自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

明治・大正・昭和・今の家族変遷と今後の私

2023年05月31日 | なかま道志ベース

私はもう30年以上前から、新聞の挿絵の切り抜きをしていました。スクラップブックも大量になり、決断して断捨離(すべて処分)することにいたしました。

何十冊もあったスクラップブックです。先日から切り取るのは止めましたが、なんか断捨離するって淋しさもあります。

そんな記事の中で、これはと思う新聞が挟んでありました。読売新聞1994年(平成6年)3月28日(月)のものです。

まさに、私たちの生まれ育った理想の生活環境かも知れません。お父さんが食事の準備をしています。ニュータウンや団地族が多く進出?した時代です。今では団地は建替えられ、ユータウンは買取りですので売るに売れず、子どもたちは他で暮らし、残るは高齢者ばかりになって、また過疎化したところも東京近郊であります。

私の祖父母は明治生まれです。今では明治生まれの方は祖父母くらいの時代です。家督相続した者が絶対的な存在でした。

老いては子に従えですかね。

大正時代です。妻も家族と一緒に食卓を囲むようになった時代です。まだ男尊女卑の時代だったかも知れません。

今では逆転しているように感じます。

大正生まれの方はもう95歳を過ぎていますので、少ない人口比だと思います。先日大正11年生まれの母も100歳5カ月で他界したばかりです。この100年間にはいろいろと経験したことでしょう。

関東大震災や太平洋戦争もありました。古い家に行くと戦争で亡くなられた方の遺影が鴨居に並べられていました。

田舎(女房の実家)ではこのような一家が集まっての団らんだったのでしょう。

女房の親父さんもポッポ屋やさんで、機関区で汽車の整備をしていました。

私は戦後生まれの団塊の世代です。

水洗化した家やごみ収集もほとんどなく、おあい(便所)やごみなどは家庭内で処分していたくらいです。

小学校時代です。中学は一学年で13クラスありました。おそらく、拙ブログをご笑覧いただいている方々も同年配?だと思います。みなさんこんな経験を思い浮かべるかと思います。

その後、バブル期もあいまって高度経済成長となり、田舎の両親を置いて核家族化となりました。切り抜きには「まだ妻が夫に従う・家族もミニサイズとあります。」この少し以前はほとんどが狭い家に家族が川の字になって暮らしていた時代です。これを見た外国の方が、日本の家屋はウサギ小屋みたいだと言われた時代です。

早く、自分の部屋が欲しいと思っていました。

まだ、こんな家に住んでいます。それでもキッチンや居間、寝室などは床暖房になっています。

昭和48年に結婚し、50年経ちました。子どもたちもそれぞれの道を歩んでいます。

やっと自分の部屋も出来て、パソコンも買い求めました。初めて買ったパソコンはアップルのブラックマックでした。データーの容量も少なく、ほとんど飾り物です。

考えて見ると、現在は部屋数が多すぎて困るくらいです。本宅・実家・別荘と3軒を管理することになっています。別荘はいつでも処分できますが・・・。これが今の悩みかも知れません。

現在の私は無職であり、(少しある福祉団体の評議員は仰せつかっていますが)年金受給者です。これが現状です。

やがて、家族の変遷としては、夫婦二人生活から、介護施設にお世話になるころでしょう。認知症で家族の世話をかけたりするかも知れません。

昔は、認知症があったのでしょうかね?しかし、若いお兄さんやお姉さんにお世話になる時が来るのでしょう。夫婦どちらが先か分かりませんが・・・。そのお世話になる蓄えも必要です。

医者通いも多くなります。貯金は増えませんが、診察券と体重が増えてきました。

この時期が、夫婦と子どもたちにもあるかも知れません。子ども世話になることは考えていません・・・。

こんな本を読みたくなる年齢です。近未来の出来事になると思います。

家族(私)の居場所がこのようなところになるのでしょう。

いろいろな施設がありますが、逆に以前 役職など幹部となった方は、その状況や立場を思い出しては施設に対して威張る方も多いとか、特に公務員とか教員に多いようです。

家族の変遷を垣間見たような気もいたします。ちゃぶ台に丸座になって囲み、お茶を飲み、みかんを食べたり、また反抗期があったり、ニューファミリーが出現し、核家族になり、夫婦二人(次男坊はいますけど)になり、愛好していた競技ダンスも体力とコロナ禍の影響で遠ざかり、いつか最後は一人になる日が来るのでしょう。

「お父さん」って頼もしい!!なんて言われたこともありません。

しかし、いつかすれば施設のお世話になって、可愛いお姉ちゃんに世話してもらうことを考えると、それも有りだな?!と感じる今日この頃になってきました。

*一部の画像はネットや広告から引用させていただいています。お許しを!

 

Hiro


湧き水を汲んで帰宅

2023年05月30日 | なかま道志ベース

この日は家の前の道をキャンプ場に向かう車だけで、誰にも会いませんでした。

タンク3つに湧き水を入れて、自家用の飲料水として使っています。*1つが山道で倒れ蓋を良く締めていなかったせいか、車内(シート)は水浸しでした。

こんな大きさのウッドデッキをこの場所に作る予定です。もちろんこんな高さではありません。位置と大きさの確認です。柱や材料は揃っています。生け簀のマスにエサをやり帰宅の準備です。

道志のプロフィールですが、山梨県の東南端、神奈川県との県境に位置し、関東に誇る清流道志川の源流域に属し、緑豊かな山々に囲まれた山村で、古くから「道志七里」とよばれていて、村の約95%が山林となっており、標高も村内で400mから900mと差があり、東西に28kmある村の端と端では季節も一月違うという特徴を持っています。

冬季はマイナス10度近くにもなり雪も降りますが、それにより凍結対応が課題になります。

人口約1,549人の小さな村です。先月より4人増えました。交通機関は車が中心で、バスは通勤と通学時のみだけで、一日に4本だけかな?全くの交通不便地域です。

村内にはこのような雑貨店が2~3軒あるだけで、ほとんどが日持ちする缶詰などがやインスタントラーメンと地元野菜が少し並んでいます。

「道の駅 どうし」も、生活する食費品は野菜や漬物くらいで、土産物が中心です。コンビニもありましたが、昨年?つぶれました。

村民のみなさんは30~40分かけて山越えし、都留市や山中湖方面の大型スーパーで買い物するか、流行の注文して週に1回は運んで生協やパルシステムみたいなものを利用しているようです。*東京の我が家でも利用しています。当然、八百屋はありませんし、鮮魚店もありません。

恋しくなるのは、やはり鮮魚ですね。外国に行って、ラーメンや寿司が食べたくなると一緒です。

道志道はバイクや自転車のツーリングで賑わています。ブログ拝読している「晴れた休日は自転車に乗って」のakioさんタイプの方が喘ぎながらペダルをこいでいます。下り坂は車を追い越すくらいのスピードが出ています。

帰宅してどっと疲れが出てきました。そうだ!鮮魚を買いに行こうとバイクで出かけました。

イカの耳ですが安くて柔らかく、とても美味しく感じます。もう一つの種類は忘れました。

なに貝だったかな?これも忘れました。肉類も好きですが、道志にいると鮮魚が食べたくなります。ほとんどが冷凍モノですからね。

近くの方が熊本産のスイカの半割りを届けてくれました。今年お初です。いよいよ夏がはじまりますね。

道志で何回も試みたワクチン接種のアプリです。次男坊に頼んだら簡単に終えました。入力する場所を間違えていたようです。後日手順をご紹介いたします。

ラインを操作ミスで、オープンにしてしまいました。もう相手に通じているので取り消せないとのことです。しかし、25~6年前にお世話になったダンスの女性先生からリクエストが届きました。しばし、昔話のやり取りをしていました。

私の年齢になると、睡眠時間は6時間くらいだと言っています。でも眠い!睡眠不足を感じます。大谷選手も睡眠が大事だと言っています。

私はまだ、若いのかなぁ~。

 

Hiro


県内でも道志村ってどこ?です

2023年05月29日 | なかま道志ベース

そう 10年くらい前だったでしょうか?私が64歳で、セカンドステージが定年になるころに女房の知り合いから、山梨県道志村と言うところの別荘を譲りたい方がいるとの話を聞いて”行ってみて見ないみない”と言われました。

自宅から中央高速道を利用して、1時間半くらいのところです。

そこは女房の母親の実家(おばあちゃん家)に似ていたのです。実家の人に聞いても、あの大月の方?と言うくらいです。

甲府盆地のちょっと高台で、山梨県西八代郡市川三郷町大塚という場所です。女房は夏休みなどはこのおばあちゃん家で長期に過ごしていたようです。

今では大塚ニンジンとか甘甘娘(かんかんむすめ)と言うトウモロコシが有名な産地です。

ここだって、三郷町大塚はどの辺とハッキリと答えられる方は少ないかと思います。

照子おばあちゃんと女房(孫)と子供たち(ひ孫)です。敷地内を散策しています。好きな画像の一枚です。

やさしい正三お爺ちゃんと長男坊です。もう45年前の写真になりますかね。それが道志と重なって、私より女房の方が気に入ったのでしょう。

今朝の道志の朝です。いつも同じパターンでスミマセン!

