自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

山越えしてスーパーへ(道志)

2024年10月31日 | なかま道志ベース

その日の道志は一日 曇り空でし。。

山はガスっています。

形だけのWELCOMEのなべが吊るしてあります。

上の貸別荘所有者(森〇さん)と作った、ドラム缶の焚火台です。

少し、バリを取ったり補修してあげました。

この円形の中にドラム缶(半切り)を入れるのです。我ながら良いアイデアかと思っています。

ドラム缶の蓋です。普段はこれを乗せて置けば劣化も少しは防げるかと思います。

一昨日、設置したコンセントですが、コードを固定するためにデッキの下にもぐりましたが、金具が足りないために、片道40分かけて一番近いホームセンターに向かいました。

分からいかと思いますが、外の洗い場の排水を接続していました。

楽しいばかりが道志生活ではありません。

都留・道志街道?に入りました。

軽自動車が追い越せと道を譲ってくれます。

都留のカインズと言うホームセンターとフードセンター(スペイシア?)が併設されています。

いろいろなモノを売っていますが、細かい部品などはあまりありません。

この金具を探していたのですが、なかなか見つかりません。

店員さんも違うものを、これですか?と言っていますが、欲しいものが通じません。

探した挙句、この金具は外に有ったのです。(何歩歩いたか分からないくらい探しました)

シカが連れて来るシャクトリムシみたいな吸血虫が多く発生しています。

防除と駆除用で買い求めました。

これもです。段々食器も軽いものを選ぶようになりました。

ついでに、夕食用もです。そうだ!補聴器用の電池を持って来なかったので、戻って買い求めました。これも探すのが大変でした。

また、山越えして道志に戻ります。

山越えです。

途中から霧が出てきました。

途中、家の近くで地主さんのお母さんが畑から出てきました。

挨拶すると、里芋の初物だけど食べる?と言われていただいて来ました。

なんか、皿にも移し変えずに、プラ容器のままいただきましたが、味気ない夕食です。

夜(夕)なべ仕事?でハサミの手入れです。

探していた火を着ける道具です。

なんか疲れいますね。頭の回転も良くなく女房からのラインの意味も分かりません。

"湿疹も治まり、明日は行けそうですと"ありましたが、"どこに行くの"と返信したら、"カレンダーに書いてあるでしょ!長野の懐古園です。"とまた返信がありました。

今では、自分のことで精一杯で、他人のことなど覚えられません。

情けなや、こうして老いて行くんだなと痛感したところです。

 

Hiro


久し振りに道志へ

2024年10月30日 | なかま道志ベース

先先日、久しぶりに道志に入りました。今年は(も)異常な天候不順で、酷暑が続き夏でも葉が落ちたり実のならない木もありました。

ご紹介するのはいつもの画像(農機具小屋です)。

小屋に絡まるアイビーも色づいて来ました。

いくつものカラスウリが赤く色づいています。山芋のような根を植えて3年経ちやっとたくさんの実も付いています。

これこそ、色づき始めた道志の秋です。一番好きな季節になりました。

家を出たのは10時頃です。高速道もところどころ渋滞していました。1時間半のドライブです。

前方に多摩モノレールが通過しています。

山道に入り、この先はトンネルですが出口付近で工事をしています。

道志に着き"今、付きましたよ!”と女房にラインしました。"ケガしないように!”との返信です。

雨戸を開けて、空気の入れ替えです。

今年収穫し宝石コーンも飾っています。来年用の種に使うつもりです。

まだ、暑さが続くようですが、今週は曇りの予報で安堵しています。

ふうせんカズラ

敷地内を流れる湧き水のせせらぎには、水苔がきれいです。

観賞用?の水耕ワサビも元気です。

このウッドデッキに、コンセントを付けます。

永住されている、3軒隣の(別荘)の神〇さんにすでに依頼していた、電気工事の配線などを教わりました。

早速、防水用コンセントを付ける作業に入りました。ここでパソコンも使えますし、お湯も沸かせます。

しかし、電気工事は資格も必要で私にはできません。また、分岐するにも複雑で良く分かりません。

私。さすが元プロで手際よく、安全に設置してくれました。

昼食も遅くなり夕食の兼用です。女房がちょっと体調を崩して自分で作った弁当です。

やはり、味は何故か異なります。"スミマセン!料理も作らずに”とラインがありました。

すでに、復調してお店も開いたとのことです。

家の柿の実を、たくさん持って来ました。干し柿の下準備です。

焼酎に浸けて、あとは干すだけにする夜なべ仕事です。

やはり、秋の道志は良いですね。

今日も落ち葉掃きと木工かな?

ドラム缶の蓋も作りました。

シカも多く、アジサイの柔らかい葉は食べた跡があります。

道志はそんな場所なのです。

秋の気配を感じる道志です。

 

Hiro


関東と関西(ところそれぞれ)

2024年10月29日 | なかま道志ベース
2024年10月25日 | 自分のブログ

ジムのトレーナーが関西出身です。東京に来て5カ月でもちろん会話のアクセントも異なります。

それぞれの地方に方言があるように、正確な標準語を話せる東京人はいません。ほとんどが地方から集まっているからなのでしょう。

ちなみに、私は江戸っ子(先代の記録からは)5代目です。とは言っても、やはり東京弁と言う方言もあります。

昨日のブログで、こんな灯油用ポリタンクの区域をご紹介しました。

北海道の方は、色の違いがあるなんて?と言っていました。

宮崎の方は、絵では青ですが赤を使っているとのことです。

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以前、学生時代(万博で)私が大阪に行った時に友人と喫茶店にはいりました。

