自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

ヒロさんの好きなチャーシュー

2020年01月31日 | なかま道志

近所のスーパーですが、結構安い店があります。

私は氷などや道志での冷凍食材も買い求めます。

100均より安いですよ。

先ず、爺チャリに速度や走行距離などが表示されるサイクルコンピューターを取り付けました。

これは有線タイプです。

電動アシスト自転車ではワイアレスは不向きとのことです。

ワイアレスを買って一度失敗しましたので・・・。

1000円くらいのモノを試しにネットで買い求めました。

なんとか苦労?しながらも取り付けを完了し、今のところ快調です。

安モノですから、すぐに飽きが来ると思いますが作動することが確認できました。

さて、その自転車を使って、ニラを買いに行きました。

家から自転車で5分ほどのところです。

高いか安いか分かりません。

マボちゃんなどは78円です。

当然、チューブ入りのカラシやワサビ同額です。

100均より安いのは事実です。

この柔らか煮豚が美味しいと評判です。

道志のヒロさんが好きで、また買って来てと頼まれました。

自分ではあまり食べないのですねが、道志の冷凍庫に保存しています。

道志のみなさんから、これが美味しいのでまた買って来てと頼まれるくらいです。

酒類も一升瓶で1000円以下もあります。

山田錦を買い求めました。

帰宅して、簡単麻婆豆腐を作りました。

私は辛いのが救ですのでマーラージャンを入れました。

大相撲も見ながら一杯です。

そして、ニラをカットして頼まれた餃子づくりです。

皮が少し足りません。

ここは業務スーパーでした。

つまらな内容でスミマセン!

 

Hiro


サラリーマンも50年近く そろそろ・・・

2020年01月29日 | なかま道志

考えて見れば、サラリーマン生活も50年近くになります。

朝夕の通勤も痛勤になって来ました。

72歳近くになると、この人並みと同じように歩くのも大変です。

現職時代も、楽しかったのですが良く働いたな?!が印象です。

楽しいことも沢山ありました。

良く遊び、良く仕事?もしましたね。

帰宅するのも忘れて?飲み歩いていました。

大変な仕事も任されることも多く、もう辞めたいと思うことも何度もありました。

忙しい中、趣味も沢山ありましたね。

ダイビングも(海と空)、ヨット、タンデム(二人乗り)の自転車、海外旅行、そしてダンスもです。

あっ!書道も少し(準師範)もありました。

ホームビジットやスティも頻繁に受け入れていました。

考えて見れば良くやりましたよ。

ゲストティーチャーも高校や大学でも呼ばれて、何度もお話をしました。

岡山の焼き鳥屋は店員さんとは顔見知りになるくらい行きましたね。(出張先です)

いろいろな意味で、人前でお話しすることは人数や対象者が関係ないとすれば何百回も行ったような気もいたします。

一番難しいのは小学生に対してのお話です。

分かりやすくかみ砕いて、お話ししないと理解してくれませんし、聞いてもくれません。

65歳からもある社にお手伝いしてもらえないかと、シニアアドバイザーとして現職時代やセカンドステージで経験したことなどをお話しする社員研修なども数え切れないほど行いました。

ここでの5年間も良く働きましたね。

嘱託社員の身でありながら、社に対して貢献したとする「貢献表彰」も2度受けました。

一般の社員でもなかなかいただけない表彰です。

古希も過ぎても、道志の別荘生活が十分に出来ない(時間が取れない)日々が続いています。

70歳からはまた、他の企業でお手伝いしています。

通勤だけで疲れを感じるようになっています。

最近では、こうして居間で口を開けて寝入っていることが多くなっています。

女房にパチリされました。

そろそろ、一年契約の更新のころになりますが、4月には72歳になります。

今の気持ちはこの3月末が潮時だと考えています。

でも、社内の雰囲気は思いとは異なり、まだまだと4月以降の予定も入れて来ます。

来月も仙台へ出張します。

自分の気持ちを言い出せない雰囲気です。

女房と話して決断はしているのですが、伝えられない状況にいます。

もし言い出すと、会社の方は驚くとは思いますが、2月中旬には伝えるつもりです。

会社の健康保険でなく、国民健康保険になる日も近いのでしょう。

そうすれば、道志生活も充実できます。

 

Hiro


今は筆を休めています

2020年01月27日 | なかま道志

以前は書道を習っていたのですが、道志のことやらダンスの練習で時間も作れないことから、今は筆を休めています。

友人と言ってはおこがましいのですが、書道家の内田藍亭(うちだらんてい)先生に色紙に「夢」と言う字を書いていただけないかとお願いいたしました。

先生は快く引き受けていただき、先日、驚く枚数ですが十枚ほどの色紙が届きました。

内田藍亭先生は、令和天皇のご幼少のころ書道の先生だった「桑原翆邦先生」の門下門流の方です。

私も書道を少しだけ習っていましたので、門流?(かなり下流)ですが、門下の吉野大巨先生のお教室に通っていました。

(私は今は筆を休めています。日記だけは筆で書いています)

お送りいただいた「夢」と言う字は甲骨文字から書の歴史に沿って書いていただきました。

甲骨文字(こうこつもじ)約3500年前?の書体です。

 現存している最も古い書体です。

亀の甲羅や牛の骨に刻されてあったので「甲骨文字」と名づけられました。

甲羅や骨は占いに使われていて、その占い結果を書きつけたものです。

そして金文(きんぶん)です。

約3000年前?の書体です。

 殷の国が滅び、周の国の時代になると、人々の活躍をたたえた内容を青銅器に鋳込んだり刻んだりするようになりました。

金属に鋳込まれたり刻まれた字なので「金文」といいます。

もちろん竹や木や絹にも文字は記されていたでしょうが、やはり素材として腐りやすいためでしょうか、周代のものは発見されていません。 

古璽(こじ)

古璽は象形文字みたいで、私は好きな書体の一つで引かれるものがあります。

この時代にはたくさんの記録が残されるようになりましたが、その時代に使われた書体を総じて「篆書」(てんしょ)」と言います。

簡帛(かんはく)

