自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

参った!ほんとうに参った!

2023年07月31日 | なかま道志ベース
先日、道志に入りました。東京とは3~4度気温は低いのですが蒸します。

フランク永井は低音の魅力~♪神戸一郎も低音の魅力~♪水原弘も低音の魅力~♪

漫談の牧伸二は低脳の魅力~♪あ~やんなっちゃた~あ~~驚いた

こんな漫談を知っているのは、ご同輩なのでしょう。

昨日は道志に向かいましたが、何故か調布インターから渋滞が続いています。

八王子付近の外気温は39度になっています。10年に1度の最高の暑さと報道されていました。

交通情報でも相模湖辺りで事故の表示です。

ノロノロ運転で、普段の倍近くかかっています。

相模湖・藤野で下りるのですが、そのちょっと手前が事故(故障?)現場でした。

暑さと言い、事故渋滞と言い、「あぁ~やんなっちゃた、驚いた!です」

道志に着き、荷を降ろして敷地内を確認です。ボート池のスイレンが咲いていました。

夕刻にパチリした気温ですが、着いた時は35度でした。東京より4度低くなっていますが、蒸し暑さは変わりません。

駐車場の上には、花が咲いています。(名は知りません)

農機具小屋も蔦で覆われています。

役に立たない風見鶏です。ただ置いてあるだけです。

完熟のトマトも出来ていました。ナスもです。

夏大根も大きくなっていました。きっと土産になるのでしょう。

枝豆は太っていません。きっと、雑草に栄養分を取られてしまったかと思います。

良い場面だけを紹介しました。

雨が降らないので、畑もどこも土が乾いています。永住していれば適宜水撒きはできるのですが・・・。

どひあ~!雑草との戦いが始まりそうです。「あぁ~やんなちゃった!あぁ~驚いた!」です。

先ずはブルーベリー畑の草刈りをしました。その前に、音の出ないウッドデッキの土台づくりかなぁ~。

お隣の〇藤さんの息子さんが、石積みをしていました。ちょうど地主さんが通り指導しています。

私はベニマスの日干しづくりを始めました。

解凍させてから、塩をふり1時間くらい寝かします。水洗いして塩を落とします。

適度な大きさに切り、キッチンペーパーで水気を取り除きます。

これに塩を振りかけて、カゴに入れて干すのです。

簡単な日干しです。

片付けたごみなどを燃やしています。

そして、今朝の東京方面です。

またも、暑くなる気配です。野良着に着替えて、雑草と戦っています。
この暑さには本当に参りました!

 

Hiro


昼飲み時間(年寄りの集まり)

2023年07月29日 | なかま道志ベース

先日は勤めていた会社の役員と4年ぶりくらいで、昼飲み会を行いました。

この会は名付けて「倶利伽羅会」と言います。ラインのグループ名も「倶利伽羅」になっています。

以前、たまたまこの居酒屋で注文した鰻の肝を棒状に巻いたモノが大変美味しかったので、この会の名にしたのです。

倶利伽羅とはですが、不動明王の化身として有名な「倶利伽羅竜王」のことを指しており、刀身の彫り物の一種。剣巻き龍つまり剣に龍の巻きついた姿の彫り物を意味するのです。

ちょうど、鰻の倶利伽羅焼きが似ていたのでしょう。

・・・・

現役を引退した3人ですが、なかなか日程調整が上手く行きません。孫の世話する人だとか、病院に行く日、旅行などそれぞれ忙しく合わせるのも大変でした。

私はこんな時間に電車を待っています。

アニメオタクで有名な?駅に降りました。外国の方が多い街です。

こんな路地を抜けて、右に曲がれば店はあります。

行き付けの店で「第二力酒造」と言って、開店は午後2時(昼間)からです。

早速、生ビールで喉を潤します。

本日のおすすめとありましたので、この水ナスを注文しました。(美味い!)

この店で有名な豆腐煮です。少し甘い味が特徴で、すぐに売り切れてしまいます。

時計を見たらまだこんな時間です。昭和の話や仕事の苦労話や健康のことです。

二人はふぐのヒレ酒を注文しました。火をつけるのは、熱した酒のアルコールを飛ばすためです。

お一方は冷酒です。

鰻の白焼きも美味しい!

飲むほどに、話は盛り上がって行きます。

もちろん転勤もありますので、お一方は北海道への転勤した思い出話もされていました。

すると、一冊の本を取り出しています。

北海道ではスキーもやり、また鉄撮りフアンのことでした。これは昭和48年くらいに汽車の写真を撮りまくったとのことで、これを自費出版したそうです。

迫力ある見事な写真ばかりです。寒い雪の日にアングルを探しに山に入ったと言っていました。また、景色を大事にしていたそうです。別の機会にご紹介いたします。

私も貴重な一冊をいただきました。

ヒレ酒も中(酒だけ)お替りです。

楽しい会話が進みます。息子の結婚や孫の世話、そして多くは白内障手術や補聴器の話、またインプラントのことなどでした。目・耳・歯の話ですので、年齢が出てしまいます。

良き仲間たちです。お二人はご夫婦でテニスが趣味だとか・・・。

お一方は会社の子会社?で中国に工場もありその時は董事長(社長)されていました。中国にもお招きいただき、青島や上海なども半仕事(ほとんど観光でで伺いました。彼らとはもう40数年の付き合いです。

どぜうも注文です。いろいろな話が展開していきます。次はあの人を呼ぼうとか、この人もになりました。

5時前なのに店内は満席状態です。次の予約が入っているようでお勘定にしました。

3時間以上も飲んでいたことになります。

最寄りの駅はまだ陽は落ちていません。風がさわやかに吹いています。

自宅に着いて、女房に楽しい飲み会だったと告げました。

この日は、珍しくぐっすりと寝ていました(9時間近くです)。庭の草花に水やりをして、昼近くには道志の別荘に向かう予定です。

次回も楽しみな倶利伽羅会です。次も孫や病院の話題となるのでしょう。

 

Hiro


レンタカーは「わ」ナンバーだけでなかった

2023年07月28日 | なかま道志ベース

レンタカーは「わ」ナンバーが一般的だと思うのですが、沖縄で借りたものは「れ」ナンバーでした。これも分かりやすくて良いかと思います。

沖縄でも「わ」ナンバーがあったそうですが使いきり、続いて「れ」ナンバーになったとか。確かに沖縄のレンタカーらしき車でも「わ」ナンバーもありました。「れ」ナンバーを使い切ったら何になるのかな?所は変われば名も変わるとはこのことでしょうか?