来ると雑草などとの戦いですが、木工や焚火も好きで私の隠れ家?(居場所)になっています。

最初も畑でしたが、グランピングスタイルの温室にと木枠で囲んでテントを建てました。しかし昨年の大雪で崩壊してしまったのです。

いまでは畑にしている場所です。特にハーブ園?にしようかと思っています。屋根にシートもかけられます。

雑草取りも大変です。大事な植物も植えていますので、すべて手作業です。

ほぼ一日かけて草むしりがほとんどの作業です。したがって絵になるような画像はありません。

車の洗車もそうですが、自動洗車すると傷や車の状態が分かりませんが、手洗いですとちょっとした傷なども分かります。草取りも同じで、植物の生育状況や土の状態も分かります。広い部分や気にしないところはエンジン式の草刈り機を使いますが、手作業は大変ですがそれなりに発見もできます。

昨日も夕暮れ時まで外にいました。やることや、したいことがたくさんあります。昨日は珍しく3人の方と一寸ですがお話ししました。普段は話す方がおりません。お隣の〇藤さん、地主さんご夫婦(別々と)です。

電話やラインなどでは多くの方々とつながりました。

地主さんのヒロさんが掘りたてのニンニクを持って来てくれました。夕刻に奥さまはキャンプ場のお客さんからいただいた柏餅と美味しいコーヒーです。逆に美味しいサニーレタスも差し上げました。

ジャガイモの花が咲いています。1個のジャガからたくさんの芽が出ています。三本くらいに摘心しました。

ボート池の水を入れ替えています。

庭のいたるところに花が咲いています。

部屋に入りました。今日は動きやすい天気予報です。

作業着も洗濯し部屋干ししました。これが一人生活の現実です。夕食はほとんど食べませんでした。いただいた千葉産の落花生くらいです。

朝食も一人だと質素?になります。接触事故処理・49日忌法要・相続関係(円満に)などいろいろなことを終えて、溜まっていた疲れが出てきたのでしょう。栓を開けぱなしにしていた気の抜けたビールを飲んでいる感じです。

同様な経験をしてる友人とのラインで、それは「脳貧血」と変わりなく、脳に血流が足りない感じと言うのか、満ちて来ない自分がいると言っていました。同感です。

でも、女房に勧められて、道志での通い生活は、草取りであっても無心で作業できることは、私にとっては良い居場所になっています。

道志での通い生活期間はたかが10年ですが、その間にサードステージで品川や羽田方面で満員電車に乗り72歳まで勤めたことやコロナがあって大変な10年でしたが、そんな時に気を紛らわしてくれる道志です。この年齢にして、この時代にして落ち着くところがあって良かったと思っています。

結局、東京から近くても交通の便が良くないので、秘境と呼ばれるくらいです。山中湖に行く通過点に過ぎません。しかし、住めば都とはこのことをいうのでしょう。

 

Hiro


道志の日の出 (久しぶりに入りました)

2023年05月28日 | なかま道志ベース
久し振りの道志です。

正確には4時34分が日の出時刻になっていますが、4時47分に東京方面をパチリしました。今日も良い天気になりそうです。

結論からお話しします。昨日の朝起きた時は快調でしたが、どうやらワクチン接種の副反応か?道志に着いても気だるく感じていました。そして昨日寝たのが午後7時前からで起きたのは今朝3時半ごろでした。8時間48分寝ていたとの表示です。

個人的なことですが、5月21日に49日忌の法要と納骨も終えて、22日には姉や妹と相続の話(母が17年前に残してくれた遺言公正証書に基づき円満解決)、23日は6回目のワクチン接種をしました。

24日朝はワクチン接種の副反応も感じなく、久しぶりにあの富士山を目指して道志に入ることにしました。

車にも苗ものをたくさん積み込み込んでいます。

やはり、頻繁に通って手入れしなければダメですね。

しかし、青い空が見えます。空気は美味い!緑も濃くなってきました。

テッセンも前回同様に咲き誇っています。

草花も野菜類も元気に成長しています。また、雑草もです。ふぅ~です。

農機具小屋も完全にアイビーに覆われています。こんな感じを想像して建てたのです。

青い空と緑の山々・・・贅沢な気分にさせてくれます。

カエルさんも繁殖力が凄く、申し訳ないのですがボート池の水を抜いて入れ替えています。

ワサビも順調?に育っています。実際、ワサビを育てるのは大変です。ネットを見ると床づくりが重要とありました。

夏大根と枝豆です。大根のうろ抜きをはじめました。

うろ抜きですので、まだ小さな大根ですが育てたモノを処分することはできません。袋に入れて保存しています。

大根の葉も炒めたら美味しいかと思いますので、きれいに汚れを落とし水洗いして冷蔵庫に保存いたしました。

好きな絹さやもたくさん収穫できます。これは炒めて滞在中に使いきってしまいます。

草取りでもしようと屈んだのですが、めまいがします。また、気だるく感じます。早々に部屋に入りました。背中がゾクゾクします。パジャマに着替えて軽い夕食にしました。

テレビを付けると、地方局らしい映像です。大相撲「竜電」がやっと勝ちました。女房の中学の後輩になります。私の高校の後輩では、作家の浅田 次郎さんくらいかな?

・・・

もう、寒くて調子がイマイチだと分かりました。ワクチン接種の副反応かも知れません。

女房に電話すると、”早く横になりなさい。やはりいろいろな疲れが残っているのよ!”と言われました。

いろいろな方から、香典返しのお礼やメールが入りましたが、意識がもうろうとして真面なご返事も出来ませんでした。お許しください。

今朝は気分も良くなりましたので、動き出します。つまらない内容でスミマセン!

 

Hiro


6回目のワクチン接種

2023年05月27日 | なかま道志ベース

いろいろなことが片付き、ホッとしている反面 疲れも感じます。

ワクチン接種のご招待状?も届いていました。いろいろと判断して、昨日の予約にいたしました。

同級生がかかりつけ医になっています。彼は理事長となり娘先生が医院長で奥さん先生が小児科医です。近所には各種のお医者さんも多く、特に歯科医と美容院はコンビニより多いかと思います。

前回接種したのは昨年の11月でした。考えて見れば気持ち的にも一番余裕があったころだと思います。あれから5カ月間にいろいろな出来事がありました・・・。

娘先生より、「Hiroさん写真は撮らないの?」と言われました。美人の先生ですが「私の顔はモザイクを入れてね(笑)」と言われました。

経過観察後、気分は悪くないですか?と言われて、このかかりつけ医を後にしました。

今朝、起きてみても全く副反応はありません。しかし、ワクチンを6回も接種するとは思っても見ませんでした。中国ではまた感染拡大しているようです。国内ではインフルエンザが流行っているようです。

昼食は自分で冷凍ちゃんぽんを作って見ました。思ったより美味しく出来ています。女房は仕事です。ミニトマトとプランターで育てているブロッコリーのサラダです。

朝は絹さやと目玉焼きでしたが、絹さやは種から育てたモノですが、もう元は十分に取りましたね。そろそろ終わりを迎えています。

近くの大型スーパーで買い物です。寒いので着込んでいます。最後のお返しものを買い求めに行きました。体調が良ければ今日 道志に入ろうかと思っています。

道志での食材を買い求めています。気が向けばシビエやマスの燻製づくりでもしようかと思いますが、きっとまた雑草との戦いになるのでしょう。

こんなプレートを見かけました。こんなのなら直ぐに作れます。欲しい方がいらっしゃれば作って差し上げます。

今まではこんな花も季節感がありましたが、この寒さでは場違いのような気もいたします。

意味も無く、こんな花束を買い求めました。小さな女房へこれまでのご苦労さんプレゼントです。気はこころですかね。

冷凍していた鰻ですが、炊飯器に入れて蒸しました。ふっくら美味しく出来ています。

ビーフンは食べきれませんので二人分です。

庭で一坪園で育てた春菊も、これで終えました。いま成長しているのはモロッコインゲンです。

また、トマトやナスも育って来ました。日除け代わりのゴーヤも伸びてきました。

植物には四季があり、草花も時期になれば咲きますし、野菜類も旬のものは収穫できますが、人生にはどのような四季があるのでしょうかね。また、人生の旬はいつなのでしょうか?