紙が無い時代ですので、記録として簡牘として竹や木に書き写していたのでしょう。

気の遠くなるほど前の年代です。

周の時代が終わりを告げると、春秋戦国時代になりました。

孔子やその弟子たちが活躍した時代です。

戦国時代の争いで勝ち残った国は、「秦(しん)」という国でした。

聞いたことのある秦の始皇帝は、度量衡・貨幣・車輪の幅などを中国全土で同じ規格単位に統一しました。

さらに、漢字の統一も行ったのです。

このような書の歴史などは私には良く分かりませんので、一部ネットより検索いたしました。

 この時代から石に刻まれた文字もたくさん残っていますので、金文とあわせて「金石文」と呼んでいます。

隷書(れいしょ)は約2000年前の書体です。

 漢という国が中国を支配するようになると、物事を細かくきちんと記録することが必要になってきました。

文字を毎日書かなければならない役人にとっては「篆書」は複雑で実用的ではなかったので、簡略化して書きやすい書体が考案されました。

更に、立碑が盛んになり石碑用の銘石体としても実用化が進みます。

それが「隷書」です。

読売・朝日・産経など新聞の題字で使われているものです。

また、一万円札や、日本銀行などの字はこの隷書体で書かれています。

草書(そうしょ)約2200年前(諸説あり)

草書の発生もかなり早く、篆書、隷書の簡略から生まれた書体です。

草書は文字としてのわかりやすさよりも、「書く速さ」を優先した実用性を追求した字体です。

崩し方には王羲之を中心とした法則があり、バランスや筆づかいが大切な要素になっているため「芸術性」が認められることも多くあります。

多くはこの草書を好まれ、飾っている方々も多いのでしょう。

行書(ぎょうしょ)の発生も紀元を遡ります。

行書(ぎょうしょ)は草書をもう少し整えて書いた書体です。

 「楷書」(かいしょ)は読みやすく、正確に伝わる字体のため「楷書ではっきりとお書きください」という注意書きをよく見かけます。

篆・隷書から草書・行書、更に楷書へと変遷していきますが、唐の時代に完成した書体です。

はっきりと整理された点画の表現や折れ曲がり方が特徴です。

現在では、この楷書がもっとも広く流通している書体です。

内田藍亭先生の解釈も楷書は、今では一番新しい書体だと言っておりました。

ここまで来ると、素人の私には書の歴史(古い順)が良く分かりません。

内田蘭亭先生のお知恵をお借りして、説明させていただいています。

中国3000年の書の歴史ですが、現在はパソコン中心に使っているため字の思い出せない(書けない)自分もいます。

次に、書道の中の宇宙観の話です。

この書の右上にハンコウ(引首印)が押印されています。

この意味は、書くときの気持ちを表しているのです。

*拡大しましたので不鮮明でスミマセン。

内田藍亭先生は、気持ちを落ち着けて「養中」の引首印を選んだのでしょう。

これは中和の心を養うの意味だそうです。

先生方は大きさも含めて、何種類もの印をお持ちです。

私も5種類の印を持っています。

引首印は、宋時代から起こっており、条幅などの右上部に押すもので、雅号印まで含め自分の範囲を示す(諸説あり)とありました。

ここから、この気持ちで書き始めるとの意味もあります。

引首印が少し右に開いて押印されています。

書が宇宙へ広がるような扇の意味もあるのです。

余談ですが、この引首印は自分の気持ちですのでなんでも良いのです。

私の座右の銘?である漁夫の利から「魚利」と印を作ったこともあります。

労せずして利があるのが一番良いかと思っていますが・・・。

今では印を少なくする傾向もありますが、引首印と左下には本名と雅号を押すのも、古典を守る(継承する)上では必要だと思います。

先日、お送りいただいた「笑顔」の隷書体を軸装にしました。

これは姉さまに差し上げる予定です。

また、行きつけの八王子戸吹「鮨忠」さんにも、「笑顔」と言う軸装をお送りいたしました。

また、一緒に伺った〇藤さんにも差し上げました。

みなさんに大変喜ばれています。

書はやはり身近でいつも目に触れることが大事なのでしょう。

しかし、こんなにたくさんの色紙を書いていただき、感謝のしようがありません。

書の歴史を「夢」と言う字で書いていただき、大変良い勉強ができました。

いつまでもたくさん「夢」を見続けたいものです。

現在、27日ですが道志は雪が降っているのかなぁ~。

今夜は東京地方も雪のようです。

 

Hiro


可愛いワンちゃん登場

2020年01月25日 | なかま道志

上のヒロさんのオートキャンプ場に新住民が加わりました。

新住民はワンコです。

番犬用にと、キャンプ場で飼うとのことです。

この辺はイノシシやシカが出没して、畑などの荒らしますので、その番犬にと生後50日の犬を貰い受けたと言っています。

メスですので、名前はがん子(頑固)を考えているようです。

まだ寒いので、夜間は管理人室にエアコンを入れて、当分(春先まで)はそこで暮らすのでしょう。

この時期の道志のキャンプ場は、薪づくりですね。

油圧の薪割り機で作っていました。

こちらの薪は乾燥しているので、いくらでも持って行って良いよと言われ、たくさんいただきました。

キャンプ場の柱には、こんな飾り物が掛けてあります。

私が作って差し上げました。

また、置き場には切り出した丸太などが100本以上あるかと思います。

好きなモノを好きだけ持って行って良いよと言われています。

チェンソーを使って適当な(持てる重さ)長さに切って、いただいています。

いくつかは近所の花屋さんに差し上げています。

そして、今回持って来た桜の倒木しそうな木を、専門業者が切り落としたモノをいただき運びました。

好きな形に切断して、空洞になった部分にチェンソーを入れ火を入れて燃やします。

炭化させるためです。

やがては中が炭状態になります。

これが倒木しそうな街路樹の桜です。

次回はこの部分の輪切りもいただく予定です。

道志上空は自衛隊のヘリコプターが行き来しています。

きっと、訓練しているのかと思います。

時にはパイロットの顔が斜め上で見えるくらいの低空で飛んでいます。

昨日も5~6回は行き来していましたね。

天気予報では昨日の夕方から雪になり、今朝の11時ごろまで降るとのことです。

四駆のスタッドレスを履いていますが、あえて危険になる道を走らない方が良いと判断し帰宅することにしました。

湧水の水道水をタンクに入れて、花屋さんに差し上げる丸太も積んで帰宅しました。

家に着いたのは夕刻5時半ごろでした。

予定していたものはほとんどやり残しています。

風呂に入り晩酌です。

アンコウ鍋を美味しくいただきました。

やっぱり寒い道志より家が良いですね。

 