この日は東京に帰る日です。食べたかったポンドステーキとハンバーガーを口にしていません。朝食兼昼食で空港内の食堂街を歩きました。

インフォメーションに聞くと9時からのオープンがほとんどようです。あと15分でした。

ソーキそば店もありましたが、ステーキは無いので、やはりバーガーショップに入りました。

9時になったら、こんなに並んでいました。やはり、人気があるのでしょう。

私は数量限定の「A&Wバーガー」¥820とビールです。女房は「モッアァバーガー」¥620にしました。ドリンクは何を頼んだのか忘れました。

やはり美味しいですねぇ~。米国に住んでいた時を思いまします。

ビールを頼んだのです、ビール味がしません。たしかにROOT BEERと書かれています。

この店は「A&W(エイアンドダブリュ)」と言います。

沖縄県民の間では「エンダー」の愛称で親しまれているようで、沖縄ではバーガー好きも少なくないと思いようです。

きっと、戦後のアメリカ文化の影響を今も色濃く残すA&Wは、沖縄観光でも大人気のB級グルメスポットなのでしょう。

若き日に米国で過ごしたことが思い出されます。

駐車場に車を止めると女性が運んでくれます。

また、店頭ではタマネギやピクルスの盛り放題でした。あとメキシカンチリビーンズも頼んでいましたね。

今まで食べた中で美味しかったハンバーガーはノースカロライナのダラム市で副市長さんに連れて行ってもらった店でした。(その時の画像を探してみます)。そして、オークランドの高級バーガー店でした。

何しろ肉厚で、ジューシーでポテトフライが大量なのです。あれはファストフードではなく、ディナーでした。

住んでた街(カルフォルニア州のオークラン)でも良く行きました。

ハワイにもこの手の店は多く見かけます。懐かしい~。

・・・

さて、那覇空港内を散策です。

琉球グラスの素材はコーラの空き瓶ですね。これも米軍の影響が強いのでしょう。

到着した時に、帰りの便の座席を確保して置きました。予備券をいただき搭乗券は受付の方にお願いしました。少し早く着いたので前の便に乗れるかを訪ねましたが、やはり安いチケットでいたので、変更はできないとのことです。入力は地上アテンダントにお願いいたしました。

きっと、この飛行機に搭乗するのでしょう。JALです。

甲子園?に行くのか野球少年(高校生)がたくさん乗る準備をしています。

アナウンスがありました。窓側の席に女房を座らせましたがすぐに寝ています。

羽田空港にタッチダウンしました。途中は少し揺れましたが快適な空の旅でした。

もう、夫婦での長旅?はこれが最後かも知れません。余裕があったら船旅でもして、船内のホールでダンスでも踊りたいのですがね。(これが結婚当初の50年前の夢でした)

 

Hiro


57年前と同じ場所でパチリ

2023年07月27日 | なかま道志ベース

今日も道志は朝から大変な暑さになっています。日中は何もできませんので帰宅することにしました。

・・・・

さて、私が18歳の時に単身で沖縄県に行きました。バイトで100ドル稼いでです。現地の方の話を聞くと、当時の月給が30ドルか40ドルだったと言っていました。それだけ本土(内地)はバイトでも恵まれた収入だったのでしょう。

そして、57年が過ぎて同じ場所を訪れました。遺跡(ひめゆりの塔)などは変わりませんが、周りの景色などは全くの別世界です。

当時の同じ場所でパチリしました。受付や案内される方など説明者は、当時のことはほとんど知りませんでした。(当然のことだと思います)

当時の沖縄(半世紀前)は、治外法権でいわゆる外国なのです。身分証明書を取得し、出入国管理があって使えるお金もドルでした。沖縄は日本であっても日本ではなかったのです。

車は右側通行(米国と同じ)で、生活も占領地の延長だったかと思います。

同じ場所でパチリです。私も歳をとりました・・・。

しかし、当時のことは鮮明に覚えています。これから夏の甲子園野球が始まりますが、当時 沖縄の選手が出場して甲子園の砂をかき集めても、沖縄には砂などは持ち込めずに、本島近くで海洋投棄していたのです。

同年配の方に聞くと、このような身分証明(パスポート)があったのは、今の方は知らないのでしょうと言っていました。

たしかに、ひめゆりの塔や平和の塔の受付の方も、持参した身分証明書(政府発行のパスポート)は初めて見たと言っていました。

沖縄に行っている時も、埋め立てしている場所は辺野古だけではありません。その近くを通った時も、炎天下の中 二人のご婦人が反対の「のぼり旗とチラシ」を持って、埋め立てする搬入車両も多く行きかっていますが、これらのダンプカーに向かって声を上げていました。

現地の方に聞くと、米軍施設で働いている方は数パーセントと聞きます。

多くの方々は、基地があるゆえに国の集中的な財政支援を受けているのだからと、思われているようですが、沖縄の方はそんなに恩恵などを受けているとは思っていませんと言っていました。私たちは考え方に関係なく広く沖縄の実態も知る必要があるかと思います。

57年前(返還前)に国道1号線を北部方面に行ったことがあります。基地の金網フェンスに沿っての道路ですが、道幅が異常に広く感じました。有事の際は滑走路に利用すると言っていました。更に進むと砂利道になっていました。

今では道路もすべて舗装されています。これも半世紀ぶりに沖縄を訪れた感想です

高速道料金などを利用すると、料金が非常に安く感じました。あちこちで高速道など建設ラッシュになっています。ひょっとしたらこれも国の施策かも知れません。ある地域(辺野古)付近には巨大な病院施設も築造中です。信じられないような大開発しています。(病院開発地域との表示がありました)

庶民(島民)と観光旅行者との乖離も感じました。今の沖縄はインバンドで、海外からの旅行者が多く、また車社会の沖縄ですのでレンタカー不足になっています。4日間お借りして45,000円をお支払いしました。レンタカー会社近くのガソリンスタンドは給油のための列が出来ているくらいです。