長い目で見れば、ヨチヨチ歩きから上り坂があり、その後またヨチヨチしながら下り坂になるのでしょう。そんな意味では、だいぶ下って来たような気もいたします。何歳で仕事という定年になるかは人それぞれですが、定年後の長い?過ごし方も考えて置く必要があります。

おかげさまで、平均的な健康年齢は過ぎました。あとはどこまで・・・。です。

いつもご紹介している内容ですが、人生には青い「青春」がある。燃えるような朱(赤)の「朱夏」があり、白色の「白秋」、そして玄(黒)の「玄冬」が、人生の四季なのでしょう。私は「白秋」かなぁ・・・?

 

Hiro


遺言公正証書

2023年05月26日 | なかま道志ベース

早いもので4月4日(桜の花の散るころ)、100歳を越えた母が他界し49日忌法要が営まれました。

法要を終えて納骨したのが5月21日のことです。続いて翌日(昨日22日)に、姉・私・妹の三人で相続に関する話し合いが始まりました。

母は知り合いなどから、いろいろな相続問題などの話を聞いて、我が家ではそんな問題は起きないと思いつつも、関係する税理士さんと話し合って「遺言公正証書」を公証人役場に出向いて作成していました。

あまり内容をお出しするのもいかがと思いましたが、次のような事項です。

長男への不動産相続と義務です。

次に長女と次女に対する不動産について。

母の所有する貴金属や預貯金についても記載されています。

祭祀の承継については長男私の役割となっています。当然のごとく母を送る時も喪主として執り行いました。

遺言執行者も私です。

付言として、母の気持ちが冒頭に記されています。「母が健康で〇〇家が安泰としていられるのは、子供3人が励まし協力してくれるからで、あらためて感謝します。母は3人が仲良く、互いに助け合い、また夫婦相和し、それぞれの家族が健康で幸福であることを一筋に願っています」と17年前に記したものです。

当然、遺言公正証書ですので、これに従ってまります。

49日忌が近づき、私から姉と妹にこの「遺言公正証書」の写しを一読くださいとお送りしました。結果 みなさん、異議はないとのことですべて了承いたしました。

早速ですが、49日忌法要後の翌日に集まり、母の考えや思いを胸に置き和気あいあいとした話し合いの場になりました。

遺言書どおり、先ずは貴金属類の分けになりました。公平に?じゃんけんで順番を決めています。

私は貴金属のことは分かりませんので、女房を代理に立てました。「これあなたに似合うんじゃない?これは大きすぎるんじゃない。」とかで笑い声も聞えます。母の意思を汲んで円満に相続の方向が決まりました。

あとはいつもお願いしている税理士さんにお任せし、財産分割協議書に印を押すだけになりました。

17年前に作成した「遺言公正証書」が有効だったかと思います。

これまで、母の介護やそのほかのことを傍で一番良くやってくれた女房を、姉や妹が感謝していました。

母も安心して、父と再会できるのでしょう。

やはり、まとまるとは思っても疲れるものです。女房が回転すし屋にテイクアウトを買いに出かけました。自転車でしたので中身はひっくり返っています。

なんとか皿に盛り替えていただきました。

ふぅ~とタメ息が出ます。久し振りに良く寝れた日になりました。

 

Hiro


母を送る最後の朝と雑学

2023年05月25日 | なかま道志ベース

5月21日 いつもの朝を迎えました。先ずはお線香を立て仏壇に向かっておはようございますのご挨拶です。

母は我が家での最後の朝食になりました。昨日は四十九日法要が菩提寺で営まれます。

私にとっては75年間お世話になったお別れの朝でした。

四十九日前は霊であり、法要後は仏さまになります。

骨壺や白木の位牌と新らたにお作りした位牌、お写真を運びだしました。運転は次男坊です。私は助手席に座りお骨を持ちました。後部座席には女房が白木のお位牌とお写真を持って座ります。

私の妹には新しいお位牌を抱えていただき、後部にはお花やお供物などを乗せました。

菩提寺に着き、その後姉さまたちも到着し四十九日の法要がは会式されました。

読経を終えて住職からの思い出話しなどがありました。

そして納骨式です。

石屋さんがすでにカロートの石蓋を開けていました。カロートとは遺骨を納め、墓石を支える空間のことです。外からは見えないのですが、お墓の中でとても大切な場所とされています。

お墓のカロートとは | 墓石部分名称 | 三和石材株式会社

カロートは骨壺を保存する内部のことです。

住職がお経を唱えます。菩提寺は日蓮宗ですので「南無妙法蓮華経」です。

骨壺には享年100歳。父は83歳となっています。本来は享年は数え年ですので、母は102歳になります。

「享年(きょうねん)」とは、天から享(う)けた年数という意味で、数え年で考えます。
「行年(ぎょうねん)」とは、この世に生まれて何歳まで修行したかを意味する満年齢です。

私たちが日常的に使用しているのは満年齢のほうで、生まれた時点を0歳とし、誕生日を迎えるごとに年齢を加算する数え方です。
昔は数え年といって、生まれた時を1歳として1月1日(元旦)に歳を加算する数え方をしていました。

カロートの石蓋を閉じ、ご焼香となります。これで納骨式が終了いたしました。

この後、粗飯ですが参加された親族で昼食となりました。

姉さまたちは、その後 高田馬場の菩提寺に行くそうです。

私たちは、新宿を抜けて家に戻りました。

何故か、疲れがどっと出てきました。マサージ機に乗ってうたた寝している私がいます。やはり、いろいろな準備などで疲れていたのでしょう。一先ず、四十九日の法要は無事終えることが出来ました。

雑学です【冷や水をかける】です。

お墓に『水をかけますか?』それとも『水をかけませんか?』そもそもどうしてお墓に水をかける習慣があるのでしょうか?

『お墓にお水をかける』行為と『お墓にお水をかけない』行為はそれぞれ、歴史や地域の習慣によって違います。お寺にお世話になられているかたは、ご住職に聞いてみるのも良いのかも知れません。また、その家の代々の考え方もありますので、ご家族に相談されるのもいいでしょう。どちらが正解というものは無いようです。お墓を建ててそのまま放置するのではなく、お墓に行き、お墓を掃除してキレイな状態に保ち、ご先祖様や故人を思いながら、手を合わせる。という気持ちが大事なのです。日蓮宗はお清めの水として墓石の頭から水をかけています。

『お墓に水をかける』行為は他にも意味があり、亡くなられたかたが仏様になっても喉が渇く為という説もあり、お仏壇にお水を供えるのも、同じような考えといえます。

また、ご先祖様の魂をお呼びするためにお墓に水をかけるという説もあり、その際には1杯、2杯ではなくたっぷりとお墓全体が濡れるくらい水をかけます。これにはたっぷりお水かけてお墓の汚れを洗い清めるという意味も込められています。

一方、地域の慣わしや宗教宗旨宗派による違いがあります。

『お墓にお水をかけない』理由としては、ご先祖様の頭に水をかける行為は侮辱に値するということのようです。簡単にいえば、ご先祖様や故人に対して、『冷や水を浴びせる』ということに繋がるという考えです。また、お水をかけずに、濡れたタオルで拭いてあげるという習慣もあります。直接、お墓に触れる事でよりご先祖様や故人を身近に感じるという意味もあるといわれています。