Hiro


幹の中は空洞

2020年01月23日 | なかま道志

市街地の桜並木は花が咲くときれいな反面、危険も潜んでいます。

市では樹木医などによって、診断するのですが幹の中は空洞になっています。

倒木する前に切り倒します。

木の状態は外からは分かりません。

何で切り倒すのかと苦情もあると聞きます。

中はこんな風に完全虫食いで穴あき状態になっているのです。

こんな穴あき状態になっている桜の木を、通常は粉々に処理処分するのですが、その前に造園業(切り倒すのを受けた方)にもらいました。

これを道志に運んで、チェンソーで加工します。

どうするか?考えるのも面白いですよ。

全てを木鉢にしようかと思っています。

こんな部分にチェンソーを入れました。

チェンソーは自宅に運んで置きました。

近所迷惑と思いながら、エンジンをかけます。

こんな形になりました。

この風洞になった中を燃やして、防虫と長く使用できるように炭化させます。

外回りなどは防腐剤を塗ります。

底は板を張ることも考えています。

またはガーデンにそのまま置いて、花を植えても良いかな?と思っています。

楽しいですよ、こんなことを出来るの道志の山荘のみです。

上のオートキャンプ場ではヒロさんが薪割をしていました。

杉の葉を火付けに使い、大きな薪をくべています。

簡単に薪が燃えだします。

知恵ですねぇ~。

そして、イノシシの肉をいただきました。

そして、アユを焼くから持って行くよと言っています。

夕刻になって、私も薪ストーブに火を入れました。

残材をも燃やしています。

もちろん薪もです。

焼いたアユを持って来てくれました。

再度温めています。

そして、頭からがぶりです。

美味しいですよ!

焼酎からウイスキーの水割りにしました。

ネットで買い求めたものです。

竹を加工して、夜なべ仕事です。

これはアユなどの魚を焼くために串を作っているのです。

今までは体力もあって、いろいろと動き回っていましたがのんびり・ゆっくりしながらです。

 

Hiro


道志に行く時間を作りたい

2020年01月22日 | なかま道志

いつもご紹介していますが、普段なら4時に起きて、コーヒーを淹れて新聞を読んだり家を出る準備をしています。

昨日はいろいろな疲れが残っていたのか、目が覚めたら5時半近くでした。

慌てて家を出る準備です。

なんとか乗るバスにも間に合い、いつもの電車(座って行く)を定位置で待ちます。

並んでいる方は大体同じですね。

横には自販機もあり、ふかひれとか、しじみ70個分、コーンポタージュもあります。

買う方がいるのでしょうね。

昼の弁当は持参したり、仕出しやコンビニなどいろいろです。

昨日は夕刻5時過ぎから支店とのテレビ会議があり、私にとっては遅くまで会社にいました。

普段なら適当な時間に退社しているのですが・・・。

会社近くのエクステリアです。

品川港南口までの歩道も大混雑です。

角を曲がれば飲み屋街で、そちら方面に向かう方もいます。

コンコースでは帰宅ラッシュになっています。

これから1時間45分かけて帰宅するのです。

少し遅く会社を出ると、いつもこんな状態なんです。

70歳過ぎたおじさんには酷な場面です。

この時間ですと、京浜東北線に乗るか山手線にするか、時刻表示で早い方のホームに行きます。

ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り、東京駅より中央線の始発に乗ります。

電車を何台が見送り、座って帰宅できそうな電車を待ちます。

この日利用したのは、たまたま大月行きの通勤快速でした。

結構、この電車を利用する方も多いのでしょう。

私は4番目に並んでいましたが、来た電車で座るのも大変(戦場のよう)です。

我先と空席に突進します。

いざこざもあり、口喧嘩をしています。

また、途中駅で人身事故もあり、電車は遅れ気味で駅に寄っては5分程度停車していました。

更にすし詰め状態で、立っている方は身動きが出来ないくらいです。

最寄りの駅で降りようとするのですが、なかなか出口に進めません。

バスの出発時間を見ると、次の駅でのバスの方が良いと判断し、各駅の電車を乗り換えましたが、この電車も大混雑です。

時計を見るとあと2分でバスは出発します。

改札を出て駆け足でバス停に向かいました。

ここでも長蛇の列です。

やっとの思いで、帰宅しました。

70歳過ぎて、往復3時間半以上の通勤はまさに痛勤です。

こんな帰宅ラッシュを繰り返すには限界感じます。

よって、そろそろ潮時を感じています。

道志に聞く時間を作りたいですね。

もうこんな生活(通勤)はENDかなぁ~。

 

Hiro

 