私は「スミマセン!お姉さん 僕はアイスコーヒーをお願いします」と言ったのですが、友人は気色悪ぅ~と言っていました。

友人は「ねいちゃん レイコ―頼むで~」だけです。東京人にしては失礼な言い方かと思いました。

東京では私をといい、○○いいじゃんとも言います。きっと関西の方には,またえっかこしーと言われるのでしょう。

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そこで、関東と関西の違いです。

〇 灯油用ポリタンクの色(関東:赤色/関西:青色)*絵のとおりです。

〇 お好み焼き(関東:みんなでシェア/関西:一人一枚)*これには驚いていた。お好み焼きは一人1枚でしょう!ビザはシェアするらしい。

〇 エスカレーター(関東:左に立つ/関西:右に立つ)*東京に来て慣れたようです。

〇 かき氷(関東風:シロップは下/関西風:シロップは上)今はどちらもあります。

〇 お金の話(関東:聞かない・言わない/関西:すぐ聞く・すぐ言う)

〇 おふくろの話し(関東:あまり話さない/関西:うちのオカンはと続く)

〇 トイレットペーパー(関東:ダブル派が多い/関西:シングル派が多い)

〇 バスの運賃※均一運賃の場合(関東:先払い/関西:後払い)*東京ではほとんどが前から  乗り、距離が長いと真ん中で乗車し後払いになる。

〇 味噌汁の配膳位置(関東:右手前/関西:左奥)

〇 改札に入れる交通ICカードの金額(関東:初乗り運賃分/関西:1円)

〇 警察官採用ポスターのキャッチコピー(関東:標準語/関西:関西弁)

〇 大阪「お嬢さん」ならスルー。「お姉さん」なら振り向く確率70パーセント/東京はほとんど無視される。

〇 すき焼き(関東では豚肉多し、もちろん牛肉もある/関西は牛肉)

〇 卵焼き:(関東で卵焼きと言えば、甘い味付けが普通/関西ではだしをきかせて塩でしっかり味付ける。)

〇 関西人は知らない人でも「バアン」と言ってピストルを撃つ真似をすると「ウウ・・・」と言って撃たれたリアクションをとってくれる/関東で知らない人にそんなことをしたら危ない奴だと思われて無視される。

〇 マック・マクド:ハンバーガーチェーンのマクドナルドを略して、関東では「マック」/関西では「マクド」と呼ばれています。

〇 肉まん・豚まん:豚・牛・鶏など肉の種類にはいろいろありますが、関西で肉と言ったら一般に牛肉のことを指します。そのため関東で言う「肉まん」は/関西では「豚まん」と呼ばれている。

〇 濃い口:(関東は色が濃く、旨味もしっかりときかせた濃い口しょう油/関西は色が薄く上品な薄口しょう油。

〇 捨てる・ほかす:ゴミを処分するとき、関東では「捨てる」と言いう/関西では「ほかす」と言いう。関東の人が「これ、ほかしといて」と言われたら、きっとそのまま放っておけばよいと思ってしまう方が多い。

〇 しまう・なおす:関東では「(おもちゃを)しまって」と言うのに対し/関西では「(おもちゃを)なおして」と言いう。

ところによって、それぞれの習慣や生活感があるのでしょう。

全国の表現方法を聞いたら面白いかも?

今は全国展開するチエーン店も増え、味などはあまり変わらないのでしょう。

場所によっては、地元風味の菓子や食べ物もあります。

ちなみに、昨日のランチは天蕎麦でした。

美味しかったですよ!

*ほとんどがネットより引用しています。お許しを!

 

Hiro


不真面目なチュウハイも飲みたかった!

2024年10月27日 | なかま道志ベース

早朝から動きだしました。皿洗いとコーヒー2杯分を淹れました。

新聞に目を通して、折り込みチラシを見ます。水曜日はスーパー等のチラシが多く入っています。

ハロウィーンやボジョレーは私には無縁で、そんな季節か?と思うくらいです。

もう、正月商戦が始まっているのですね。我が家でも以前は派手にお節料理が並びましたが、今ではお屠蘇と雑煮と飾り程度で簡単に済ませています。

年末には知り合いが社員総出で餅つきをしていますので、参加させていただこうかと思っています。

我が家では灯油を使う器具はありません。道志くらいです。

ある方(神戸出身)と話をしましたが、関東は赤いポリタンで関西は青色で東京に来てびっくりしたと言っていました。

では参考にどこが赤と青の違いかです。こんな絵が出てきました。何かの参考に!

それにしても、多くの折り込みチラシです。あと衆議院選挙の広報と候補者名一覧などです。

もう、期日前投票してきましたので、読みませんでした。今回はどの投票所も混んでいるようですね。

午前中予約でこんな場所に行って来ました。お分りですよね。

歯医者です。

インプラントした歯が硬いものを引っ張るように食べたら欠けてしましましたので、補修していただきました。(無料でした)

お気に入りのスマートウオッチですが、充電が出来なくなりました。

本体の調子が良くないようです。再度ネットで買い求めました。

新しいもの(同じもの)が直ぐに届きました。

自分で何度やってもペアリングできません。結局次男坊にお願いしたら朝にはテーブルに置いてありました。若い人は簡単にできるのでしょう。

昼前から、ジムで2時間ほど体を動かしに行って来ました。

遅い昼食です。うどんでした。出汁から作っているので美味しくいただきました。

また、柿の実を取りました。

そして、今年は豊作だった柿を再度切り取りました。

切り取った柿を、皮を剥き干し柿にします。まだまだあります。

前回作った柿は、もう食べられますので冷凍保存しています。

琉球朝顔は宿根草ですので、毎年このように咲いてくれます。隣地との目隠しにもなります。

夕刻に駅近くのメガネ屋さんに行きました。フレームは母の形見ですが、レンズが汚れているのでレンズ交換に伺いました。

店員さんは良いフレーム(形見なので)、以前レンズを入れた店で直した方良いとのことでした。レンズ交換でフレームが破損する恐れもあるのでと言っていましたね。

夕食は硬焼きそばでした。これも美味しくいただきました。

晩酌で一日がエンドですが、「酒屋が真面目につくったチュウハイ」と表示されています。

不真面目につくったチュウハイも飲んで見たかったですね。

 