私は気持ちの問題とおもいます。各宗派のしきたりは、やはり住職からお聞きになった方が良いのでしょう。

【草葉の陰】という意味です。

「草葉の陰(くさばのかげ)」とは、「お墓の下」や「あの世」のことを表す言葉です。他にもいろいろと表現や考え方はあります。

草葉の陰の「草葉」とは、文字通り草の葉のことであり、草が生い茂った場所を表します。後に続く「陰」という言葉には、光が当たらない場所という意味があります。草葉の陰は、「草が生い茂り見えない場所」という意味になることから、墓の下やあの世を表すようになりました。

ここで言いたかったのは、墓石を覆い被さるような木を植えては良くないと言うことです。植えても良いのですが、刈り込んだり手入れすることが必要なのです。草ぼうぼうではお墓はお参りしていない証に思われても致し方ありません。

お彼岸などの機会に、お参りした時にを清掃することによって、自分の気持ちも清められるかと思います。雑学でした。

 

Hiro


葬儀の手順と用語

2023年05月24日 | 日記

御霊前と御仏前の違い そして葬儀の流れ

2023年05月21日 | 自分のブログ

私ごとで大変失礼ですが、先日、母100歳(行年102歳)の四十九日忌(しじゅうくにちき)法要を菩提寺にて執り行うこないました。

みなさまは当然ご存じかと思いますが、先ずは御霊前と御仏前の違いは、葬儀に参列するからには必ず知っておきたいところです。四十九日の前か後か、また宗派の違いによっても異るようです。

また、弔問や会葬に際し、香を持参し、個人の冥福を祈ったことから「香典」と呼ばれるようになったとしています。

お若い方は意外に知らないこともあるかも知れません。

御霊前…死者を敬って霊前を丁寧にいう語。

霊前に供える金品に書き記す語。御仏前…仏前を丁寧にいう語。仏前に供える金品に書き記す語。

その前に、葬儀の流れです。

危篤:

私の場合ですが、施設(病院)から数日前より電話があり、母の状況説明がありました。血圧や他の症状もです。酸素マスクを付けた母の姿がありました。先生は経験的にそろそろと・・・。

あと数日間と聞きました。今では家族葬が中心となっていますので、子どもや孫には連絡し、母の姉妹も高齢なので、この時は連絡しませんでした。

逝去(臨終)

そんな状況を察知して、翌日また病院に行くと医師が立会い臨終を告げられました。

その時に、ご安置はどうしますか?と尋ねられ、知り合いの葬儀社に電話を入れ、1時間後には遺体を引き取りに来ました。私としては一度は自宅に戻したいとお願いし、自宅で過ごしてもらいました。

形では末期の水を含ませることもありますが、一般的には最初の儀式だと思います。

死亡診断書を医師から受け取り、あとは葬儀社さんに届け出などを任せます。

姉のすすめもあって、最期にふさわしい姿にするために遺体に施す身繕いや死化粧ですが、体が硬直しなく優しいお顔になるエンバーミングをお願いしました。20歳は若返った姿になりました。

親族への連絡

家族葬ですので、姉妹や遠方の親族には連絡しましたが、みなさんのご負担が無いようにあくまでも家族葬で身内だけです。それでも20数名はご参集いただけました。

葬儀日程の調整・決定です

菩提寺は私が直接やり取りしました。合わせて葬儀屋さんには火葬場の空き具合を調べてもらい(今は凄く混んでいて、分刻みの状態のようです)住職と日程調整です。

その後、葬儀日程が決まってから、姉妹や親族に状況を説明し、母が亡くなり○○で○○日に葬儀を行う旨を伝えました。姉妹は高齢ですので、代理で出席していただいた方がほとんどです。

その時に献花についてもお話ししました。孫や関係者も合わせて20基くらいになりました。

死亡届の提出など

葬儀社さんがすべて行ってくれます。(逝去してから7日以内です)

その後が大変です。自分で行わなけれなならないことがたくさんあります。金融機関への連絡や年金庁への連絡、健康保険など市への手続きもあります。

遺体搬送・安置

葬儀までの間、故人のご遺体は斎場もしくは自宅で安置します。搬送先を決め、葬儀社に希望を伝えれば、寝台車で安置所まで搬送してくれます。

母の場合は一度は自宅に戻りましたが、エンバーミングをお願いしていましたので、すぐにその施設にお送りしました。その後は葬儀社さんの安置所でお願いしました。いつでも会いに行けます。

葬儀の打ち合わせ

遺体の安置が終わったら、葬儀の打ち合わせに入ります。可能であれば、葬儀社より先に家族だけでどんなお葬式にしたいか話し合っておくのです。

宗派の確認や喪主の決定、遺影写真の選別、会葬御礼の品々もです。

  • 葬儀の形式や規模
  • 予算に沿った葬儀プラン
  • 棺や祭壇、供花などの葬祭用品 *故人の趣味や性格から華やかなものにお願いしました。
  • 通夜ぶるまいや精進落としなどの接待料理 *これが参加される人数の想定や価格を含めてどんなふるまいをするかです。
  • 当日返しや香典返しなどの返礼品 *結構大変な作業になります。

など、葬儀を執り行うために必要な項目を1つ1つ決めていきます。

お坊さん

仏式の葬儀では、読経や戒名付与をしてもらうために、お坊さんの手配が必要です。私は菩提寺の筆頭総代を仰せつかっていますので、住職もそれなりのことを考えていたかと思います。

菩提寺住職と有縁(うえん)の各聖(つながりの濃い聖人お二人で計3人の読経の中で執り行うことになりました。

母は生前戒名をいただいていますので、その辺は問題はありませんでした。先代を含めて最高位の院殿号が付いています。

通夜・葬儀(告別式)

葬儀社さんの施設で執り行いました。

湯灌(ゆかん)・納棺

お葬式で最期のお別れをするために、故人をお風呂に入れてキレイにすることを湯灌(ゆかん)の儀もありますがこれはエンバーミングをお願いしましたので行いません。(父の時は行いました)

副葬品とともに棺に納めることを納棺

故人を納棺する棺には、旅支度の品以外に、生前の愛用品や好きな食べ物など、さまざまな副葬品を収められます。ただし棺に入れられるものには決まりがあるので、事前に副葬品の範囲を確認しました。

通夜

一般的な葬儀は2日間あり、1日目にお通夜を行います
お通夜では、家族や親戚、故人に縁のあった人たちが集まって、故人と一緒に最後の夜を過ごします。開始時間は18時ごろで、仏式であれば僧侶の入場、読経、焼香と続き、最後に喪主の挨拶があるようですが、家族葬のために簡単にしました。私はお手紙の用に母のこれまでのこと書いてみなさんにお配りしました。

通夜振る舞い

通夜の閉式後、参列した弔問客や手伝ってくださった方々に食事や酒をふるまいます。これは通夜ぶるまいと呼ばれ、弔問客へ感謝を伝えること、思い出を語り合って故人を偲ぶことが目的です。また、「故人と最後の食事を共にしてもらう」といった意味合いもあります。

葬儀・告別式

通夜の翌日に、葬儀・告別式が行われます。火葬の時間によって開始時刻は変わりますが、開式の約1時間前から参列者を受け付けるのが一般的です。

参列者が着席すると、僧侶が入場して読経します。宗派によって異なりますが、読経時間は30分〜60分ほど。読経とともに故人に戒名が授けられ「引導渡し」が行われます。焼香のやり方や回数は宗派によって異なるため、事前に司会者と相談して置くのも良いのでしょう。

この時に弔電も読まれます。順番なども事前に司会者と相談しておくことも必要です。

そう、献花いただいた方の配列も重要です。失礼が無いように配置やバランスを考えます。

読経が終わると僧侶が退場。司会者が閉会の辞を述べ、葬儀・告別式は閉式します。

出棺・火葬・収骨

出棺

葬儀・告別式の閉式後は、「お別れの儀」と呼ばれる出棺の準備に入ります。喪主や遺族、参列者で棺に花を入れ、故人と最後のお別れをします。

お別れの花入れが終わったら、棺にふたをして、火葬場に向けて出棺。出棺する前に、喪主が弔問客へ挨拶を行います。(私は前日の通夜式でご挨拶しましたので行いませんでした)火葬場に向かう人以外は、出棺のタイミングで解散します。