西山温泉から身延山そして・・・

2020年01月21日 | なかま道志

もう1週間以上前の話ですが9時ごろに西山温泉の宿を出て、次の目的地である身延山久遠寺にナビを合わせました。

身延山は私の菩提寺である日蓮宗の総本山です。

今の住職が同山で修行し本住職になる時には檀家を代表して、私も立ち合い修行をこの場所で行いました。

ナビはやはり便利ですね。

久遠寺の駐車場までを選択すると、あとはナビどおりです。

身延山近くになって裏道?みたいな地元の方が通る道で駐車場まで導いてくれました。

なんなく一番近い駐車場に入れました。

その駐車場近くのご門です。

広い境内ですね。その駐車場付近のご門です。

先ずは裏手の山門近くに、ちょっと小さな鐘楼がありました。

そして境内に入ります。

そこには歴史を物語る松がありました。

菩提寺の総本山ですので、深々と頭を下げ参拝させていただきました。

これまでに4~5度は来ています。

御遺文の石碑がありました。

「親は十人の子をば養へども 子は一人の母を養うことなし

異体同心なれば萬事を成し 同体異心なれば諸事叶ふ事なし

矢のはしるは弓の力 雲の行うことは龍の力

 男のしわざは女の力なり

おもしろい石碑内容(御遺文)です、

石碑は、身延山久遠寺内の御真骨堂と仏殿の丁度間に位置しており、身延山で有名な枝垂れ桜の近くにあります。

石碑には日蓮聖人の御遺文が書かれており、この御遺文に刻まれた文字の書が本覚寺開山加藤雲洞上人によるものであるとしておりました。

久遠寺内を歩き回りました。

寒いでしたが、団体参拝する方もおりました。

時期になると枝垂桜で有名な場所です。

大鐘楼があります。

かなり年期の入ったものです。

ここに我が家とご縁のある五重塔があります。

それは慶應二年に(約150年前)に、五重塔完成祝いでご寄進(ご寄附)したと証明する曼荼羅が我が家にあるのです。

多額のご寄進だったようです。

そして、明治8年には大火で五重塔も焼失したと記されていました。

先代は信仰心もあつく、明治5年には家内安全などご祈祷をお願いし、その時も多額をご寄進して曼荼羅をいただきました。

更に消失した五重塔を建立するために明治11年にもご寄進(ご寄附)した証が我が家の仏段に掛けてあります。

久遠寺内を見学させていただき、お題目を唱えさせていただきました。

令和3年2月16日は、日蓮大聖人御降誕800年になります。

檀家の総代表になっていますので、何かを考えなくてはならないのでしょう。

本来は修行のための、この石段を登って来なければならないのですが、私は2回ほど挑戦したことがあります。

女房は見るだけで十分だと言っています。

門前の商店街も寂れています。

昔ほど賑やかではありません。

これも時代の流れなのでしょう。

そして、今度はナビを女房の母の実家付近に合わせました。

身延線甲斐上野駅に先ずは向かいます。

義母の実家は大塚と言うところで、夏休みなどは良く長期で遊びに来たと言っています。

義母の通夜式に来ていただいた中に、この大塚からわざわざ来られたおじさんを見かけたとのことです。

女房はその親戚のおじさんにも可愛がっていただき、そのお礼としてご挨拶したいと思ったのでしょう。

きっと、西山温泉に行こうと言い出したのも、この世話になったおじさんへの挨拶が目的だったのかも知れません。

以前は自転車屋さんで、親戚筋で良く面倒見てくれたと言っていました。

しかし、訪ねても違う方の家になっていました。

電話でその方を探してくれたのです。

秋山太郎さんと言います。

やっとの思いで、今住んでいる家を発見できました。

教えていただいた道を間違えながら、何とかたどり着きました。

おじさんは直ぐに分かったようで、女房に対して「おまんも(お前も)おばさんになったなぁ~」と言われたそうです。

そりゃそうですね。

60年も前の話ですから・・・。

甲府盆地の全景が見えます。

時期には市川大門も花火も見えるとのことです。

そのおじさんの家は、義母の実家の上にありました。

今はお一人で暮らしている80歳半ばの方です。

下に降りて、墓参りと実家を見て来ました。

もう孫の代になっています。

失礼ですが荒れ放題です。

たまには管理しに来ているのでしょう、農機具などは置いてあります。

40年くらい前に、女房の爺ちゃんと婆ちゃん、そしてひ孫になる長男坊が写っている写真を探し出しました。

こんな雰囲気の場所でしたが・・・。

女房は母方のお墓で手を合わせています。

これで女房の気持ちも済んだのでしょう。

私も初孫の女房の連れ合いとして、喜んで迎えてくれた日々を思い出しています。

昼も大分遅くなりました。

途中、談合坂でちょっと寄りました。

お互いに「鶏だし 中華そば醤油」を注文いたしました。

府中競馬場あたりで、運転していて睡魔がきました。

家も近くなり安心したのでしょう。

無事、帰り着きました。

義母の四十九日の法要から西山温泉に宿泊して、義母の実家を訪れ世話になった方にあいさつして・・・。

内容のある有意義な2日間でした。

*スミマセン長文になってしまいました。

 

Hiro


山梨県の西の外れ(西山温泉)

2020年01月19日 | なかま道志

法事を終えて、その足て県内の西山温泉に向かいました。

行くには2ルートあって、一つのルートは土砂崩れ?で通行止めになっているようです。

途中、身延町を越えて早川町に入りました。


夕刻5時ちょっと前に宿に着きました。

女房が連休なのでどこかに行きたかったようです。

母を亡くして気持ちを癒したかったのでしょう。

昔は湯治場として活用されていて、田舎の親父やお袋さんたちが農閑期には家財道具?一式を持って行って温泉に浸かって体を休めていたそうです。

しかし、今回の宿は「五つ星の宿」と紹介されています。

どうやって見つけて来たのかは知りません。

実家の長男坊に道が細くて、運転には気を付けてくださいと言われました。

細い山道などは道志の山荘に行っていますので、慣れた運転だと思います。

結構、道は広く工事車両(ダンプカー)が多く、採石場かなぁ~?あちこちに目立ちます。

聞いて見ると近くをリニアが通るようです。

宿に着き、ロビーで一休みです。

夕食の時間や館内の案内を説明してくれます。

眼下には川の流れがあります。

豪雨の時は大変だったのでしょう。

ウエルカムドリンク(何だか忘れました)出されました。

ロビーは3階で、部屋は2階になります。

時間よって入れ替わりますが、4階に露天風呂(夕刻8時まで男性用)と大浴場があり、翌日8時からは1階が男性用の露天風呂になると説明がありました。

この年齢になると説明されていることが直ぐに忘れてしまいます。

夕食は6時半からにしました。

先ずは4階の露天風呂へ。

本当は撮影禁止になっています。

この時間は夕食時間になっているのでしょう。

誰もいなく、のんびりと大きな樽風呂いに入りました。

源泉かけ流しで、飲料も出来るのです。

辺りは夕闇に包まれています。

元の画像では真っ暗なので、加工しています。

そして、同じく4階の大浴場に移りました。

また、お一人だけいて、すぐに出られました。

したがって、のんびり湯に浸かりパチリさせていただきました。

こうやって碗が置いてあります。

硫黄の味がします。

胃腸には良いとのことです。

昼は法事で皇族の方々が泊まるようなホテルで、豪華な食事で夜もまた、豪華で贅沢極まりません。

海のモノは無く、山の幸がほとんどです。

冷酒七賢をいただきました。

風呂上がりですので、喉に沁み渡ります。

美味い!