Hiro

 


自宅での干し柿づくり

2024年10月26日 | なかま道志ベース

今年の猛暑は人間さまも植物もだいぶダメージを受けました。

人間さまはもちろんですが、ほとんどの植物に異変が起きています。でも、柿だけは別でなようです。

我が家には柿木が3本ありますが、そのうちの2本は当たり年のようで、実をたくさんつけています。

寒くなったら、まだまだ作りますよ。

毎年、作って(干して)は程よい頃に冷凍保存しています。切り刻んでサラダに入れても美味しいのです。また、大根とニンジンなどのなますに和えるのも良いかも知れません。

はしごを使い、柿取りです。ヘタの上部はTの字になるように枝を切り取ります。

これは縄に引っかけて吊るすためです。

全くの自己流です。

皮を剥いては、ヘタの部分を焼酎に漬けます。

こんな風に軒先に吊るしています。

これは種から育てた「千日紅」ですね。女房がドライフラワーにしているのでしょう。

どなたかに差し上げる時はこの稲穂を敷いています。

今年は気温が高くて、上手く作れません。実が熟し過ぎて干し柿になりません。

でも、こうして甘い蜜が出て来ています。

この蜜が固まるころに収穫しています。

寒く成れば、またハシゴで登って柿切り取ります。柿の枝は折れやすいので注意が必要です。

そう、「桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」と言うことわざもあります。

桜は枝を折ると、そこから虫が入り枯れてしまうことがあります。一方、柿は枝を折るほうが新しい枝が茂って多くの実をつけるということです。梅も同様で切り取った方が新枝がでて実をつけるようです。

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昨日は女房はダンスの三笠宮杯を友だちと見に行っています。

私はそこまで、ダンスに興味はありません。夫婦もそれぞれで良いのでしょう。

私は夕食(晩酌)のために、近所の「おさかな家さん」に行ってきました。

一尾250円のサンマを2本買い求めました。

レアものの「イトヒキ あじ」

切り落としがいろいろと入っている「晩酌のおとも」(安い)も買い求めました。

サンマと厚揚げをそれぞれ焼いて、一人晩酌です。

女房は友だちと外食なのでしょう?何時に帰宅したのか分かりません。

それぞれの生活は、こんなもんなんでしょう。

 

Hiro


焼き芋づくり

2024年10月25日 | なかま道志ベース
焼き芋づくりで、道志だったらアルミホイルに包んで、薪ストーブの上に乗せれば良いのでしょう。

東京地方は、この時期(10月中旬)なのに気温は30度近くありました。

サツマイモがありましたので、"石焼き芋作ってくれない?”と女房から声がかかりました。

平成何年だか忘れましたが、これを使います。

庭隅の倉庫から七輪を出してきました。今の練炭は着火剤も付いていてマッチでも着きますが、バーナーで10秒で着火です。以前は新聞紙と薪で着火させていました。

石焼芋専用の釜です。

先ずは釜を温めました。

ホイルに包み入れ込みました。1時間もすると良い香りがして来ます。

箸で刺して、出来上がったかの確認です。

美味しく焼きあがっていました。香りも良くねっとりした芋です。

私の役目はこれで完了です。食べるのは女房たち?なのでしょう。

練炭は20時間から24時間は着いていますので、大根と鶏肉をじっくりと煮込みました。

これが練炭の良さなのでしょう。(練炭はホームセンターに売っています)

味が染み込んで、美味しくいただきました。

朝ですが七輪の火力は、まだ十分に残っています。

冷凍のおにぎりを焼いています。食べるのも美味しいのですが、七輪で焼くことが楽しいのです。

本来なら、サンマも焼けば美味しいのかも知れません。

豆炭です。火力もありますし、長持ちしますのでコタツや寝布団の中に専用のやぐらこたつにも使いました。

この器に豆炭をいれて、布団の中に入れ寒い夜を過ごしていました。

大き目なコタツに(時代によって異なりますが)練炭・炭・豆炭などを入れて暖をとりました。

懐かしい時代です。ほとんど個室などはありませんので、家族一同がコタツに足を突っ込んでの一家団欒の冬の生活でした。

当然、縁側で日向ぼっこをしています。健康的ですね!この縁側の隅が姉さまの勉強机が置いてありました。

七輪からだいぶ話はずれましたが、これが昭和の暮らしだったのです。

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参考に何故七輪と言うのかです。

『七輪』という名称の由来は諸説ありますが、昔は底に七つの空気穴(輪)があるという説と、昔は炭の値段が七厘(しちりん)で使える燃焼器具と言う説明がありました。

七輪は、大量に製造され日本各地の家庭などで昭和前半までは一般に広く使用されてきましたが、燃料となる木炭の生産量は、戦後人口が爆発的に増え1950年代から1970年代までの間で、生活様式の変化や材料不足で1/10に激減し、七輪の利用の場の多くがガスコンロなど他の調理器具、各種暖房器具などへ取って変えられたようです。