何度もご紹介している画像です。今回は古い写真で面影もありませんので、処理せずにそのままにしています。

これは当時の石垣島です。コバルトブルーの海になっていましたが・・・。

沖縄大?の学生さんと出会って、泡盛を酌み交わし(18歳でしたけど?)焚火を囲んで夜が更けるまで話あっていました。

きっと、この地域も見違えるようなリゾートホテルになっていることでしょう。半世紀前ですからね。夜空の南下には「南十字星」も見えるのです。

・・・・

57年前(18歳)の時に、75歳になった自分のことは考えても見ませんでした。

この間に、米国に一人旅をしてある町に住んだり、大学を卒業し就職して72歳まで働き、若くして結婚して二人の息子もいて、ベルリンの壁崩壊時にはベルリンに向かい、またヨーロッパの旅をしたり、趣味も多く(スキューバダイビング・競技ダンス・書道・別荘通い生活など)あります。今年は母も100歳越えて他界し二人の両親はいなくなりました。

結婚して50年を迎えて、女房と小さな沖縄旅行をするなんて考えても見ませんでした。

この飛行機のように、離陸した時は血気盛んな時もあります。将来の夢もたくさん見ていたのでしょう。

順調に飛行を続けた時もありました。

時には乱気流で揺れたこともあります。

しかし、50年の間には両親や友人、女房も傍にいました。

やがて着陸態勢に入って来ました。シートベルトの着用サインです。

人生も着陸態勢なのか?年齢的に健康に注意しろ!との意味なのでしょう

車輪も出され、着陸地点も見えて来ました・・・。

ちょっと、気力や体力の衰えも正直感じています。あと何年健康でいられるかも分かりませんが、過去の57年前の時に今の生活(状況)知る由もありませんでした。しかし、あと15年先は何となく想像できます。

今回の小旅行は、自分を振り返る良い機会となりました。また、今後の生活のこともです。

道志での通い生活もあと3年くらいを予定しています

 

Hiro


沖縄の旧跡を訪ねて

2023年07月26日 | なかま道志ベース

今日の道志は昨日と同じで、酷暑になっています。朝5時過ぎから音の出ない草取りをし、8時からブルーベリー畑のエンジン式草刈り機で作業していました。1時間も回していると熱中症気味になってしまいます。

・・・・

沖縄に来て、困難なことがいくつかありました。カーナビに字を入力しても出て来ません。

例えば「美ら海水族館」(ちゅうらうみ)と読みます。

中城城 三の郭」(なかぐすくじよう みーぐすく)です。

世界遺産となっている城跡です。

竜そっくりの樹木

「斎場御嶽」(せーふぁうたき)に向かいました。読み方を知らないとカーナビは使えません。

目的地を通り越したのも気が付かずに、カーナビの指示どおりに延々と走り今度は漁村の細い道を通って、気が付けば元に戻るような案内でした。途中、バイクの郵便配達の方に聞いたり、工事の方に聞いてやっと目的地に着いたくらいです。それだけ迂回路が無いと言うことです。ここでも30分以上はロスしていました。

本来は男人禁制の場所でした。これら具体的なご説明は後ほどに・・・。

ここでランチしました。確かにせいふぁーと書かれています。「斎場御嶽」がせいふぁーと読めますか?

沖縄のほとんどが、どこへ行っても海ですね。

ゴーヤのジュース(ドリンクバー)です。

せいふぁーそば(豚足入り)*いわゆる沖縄そばの味だと思います。

食べたかったポークソテー(2,000円くらい)は売り切れでした!

女房はビーフカレーです。普段は少食で残すくらいですが、美味しいと完食していまました。

4日間で県内(本島)を400km以上走ったと思います。

沖縄の夕日です。

沖縄テレビもニュースやコマーシャルも郷土色で面白い。

同じマンションの8階で乗り込んで来たおじさんです。(大阪から沖縄に移住して5年とのこと)この様なバイクを乗っているのが格好良い!

帰宅してからまとめてご紹介いたします。

 

Hiro


沖縄をドライブ

2023年07月25日 | なかま道志ベース

今日は久しぶりに道志に入っています。中央道は相模湖付近での事故渋滞が発生していました。

・・・・

前日は現地の友人にご馳走になり、沖縄料理を堪能いたしました。遅い時間まで起きていたので、結局 4時間ちょっとの睡眠です。

この日は北部の「沖縄美ら水族館」(ちゅらうみ)方面に向かいました。

青い空と青い海です。沖縄市から約100km先の美ら水族館まで高速道を使って約2時間の場所です。

友人からお揃いのTシャツをいただきましたが、サイズ交換できると、大型スーパー「サンエー」で私の分を交換してもらいました。LからLLにです。コストコより売り場面積の大きいスーパーです。

お洒落な店もたくさん有ります。57年前の沖縄は、歳月の流れか?浦島太郎でした。

恥ずかしながら、この年齢で(じいさんとばあさん)のペアルックです。

今でも比較的仲の良い?夫婦だと思っています。50年間にはいろいろとありましたけどね。

女房も普段だと助手席に座ると、すぐに目を閉じますが今回は一度も寝ませんでした。それだけ運転手(私)に気を使っているのでしょう。

水族館の魚たちもハートマークで歓迎してくれるように見えました。たまたま見えただけなのでしょう。

向こうに島が見えますが、名が分かりません。

ジンベイザメが出迎えてくれます。

インバンドか?海外の方が半数を占めています。基地がありますので米軍のご家族?もです。暑いですねぇ~と英語で話しかけました。このくらいの会話はできます。

さかな君が出迎えてくれました。

ジンベイザメのご登場です。ジンベイザメと人間の大きさで、どのくらいかが想像できると思います。

こんな大きな伊勢エビも!

潜っていた頃を思い出します。サイパンのグロッドに似ています。

館内を結構歩きました。気が付くと女房は帽子をどこかに落としたようです。

受付に聞いても、届いていないとか・・・。もう5年以上使ったので諦めていました。

同じ敷地内にあるレストランで遅い昼食にしました。

ビュフェスタイルですので、欲と二人ずれです。端からチョイスしましたが・・・。

やはり残しました。また、食べ過ぎました。

係の方が食事が終わりましたら、このカードを裏返しにしてくださいと・・・。

日本語では、「食事が終わりました」と英語では「FINISH EATING」とあります。食事が終わったならば過去形?になるかと思います「ED」が必要だと思いました。正確には「FINISHED EATING」かも知れません?

その後は、近くのプラネタリューム館に行きました(館内撮影禁止です)

女房は上映中ずっと目を閉じて、体は傾いています。お疲れかなのかな?