お茶の葉で香りを付けたアユです。

これも美味しくいただきました。

のんびりとゆっくりと、今後のことなどについて話をしました。

仕事もそろそろ潮時にして、退職したら客船に乗って船旅でもしたな!と希望を伝えていました。

船内のホールで踊ることが夢だったのです。

それでダンスが踊れるには10年かかると言われ50歳の時から始めたのですが、試合形式のダンスになってしまったのです。

竹の器で作られたご飯茶碗です。

?これなら私にも作れるなと思い、パチリして置きました。

帰りがけにホテルの売店にも売っていましたので、買い求めて来ました。

作ってみます。

食事を終えてパチリしてもらいました。

女房も年齢なりに良く撮れているわね。と言っています。

翌朝早朝ですが、今度は1階の露天風呂に向かいました。

やはり、早朝なので私一人です。

岩風呂になっています。

川の音が身近に聞こえます。

暗いので画像処理しました。

湯煙でピンボケになっています。

明るくなって来て、やっと景色が覗けるようになりました。

源泉かけながしで、飲用可能とあります。

硫黄泉なので、何故か目が腫れぼったく(チカチカ)なりますね。

女房も同じことを言っていました。

1月12日です。(今日は19日です)

数日前の天気予報では雪マークでしたが、曇り空です。

温泉でカメラを使ったので、レンズが曇っていました。

途中で気が付いて、きれいにふき取りました。

品数の多い朝食です。

普段はコーヒーだけの朝ですので、もうお腹一杯です。

五つ星の宿で大満足しました。

今度は湯治場でも良いかなと話しています。

適当な時間に宿を出て、身延山にカーナビをセットしました。

次回は菩提寺の本山でもある身延山をご紹介いたします。

山梨県の東に外れが道志なら、西の外れは西山・早川・身延になるのでしょうか?

 

Hiro


一週間前に元気に話をしていたのに・・・

2020年01月18日 | なかま道志

1月11日は義母の七七日忌(四十九日)の法要が、山梨の菩提寺で営まれました。

3連休とのこともあって、中央道も混むだろうと予想し7時に家を出ました。

混雑は無く、1時間半ちょっとで実家に着きました。

私は義母のことをお母さんと呼んでいました。

周りの方はお婆さんと言っていましたが、私にとってはお母さんです。

いつも私(長女の婿)であっても優しく迎えてくれ、共通の趣味の園芸など話に花が咲きました。

長男や次男は元気か?と家族のことをやさしく見守ってくれていました。

あまりにも突然の他界でビックリしています。

1週間前に会って、あんなに元気だったのに・・・。

長男が小さい時には長期入院し大きな手術も2度いたしました。

その時は次男坊を何カ月も実家に預けて、母が中心となって面倒見てくれたのです。

お母さんがいなくなって四十九日が過ぎ、霊から仏さまになられる日が来ました。

この間、女房との会話はお父さんやお母さんのことなどが何度も話になりました。

お母さんも霊となって一緒に話込んでいたのでしょう。

女房と母との電話で時折、方言交じりで話すことも無くなってしまいました。

毎年、私たちの結婚記念日には両親に感謝の電報を送っていましたが、それも無くなります。

法要前にご香典を喪主にお渡ししましたので、ご霊前といたしました。

一般的には四十九日までは故人は「霊」の状態で、四十九日法要で成仏し、「仏」になると考えられています。

そのため、四十九日法要では「御仏前」を使います

考え方や地域によってもいろいろとありますので、肝心なのは心の問題なのでしょう。

私は少しでも長くそばに居てほしいとご霊前にしたのです。

午前10時より、四十九日の法要が始まりました。

住職もお経の途中で、昔話をしています。

法要を終え、霊が仏様になり納骨式を終えました。

天国には知り合いが沢山いますが、また気を使っているのでしょう。

母を偲んでの 法要後の食事会・お齋(おとき)は、地元では超一流の湯村「常盤ホテル」でした。

総領(長男)が選んだ喪明けと気持ちを込めたお膳は超豪華です。

皇室もご宿泊された客室も、伝統的な数寄屋造りの日本家屋が点在しています。

昭和天皇は昭和22年にご宿泊されたとのことです。(私が生まれる前の年)

今上天皇もご利用されたホテルです。

お写真には昭和・平成・令和天皇や皇室の方々が飾らざれていました。

時間がありましたので庭を散策させていただきました。

武田家ゆかりの旧家を移築したものと聞いています。

長い離れ回廊を渡り、一番奥の「田舎家」が母を偲ぶ会場になっていました。

塩山「萩原邸」を移築した、甲州田舎造りの古民家とされていますが、その佇まいには驚かされます。

母を偲ぶ会が開式されました。

・・・

先ずは長男の挨拶です。

心に沁みる(残る)ご挨拶です。

急に他界するとは思ってはいなかったので、心の準備も出来ていなかったと思います。

そして、母が大事なモノを納めて置く箱(金庫)を開封したところ、思い出に残るものが出て来たそうです。

その中で一つは、約一年前に母の願いとして一通の書き物があったそうです。

延命はしないで欲しい

年金は直ぐに止めてくれ

兄妹仲良く

その他・・・が読まれ回覧されました。

自分ではそろそろお迎えが来ると分かっていたのでしょう。

そして、もう一通が紹介されました。

それは父から母に向けた、結婚30年しての感謝状でした。

まさ子ありがとう・・・・。

文中に結婚21年目の時に胃潰瘍で手術した時に、母は勤めていた会社を辞めて看病にあたったとあります。

ちょうど、長女(女房)が東京に出てきた時と重なります。

余程、心配していたのでしょう。

私も結婚した当時に父が胃潰瘍で手術したことを知っています。

その分、私は父が娘を思う気持ちが十分に分かり(伝わり)女房を大事にしてきたところです。

長男が読んだ、結婚30年を機に書いた父から母への感謝の気持ちで胸が熱くなりました。

女房は素敵な両親のもとで育って来たのだなと感じる一瞬です。

食事会・お齋(おとき)が始まりました。

献杯は次女の連れ合いが、思い出話を含めご挨拶されています。

心に残る献杯でした。

さて、祝い膳ではありませんので、華やかな盛り付けはではありませんが、美味しくいただきました。

祝い膳ですと伊勢海老などになりますが、カニだったと思います。

写真を撮り忘れたり、話に夢中になっていましたので、ご紹介する内容はコースどおりではありません。

美味しい甲州牛でしょうか?