1948年生まれ(団塊の世代)が子どものころ過ごした時代です。


またちょいと一杯

2024年10月23日 | 日記
*スミマセン!タイトルの誤記入です。
 
昨日は友人と二人で、お互いに中間点の駅で待ち合わせ、午後2時からの昼飲み会でした。

まぁ~お互いの状況など安否確認のようなものです。

駅から徒歩1分の、とあるビル5階の安い飲み屋さんです。昼食時はサラリーマンがランチで利用しているのでしょう。この時間ですと空いています。

先ずはで乾杯です。外国の方は日本人が席に着くなり「先ずは生(なま)と言いますので、そう言う銘柄があるかと思っているようです。

くぅ~! 喉に染みる~です。

先ずは席を決めて、着座すると 関東では小さく料理が盛られた「お通し」、関西では「突き出し」と呼ばれているようです。料金にプラス400~500円追加されます。

料理ができ上がるまでの時間をつなぐ酒のつまみとしての役割です。

以前はカロリーの高いものを注文していましたが、最近はキャベツやシラスのサラダを注文するようになりました。

喉を潤し、雑談(近況報告)です。それぞれ後期高齢者となっていますので、やはり健康ですとか、今後の生活をどうするか、どうなるか?です。

好きな焼き鳥盛り合わせ1人前です。

彼は愛知県岡崎出身の長男ですが、東京生活に慣れて実家には戻らない決意をして、その処理?が大変だと言っていました。また、最近は入院してある手術を受けて、今は完治してると言っていました。

軟骨揚げも話しながらですと、ちょうど良いつまみです。

私も72歳で退職後はいろいろと重なり、ネガティブな状況が続いていましたが、今は吹っ切れてポジティブになっています。

美味しそうに見えたサンマですが、脂が乗っていなくイマイチでした。(残念!)

男性は仕事時代は多くの会話する場面がありましたが、退職すると会話する相手が急激的に減ります。

これら会話不足が老後の問題(不安)材料の一つにもなるのでしょう。別にプライドなんかはありませんが、急に地域に溶け込むことも出来ません。早くから(現職時代から)行動していれば、地域の仲間も増えたかと思います。

そうか?刺身の盛り合わせも頼んでいました。テーブルの見た目は豪華ですが、大したものは並んでいません。いつもこんなモノです。

つい先日も同じ年の俳優さんが虚血性心疾患で他界しました。その前は車椅子生活を送り、心筋梗塞も患ったとのことです。と言うことは70歳台になる前から体調はすぐれなかったのでしょう。

私は冷酒にしました。彼は芋焼酎のお湯割りです。

お互いの会話の中で、年齢と比較するものは65歳までで、その後は大きく個人差があり、早いとか遅いなどは人それぞれだとの結論になりました。

この画像の雰囲気で、この場の気分がお分かりになるかと思います。

そして、私はレモンサワーです。

まだ、3時頃ですが、同じジヤージ姿の女性二人が入店してきました。

やはり、生ビールを注文して一気飲みしています。

方や商談なのか?一杯やりながら話し込んでいるお客さんもいます。人間ウォッチングも面白いものです。これもそれぞれの人生?なのでしょう。

これからの年齢になると、当然「認知症」とか「病」「ケガ」などがあるかと思いますが、もう年齢の責任では無いような気もいたします。その人が持って生まれた何かがあるのでしょう。

彼も奥さんと、老人専用マンションに引っ越すか?などと話しているようです。

彼は福祉の専門家ですので、年寄りに囲まれての生活は、年寄りになるのが早いと言っていました。

割り勘の会計を済ませ、駅前で「じゃぁ~またな!」で別れました。

私はバスを一台遅れさせて、パルコの地下で買い物です。自分だけ美味しものを食べてはと思って、女房の夕食用にと京樽のちらし鯖ずしを買い求めました。また、大根やキャベツ、脂の乗っているサバの開きも買い求めてしまいました。(ほろ酔いで、買い物した荷物も重たく感じます)

バスに乗り込み5時ちょっと過ぎに帰宅です。

女房からの置手紙がありました。咳が出るので近所の耳鼻咽喉科へ行って来ると・・・。

そのうち、ラインが入り順番で診察を終えるのは8時過ぎで(3時間半待ちで)9時ごろに帰宅するとのことです。

私は普段なら、とっくに寝ているところですが、帰宅して来るまで待っていました。

症状は季節の変わり目(温度差)病とのことです。検査もしてもらい、薬も処方してくれたそうです。

美味しそうに、ちらしと鯖ずしを少し食べていました。なんか長い一日でしたね。

今朝も姉さまと電話していましたが、遠いい親戚方が83歳で他界したとのことです。

早くから、施設のお世話になっていました。

 

Hiro


もう40年近く通っている店

2024年10月22日 | なかま道志ベース

いやぁ~、ちょいと一杯の季節になりましたね。

もう40歳の頃から言っている店ですので35年くらい不定期で通っています。

気にいたことは、午後3時ごろから開店していて、時にはその時間から飲み始めて2時間で店を出て電車に乗りますが、5時半過ぎると同じ沿線で帰宅する社員と出会わないようにするために、ズルして(仕事をさぼおって)一杯でした。♪サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ!

ここの名物にはいくつかありますが、鰻を串に巻いた「倶利伽羅」(くりから)が絶品です。

しめサバなども、客が入店する時間に合わせての〆ですので、旨いの一言です。

名物の甘い豆腐煮の画像を探しています。

見当たりません?いつか探して置きます。

この後ろ姿は、朋ちゃんだ!聞くところによると沖縄に帰ったようです。

下の枡までなみなみに零れそうです。先ずはグラスの方に口を付けて飲みます。

ある程度飲んだら、グラスを抜き枡に入った酒をコップに入れ替えるのです。

絶対に枡は動かさないでください!