展示場だけでパチリできます。沖縄の歴史は南西諸島からなのでしょう。いろいろと感じるものがありました。

島を渡る大きな橋が見えます。帰り道は5時を過ぎていましたので、どこもかしこも渋滞になっています。沖縄は車社会ですので、そうなるのでしょう。意外と交通ルールは守り、スピードは出していません。

今の時代、カーナビが頼りです。帰るマンションが分かりません。オーナーに電話し住所を聞きました。帰りは渋滞で結構かかりましたね。

コンビニに寄って、ビールと夕食用にと品を買い求めましたが、昼に食事をとり過ぎたためにビールを飲んでバタンキュウーです。

起きてブログを打ち始めた頃は、辺りはまだ夜明け前です。

6時になって辺りが明るくなり、沖縄の日の出を迎えました。

次は南部方面に行く予定です。

 

Hiro


勘違い?(アクシデント)が多すぎる沖縄旅行

2023年07月24日 | なかま道志ベース

先日、57年ぶりに沖縄に入りました。

沖縄の夜明けです。少し雲が掛かっていますが、日中は晴れるかと思います。

さて、その日は早めに家を出ましたが道中トラブル続出です。すべて私の勘違いや不注意からの始まりでした。

羽田飛行場へのルートや到着時間もチェックして、少し早めに家を出ました。羽田までは5年間も勤め慣れたルートです。女房にも楽させたいと総武線で座って行くことにしました。

最寄りの駅はサラリーマンなどでかなりのごった返しています。総武線(鈍行)でなんとか座ることが出来ました。

総武線・山手線・モノレールで飛行場へ向かう予定でした。それは総武線の乗り換える駅からトラブル?が始まりました。

あんなに通勤で慣れていたと思ったのですが、乗り換える駅を勘違いしてしまい、総武線は神田には止まらず錦糸町付近まで行ってしまいました。

間違いに気づき慌ててホームを変えて御茶ノ水まで戻りました。東京方面に乗り換えて神田で山の手線に乗り、浜松町でモノレールです。この間30分以上はロスしています。早く家を出て良かった!(安堵です)

今まで通勤で見ていたモノレールからの景色です。勤めていた会社ビルも見えます。

なんとかJALの第一ターミナルに着きました。

チェックインを済ませ、出発時間まで50分はあります。

この飛行機に乗りますが、またもアクシデント(不注意)の発生です。ポケット入れたはずの登場券がありません。カウンターに行きその旨を伝えました。受付の方はお名前は?と言われ告げると、届いていますよ・・・。どこかで落としたのでしょう。拾われていました。

ふぅ~です。

座席も後ろの方で中央です。周りには子どもさんがたくさんいました。泣き声や騒ぐ声の中のフライトです。

沖縄空港も凄い人です。着陸態勢に入っても待機の状態で旋回しています。

インバンドでどこもかしこも外国人が多く見受けられました。私どもの年齢層は見受けられません。昔の沖縄の面影などは全くありません。

沖縄の移動手段はほとんど車です。したがって、私たちもレンタカーで移動します。しかし、そのレンタカーが確保できません。沖縄の友人に頼んで、予約を入れました。

この列はパジェットレンタカーと言う、事務所まで送る車待ちです。ここでも30分以上は費やしました。

レンタカーの受付です。順番に呼ばれますが、またかなり待たされました。

今、沖縄はレンタカー不足で予約するのも大変です。

飛行場では外国のご家族の方が簡単にあると思った思ったのでしょう。レンタカー予約がいっぱいで、どこにもないと途方に暮れていたのが印象的でした。

一時間後にやっと、車にたどり着きました。カーナビに目的地を入れても良く分かりません。スマホと並行して、沖縄市の宮里に向かいました。

途中休憩のために、中城と言うサービスエリアに寄りました。

女房はお腹が減ったと、ソーキそばを食べています。美味しいと言っていました。

友人に電話を入れ、宿泊するマンションのオーナーにも連絡を入れました。

高速道を利用しましたが、料金は370円でかなり割安感があります。これも政府の沖縄支援の一つなのでしょう。

米軍基地近くの街並みです。

やがてマンションに着きました。オーナーさんが手を振っています。二人で一泊3000円とのことです。オートロックキーの使い方を教わり室内に案内されました。

12階からの眺望で驚きはここから始まりました。

部屋は南西の角地です。すべて揃っています。歯ブラシだけ持って来てくださいと言われましたが、ちゃんと用意してありました。

広いリビングとキッチン、3ベッドルームなどこれがマンション生活なのかと思うくらいです。マッサージ機と大きなテレビが置いてあります。

何も余分なモノが無いので、雑然とした我が家とは異なります。庭掃除や草刈りも必要ありません。実に合理的な住まいです。

沖縄の友人も来られました。

返還前(57年前)の身分証明書を持参し、お見せいたしました。これは貴重なので将来は沖縄の資料館に寄付して欲しいと言われたくらいです。

道中の雰囲気も当時の面影は全くありません。

その後、夕食に向かう途中嘉手納基地に寄りました。

夕刻6時は過ぎていますが、米軍の飛行機などが旋回や着陸訓練?を行なっています。

やはり、基地の沖縄を実感いたしました。

女房と、また友人と基地を背景にパチリです。

その後、マンションのオーナーと友人とで、行き付けの居酒屋なのでしょう「KAI」と言う店に案内されました。

オーナーは先に入っていて、待っていた様子です。

さぁ~、キンキンに冷えた生ビールで乾杯です。

沖縄ならではの料理を出していただきました。

刺身もこだわりがあって美味い!

豚のどの部位だか分かりませんが、トロトロに揚げてあります。

ヘチマとコンビーフと沖縄豆腐の・・・名は忘れました。まさに沖縄味です。

この小魚も酒のつまみには最高です!

チャーハンのようですが、トロトロのあんかけ?のようなものをかけていただきます。

ドギーバックとして持ち帰りたいくらいでした。

いやぁ~、いろいろと話しましたね。疲れましたが楽しい一日でした。

タクシーを呼んでいただき、地理に不案内ですので行き先を運転手に伝えてくれました。

またも、アクシデント発生です!