火葬

出棺が終わったら、そのまま火葬場へ移動。火葬場にはご遺族や近親者、ごく親しい間柄のご友人のみが同行します。故人と喪主、葬儀社の担当者を乗せた霊柩車を先頭にして、遺族はマイクロバスや自家用車に乗って火葬場へ向かうことが多いです。

火葬場に到着したら、火葬炉の前で「納めの儀」を行います。お坊さんが読経したあと、最初に喪主、続いて遺族、親族、友人の順に焼香と合掌をします。それこそ最後のお別れです。

納めの儀が終わったら、そのまま棺は火葬炉へ。火葬が終わるまで1時間ほどかかるため、火葬場の待合室で、静かに火葬が終わるのを待ちます。

収骨( お骨上げ)

火葬が終わると火葬炉の前に戻り、骨壺に遺骨を入れる「収骨( お骨上げ)」を行います。

故人の遺骨を拾い上げるときは、まず歯を納め、次に足から頭へと順番に拾い上げていきます。最後は、故人と繋がりのある人が喉仏を納め、収骨は完了です。

初七日法要

初七日法要は、残された遺族が故人を追悼し、故人を供養するために行われる法事で初七日として初七日法要を行うケースが増えています。

火葬の前後、どちらで行うかによって変わりますが、初七日法要の所要時間は15分~30分ほど。僧侶の読経後、親族や家族による焼香があり、最後に喪主が挨拶をして終わります。

今回は通夜式と初七日を合わせて(続けて)行い、お焼香は二度行いました。

精進落とし

火葬場から戻ったあと、初七日法要後として、精進落としと呼ばれる会食の席を設けます。精進落としは、葬儀の参列者や宗教者に料理をふるまい、感謝を伝える儀式。食事の前に喪主が献杯の挨拶をし、食事の最中は遺族や喪主がお酌をして回ります。

とくに決まりはありませんが、精進落としは1~2時間で行うのが一般的です。食事のメニューは、お祝い事に使われる食材を避け、和食を中心に予算や規模にあわせて選べば問題ありません。葬儀後・散会後です。

関係者への御礼

葬儀が終わり、落ち着いてきたら、関係者へ改めてご挨拶に伺います。親族だけでなく、ご近所や会社など、お世話になった方々へお礼を伝えます。

諸手続き

葬儀後は、葬儀費用の支払いだけでなく、行政・相続手続きを行わなければなりません

期限の決まっている手続きもあるため、葬儀後は速やかに対応するのがベター。喪主が行うのが一般的ですが、家族や親族、専門家の手を借りるのもひとつの選択肢です。ほとんど女房が行ってくれました。

四十九日法要(忌明け法要

四十九日法要は、故人が亡くなってから49日目に行われる儀式です。49日までを「忌中(きちゅう)」、49日以降を「忌明け(きあけ)」ということから、「忌明け法要」とも呼ばれています。

四十九日法要では、会式の挨拶のあと、僧侶の読経と焼香を行い、お斎(御斎・おとき)と呼ばれる会食をするのが一般的。また法要後に納骨式がある場合は、仏壇やお墓、本位牌を用意して置きます。当然納骨しますので、石屋さんも寺から連絡してもらいました。

 
納骨式

納骨式とは、故人の遺骨をお墓に埋葬したり、納骨堂に納めたりする儀式。時期に明確な決まりはありませんが、四十九日法要とあわせて行うケースが多いです。

ちなみに最近は、お墓だけでなく、納骨場所が多様化しています。樹木を墓碑として遺骨を埋葬する樹木葬や、焼骨を海に散布する海洋葬(散骨)、遺骨の一部を自宅で保管する手元供養などもありますが、これらはそれぞれのお考えなのでしょう。私は菩提寺のお墓に納骨させていただきます。

香典返し

香典返しとは、通夜や葬儀・告別式、法要の参列者からいただいた香典に対して、お礼の品物をお返しすること。香典返しには、「無事に四十九日法要が終わりました」と関係者へ報告する意味が含まれています。四十九日法要の翌日から、遅くとも1か月以内に香典返しをしますが、これもどうするかが大変です。最近は雑誌スタイルで選べるものが多くなりましたが、これと言った気に入ったものが少なく、心に残りません。

香典返しの相場は、受け取った金額の半分程度を返す「半返し(半分返し)」。地域によっては3分の1が通例だったり、高額な香典をいただいた方は4分の1にしたりと、臨機応変に対応が必要だとしていますが、女房はかなり真剣にその方に合ったものを選んでいました。

葬儀・葬式を行う意味

葬儀の流れを確認したところで、最後に葬儀・葬式を行う意味について触れておきます

日々の暮らしの中で、常に葬儀について考えている人はあまりいません。身内の方、または親しい方が亡くなってはじめて葬儀の準備をするのが一般的です。葬儀は故人を葬り供養するための儀式ですが、お葬式を行う意味はほかにもあります。

遺族の心の整理

身近な人が亡くなるのは非常に辛いため、事実を受け入れられない人も少なくありません。葬儀を行うことで、少しずつ現実を受け入れる方がほとんどでしょう。

故人の死を完全に受け入れるには時間がかかります。葬儀だけでなく、初七日や四十九日をはじめとした法要は、遺族が故人の死を受け入れ、心の整理をするための大切な仕組みです。

家族や親族のつながり

葬儀は、親せき同士で集まる数少ない機会のひとつです。近くに住んでいれば頻繁に会うかもしれませんが、遠方に住んでいる親せきと会う機会はほとんどないでしょう。

長期間会う機会がないと、関係が希薄になってしまいがちですが、葬儀や法要があることで結びつきを深められます

宗教的な観点

葬儀には、死者を供養し、あの世へ送り出すという宗教的な意味があります。最近では、地域性や遺族の考え方によって、宗教的な意味合いがやや薄れているようです。

霊前とご仏前の違いです。

文字通り、霊と仏の違いです。仏教での「御霊前」と「御仏前」の使い分けです。

一般的に仏教では、亡くなってから四十九日を中陰と呼び、死者が六道輪廻をさまよう期間(今までお世話になった方々へのお礼とご挨拶する期間)としています。それを過ぎると中陰を満たして(満中陰)、仏になります。

このため、四十九日法要までは御霊前を、五十日目以降の百日忌法要や年忌法要などでは御仏前の表書きにします。

ただし、真宗(浄土真宗や真宗各派)では既得往生の教えから、霊という考え方がないため御霊前は使わず御仏前を使います。

仏教以外でも使えるのかです。

神道の場合、御玉串料や御神前などを使いますが、御霊前でも問題ないとされています。またキリスト教の場合、一般的には御花料を使いますが、こちらも御霊前でも問題ないとされています。

「「四十九日(しじゅうくにち)」は、「七七日(しちしちにち・なななぬか)」とも呼ばれ、故人様のご命日から数えて四十九日目を指します。 仏教ではこの日を「忌明け(きあけ)」と呼び、遺族はこの日を境として、故人様のご冥福を祈って喪に服していた期間を終えます(しじゅうくにち)」は、「七七日(しちしちにち・なななぬか)」とも呼ばれ、故人の命日から数えて四十九日目を指します。 この日を「忌明け(きあけ)」と呼び、遺族はこの日を境として、故人のご冥福を祈って喪に服していた期間を終えます。

母の冥福を祈って喪に服していましたが、これからがモノや心の整理するために動き出す必要があるのでしょう。

今朝、収穫した絹さやです。仏壇にお食事をお供えしました。

そう、良く頂くと言う言葉がありますが、神棚などは高い位置にお飾りしている家もあるかと思います。その高い場所が頂きであって、そこからおすそ分けでいただくので、頂きものと言われる所以です。

 

Hiro


沖縄旅行を計画

2023年05月23日 | なかま道志ベース
私も女房も母が他界したことやいろいろとあって、疲れが出てきました。体力的ではなく気疲れだと思います。そんな時に、元会社の同僚とは言っても70歳くらいの方が、沖縄営業所に勤めており、私に是非会って一杯やりたいとのお誘いでした。