そして、季節に合わせた鍋を注文します。じっと我慢です。

あれ?煮立った状態のパチリが無い。

具材をある程度いただいたら、雑炊にするのです。

これがまた美味いんだなぁ~!

いつも5時前には満席になってしまう店です。ですから途中でサボって入店するのです。

超熱燗を注文します。(一杯目は店の方が酒に蓋をして持って来ます)

蓋を開けた瞬間に火をつけるのです。

火を近づけると、中のアルコール分が飛んで青い火が出ます。

すると味がまろやかになる「フグのヒレ酒」です。

これがまた、旨いんだよなぁ~!

旬なものをいただき、仲間と楽しい会話・・・。

これがちょいと一杯の楽しさです。

あっ!そうだ、今週も友人とある駅で2時待ち合わせの昼飲み会だった!

お互いに、健康状態など安否確認の年齢になってきました。

たまには外で、仲間と飲むのもリフレッシュできます。

 

Hiro


13年前の団体バス旅行(修善寺)

2024年10月21日 | なかま道志ベース

そうかぁ~ 何年前だか分からず画像のプロパティーで日にちを調べてみました。

2011年10月16日と表示されていました。実に13年前の昨日の団体バス旅行です。

目的地は「修善寺」でしたが、大回りして忍野八海まで行ったのですね。

この頃は、インバウンドも無く比較的静かな観光地でした。

私が定年退職後、次にある団体の役員をしていた頃です。

その時、来賓としてお招きいただいた団体バス旅行の一つです。

整備された竹林は和を感じます。

かえでばしと表示されています。

まさにここが修善寺なのです。

寺の手水舎(ちょうずしゃ)です。お清めしてお参りいたします。

鐘楼付近も風情を感じます。まさに紅葉の修善寺です。

団体とは少し離れて、パチリしていました。

なかなか、自分で計画してはこの様なコースでは行けないものですね。

これも団体バス旅行の良さかも知れません。

13年前は大勢の方々が参加して、こんな企画も出来たのでしょう。

これから、旅(バス旅行)は冬の時代が始まるなんて誰もが予想もしていなかったかと思います。

この7~8年後に、新型コロナウイルスが発生して密になるとしてバス旅行は消滅状態になったのです。

あの時、全国民に配布されたアベノマスクが使わずにまだあります。

私のセカンドステージは65歳まででしたが、団体の役員でしたので何度もこのような団体バス旅行にご招待(来賓として)されていました。

かなり高級な宿で、大広間を埋め尽くすような大宴会はもう無いのでしょう。

来賓ですので、一言申し上げ大杯で乾杯のご挨拶です。

いつも、最後には苦手なカラオケを一曲お願いされます。何を歌ったか覚えていません。

朝湯も良いですね。この後の朝食も美味しくいただきました。

ちょうど13年前の10月 秋の団体バス旅行でした。

その後65歳から手伝ってくれないかと72歳まで品川や羽田に通勤するサードステージに入りました。私にとっては、セカンドステージも良き思い出の一つになっています。いろいろとありましたけどね・・・。

明日は友人と昼飲み会です。無職になって健康や身の回りの話しになるかと思います。

これも楽しみです。

 

Hiro


気にすることは無い(高齢者の更年期と思えば良い!)

2024年10月20日 | なかま道志ベース

変な内容になってしまいました。私の周りでも同年配の方が、塞ぎ込んだり元気がない方もいます。

*近所のよく行く花屋さんです。

いわゆる、「ボケ」とか「認知症」とは異なるものです。

定年退職後、暇?をもてあそび、特にこれと言って生きがいを持って生活していない方もいるようです。(他人ごとのように書いています)

ふと思っただけですが、Chatgptに聞いてみました。

すると、答えは・・・はい、男性高齢者にも「男性更年期」と呼ばれる状態が存在します。

これを医学的には「LOH症候群:加齢性性腺機能低下症候群)」と呼びます。

女性の更年期とは異なり、男性の場合はテストステロンという男性ホルモンの減少がゆっくりと進行するため、症状が徐々に現れます。(難しい内容はよく分かりません)

特に40代後半から60代以降にかけて多く見られ、ホルモンの減少は高齢期にも続くことがあります。と書かれていました。

*園芸店の花を魚眼で撮ってみました。

男性の更年期は、中年期以降、特に50歳前後からテストステロンの分泌が減少することで起こります。

このホルモンの低下は、身体的、精神的な不調を引き起こし、時に生活の質に大きな影響を与えますと・・・。

主な症状です。

身体的な症状では、疲労感: 常にだるく感じ、疲れやすくなる。筋力低下: 筋肉量が減少し、力が出にくくなる。体脂肪の増加: 特に腹部に脂肪がつきやすくなる。骨の弱化: 骨密度が低下し、骨折しやすくなるリスクが増加。とあります。

精神的な症状では、気分の落ち込み: 抑うつ気分や無気力感が続くことがある。集中力や記憶力の低下: 思考が鈍くなり、集中するのが難しく感じることが増える。イライラや不安: 気分が不安定になり、ストレスに敏感になる。

男性更年期の原因

主な原因はテストステロンの減少です。テストステロンは(?よくわからない言葉です)、男性の性欲、筋肉の維持、骨密度、精神状態などに重要な役割を果たしますが、加齢とともにその分泌量が減少します。

また、ストレス、運動不足、肥満、睡眠不足などの生活習慣もテストステロン低下に影響を与えることがあります。とありました。

*道志から持ち帰ったカラスウリです。

対処法:テストステロン補充療法で、これは血中テストステロンのレベルが極端に低い場合に行われます。(こんなこと言われても良く分からない)