タクシーの運転手はここですと、言われマンションに入りました。

オートロックキーを当てても、ドアーは開きません。ちょうど降りて来た方のスキを見てエレベーターに乗り込みましたが、目的の12階まで行けません。

マンション前には小さな公園があった筈ですが見当たりません。駐車場を見ても違うマンションのような気がします。

にっちもさっちもいかず、オーナーに電話しました。代行車を引き連れて来てくれました。

女房が近くのマンションを探している時に見つけてくれたそうで、同乗してきました。やはり違うマンションだったようです。オートロックキーが使えない訳です。

そこから3分ほど走って、このマンションに到着しました。部屋に入ると長い一日の疲れ(勘違いや不注意)がどっと出た一日でした。

年取ると、臨機応変には物事進まないのが実情でした。

 

Hiro


ちょっと暑すぎるんじゃない!

2023年07月23日 | なかま道志ベース

昨日、沖縄から帰宅しました。沖縄の方が過ごしやすようにも思えます。

うだるような暑さとはこのことを言うのでしょうか?

名古屋が39度。東京が37度。そして沖縄は33度です。

テレビ報道でも、熱中症や暑さ対策が中心になっています。

エアコンの効いた(利いた)部屋?どちらの字が正解か分かりません。要するに涼しい部屋から出れません。こんなモノを飲んで体を冷やしています。

〆はいつものいいちこをコーラで割る飲み物です。いいちこのコークハイ?ですかね。

先日は血圧の薬なども少なくなってきましたので、かかりつけ医に行って来ました。

同級生の医者ですが、少しづつ引退の方向のようです。今では娘先生が医院長で奥さん先生で頑張っています。「Hiroさん 次は採血とエコー検査をしましょう。その次は胃カメラを撮りましょう」と宣告されました。

以前(もう少し若い時に)腸閉塞のような症状で救急車を呼び、2週間入院したこともあります。大腸の内視鏡検査は何年か前に施しましたが、やはりS状結腸憩室炎で内視鏡検査する条件までかなり下剤(2~3リットル)を飲んではトイレに駆け込で検査をしていました。

持病とは言えこの検査は辛いものがありあります。

医者の車はこれです。

私の車はこれです(女房のです)。

この違いは何なんでしょう?しかし年金生活者で自由時間はありますが、医者はかって休む訳にも行きませんので、どっちが得かです。

現職中の後半は出勤も社長より遅く、昼過ぎには若い方に任せてじゃ~ね!と言って社長より早く帰宅していました。電子化された出勤簿は、担当の女性が上手く?やってくれました。週に2~3回出社のアドバイザーの時でした。これはここだけの話です。秘匿でお願いします。

自宅で収穫したモロッコインゲンやナスです。モロッコインゲンは収穫の峠を越えたかと思います。

キュウリは近くの無人販売所で3本が100円で買い求めて来ます。

やはり、刺身や鰻が美味しいですね。

今日は東京より涼しい(凌ぎやすい)、沖縄に行って来ます。

沖縄の友人が、キンキンに冷えたビールを飲ませるとのことです。地元の方しか行かないステーキハウスのようです。この方と中国の上海や青島に行った時に出されたビールが常温でした。お互いにこれはビールじゃない!と目があったことからです。

後日、沖縄のことはご紹介いたします。

明日は道志に入るつもりです。

 

Hiro


家系図も分かる過去帳

2023年07月22日 | なかま道志ベース

昨日、沖縄から帰宅しました。旅疲れか少々バテ気味です。

7月16日はお盆の送り火を焚いて、ご先祖さま(母は新盆として)あの世にお帰りになりました。

道志辺りは8月のお盆さんなのでしょう。

迎え火は、お盆に自宅へ帰ってくるといわれる先祖の霊を迎える目印として、玄関先や庭などで焚かれる火のことを言います。

送り火は、お盆の終わりにまたあの世へと戻る先祖の霊をお見送りするため、迎え火と同じように玄関先や庭などで焚かれる火のことです。

仏壇前のほうずきは自然界の灯りとして、キュウリ馬は早く来てほしい。ナスで作った牛はゆっくりお帰りください。との意味があります。

手持ちの提灯はご案内するためのものです。

なんのお構いもせずに、お盆さんは終えました。

お位牌も並びます。

・・・・

過去帳です。

この過去帳は日めくりになっており、何日に亡くなったかが記されています。

この過去帳は月命日と言って、めくった日に亡くなった故人の年月日や戒名と続柄が記されています。

故人を偲び、話しかけることも良い供養になるかと思います。

8日には、先代の興助の父である市右ヱ門が明治15年2月8日に亡くなったと記されています。また、9日にはお爺ちゃんの榮次郎の妻てうが81歳にて、昭和57年12月9日に亡くなったことになります。

28日を開くと母幸子の夫である芳夫が83歳で平成11年9月28日に亡くなったと記されています。

最後のページには、この過去帳を作り直した年月日や誰が(母が)菩提寺にお願いして作成したとあります。

これら過去帳と戸籍謄本などから自分の家系図(五代くらい前から)を作ることが出来ます。

今では電子化されていますので、更に遡って調べることも出来るかと思います。

私も作って見ました。難しいのは生前戒名や隠居して名前を変えたりがあり、年月日が異なったり、同一の方が改名したりでそれを解明に時を要することもありました。

これもこの家や菩提寺を守る方(私長男)の宿命?役割?なのでしょう。きっと、ご実家に行けばこの過去帳はあるかと思います。

急に自分が生まれて来たわけではなく、延々と続く祖先から引き継がれて(縁あって)今の自分がいるのですから、どのような状況か分かりませんが、先祖を大事に敬うことも私は必要かと思います。

・・・・

「曼荼羅」

我が家の仏壇の上には「曼荼羅」が三幅飾ってあります。これは過去に先代が寺(身延山)の五重の塔を建立する時に、ご寄進(多額な寄付)をしたお礼状のようなものです。

一番古いものですと、慶応二年とあります。157年前のものでした。

・・・・

暑さに負けず、コスモスは元気に咲いています。

この日の夕食はソーメンでした。

あとは手巻き寿司です。2割引きでしたので買い求めました。

マーボー豆腐と餃子です。

日中は水やりをしながら、野菜の収穫です。

今日の大谷選手は4ホームランのワーストですが、打撃陣が打ってくれたので、勝利投手になりました。

何でも良いので大谷選手が活躍してくれると嬉しいものです。

女房の中学校の後輩でもある大相撲「竜電」も勝ち越しています。今日はどうなりますかね?