連絡を受けた前の3月にはバイク事故を起こしたりで、たまには旅行も良いかと思い計画を実行することにしました。

期せずして、広島サミットが開催されましたが、沖縄はまだ米軍が島の面積の半分くらいは使用しているのでしょう。

今年3月に金婚を迎えた私たちですが、母のことが気になり二人して家を空けることはできませんでしたので、泊りで動けるようになりました。

仲の良い嫁姑でした。母も嫁(女房)を頼った生活をしています。

母の得意な一本指のピースサインです。その母も100歳過ぎて他界し、女房もがっかりしています。また、49日忌も近くでしたので、その準備やら何やらでお疲れの様子です。

生前中は「本当に良い嫁だねぇ~」と母の口ぐせでした。良く面倒見てくれ、母も信頼してる女房に感謝しています。7月半ばに百ケ日忌の法要もありますが、その後にのんびり・ゆっくりと沖縄旅行を計画しました。女房は沖縄にはまだ行ったことが無いと言っています。

私は18歳の時(57年前)、一人で沖縄地方に行ったことがあります。

守礼門 | 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語の画像

現在は消失後の建替えで立派な門になっていますが、当時の守礼の門はこんな感じでした。

何度もご紹介していますが、当時は返還前で身分証明書が必要だった時代です。

参考ですが22歳で渡米する時は、こんな国際免許も取得しました。

石垣島の浜辺です。誰もいません。満天の星空を見ながら、寝袋で夜を過ごしました。

先日もご紹介した画像です。石垣島の公民館前(公民館と言っても屋根と柱だけです)で、沖縄の大学生とキャンプしながら、三味線や泡盛で遅くまで話し合いました。彼らは本土とか内地と使います。東京人は異人さんに見えたのでしょう。言葉数は少ないのですが、同じ世代として泡盛を飲みながら沖縄問題も語り合いました。

女房も行ってみたいとのことで早速予約です。ほとんどが旅行社のパック旅行が主流になっています。

宿は沖縄の友人の知り合いが持っているマンションを紹介してくれました。一泊一人が1500円とか?あと清掃費が何泊しても10000円ですので3泊して19,000円です。コンドミニアム(マンション)ですので、すべてそろっています。近くのコンビニや商店で買いものし、自炊が出来ます。

自分でネットで飛行機の予約をしました。JALの羽田~沖縄間で安い15,680円のチケットが取れました。ここで問題発生です。

現地のレンタカーが取れません。JALなどのパックですとレンタはあるようですが、このシーズンはほとんど大手のレンタはダメです。その他を探してもありません。これじゃ~沖縄の方に聞くしかないと電話しました。「やはりありませんかぁ~!なんとか探してみますよ。ダメだったら私のをお貸しします」との返事でした。やがて「ありましたよ!楽天のパジェットレンタカーで38,830円現地払いですよ。これで良いですか?」とのことです。今ではぼられて10万円を要求するレンタもあるようです。前会社の社員も沖縄出張するにはレンタカーが問題になると言っていました。

これまで女房は母親を面倒見てくれたり、金婚の記念旅行も兼ねての旅行になります。好きなダンスの練習も試合にも出ていませんでした。

49日忌のお供物や献花をお飾りして法要も住みました。女房は夕刻にスポーツクラブの岩盤浴ヨガに出かけて行きました。私には美味しい野菜具沢山のタンメンを作ってくれました。

好物な鯨のベーコンもです。

今回の旅行は疲れを取るためで、年寄りの のんびりと観光も楽しみたいと思っています。私のわがままも良く聞いてくれ出来た女房です。これまでのささやかな感謝のつもりです。

Hiro


熱中症気味になる訳だ!

2023年05月22日 | なかま道志ベース

*グラスに投げ込んだ草花やパセリなど・・・。

何故だか分かりませんが、寝付きは良いのですが5時間もすると目が覚めてしまいます。

ここ二日ばかり猛暑で、庭仕事をしていたせいか熱中症気味に感じます。体温も普段より高く気だるさもあります。年齢のせいにすれば簡単なんでしょうが・・・。

つつじなども刈込ました。

ハシゴに登って実も花も咲かない梅の木も風通し良く剪定です。

同じく椿もです。

刈り取った枝などが散乱しています。今日は萎れて来たので片付けします。植木屋さんを入れても費用がかかりますので、出来るものは自分ですることにしました。これもお疲れの原因の一つだと思います。

もう一つは、やはり母との別れ(49日忌)があと二日となっており、走馬灯のごとくいろいろな思い出が回り回っています。

あまりお見せするものではありませんが、毎日好きな食べ物を作っては女房がお出ししています。母は96歳まで自宅で過ごしていましたが、自ら進んでみんなに迷惑をかけてはと有料老人ホームに見学に行き入所しました。その後、転院はしたものの100歳過ぎまで、穏やかに施設で暮らしていました。

そうは言っても、自宅にいる時は夜は私が介護していましたが、昼夜が逆転し夜中に動き出すことが多く、大事な通帳や書類などを破り捨ててしまうようになりました。結構大変でしたが、それでも私にとっては大事な母親です。

庭には育てたブロッコリーや絹さや、春菊も峠を越えて残り少なくなりました。

あるもの(収穫したもの)を使っての食事です。タケノコも庭に生えて来たものです。

女房も仕事(ブティック経営)から帰宅すると、何も作る気がしないと言って横になっています。いろいろな後処理などの資料づくりや片づけなどで疲れているのでしょう。目に見えて分かります。

私が冷凍のハンバーグを湯煎し、収穫したサニーレタスを乗せて、また冷凍イカをグリルで焼いて出してあげました。私はソバを茹でて簡単に済ませました。

次男坊が帰宅しましたので、焼うどんを作ってあげました。(大盛です)

今までは何があっても後ろ盾に親がいましたが、振り返っても私の後ろには誰もいません。これに慣れるしかないのでしょう。

仕事もそうでした。幹部になればなるほど、当然責任は全て自分に降りかかってきます。若い時は上司がいましたので、気分的には楽だったかも知れません。

日中に近くのホームセンターに行きました。切れるハサミや枝切ノコギリ、熊手なども買い求めてきました。今後の日常仕事(植木の剪定など)のためです。

園芸コーナーの草花は結構な値段になっています。タネから育てれば・・・20分の1くらいです。ニラなんか、そこら中に自生しています。

昨夜も前職場の方から、そろそろ会って一杯やりたいねとか、お元気ですか?など電話やラインもありました。その前日は旧職場からの先輩(80歳は過ぎています)から、超長電話(何度も聞いている内容)がありました。きっとみなさん話し相手が少なくなったのでしょう。

*中落ちでなく、皮落ちが美味い!

前職場の社長さんも67~8歳で完全退職し、自分で職探しをして嘱託として採用されたと連絡がありました。何故、社長さんが私に連絡をくれるかも分かりません。合弁会社だった〇〇商事も、58歳が定年でその後は関係会社などで頑張ってくれと放り出されるようです。その方も65歳で完全退職したようです。ある執行役員も平職になってあと2年はいられるかも?と言っています。希望としては75歳くらいまで働きたいようです。職を世話してくれないとも言われました。

前職場の仲間がまだ沖縄で働いているようで、退職するまでに会いたいとラインが入り、百か日を終えたら、女房と行ってみることにしました。宿の心配はするなとのことです。分厚い沖縄ステーキとキンキンに冷えたビールを飲ませると言っていました。沖縄ではレンタカーが少ないので予約は早めにと言われました。

今では会話するのは女房くらいしかいませんが、何故か気に留めてくれているのか会いたいなぁ~とか、どうしていますか?(安否確認みたな)と連絡をくれる人が多いのは幸せなのでしょう。

49日忌が過ぎれば、少しは落ち着いて疲れも取れてくるのでしょう。

今日は独り言のような内容になってしまいました。マイナーの話でスミマセン!

私の好きな昆布茶です。

 

Hiro


ブログ仲間には面白い人がいる

2023年05月21日 | なかま道志ベース
なぜ、「57年前のニッポン」というタイトルにしたかは、いつも面白く拝見してブログ「有料老人ホームいでの郷、訪問介護・居宅介護支援事業所・デイサービスをしているマネジャーさん」(宮崎県宮崎市清武町船引)の日々奮闘記?が面白くまた、釣りが好きで、釣れた魚は施設にも提供する方です。

ハンドルネームがいでのマネさんの、明日(5月19日)が57歳の誕生日ですので、お祝いにご紹介するものです。

*画像は「いでゆの郷さん」のブログからと、ネットよりも拝借しております。お許しを!