医師が判断し、ホルモンを外部から補充することで症状を改善することがあります。

生活習慣の改善

運動: 筋力トレーニングや有酸素運動は、テストステロンのレベルを維持し、体力を高めるのに有効です。

食生活: バランスの取れた食事は、ホルモンバランスの維持に役立ちます。亜鉛やビタミンDなどはテストステロン生成をサポートします。

ストレス管理: ストレスを減らすこともテストステロンの減少を抑えるのに役立ちます。リラックスした時間を持つことや、十分な睡眠を確保することが重要です。

そんなことは分かっていますよ。

メンタルサポート:男性(高齢者の)更年期には、心理的なサポートも重要です。必要に応じてカウンセリングや精神的なサポートを受けることが勧められます。(へぇ~です)

いつ医師に相談するべきか:テストステロンの低下に伴う症状が生活に支障をきたす場合や、精神的な不調が続く場合は、医師に相談することが大切です。血液検査によってテストステロン値を測定し、必要に応じて治療が行われます。(医者に行って調べてもらうのも億劫になります)

男性更年期は自然な老化の一環ですが、適切なサポートや治療によって症状を緩和し、生活の質を向上させることが可能です。

根本的には症状を緩和し、生活の質を向上させることが可能とのことでした。

やはりChatgptでも想像できる内容でした。まぁ~高齢者(老人)になると、こんな症状が出て来るのが分かりました。

長年使い古した機械と同じで、部分修理だけで済む時はまだ若い証拠で、ここまで来ると錆もでて、シャーシー(土台もガタつき)どうやって長く騙しながら使うかの状態なのでしょう。

いづれにしても、ボケや認知症を跳ね飛ばすしかありません。

(こんなことを書くのも、そんな不安を考えているからなのでしょう)

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今年は柿だけが、当たり年のようです。

皮を剥いて、ヘタを焼酎に漬けました。今日昨日作った分を干すつもりです。

道志で作った木鉢ですが、ポトスライムを植えて、ある方に送るつもりです。

 

Hiro


五色沼

2024年10月19日 | なかま道志ベース

朝7時45分に道志の家を出て、9時00分には帰宅できました。(所要時間は1時間15分です)

やはり、自然環境の良いところでは、空気も水も美味しく生きた心地がします。

帰宅しての朝食です。

鶏肉と大根と里芋煮です。このようなものは自分では作れません。

具沢山の玉子入りの味噌汁です。

そして、新しい電気釜で炊いたご飯です。

これで十分です。午後になって2時間ほど昼寝していました。

それなりに動き回っていたので、疲れていたのでしょう。

何か秋の気配を感じる画像を探していました。

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そう、12年前にある団体の来賓(引率に近い)として、五色沼にも行きました。

きっと、今どき(今ごろ)の五色沼は紅葉になっているかと思います。

風渡る水面も美しい!まさにこれが日本の景色です。さわやかな風が頬に伝わります。

寒暖の差(四季)があるから、紅葉も美しく映えるのでしょう。

昨年と今年の夏は暑すぎました。人さまも植物もだいぶダメージを受けています。

私も72歳で退職後(コロナ禍中)、4年経ちいろいろな出来事もありました。

バイク事故・母との別れ・弟のような存在だった菩提寺住職も若くして・・・。

そう、8針も縫う指のケガもありました。不注意とバランスが良くなくなったのでしょう。

なんで、このように物ごとが重なるのだろうと?

この4年間は、成すことすべてがやる気を失っていたような気もいたします。

みなさん同年配は(友人も含めて)付き合いを減らし、生活していますがやはり気力や体力の衰えを感じているようです。

先ずは、会話する相手が減ったのも原因の一つだと思います。

何でも陰と陽があるように、良い時ばかりではありません。

気持としては楽しそうにふるまっているだけかも知れません。

最近、決断してあることを始めました。

すると、気持ちや体幹の変化も出てきたようにも感じます。

まだ、何をどうしたとは申し上げられませんが、前向きになって来たのは事実です。

減らすものは減らす。増やすものは増やす。当たり前ですがあとは実践のみです。

利害関係のない友人や仲間との付き合いは、これからも大事にしたいですね。

友人とも近々に昼飲み会をすることになりました。お互いに安否確認のようなものです。

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昨夜はダンスの練習会がありました。

帰宅し夜はダンスの練習ができますので、まだ体力はあるのでしょう。

夜空は曇っていてお月さんは見えませんでした。なんか17日が満月のようです。

帰宅して、遅い夕食です。残りの煮ものです。

ダンス仲間のご自宅で採れた、立派なミョウガをいただきました。

やっこ豆腐の上に乗せていただきました。ご自宅は駅に近い高級住宅地です。

ある方のブログに、マグロの漬丼が紹介されていました。

そんな話をしたら"マグロならあるわよ!”と漬にして出してくれました。

深大寺でお饅頭を買い求めたと、ある方からおすそ分けをいただきました。

道志生活をして、仲間とダンスの練習、ミョウガやお饅頭をいただき夕食。

まだまだ元気でいなくちゃね!