 

Hiro


長年一緒にいると会話は短くなります

2023年07月20日 | なかま道志ベース

夫婦50年になると、会話が短くなります。主語や述語が無く、時には意味が分からなかったり、行き違いの時もあります。

例えば、朝食の準備をしているときに「コーヒーができたわよ」と言う代わりに「できたわよ」です。

えっ!「できたわよ」だけでは、何が出来たのか分かりません。

ビジネスや学校では、会話の基礎は5W1Hと言って、When(いつ)・Where(どこで)・Who(誰が)・What(何を)・Why(なぜ)・How(どのように)があります。

これに当てはめると、「先週、駅近くのコーヒー専門店で、ガテマラ豆を焙煎してもらい、私が、今朝、焙煎したてで美味しいから、そのコーヒーを淹れてたのよ、飲む?」と言われてもよそよそしいだけですが、「できたわよ」だけだと、何が?と言いたくなります。これは一例です。

*この年はダンスの試合で2度優勝したため、ダルマ2つに目を入れました。

・・・・

きっと、主語の無い(短い)会話は夫婦が共有している空間や時間ですので理解しているかと思っているのでしょう。

趣味や興味を持っている場合、「明日のコンサートに行く?」と尋ねる代わりに、「明日、行く?」とか、「練習は?」になってしまいます。これは「ダンスの練習に行きますか?」が正解なのです。

特定のトピックや情報に関しては、長年の夫婦だと主語や述語を省略しても通じると思ってしまうのでしょう。確かに通じることが多くありますが、分からない時もあるのも現実です。

また、長く夫婦でいると、「あれ」「これ」「それが」で会話は成り立ってしまいます。何かの宣伝ではありませんが「お~い」と言えばお茶が出ます。これが長年連れ添った夫婦かも知れません。

・・・・

私は・誰が・など「は・が」主語になります。主語が無くなった(無くてむ済む)夫婦の会話です。

動詞は行く・歩く・休む・飲む・捨てるなど、語尾を長くすると「う」が付くものをいいます。述語は、どうする・どうんなだ・なんだ・ある(いる・ない)などです。動詞と述語だけで、会話が成り立つもの不思議です。

*女房の田舎の田舎(母方の実家)山梨県大塚ですが、正三お爺ちゃんと安平おじさんと女房です。

・・・・

ちなみに、英語だって、主語・動詞から始まり、目的語や述語になりますので、結論がすぐに分かります。日本語は最後まで聞かないと分かりません。

「私はこの夏は、沖縄には行く。(行かない)」が日本語です。英語ですと「私は行く、この夏は沖縄へ」となります。

実際に、喪も明けて沖縄の友人より冷たいビールを飲まないか!とお誘いを受けましたので、女房と行ってきます。久し振りに夫婦のんびり・ゆっくりの旅を楽しんできます。念願の金婚旅行かも知れません。私たちにとっては、これで十分です。

*画像はネットより拝借しました。

・・・・

昭和48年3月18日に結婚し、今年で50年経ちました。

今年は3月に交通事故で被害者になり、4月には100歳越えた母が他界し、気力や体力もなんとなく衰えを感じ、節目の年になりそうです。元気で生活できるか、下って行くのか自分の気持ち次第だと思います。

*両家の家紋も結婚した時に描きました。

女房と義母が米寿の祝いを山梨の富士屋ホテルで行いましたが、甲府盆地を見ながら親子の会話中(方言での)をパチリしました。心温まる親子の会話のように思えました。

今は二人の両親はいなくなりました。みなさんとそうだと思いますが、喧嘩をしたり、笑ったり、いろいろとあった人生の50年です。

きっと、短い会話で済むようになった年齢と結婚生活です。

よく、話で出てきますが、「生まれ変わったら、私は再び女房と出会いたいですね」やさしく好き勝手にやらせてもらいました。常にお釈迦さまの手のひらの中にいる、孫悟空のようにです。

女房は、次は違う人が良いと言っていました・・・。

今日は2日前から、沖縄に来ています。

 

Hiro


ブログでは自分の仕事などは証していない

2023年07月17日 | なかま道志ベース

各種のご紹介している内容から想像は付くかと思いますが、これまでの職業は証していません。もちろん知り合いなどで、ご笑覧いただいている方はご存じで。。

内容はほとんど同じなのですが、もう一つメインのブログを発信させていただいています。

世界最大の廃棄物です。

今でも、フィリピンなどでは生活のために、廃プラを集めている子どもたちもいるのが現状です。

最近は特に、気象変動などで地球全体に大きな影響をもたらせています。

人類が遊動生活から定住生活をして、縄張りをつくり氷河期も含めて1万年の間に大きな地球変動を起こしています。

そこには、戦いあり、憎しみあり、飢餓あり、環境や人種問題もしかりです。知らずの?うちにそれらに巻き込まれています。もちろんそのオポジット(逆)の場面もあります。

東日本大震災を代表的な事例として、特に日本は自然災害と戦ってきました。

今でも、テレビ報道では連日 豪雨災害など放映されています。

梅雨明け予想だとか面白おかしく説明していますが、これで良いのでしょうか?

報道によって、自分が侵食され行くような気もいたします。

自分の周りでのそんな緊迫感は他人事になってしまっているような気もいたします。自分以外の誰かが解決してくれるだろうと・・・。

私もそうですが、ブログには毎日の出来事(飲み会や園芸など)が中心的な話題としてご紹介しています。

職業はもちろんのこと、社会への批判などもなるべく取り上げないようにしています。

*小筆で書いている日記には別で、個人的なことや世の中の不平や不満、そして日常の生活を記しています。

私が18歳の頃(57年前)は、沖縄は日本ではありませんでした。

沖縄に行くのも、政府発行の身分証明書も必要でした。

持ち込むお金もドルです。車も左側通行でした。これらは後日ご説明いたします。

石垣島なども、現地で知り合った学生と意気投合して、野宿をしながら夜が明けるまで話し込み込みました。本土(内地)と占領下にある沖縄の状況などもです。

世界の救世主と思われる若い米国の大統領も誕生しました。

米国の大統領になった、ジョン・F・ケネディ―はテキサス州のダラスで暗殺されました。

強いショックを覚えて、何年かして暗殺さてたダラスにも行ったことがあります。

絶対にありえないことがフェイクニュースから端を発し、ついにベルリンの壁崩壊しました。

ベルリンの壁のレンガブロックです。これも同じく現地に出向き、風や状況を確認しに行きました。世界が変わる出来事だからです。

米国での単身生活や、苦労の連続だった仕事?(楽しいこともたくさんありました)をもう一度出来るかと言われたら、断るのでしょう。

若さがあったから出来たことで、今では冒険や戦う気持ちも薄れ、到底無理だと痛感しています。

いろいろな思いもあって、拙ブログも現職時代の職業内容(所属など)は、秘匿にさせていただき証していません。

・・・・

先日、道志で起きた事故ですが、知り合いなので心苦しいものがあります。

YBS山梨放送(ネットより)