いでのマネさんがお生まれになったのは、西暦1966年、 和暦は昭和41年、干支は午(うま)ということになります。

その頃の私です。沖縄も返還前で身分証明書が必要でした。

独り旅の石垣島では沖縄の大学生と偶然に出会い、キャンプをしながら夜が更けるまでいろいろな話をしていました。

独りで、奥多摩の山々を歩き回っていたころです。

1966年(昭和41年)出来事

■敬老の日・体育の日制定 *いでゆのマネさんも縁が有ったのでしょう。お生まれになった時に敬老の日が制定されて今では介護関係のお仕事に従事されているのですから・・・。

■ビートルズ来日 *私はビートルズよりプレスリー時代です。あの武道館での大騒ぎを思い出します。

1966年生まれ「イケイケの時代」に育った丙午の女性たち 明るさ ...

■日本の総人口が1億突破

東京オリンピックでは高校生でした。各国の旗を掲揚するために出入りは自由でした(ボーイスカウトに所属していたころです)

■日本でメートル法完全施行 *私の足は10文半(35.5cm)、身長はで5尺5寸(165cm)、体重は17貫ちょっと(65kg)です。百貫デブなんて言う言葉もありました。未だに尺貫法を使う時があります。特に日本建築などでは一間(雨戸二枚)180cmです。道路幅も2間(3.64cm)で、今では最低4mにしなければなりません。リアカーがすれ違うことが出来た道ですが、消防活動などに支障があるとしてメートル法で道路幅が4mになったのです。

■日本で戦後最大の公共交通機関ストライキ *鉄道やバスがスト決行して、また役所も閉じていたこともあります。

公共交通機関ストライキ
(1966年4月26日)

■日本テレビ系の演芸番組『笑点』放送開始 *よく57も続いたものです。個人的には昔のように笑えなくなりました。これも時代の変化なのですかね?

■全日空ボーイング727型機が東京湾に墜落し133人全員死亡 *機長の異常から着陸時に逆噴射したためでした。

■NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」が茶の間を独占 *おはなはん役の樫山文江さんが同じ街に住んでいました。

1966年(昭和41年)流行ファッション・髪型

■原宿族 *高校生のころみゆき通りをこんな格好でかっ歩していました。VA・JUNの時代ですかね?アイビーとコンチネンタル派があり、私はコンチ派でした。

流行を追う若者たち 1966年 東京・銀座[23023001978]の写真 ...


私が18歳の時です。若かったなぁ~が印象です。タートルネックとリーガルシューズのいでたちでした。

■ロングブーツ大流行

■ミニスカート普及 *ツイッギーが超ミニスカートで来日したのを覚えています

■タートル・ルック *タートルは亀ですので、首が隠れるようなセーターやシャツを着ていました。

■ミリタリー・ルック流行 *結構好きでこんな格好もしていました。よくアメ横で米軍の払い下げ品を買い求めたものです。

1966年(昭和41年)新商品・ヒット商品

■自動車 サニー1000(日産自動車)*私が初めて購入した中古車がサニーでした。

■自動車 カローラ1100(トヨタ自動車)*義父からこの車を借りて新婚旅行を東京から四国半周の旅もしていました。もう50年前の話になります。

1966年(昭和41年)新食品・ヒット食品

■サッポロ一番(サンヨー食品)

■明星チャルメラ(明星食品)

■ポッキー(江崎グリコ)

■ハイクラウン(森永製菓)

■メロディーチョコレート(不二家)

■マーガレットチョコレート(ロッテ)

■柿ピー(亀田製菓)

1966年(昭和41年)流行語

■グループ・サウンズ (エレキ・ギターに日本語の歌詞をのせて歌うもの)*懐かし時代です。この曲を使って社交ダンスのパーティーでタンゴやスローフォックスで、先生と踊り同年配の方が多くかなり受けていました。ちなみに先生はグループサンズを知らない世代です。

小林幸子さんもこのころデビューです。デビューして57年とは凄い!

■こまっちゃうな (山本リンダが16歳でデビューし「こまっちゃうな」がヒット)

KEEP株式会社/想い出の流行歌 1966年<昭和41年>

■しあわせだなぁ(加山雄三のヒット曲「君といつまでも」の間奏のせりふ)*ギターコードを覚えては歌っていました。

■シュワッチ (テレビ番組「ウルトラマン」の掛け声)*こんなのつい最近のようにも思えます。

■新三種の神器 (カラーテレビ(color television)、カー(car)、クーラー(cooler)のこと)* へぇ~そんなのがあったんだ~と思うくらいです。私の時代は冷蔵庫・白黒テレビ・洗濯機でした。

■びっくりしたなー、もう(てんぷくトリオの三波伸介のギャグ)*これらもオヤジギャクで使っていました。

1966年(昭和41年)ベストセラー

■氷点(三浦綾子)

■山本五十六(阿川弘之)

■吉川英治全集 三国志 1

■人間革命 2(池田大作)*池田大作さんがご存命なのでしょうか?

■戦争と平和 1(A・トルストイ)

■おはなはん(林謙一)

この時代に、いでのマネさんがお生まれになって、5月19日が57回目のお誕生日のことです。

本当にお誕生日おめでとうございます。大漁の釣果のアップをお待ちしています。(笑)

 

Hiro


ほとんど道志で育てる植物と木工

2023年05月20日 | なかま道志ベース
はじめ タイトルを「趣味の園芸」にしようかと思ったのですが、テレビ番組と間違えてしまうので「道志に植える植物と木工」にしました。

一度、パチリしたものを選んでアップしようとしたのですが、枚数が多くなり適当にスルーしてください。

先ずは私の趣味の一つは木工もありますので、一坪農園?づくりから始まります。

こちらの段は野菜中心の一坪です。

こんな厚みの板は地主のヒロさんからトラック1台分を買い求め、丸太から希望の寸法(厚みや幅)に合わせて製材してもらうことから始まります。

カラフル人参も収穫の時期です。

一番最初は枕木で土台を作り、その上に厚さ3cmの板を張ります。サイドは厚さ4cmで幅20cmの厚板で囲むようにビス打ちします。ずれないように胴回りも補強します。

下段は草花が中心の一坪園です。厚さ4cmで幅20cmのモノを同じくビス止めします。

ここから私の園芸がはじまります。

ニラも木鉢で育てています。便利な野菜?です。

もちろんプランターも木鉢が基本です。ペチュニアの一種だと思います。

昨日、種から育てたマリーゴールドも木鉢に移植しました。

名は分かりません。あとで調べてみますが、長男坊が母の日に草花をカゴ一杯に持って来ました。その一部を同じく木鉢に移植です。上はカスミソウの一種で宿根草のようです。

道志の林で倒木していた木を加工して鉢にしています。

モロッコインゲンが発芽し、成長してきました。これからうろ抜いて、強そうなものを育てます。昨日、やりかけたのですが日中の暑さで止めました。今日は朝のうちに蔓を絡ませるネットを張る予定です。

このように、ほとんどが種から育てています。すべて発芽すれば手間暇かかりますが、20分の1くらいの値段で出来ます。

今日は百日草(二回目の種まき)とネモフィラをポットにポットに移植し、そして道志に植えようかと思っています。

宝石コーンとコキアなども大きくなってきました。これも道志の畑で育てます。

宝石コーン(ジュエルコーン)はネットで30粒で1000円くらいしました。今度、メリカリに出そうと思うのですが、やり方が分かりません。

ホージーバジルも発芽しています。これもネットで買い求めました。

いろいろな草花が、ところ狭しと並んでいます。庭がほとんどこれらで占領されています

空高く伸びる絹さやです。毎日収穫しています。

これは大きなプランターに種から育てたモノです。

3カ所に水をはってメダカを育てています。産卵すればすくって他の入れ物で育てます。親のメダカが食べちゃうからです。

一昨年から育てている宿根草のオカワカメです。葉も若いうちは柔らかくて美味しですよ。また日除け代わりにもなります。同じような鉢にオキナワ朝顔(宿根草)やゴーヤも植えています。

ポットに移植したカゴが並んでいます。女房はあきれ顔しています。私の趣味ですので許されているのでしょう。

庭のいたるところで、草花が咲いています。気は休まりますが、体は休まりません。これから暑い夏との戦いが始まります。ここ2~3日は雨やら曇り空ですが、これから最高気温になるようです。庭木の剪定も始めなければなりません。

さぁ~水やりと、草むしり、植木の剪定やがはじまります。

画像が多すぎてスミマセン!