甥っ子にあたる、大食漢?のマ○ト君も大満足しています。

急きょ参加できない方もいらっしゃいましたので、二人分?はペロリでしたね。

私は知らなかったのですが、親族関係者も拙ブログを毎日見ているとのことです。

姪っ子のサ○リさんも愛読?者の一人のようです。

もっと、真面目に書かなくては・・・。

デザートもお洒落ですね。

さすが皇室が泊まられる名館だけあります。

母を偲ぶ会もお開きの時間になりました。

再度、手を合わせお線香を立てています。

その後、実家に戻りお茶をいただいて、父などの仏壇に手を合わせ家を出ました。

そして、その足で私たちは連休を利用して、ここから一時間半くらいの西山温泉に向かいました。 

宿泊するのは「慶雲館」と言う宿です。

この内容は次回ご紹介いたします。

Hiro


忘れていた女房の誕生日

2020年01月17日 | なかま道志

最近はいろいろなことを考えていて、当日まで女房の誕生日だったことを忘れていました。

いつもは事前に用意して置くのですが・・・。

一つは仕事のことです。

もう約50年勤めていますので、日常から仕事をする(行く)のは当たり前の生活です。

しかし、女房と話をしていて、ここらで仕事からは離れたらとの話がでました。

これは朝の会話です。

そうかぁ~、そんな選択種も出て来たなと感じ始めました。

そうすれば・・・といろいろと考えます。

いつから?と言う話になりました。

会話の中から女房の誕生日を思い出したのです。

もう、祝ってくれる歳じゃないわよ。と言っています。

古希ひとつ前です。(まだ60歳代よ!です)

気が済まないので、近所の花屋さんに行ってきました。

それなりの値段で、長持ちするシンビジュームしました。

花芽も沢山ついていますので、長持ちするのでしょう。

気持ちばかりの誕生日プレゼントです。

今日は道志に入っていますが、今夜半から雪とのことで帰宅の準備を恥じています。

やりたいことはたくさんあるのですが・・・。

 

Hiro


いつ出来たんだろう こんな店

2020年01月16日 | なかま道志

いつも通る道ですが、こんな店が出来ていました。

全く、いつ出来たのか気が付きません。

女房やその友たちは知っていたようです。

いろいろな場所で目にするお店です。

会社から帰宅して、たまには料理の手間を省かせようと、外食に誘ってみました。

その方が助かると言っています。

家から車で5分もかかりません。

時間も夕食にはちょっと早かったので、駐車場は空いていましたね。

きっと自転車で来られる方もいるのでしょう。

ミシュランガイド風に店内を黙って探索です。

テイクアウトする方が半数います。

店員さんは4人で動き回っています。

開店早々ですので、バイトさんですかね?声は大きく、一生懸命接客しているのですが、まだぎこちなさを感じます。

このバイトさん?も慣れれば直に一人前になるのでしょう。

 メニューを開いてみました。

790円~600円くらいです。

単品はあるのかなぁ~?

全てが定食タイプのようにも思えます。

串揚げなどもあっても良いのかなと思うのですが、あと口がサッパリするようなモノも欲しいですね。

品数を広げない店の方針なのでしょう。

どんな方をターゲットにしているのでしょうか?

ポット入りの麦茶?を自分で入れます。

ちょっと温い(ぬるい)かな?

こちらにはタクワンの千切りのようなものが入っています。

カレーやさんの福神漬けや回転すしのガリと同じ感覚ですね。

生ビールは無いようで、缶ビールが出されました。

うむぅ~、ここまで来ると店の経営方針や内容が推測できます。

私のイメージとは異なりました。

徹底的に省力化?無駄?を省いているのでしょう。

経営方針で、品数や設備にもそうしているのでしょう。 

私はロースカツ定食にしました。(690円)

女房はヒレカツ定食でした。(790円)

どちらも揚げたてですから、美味しくは感じます。

そう思うとカツを食べたい方には、お手頃な定食屋さんなのでしょうね。

値段設定も難しいですね。

ランチだと職人さんたちは割高感があるかも知れません。

車利用しているサラリーマンが多いのかなぁ~。

カツ専門店のドライブインです。

夕食ですと揚げ物だけですので、ちょっと物足りない?ような気もいたします。

トン汁は美味しいのですが、もう少し熱くても良いのかも?

私はご飯はほとんど残して終えましした。

帰宅して晩酌があるからです。

ミシュランガイドには成れない自分です。

評価ができません。

やはり、カツが食べたいと思う店だと思います。

 

食品サンプルが並んでいますが、単品売りもありました。

ただ、カツだけは見当たりません。

何か意図があるのでしょうね。

食事を終え、駐車場に戻った時は混み始めていました。

近所にこう言う店も出来たんだな!?との感想です。

また行くかどうかは分かりませんが、このような店もあっても良いかな?です。

Hiro


昨年はなんだったのだろうか?

2020年01月15日 | なかま道志

昨年はなんだったのでしょうか?

後半からバイオリズムの底になっていたような気もいたします。

いろいろとありました。

令和2年になり、気分も変えなきゃと思っています。

これじゃ~ダメだと思い始めて、ダンスの練習もやる気になって来ました。

月曜日も昨夜もダンスの練習に行って来ました。

急に動き始めたものですから、節々が痛く感じます。

帰宅して、鍋にすると女房が言っています。

先日、寺泊直産の鮮魚店に行った時に冷凍して置いた、カキやエビなどの味噌仕立てです。

ヘルシーで美味しくいただきましたよ。

豆腐やネギも沢山入っています。

もちろん、これも必需品?です。

私の晩酌もスタートしました。

練習後の一杯は、本当に美味しいですね。

いいちこ(酒)の無いところは、空気の無い地球と同じ感覚です。

飲まれない方は、どう息しているのでしょうか?