「重機横転し岩に挟まれ男性死亡 道志村の山林で倒木回収作業中」15日、道志村で森林保全のボランティア活動中の男性が油圧ショベルと岩に挟まれ死亡した。

死亡したのは、神奈川県横浜市に住むTさん(66)だ。警察や消防によると、同日午前10時20分過ぎ、道志村馬場の山林で重機の下敷きになったと、同じ作業をしていた人から通報があった。

Tさんは倒木を回収する作業中に、運転していた油圧ショベルが横転し、重機と岩に挟まれた。

その後、都留市内の病院に搬送され、死亡が確認された。死因は胸部圧迫による窒息死だった。とのことでした。

警察は詳しい事故の原因を調べている。との内容でした。

同じ地域の別荘にお住まいだった方です。まだ、信じられず呆然としています。本当に本当に心よりご冥福をお祈りいたします。

 

Hiro


7月のお盆(東京)

2023年07月16日 | なかま道志ベース

ご存じかと思いますが、13日は盆の入りで迎え火を焚きました。母の新盆にもなります。

また、今日は送り火です。

・・・・

*はじめに、昨日の昼ごろに訃報が入りました。同じ道志の別荘仲間のお一方が、重機で倒木を除く作業中にバランスを崩して、横倒しになり岩と重機の間に挟まれ搬送先の病院で死亡が確認されたとのことです。事故が起きたのは10過ぎとのことです。

私より10歳近くお若くまだ66歳だとか、器用な方で木工細工を趣味として、表札やスプーンまで彫って作り上げる方です。残念でたまりません。ご冥福をお祈りいたします。

・・・・

さて、場所によっては、新盆は親族はもちろんのこと地域の方々(組)も集まりお線香を上げていただく風習もあります。女房の実家(山梨)などは、いまでも行われています。

東京では、迎え火や人が集まるような風習はほとんど見かけることが無くなりました。

火を焚くことが身近だった昔と違って、現代は集合住宅や住宅街など、防火上の理由で送り火を焚くことが難しい住居や地域が増えています。そういった家庭では、送り火に代えて室内で電球式の盆提灯を灯すこともあるようです。

でも、古い人間ですので、また出来る環境と自分の責務として行っています。きっと、私の代まででしょう。

不思議と玄関で焚いた煙が家の方にたなびいています。この煙に乗ってご先祖が帰って来たのでしょう。

さて、先祖の霊を迎える目印の「迎え火」、お見送りの「送り火」とはです。

迎え火は、お盆に自宅へ帰ってくるといわれる先祖の霊を迎える目印として、玄関先や庭などで焚かれる火のことを言います。送り火は、お盆の終わりにまたあの世へと戻る先祖の霊をお見送りするため、迎え火と同じように玄関先や庭などで焚かれる火のことです。

13日の夕方に焚くのが一般的ですので、玄関先で焙烙(ほうろく・素焼きの小皿)におがら(皮を剥いた麻の茎)をのせ、火を点けて焚きました。

仏壇もそれなりのお飾りいたします。女房の実家(長男坊)桃や新盆のお香典が届きました。山梨の実家ではこのような風習が残っています。気持ちが伝わります。

先日の飲み会の帰りに、バス待ちの間に花屋さんでほうずきを買い求めてきました。

ほうずきは自然界の提灯とも言われています。お盆が明けたらこのほうずきで、また水に浸けオブジェを作ろうかろ思っています。

遅まきながら、ご先祖をお迎えするために玄関を掃除しました。

もっと早くやる予定でしたが、あの暑さ続きでしたので当日の朝から昼間まで草取りや掃き掃除をしていました。

先日もご紹介しましたが、我が家には灯篭や石などがたくさんあります。

石にはそれぞれ顔(紋様)があって、先代はそれを趣味にしていたのでしょう。

水を打つときれいな紋様が表れます。確かに贅沢な趣味かも知れません。

その日の昼過ぎから床屋(理容院)に予約を入れていました。前日の飲み会疲れか?肩を叩かれて目が覚めました。カット中は熟睡していたのでしょう。気に入っている床屋さんで店主は80歳近いかと思いますが、職人さんですね。丁寧にカットしマッサージも長時間です。1時間半要します。4,800円です。

帰宅して遅い昼食です。

女房は仕事ですので、自分で作ります。ベーコンエッグにふりかけでいただきました。

モロッコインゲンが採れ過ぎて、それを使ったワンタンスープを冷やして置きました。

トマトも熟しています。収穫しました。

何ユリか分かりませんが、切り取って部屋に飾りました。良い香りがしています。

種から育てたコリウスです。道志に植えたり、人さまに差し上げたりしています。

迎え火をして、夕食と晩酌タイムになります。一昨日は飲み過ぎて、冷やし麺にしてもらいました。こうして日常生活が過ぎていきます。

日中には友人から、小型船舶の免許更新が近づいているとの連絡がありました。予定では9月に入ってとのことです。受講日(更新日)のあとは、回らない鮨屋さんに行くつもりです。

毎日、結構追われ感があります。今日は送り火を焚いて、ご先祖様をお送りいたします。

 

Hiro


書道家さんと一献

2023年07月15日 | なかま道志ベース

どうしても飲み会も含めて、集まりなどは同じ趣味とか、同窓、同業者、ママ友など限られた気の合った同士になってしまいます。

この駅も電車が地下になり、線路が無くなった地上の広場は見違えるように大きくなりました。

今回は三人で一杯やることにしました。陽も暮れ始めていますが、まだ暑い夕刻の5時が待ち合わせです。

駅前広場から歩くこと7~8分の「しとむ」と言う寿司屋さんにしました。

ふと、こんなネットワークも面白いかな?と思い、その機会を作りました。

書道家の内田藍亭先生とある業界の方と私です。

書道家さんとしての職業は、お教室で待っていても生徒さんは高齢化も進み減少することでしょう。積極的に間口を広げることも大事だと思いました。

先方はある業界の方ですが、その方もいろいろな看板など(直筆で)も書いてくれる方が高齢化で少なり、気軽にお願いできる少なくなったようです。

内田藍亭先生にお願いして(名刺代わりに)色紙を揮毫(きごう)書いて差し上げたらどうかと提案いたしました。

ご夫婦のお名前一字を入れたものです。事前に奥さまのお名前もお聞きして置きました。

大変驚かれた様子で、雅印(はんこう)の押し方や意味も説明されましたが、奥さまも大喜びすると言っておられました。

なんと、私にも色紙をいただきました。「水遠山長」(すえんさんちょう)の揮毫です。

大意は、山が高くそびえているように、高潔である。川の水が滔々(とうとう)と流れる用に、遺風が人々に伝わっていく、と言う意味です。私にはもったいない色紙の揮毫です。