 

Hiro


道志に入って3日目(お手伝い)

2024年10月18日 | なかま道志ベース
この日は、道志に入って3日目でした。
今日の東京地方は小雨です。

道志は穏やかな朝を迎えました。一年中この気温ならよいのですが・・・。

庭先にカラスウリが赤く色づいていましたので、シカの角に飾って見ました。道志ならではです。

朝食は野菜具沢山のワンタンスープです。

昼は、これまた野菜具沢山の焼きそばです。肉類が無かったからです

女房はあるダンスサークルに行って来ると、ラインが入りました。

良いんじゃないでしょうか。それぞれの生活の楽しみがあります。

そして、昼食で仲間とお寿司のランチで、こんな画像が送られてきました。

焼きそばと寿司・・・。差が有りすぎます。

午後から別荘仲間が来られると連絡が入っています。

上の貸別荘のオーナー森〇さんです。

午前中に木鉢づくりを始めました。この板をどう加工するかです。

ジグソーでカットし釘を打ち付けて、こんな形のいつのも木鉢です。

木目を出すために、バーナーで焼きます。そして、焼きごてで名前を入れます。

焼き上がりました。これから水で洗い流しながらブラシで擦ります。

良い木目が出てきましたね。あとはポトス(葉が黄緑のライム)を植え付ければ完成です。

すぐ上の友人のご夫婦が来られました。

焚火台に火を入れてしばし雑談です。その後、目的の作業(木工)を行います。

ご主人はちょっと腰を痛めているっようで、代わって奥さんのアキコさんが厚い板をカットしています。

電動工具は危険なので、丸ノコの使い方をお教えしました。

器用な方で、すぐに要領が分かったようです。上手にカットされています。

あらかじめ、私が絵を描いてイメージ図と寸法を書いて置きました。

ビス止めも上手です。

なんとなく全様が見えてきました。

これは貸別荘に置く焚火台です。真ん中に高さ60cmくらいのドラム缶を置いて、ドラム缶と台との隙間(焦げてしまうので)を開けて、丸くジグソーでカットです。

お手伝いしている私です。

これが完成すれば、お客さんも喜ぶかと思います。

約3時間かけて(夕刻5時過ぎ)、一段階は終えました。あとは補修するところもありあますので、次回にお手伝いいたします。

昨夜はスーパームーンでしたが、雲の流れに遮られていました。

この日は、まだ前ですがきれいなお月さんです。この日は12000歩動いた表示になっていました。

これから帰り支度です。

鮮魚が食べたくなりました。山の道志では山越えしてスーパーまで行かなければ鮮魚が手に入りません。

今朝の東京方面です。きっとそのうち晴れるのでしょう。

6時45分には道志を出て帰宅しました。7時05分に帰宅しました。(1時間20分です)

 

Hiro


10月13日の道志(2日目)

2024年10月17日 | なかま道志ベース
道志に入って2日目です。やること(やりたいこと)の優先順位は決まりません。

のんびり・ゆっくりすることが出来ないのは性格なのでしょう。

まさに秋の空になってきました。

2カ月くらい前に改修した焚火台に火を入れました。

火を見ていると飽きないですね。言葉はいりません(もちろん一人ですので会話する相手もいませんが・・・)

以前、作ったベンチを補修することにしました。まだ板はシッカリとしていますので、磨いて塗装するだけにしました。

こんなサンダーで磨くのです。膝の裏側などあたる部分は丸みを付けます。

そして座りやすいようにお尻あたりを合わせて削ります。良い座り心地になりました。

これが手作りの良さなのでしょう。趣もあって良いですね。

焚火台の前に置きました。

ある台にするために丸太を適度な大きさに切り落としました。

エンジンは一発でかかりました。この赤い汚れたジャンパーはお気に入りなんです。

これはワークマンで買い求めました。着心地と耐寒と防火性もあって焚火などには最適です。

時系列がバラバラです。朝5時過ぎに米を研ぎ(二号)水に浸しました。

混ぜご飯を作るためです。

美味しく出来上がりました。これは友人でもある養魚場の霧〇さんにおすそ分けするためです。

あと、冷凍になっている鶏肉のホロホロ煮を茹でてお持ちしました。

道志ではコンビニが無いので、食べ物が一番喜ばれます。

どうし道はバイクや自転車のツーリングの人気街道にもなっているようです。

生け簀ですが、この商売(仕事)も大変だと思います。

いつも世話になっているので、奥さん(女房)にと福島の土産と子持ちアユをいただきました。

霧〇さんが気に入っている作業服を直して上げているからでしょう。今では作業服など直してくれるところは無いようです。

直しと言えば、湧き水の排水管に根が入り込んで水が外に流れ始めていますので改修しました。

これも維持管理の大変さです。

改修する時は、ゴム手にガムテープを巻き付けます。

最近になって、丹沢方面からシカが「ヤマビル」(吸血虫でしゃく取り虫の姿)を運んできており、繁殖し始めました。湿った場所を好みますので、吸い付かれないようにこんな防御をしてるのです。

都合で、丸太を製材した板を移動することになりました。半分は移動させましたが、あとは重機で移動してくれることになりました。厚い長い板ですの、重い!重い!です。

結局、昨日は労働だけで9000歩になっていました。元気じゃないと出来ませんね。

煙突から煙が出ています。

薪ストーブに火を入れました。しばし休憩です。

今日は友人が会いたいと(上の貸別荘の持ち主さん)ラインが入りました。

東京方面の午後3時頃です。今日もきっと過ごしやすい日になることでしょう。

部屋に上がりました。だいぶ冷え込んできています。息も白い。

前回入った時は扇風機でしたが、今回は温風機をつけました。

ネットで昨夜のお月さんの紹介をしていましたので、私も外に出てパチリです。

自宅から持って来た柿を剥いて、ヘタの部分を焼酎に浸けています。干し柿を作るための夜なべ仕事です。

なんか、早く寝たせいか4時前に目が覚めました。それでも6時間半は寝たことになります。

外気温は10度です。

いつも画像でスミマセン!東京方面の朝です。

山椒の実も放置したら、赤くなっていました。

名の知らぬ草?も赤い実をつけています。

あぁ~短い内容にしようと思ったのですが、また長くなってしましました。

 