 

Hiro


とりあえずビール(焼き鳥屋)

2023年05月19日 | なかま道志ベース

18歳(20歳からにします)飲み始めて、一人で居酒屋にちょっと立ち寄って1050円払って帰宅するのです。決まった席に座れば、黙っていても決まったモノが出され飲み終わるといつもの金額を支払って席を立ちます。

焼き鳥も焼き豚も好きでした。そんな長い焼き鳥人生で、一番美味しかったのは伊勢市の「にかわ」さんでした。予約しないとすぐに満席になってしまいます。

ネットで調べてみると、やはり代変りしているようです。やはり予約制になっていました。

新幹線で名古屋へ、乗り換えて近鉄で伊勢に向かいます。何度も利用したコースです。

?マークにも見える「つ(津)」駅です。

伊勢には昼過ぎにつきます。そこから昼食は神宮近くの「豚捨て」でいただき、仕事先(客先)に向かいます。客先のトップの方との話の中で、美味しい焼き鳥屋があるとのことで予約を入れていただきました。

客先のトップは常連さんで、よっ!と手を挙げて入ります。いらっしゃい!との店主と女将さんの声が聞こえます。10人も入れば満席です。

何を注文して良いのか、客先のトップにお願いしました。

鶏のレバを出す店は、余程自信があるのでしょう。これが出れば間違いなしの店です。

焼き鳥好きの方は、ここまでで どんな店だかお分かりかと思います。

大将は鶏にはこだわっていて、仕入れ先にも何目も置かれている大将のようです。

静かに飲むのも良し、大将や女将さんと話すのも更に楽しいものになります。

長年使った包丁と元の姿の包丁で、この自慢話も面白いものです。

〆は鶏茶漬けです。絶美味!としか言いようがありません。ほんと焼き鳥一筋にこだわった「にかわ」さんです。

大将が見送ってくれました。もう、息子さんの時代に代替わりしていることでしょう。

また来たい店ですが、今まで食べた焼き鳥の中で一番美味い店だと思いました。この店が近所にあれば・・・。毎日のように通っていたことでしょう。

伊勢駅近くの宿に向かいます。商店街はシャッター通り閑散としています。地元の方しか行かない店ですが、良い経験(お店)でした。

翌日宇治山田駅からこんな時間に帰宅の途に着きました。

最近、このような店が無くなったのも淋しいものです。

〇〇横丁とか、昭和の時代が若者に受けていますが、そんな受け狙いしているような横丁や店には行く気もしません。

ふらっと一人で、または同輩と酌み交わす居酒屋には行きたいものです。

道志には焼き鳥屋はあるのでしょうか?あっても、交通機関不便でやはり道志の自宅での一杯になるのでしょう。ほんと不便地域です。

道志と昭和は遠くになりにけりですかね?

この時お世話になったのは〇野局長さんでした。お元気にしていますかね?

 

Hiro


広東料理 吉祥寺翠蘭

2023年05月18日 | なかま道志ベース

友人が多角的に経営している事業の一つに広東料理「翆蘭」があります。久し振りに繁華街に行きました。このレトロ感覚が私ぐらいの年齢だと落ち着く店なのです。

代わった店長さんも私の名前を呼んで、席に案内してくれます。

この日は二人とも焼きそばにしました。五目焼きそばと海老焼きそばです。普段は麺類をいただいています。

それぞれ小分けにして、分け合いながらいただきます。

こちらは五目焼きそばですかね。見た目には大皿で量も多く感じますが、野菜も多いので完食です。

結構 お腹いっぱいになりました。

春巻きもお願いしています。パリッとジューシーで美味しくいただきました。

ランチですが 冷えた器に冷たい杏仁豆腐がデザートになります。11時半からオープンですが、静かで年配者好みなのでしょう。すぐに満席になってしまう店です。

いつもはつゆそば(細切りチャーシューネギ)をいただいていますが、私は麵だけでも十分良いくらい美味しいのです。

この街はいつもこんな混み具合です。ガイドブック?(スマホ)片手に外国の方も多く見受けられます。

コロナ禍前に戻った感があります。平日ですと近くの高校や大学生などであふれているくらいです。そう言えば、安倍元総理もこの近くの大学卒業生でした。

近くのデパートに入りました。いただいたお香典のお返しのためです。この作業は私にはできません。やはり女房が手順よくリストを作り決めていきます。ほんと内輪の家族葬と言っても多くの方々から献花やご香典をいただきました。長男の関係から ある大臣からも届いていました。

その間、同じフロアーで北海道展が開催されていましたので、覗いてきました。

お腹がいっぱいですので、ミックスシュウマイとから揚げ?を次男坊のために買い求めました。

最近のデパートでは、紳士服売り場が縮小されたり、婦人服も店の入れ替わりが激しく感じます。デパート全体が雑貨屋さんになっているのでしょう。ワークマン女子やイケヤ、ノジマ電機まであり、むかしのデパートとは異なりました。

寝不足もあってか、動き回るのも疲れるものです。49日忌までは母が家に居ますので喪に服して過ごします。

 

Hiro


母の日 最後のカーネーション

2023年05月17日 | なかま道志ベース
この日は土曜日ですが、15日は母の日です。

49回忌が近づいています。墓石屋からの彫刻文字の確認や、位牌が出来上がっているとか、細々したことの調べや整理です。

母のために、最後のカーネーションを買い求め飾りました。まだ霊として我が家にいますので、食事なども毎日欠かせません。私にとっては75年間お世話になった母への小さな気持ちです。

お母さん!これが最後のプレゼントだよと手を合わせました。

出かけて帰宅すると長男坊の車が止まっていました。母の日のご挨拶だとのことです。

草花などをたくさんいただいています。長男坊の住むマンションは1階で広い庭付きでワンちゃんも3匹いてドックランや菜園もあります。今では野菜の作り方を教わるくらいです。

土日無く忙しく働ているようです。ある病院の企画室長とのことで、経営のトップで頑張っているとか・・・。ちょっとして帰って行きました。まだ仕事途中のようです。

家庭菜園(一坪)で収穫した、春菊や不揃いのカラー人参、ラディシュなどを収穫しました。

苗ものを育てています。もう少し成長しったら株分けしてポットに移植します。

夕食はブログ仲間で西の方からいただいた西京漬けです。

やはり、美味い!の一言です。

道志のサニーレタスをピーナッツバターなどで和えて(炒めて)くれました。

凄く美味しいですよ!

好きな手羽焼きです。

自宅の春菊のおしたしです。警察車両に乗るだけでも疲れを感じる一日でした。

 そう、その日の朝はバイク事故を起こした時の現場までのルート確認する日です。

9時半ごろに連絡が入り、これから署を出るとのことです。10時頃普通車で○○署の交通課担当者が自宅に来ました。雨が降っています。

あの赤色灯を付けた車で来ると思っていました。

先日(3月3日)にバイクと作業用ワゴン車の接触事故について、自宅からどのようなコースで走って、接触事故を起こしたかの確認作業です。署員2人での対応です。先ず現在位置(バイクが出発して地点)とメータがゼロである。確認から始まりました。

警察車両(普通車)の前に立ちパチリされました。被害者ですが、まるで犯人扱いのようにも感じます。

走行した道順に接触現場まで進みます。要所要所でパチリしています。○○通りを左に曲がって・・・と。

この辺で接触しました!と告げます。走行距離の確認をしています。もし、私が加害者で重大な事故だったら、手錠をして車の外で状況を聞かれるのでしょう。よくテレビで観るような場面でしょうが、ちょっと止まってそのまま自宅まで送り届けてくれました。これで調書を作る最後の段階と言っていました。

ボヤキたくなりますよ。向こうからぶつかって来て、被害者でも精神的な苦痛は伴います。

この日は、こうして一日が終わりました。

 

Hiro