予約だけしましたが、料理はお任せでお願いしました。(料理は3500円)

お二人の共通点は若いころはサッカーをされていたり、各県の話が話題になり盛り上がっていました。

ビールも良いのですが、冷酒も美味しいですよね。二合徳利が何本もです。

異業種間のネットワークも、いろいろとつながりで大きなお仕事も入りそうで、藍亭先生も喜んでおりました。

途中、安〇さんからメールや電話がありましたが、奥さまはニュージーランドの娘さんのところへお出かけで、一人外食を続けていたそうです。お誘いの電話を入れたのですが・・・。「行きたかった~」と連絡が入りました。時遅しです。

私は普段から、異業種や他の趣味の方などとお付き合いさせていただいていますが、ネットワークも広がり、自分自身の引き出し?も多くなり、あの人に聞けば何かつながると言われています。

コロナ禍も5類になり、この年齢でもお誘いが多くあります。お盆明けには女房と沖縄に行こうかと計画しています。これも沖縄の友人のお誘いです。14階建ての海が見れる絶景のマンションですが、一泊が夫婦で3000円(素泊まり)とのことです。3ベッドあり何でもお使いくださいと・・・。今の沖縄は観光客も多くレンタカーが手配できない状況です。現地で探していただきました。また、地元の方しか行かないステーキハウスとオリオンビールを用意して置くとのことです。

今回の異業種とのネットワークづくりも大成功でした。どちらの方もWin-Winで大喜びです。

駅前も日中よりだいぶ涼しくなりましたが、まだ夏の盛りです。

硬い握手をして別れました。

混んでいたバスも、自宅付近ではだいぶ空いてきました。

ブログでいろいろな方のを拝見していますが、私にとっては他の生活感を拝見させていただき、良い刺激にもなっています。

13日は迎え火でしたので、玄関前を清掃し仏さまを向かい入れました。

 

Hiro


夫婦の会話は短い

2023年07月14日 | なかま道志ベース

「暑いなぁ~ 暑いですね」夫婦の会話は短くこんなものです。

先日の東京地方の気温は全国でも最高のようです。特に八王子付近とか?!

庭のトマトも採れ過ぎて、冷蔵庫にたくさん入っています。

それならばと、トマトシチューでも作るかとルーを買い求めに行ってきました。

間違えて、トマトハヤシライスのルーを買ってしまいました。男料理ですので何でもOKです。

はじめに湯を沸かし、道志のジャガ(この時はメークイーンと皮が赤いレッドムーン)を茹でました。玉ねぎを切って鶏モモ、ニンニクを潰して炒めました。

トマトの皮を剥いて、鍋に入れ煮込むだけです。

我ながら美味しく出来ました。

いただいた らっきょうも合わせです。

気温がどんどん上昇してます。

ゴーヤの花も咲き、実も収穫しています。

元気なのは草花だけでしょうか?

余りにもの暑さで、顔を冷やしました。

個人情報保護のためです?

 

Hiro


続けて、蹲(つくばい)の話

2023年07月13日 | なかま道志ベース

蹲踞(つくばい)と読みます。蹲(つくばい)この一字でも。

つくばいは、日本庭園に置いてある背の低い手水鉢(ちょうずばち)で、和風の庭園に欠かせない添景物となっています。

手水鉢は手や口を清める水を張った鉢のことです。石や岩をくり抜いて水を溜め、手水で身を清めるためのひしゃくを添えているのが特徴です。手水鉢は神社に置いてあるので、みなさんも一度は見かけたことがあるかと思います。

この手水鉢を茶室前の露地に置いたものがつくばいと呼ばれています。茶道には茶室に入る前に身を清めるしきたりがあり、庭につくばいが置かれるようになりました。

なんだか、我が家にはいくつもの蹲踞が置かれています。この蹲にはメダカを飼っていますが、水が腐らない石のようです。確かに他の蹲踞とは異なり、水が濁りません。

つくばいは鉢が低いため、手と口を清める際には前かがみになることから、それが蹲(うずくま)るように見えたことから「うずくまる」と同じ意味の「つくばう」からその名前で呼ばれるようになったのです。正式には?「蹲踞」と書くようです。

現在においては、風流な景観づくり、涼感を得る目的、ビオトープなどに用いられることも増え、ビルやオフィスの入り口や緑地などでも見かけるようになりました。そう、和風の飲食店の入口にも置いてあります。
噴水付き、室内用など時代にマッチしたつくばいも出てきて、思い思いに演出を楽しむ人が増えています。

母があるホテルの庭に置いてあるでこの鶴見て欲しくなり、マネージャーさんに聞いて(あとから連絡があり)取り寄せたものです。

大きな石ですが、滝のように見せかけたものです。三分の一は土中に埋まっています。

先代(祖父)が石を置くのが趣味だったようで、家のいたるところに天然石があります。

石の色や模様(顔)にも特徴があり、これを趣味とすうるのが一番の贅沢と言われていました。今では無用の長物で、庭などを撤去した時にはどうすれば良いのか、これからの課題になると思います。

庭の灯篭や蹲踞、そして石などを日々見ていても、一銭の得にもなりません。そのうち撤去する日が来るかと思いますが、重たくて引き取ってくれる方もいないのでしょう。

大きな重機でかみ砕くことになるかと思います。

私にとって、無用の長物と言えば松もあります。一本の松でも職人が二日かかりで、チョッキンとして剪定をしては眺め・・・。その分、管理費用も大変です。

年金暮らしでは維持できませんね。いつまで続くかこんな庭と暮らしです。

道志にもコンクリート製の太鼓橋ですが、ボート池の近くに置きました。車に積み込むのも大変ですし、上の段まで運ぶのも休み休みで1時間以上もかかって運び上げました。

 

Hiro