Hiro


先日、道志に入りました

2024年10月16日 | なかま道志ベース
先日4日前に道志に入りました。

ご飯は3食弁当です。昆布煮・ゆかり・やわらぎが乗っています。

これだけでも、十分にいただけます。

タッパには、味の染み込んだすき焼きです。前の日から作っていたようです。

そして、これも煮ものですが大根・こんにゃく・豚肉・ごぼう・ニンジンが入っていました。

また、揚げナスを麵つゆにつけて、揚げ浸しと言っていました。

うれしいですね!こんなお弁当です。2食分あります。

美味しかったよとラインしました。(良かった!と言っていましたね)

さて、一カ月ぶりに道志に向かいました。あの山を目指してです。(自宅から1時間半かからない場所です)

こんなに時間を空ける(1か月間も来ないなんて)、珍しいことです。なんか忙しかったんです。

やはり、来れば落ち着くものです。農機具小屋のアイビーも色づき始めました。

この小屋を造った時は、本当に苦労しましたね。どんな風に造るか素人の設計?です。

柱1本立てるにも、押さえてくれる人がいれば楽なのですが、一人では大変でした。

集大成(最後)の構造物だと思っています。冬場に着手しましたが、土が凍っていて土台部分が掘れなかったのを記憶しています。春になって一気に作り上げました。

お気に入りの展望の出来る場所になりました。

湧き水を流してワサビを植えています。収穫と言うよりは鑑賞用ですね。

その下流(ちょっとオバーかな?)、生け簀を作ってマスを飼っていますが、1カ月もエサをやらなかったので、姿が見えません。

クレソンもなんとか残っていました。水が冷たく濁っていませんのであまり育っていません。

田んぼのような泥水が良いのかも知れません。夏場はよく育っていたのですがね。

ただの池です。ビオトープをイメージしたのですが・・・。観賞用だけですね。

知り合いの園芸店からいただいた、カラスウリの苗(里芋みたいな株)を植えて3年目で、やっと赤い実が出来ました。今年は沢山成りました。

まだ、百日草が咲いています。ほんと、100日は咲いてくれています。(種から育てました!)

道志も一足早く秋の気配を感じます。

白樺の葉もだいぶ落ちてきました。集めて堆肥にするつもりです。

日中はトラック一台分くらいある、製材を都合で移動させました。7000歩になっていました。

いつものとおり、残材を燃やして片付けです。

夕刻には飛行機雲が線を引いています。きっと、小松?北海道?方面に向かう飛行機だと思います。もう、乗る機会も無いのでしょう。働いているころは、よく出張で青森や札幌・旭川方面に行っていました。

陽も暮れようとしています。

残ったお弁当を夕食にしています。

今日も板の移動やベンチづくり、落ち葉履きなどやることが山積みになっています。

いま、炊き込みご飯を作っているところです。

AmazonMusicを聴きながら、ブログを打っています。

この日の夜明け前の道志です。


母親が子を思う気持ち

2024年10月15日 | なかま道志ベース
享年102歳でこの世を去った母です。

関東大震災や第二次世界大戦、バブル期、コロナ禍も経験いたしました。

いろいろな出来事を経験した母だったのでしょう。

*施設から一度は帰りたいと言いて、連れて帰った日ですが庭先を見ている母です。

80歳過ぎてもスポーツクラブで水泳クラブに属し、今日はバタフライを習ったよ。

時には800mを泳いできたよ。と自慢げに話をしていました。

ある時、アルツハイマー型認知症を発症して、なんとなく自分でも「まだらボケみたい?」と言っていました。

昼夜が逆転するような生活になり、昼は女房がそばに居て、夜は私は寝泊まりしていました。

夜中に動き回り、翌日私に対して「良く寝てたわね」と言っていました。

ある時、みんなに迷惑をかけるからと言って、自ら有料介護施設へ見学に行きました

その後、その施設お世話になりましたが、スタッフさんやお仲間とも上手く行かず転所することになりました。

新型コロナも発生して、簡単には面会も出来ない日が続きました。

むかしの話しもしましたね。「もらう心は、乞食の心」とか「人は年齢なりにあなたを見ている」「身なりはちゃんとしなさい」などと、戒めのような言葉もありました。

女房は自分の母親より長く、私の母のそばに居たことになります。

そんな女房に対しても、母は「いつもきれいだよ~、良い嫁さんだよ~、一番頼りにしてる」と言っていました。

曽祖母(ひいおばあさん)も20歳で結婚し、祖母(おばあさん)も20歳、母も20歳で結婚した時代です。

姉さまに対しては、長女ですので小さい時から可愛がっていたようです。

この時も100歳過ぎた母が、80歳の姉さまに「可愛いよう~!」と言っていました。

100歳過ぎた母が80歳の姉さまに、どこが可愛いのか?心からそう思ったのでしょう。

私に対しては「まだ働いているの?元気だね~、若いよ~。ダンスはやっているの?二人とも仲良くていいねぇ~」「あなたがいるから安心している」と言っていました。

その母もいなくなり、やはり淋しく思えることもあります。

私自身、意外に母親思いで淋しがりやだったのでしょう。もちろん親子喧嘩もよくしましたね。

毎日、日めくりの過去帳を開き、仏壇に手を合わせいます。

父や先代の存在は大事ですが、母がそれぞれに対する言葉は今でも忘れません。

男ってやはり甘えん坊なのでしょう

 

Hiro