私にとっては睡眠導入剤の役目もあります。

同じく冷凍して置いたタコブツも解凍していただいています。

鍋は良い味を出しています。

明日の朝はおじやだね!と女房に伝えました。

自分でよそったものですから、美味しそうには見えないかも知れませんが良い味が出ています。

どんな美味しい料理にも敵わないかと思います。

レストランや寿司店のような雰囲気はありませんけどね。

一番落ち着いていただけます。

朝刊の広告などに混ざっている「定年時代」と言う折り込み新聞?があります。

定年とは?が分かりません。

単純に仕事を辞める時が定年なのでしょうか?

なんか違うんじゃない?と思います。

さて、記事の中に九星(きゅうせい)占いに目が止まりました。

いつもはこの発行紙も読まないのですががね。

今年は自分にとってどんな年だか覗いて見ただけです。

私は七赤金星(しちせききんせい)です。

すると◎の大吉運となっています。

七赤金星の今年は、・・・・心身を休めて、自分を見つめる1年・・・ 

また、努力が実り、成果が出て積極的にチャレンジしろとあります。

吉方位は、北東、北西となっています。

来月は仙台に出張ですので、良い方位なのでしょう。

道志は南西になります。

南東かぁ~、グアムやサイパンでダイビングをしていた頃を思い出しました。

女房は四緑木星(しろくもくせい)です。

これも〇で吉運となっています。

後半に結果が出るとあります。

ダンスの練習なども頑張って、九星占いを信じれば結果が出るのかも知れません。

いずれにしても、こんな占いを信じるような私になって来たのでしょうか。

何でも、結果を出すには気持ちや努力次第なのでしょう。

しかし、人生の定年とは?何なんでしょうかね。

今朝の富士五湖や道志は雪が降っていたようです。

明日は久しぶりに入ろうかと思っています。

 

Hiro


こんな嘱託社員もいるんですよ(私のこと)

2020年01月13日 | なかま道志

久しぶりにブログをアップします。

超ロングな年末年始休暇をいただきました。

仕事始めの日には着膨れになっている通勤電車に乗りました。

朝6時はやっと東の空が明るくなって来たくらいです。

そして、7時45分ごろには席に着きました。

出社すると代わる代わる年始のご挨拶があります。

私も今年もよろしくお願いいたしますと・・・。

しかし、雇用契約は3月までですので、今年より今年度の方が正解なのでしょう。

もちろん、雇用延長も考えられます。

会長にもご挨拶と秘書の方にアポを願いしました。

会長は午後2時からなら空いているとのことです。

まぁ~お渡しするものがありましたので・・・。

もう6年前からお付き合い?させていただいています。

会社も具体的には申し上げられませんが、社員数も4000名くらいですかね。

私は、一介の嘱託社員(1年契約)が、気さくに会長室に入ることは無いのでしょう。

私はあまり気がね?しないタイプですから、どうも!と入室します。

会長もやぁ~、今年もよろしく!と言っています。

変な嘱託社員ですね。

秘書の方がコーヒーを出してくれ、しばし雑談していました。

会長にお会いするのも、内田藍亭先生より差し上げて欲しいと頼まれた?扇と書をお持ちしましこともあります。

書は会長のお名前と奥様のお名前の一字が入っています。

この半切の書については、軸装に出来ないかと頼まれました。

その他、ブログではご紹介できない作品も6種あります。

これも選んでいただきました。

その後、各役員ともご挨拶させていただき席に戻りましたが、自席近くの方に今、会長室でコーヒーを飲みながら雑談してきたよ。と話しましたらビックリされていましたね。

一般社員でも会長室にはなかなか入れないし、ましてコーヒーが出るなんて考えられないとのことです。

Hiroさんは何者なんですか?と思われているようです。

ただ、社の誰よりも歳が上かも知れません。

帰り道にはいつも表装をお願いしている荻窪の廣悦堂さんに立ち寄りました。

計5品の表装をお願いいたしました。

 

