち込めずに、本島近くで海洋投棄していたのです。

同年配の方に聞くと、このような身分証明(パスポート)があったのは、今の方は知らないのでしょうと言っていました。

たしかに、ひめゆりの塔や平和の塔の受付の方も、持参した身分証明書(政府発行のパスポート)は初めて見たと言っていました。

沖縄に行っている時も、埋め立てしている場所は辺野古だけではありません。その近くを通った時も、炎天下の中 二人のご婦人が反対の「のぼり旗とチラシ」を持って、埋め立てする搬入車両も多く行きかっていますが、これらのダンプカーに向かって声を上げていました。

現地の方に聞くと、米軍施設で働いている方は数パーセントと聞きます。

多くの方々は、基地があるゆえに国の集中的な財政支援を受けているのだからと、思われているようですが、沖縄の方はそんなに恩恵などを受けているとは思っていませんと言っていました。私たちは考え方に関係なく広く沖縄の実態も知る必要があるかと思います。

57年前(返還前)に国道1号線を北部方面に行ったことがあります。基地の金網フェンスに沿っての道路ですが、道幅が異常に広く感じました。有事の際は滑走路に利用すると言っていました。更に進むと砂利道になっていました。

今では道路もすべて舗装されています。これも半世紀ぶりに沖縄を訪れた感想です

高速道料金などを利用すると、料金が非常に安く感じました。あちこちで高速道など建設ラッシュになっています。ひょっとしたらこれも国の施策かも知れません。ある地域(辺野古)付近には巨大な病院施設も築造中です。信じられないような大開発しています。(病院開発地域との表示がありました)

庶民(島民)と観光旅行者との乖離も感じました。今の沖縄はインバンドで、海外からの旅行者が多く、また車社会の沖縄ですのでレンタカー不足になっています。4日間お借りして45,000円をお支払いしました。レンタカー会社近くのガソリンスタンドは給油のための列が出来ているくらいです。

何度もご紹介している画像です。今回は古い写真で面影もありませんので、処理せずにそのままにしています。

これは当時の石垣島です。コバルトブルーの海になっていましたが・・・。

沖縄大?の学生さんと出会って、泡盛を酌み交わし(18歳でしたけど?)焚火を囲んで夜が更けるまで話あっていました。

きっと、この地域も見違えるようなリゾートホテルになっていることでしょう。半世紀前ですからね。夜空の南下には「南十字星」も見えるのです。

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57年前(18歳)の時に、75歳になった自分のことは考えても見ませんでした。

この間に、米国に一人旅をしてある町に住んだり、大学を卒業し就職して72歳まで働き、若くして結婚して二人の息子もいて、ベルリンの壁崩壊時にはベルリンに向かい、またヨーロッパの旅をしたり、趣味も多く(スキューバダイビング・競技ダンス・書道・別荘通い生活など)あります。今年は母も100歳越えて他界し二人の両親はいなくなりました。

結婚して50年を迎えて、女房と小さな沖縄旅行をするなんて考えても見ませんでした。

この飛行機のように、離陸した時は血気盛んな時もあります。将来の夢もたくさん見ていたのでしょう。

順調に飛行を続けた時もありました。

時には乱気流で揺れたこともあります。

しかし、50年の間には両親や友人、女房も傍にいました。

やがて着陸態勢に入って来ました。シートベルトの着用サインです。

人生も着陸態勢なのか?年齢的に健康に注意しろ!との意味なのでしょう

車輪も出され、着陸地点も見えて来ました・・・。

ちょっと、気力や体力の衰えも正直感じています。あと何年健康でいられるかも分かりませんが、過去の57年前の時に今の生活(状況)知る由もありませんでした。しかし、あと15年先は何となく想像できます。

今回の小旅行は、自分を振り返る良い機会となりました。また、今後の生活のこともです。

道志での通い生活もあと3年くらいを予定しています

 

Hiro