この隷書の「笑顔」は姉さまに差し上げます。

また、八王子戸吹の「鮨忠」さんからも依頼を受けお願いしてきました。

姉さまに差し上げる軸装の色と柄選びです。

明るい色具合の良いものを選びました。

最寄りの駅を降りて帰宅です。

まだクリスマスのデコレーションが飾ってあります。

夕刻よりダンスの練習会に行きました。

形ではこの個人サークルの会長になっていますが、名前だけで会場取りなど壇〇さんにお願いしています。

ありがたいものです。

仲間のお一人が昨年大病されました。

もうダンスは無理かな?と思ったようです。

菩提寺の住職に聞いた話ですが、還暦とか古希に該当する場合にも厄年があるとのことです。

その方も昨年は古希(70歳)でした。

私は後厄なのかも知れませんが、昨年はいろいろとありましたね。

気分も体調もすぐれないことがしばしばありました。

還暦の頃は現職の延長で勢いもあり感じなかったのですが、古希(70歳)になると乗り越えるのが大変です。

みなさんも還暦や古希で厄年があるのを知って置いても良いのでしょう。

昔は寿命もこんなに長くなかったので、更に厄年があるなんて考えられなかったかと思います。

もう古希の厄年は終わったかと思います。

今年からは気分転換もはかり、仕事・ダンス・道志生活・ブログや写真などを楽しみたいと思っています。

次男坊が朝に風呂を新しくしておいてくれました。

ゆっくりと浸かりながら、体を休めています。

Hiro


行きつけの回らない寿司屋

2020年01月10日 | なかま道志

先日は友人と二人だけの新年会を行いました。

本来なら仲間が集まって、ワイワイガヤガヤとやりたいところですが・・・。

二人とも70歳を越えるても仕事をしていますが、じっくり話そうとこんな場面が設定されました。

場所によっては道志に似た景色です。

場所は八王子駅北口からバスに揺られて30分のところです。

喧騒な街を離れて、辺りは畑や林そして竹林なども見えてきました。

店の脇には竹林と小川もあります。

場所は八王子の戸吹です。

いつもご紹介している鮨屋さんです。

相手はこの方で、今でも現職で働いています。

ある団体のトップの方です。

一方、私は71歳になりフォースステージ(4度目の職)で品川まで、週に3回通っています。

店のパンフレットには戸吹「鮨忠」

山中に食・書・情在りと書かれています。

二人の新年会はこの鮨忠さんです。

おっ!大将がいる。

大きな手術をして復帰していました。

やはり大将がいると張りつめた空気になりますね。

入院中も店のことばかり考えていたようです。

夢でも仕入れのことなどを見ていたとのことです。

大将は3度の大きな手術をして、自分は魚を三枚におろしたり、形よく包丁入れるのは得意だが、自分の体がそうなるとは思わなかったよ!と笑っていました。

前回、この店にお伺いした時は、書道家の内田藍亭(うちだ らんれい)先生とでした。

その時にお願いした、「笑顔」と言う字を篆書・草書・隷書・行書・楷書などで書いていただきました。

その中で2枚(草書と行書)をお持ちし、若大将に選んでいただきました。

本当にいただいても良いのですか?と言っています。

分かりやすい行書が良いとのことです。

すでに掛ける場所も決めたようです。

草書は〇藤さんに差し上げました。

すでにブログを見て姉さまも隷書体が欲しいと言われています。

この店のシャリは昔ながらの薪釜戸で炊き上げています。

調理場に入ってパチリしてきました。

先ずは生ビールですよね。

もちろん、全て自家製で塩辛も美味い!

この糠漬けは京人参と大根だと言っていました。

鮨は一貫ずつにしてもらっています。

大将は手を休めることはありません。

次を予測して、もし予約していないお客さんが来店してバタバタしないように、5つ先くらい考えていると言っていました。

これが職人技と言うのでしょか?学ぶこと大です。

石川県の吉田蔵(純米)を竹筒に入った二合入りの冷酒をいただきました。

ここから二人の新宴会(会話)が始まりました。

具体的なことは申し上げられないのですが、〇藤さんは一つ下で今年「古希」となります。

私は71歳ですが、昨年は後厄だったのか?親族が二人他界し、気持ち的にも・体力もいろいろとありました。

今後の方向性もダッチロール状態です。

続いて、岐阜県の百十郎(純米吟醸)です。

同じく2合入りを追加です。

〇藤さんもいろいろと公私とも考えるところがあるようです。

静かに杯を酌み交わしています。

私の以前の仕事内容からも、いろいろな事柄を理解しているから飲みたかったのでしょうね。

それぞれいくつになっても、それなりの苦労は付き物です。

せっかく美味しいものが出ますので、貝類の合わせを注文しました。

私もこれをいただき、そして〆に玉子焼きにしました。

大将も元気頑張っていますし、我々も負けないようにしなければなりません。

大勢での飲み会も楽しいのですが、気の合った仲間と二人で静かに杯を酌み交わすのも良いですね。

午後2時ごろにはほろ酔いで八王子駅に着きました。

女房も出かけていて、ラインが入りこれから帰るとありました。

部屋着とネクタイ2本をいただきました。

今年一年、何があっても頑張る?!つもりになりました。

道志に行きたいのですが、来週になりそうです。

 

Hiro

 


自転車の速度計設置と買い物

2020年01月07日 | なかま道志

今、乗っている私の爺チャリです。

それなりに性能も良いのですが、ペダルが軽すぎて空回りしてしまう感もあります。

いわゆる街中を走るタイプなのでしょう。

もう少し、高速性能が欲しかったですね。

しかし、デザインには満足しています。

これから運動不足?解消にといろいろな所へ行こうかな?と思っています。

そして、走行距離などを記録するサイクルコンピューターを付けるため、ネットで探しました。

安モノで2000円しません。

道志ではサイクルリストなどは良く見かけますが、村の人たちは自転車は使わないのでしょう。

全てが車移動だと思います。

*今朝の画像ですので暗くてすいません。

なんとか取り付けました。

品はアマゾンからです。

サイクルコンピューター 自転車コンピューター サイクルメーター ワイヤレス 防水 多機能 簡単取付 バックライト 走行距離計 走行時間計 ブラックのKASTEWILLです。

説明書を読みながら設置したのですが、イマイチ良く分かりません。

どこが不具合かもです。

本体とセンサーの距離は約60cmとありますが、私の自転車のハンドルがオバチャリタイプになっているのです。

本体をどこに取り付ければ良いのか?です。

カゴの近くですとセンサーの位置がだいぶ下がります。

したがって、マグネットとセンサーもです。

分かりづらいかと思いますが、説明書のとおりにセンサーとマグネットの距離を1.5mmにしました。

説明書ではその間の相当位置を調整してくださいとあります。

結果的には、試乗しましたが反応がありません。

本体の位置を約60cmくらいとして、いろいろと変えましたがダメでした。

きっと、ハンドルの構造で設置位置がワイヤレスですので、不適なのでしょう。

もう、イライラのピークです。

その前に、マグネットをどこかに落として?30分も探し回っていました。

居間のテーブルから自転車までの動線です。

女房が偶然見つけました。

マグネットですから、何かの拍子にドアノブに引っ掛かっていたのです。

結局、ハンドルの形状から有線タイプにすることにしました。

価格は1000円以下であります。

午後は女房が店に置く棚が欲しいと言うので、安売り店に向かいました。

車で20分くらいのところです。

あまり行ったことの無いお店です。

こんな店が有りすぎて入ったことの無い店も沢山あります。

この店は日曜家具雑貨店ですね。

ぐるぐると店内を歩き周り、結局これにしました。

在庫が無いので、自宅への配送になります。

キャンプ用品は扱っていませんでした。

アユなどを焼く竹串が欲しかったのですが・・・。

 

箸を一つ買い求めました。

今まではヒノキの箸を自分で削って作っていましたが、だいぶ痛んでいました。

買い物求めた箸が意外と使いやすいのです。

今度は自転車で、この箸だけを買いに行って来ますよ。

私の住んでいるところは、海抜60m前後で、高低差も20mは無いのでしょう。

それだけ、自転車利用が多いところです。

近所にも自転車屋さんが何軒もありますね。

道志では自転車屋さんはあるのかな?

 

Hiro