自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

何もできないので一泊で帰宅

2019年12月31日 | なかま道志

先日道志に入ると一面雪で、畑仕事はもちろんのこと、デッキでの木工もできません。

したがって、昼ごろより帰宅の準備を始めました。

どうせ居てもやることがありません。

今回は1泊でした。

片付けも早々にして雨戸を閉め、水道の元栓も閉めて室内の水場は不凍液を流し込んでおきます。

寒さで、氷ついたり破裂する恐れがあるからです。

東京の日常生活では、不凍液を入れるなんて考えられませんよね。

これが凍てつく道志では当たり前の別荘生活なのです。

雨戸を閉めながらパチリです。

いつ見ても飽きない(気に入っている)景色です。

そうだ!今回はネットで買い求めた電子レンジ(オーブンタイプ)を持って行きました。

最初に使ったのは、餅を解凍したことです。

最近のは便利ですよね。

上手くできましたよ。

今まで使っていたのはナイトー建商の出羽さんに差し上げました。

毎年いただいているカレンダーと引き換えにです。

除雪した階段です。

このあと、道志の水をペットボトルやタンクに入れて積み込みます。

地主のヒロさんより携帯が入りました。

子持ちのアユを焼いているので来ない?とのことです。

車じゃ1~2分のところのオートキャンプ場です。

来年のために薪割をしていました。

油圧で挟み込んで割るのです。

村道の一部も除雪を依頼されているようで、いつもこのようにスタンバイしています。

私と同じ薪ストーブで子持ちアユなどを焼いています。

この焼いたアユと冷凍アユ、そして先週狩猟した鹿肉もいただきました。

この辺りでは一人仕事が多いのでしょう。

東京じゃ、人が多すぎて歩くのもままなりません。

鹿肉をいただきパチリです。

今夜でも食べようかと思っています。

途中、ヒロさんの実家で、お母さんより大根をいただきました。

道志の大根は、味が違うんですね。

寒暖の差と言うより、寒過ぎるせいでしょうか?

美味しいのです。

それを土産に帰宅しました。

女房は「あら?もう帰って来たの」と驚いた様子です。

来月の中旬に山梨県の西山温泉「慶雲館」に行って見ないとのことです。

即OKしました。

予約も取れたようです。

庭には植木屋に頼んで置いた倒木した桜の木が届いていました。

チェンソーを持ち帰って来ましたので、早速イメージをしながら切断です。

次回に道志に持ち込むつもりです。

この倒木した木を加工して、花鉢にするのです。

イメージが膨らみますね。

作業は音の関係もありますので、道志で行いますが車に積める大きさ(重たさ)にいたしました。

この空洞になった部分の中に薪を入れて燃やすのです。

その後、少し加工して防腐剤を塗り、木鉢は完成するのです。

量があり過ぎて、一度では運びきれません。

変な趣味だとお思いでしょうが、意外とこの発想は受けています。

完成したらお見せしますね。

この手間が好きなんですよ。

また、このような材料(倒木した桜の木)も中々手に入りません。

まだ、太いものがあるとのことで、頂くことにしました。

道志で、この倒木した桜の木に花を植える予定です。

畑からガーデン風にしようかと思っています。

 

Hiro

 


先日、今年最後の道志に入りました

2019年12月30日 | なかま道志

我が家の縁側には、シャコバサボテンがきれいに咲いています。

まるで温室状態です。

日本の家屋は良く出来ていますね。

縁側はサンルームになっています。

 

きれいに咲き誇っています。

もう5~6年育てていますので、大きな株になっています。

返って置く場所に困るくらいです。

そして先日には、今年最後の道志に入りました。

カレンダーを付け替えたり、畑仕事をしようかと思ったからです。

除雪したのでしょう、路肩には雪が積まれていました。

家の駐車場も雪で隠れています。

さすが四駆でスタッドレスを履いていますので、難なく入庫できました。

 わっ!庭や畑は雪で真っ白です。

どこが階段だか分からないくらいです。

段々雪解けが始まり、モノの姿が現れてきました。

しかし、これじゃ~畑仕事はできませんので、来年に回します。

また、イノシシが入って大暴れしたようです。

腐葉土づくりをする置き場に、ビール袋に包み保存して置いたワラも、とんでも無いところまで運ばれ散らかっていました。

 畑のど真ん中も掘り返されています。

どこからどうやって入ったのか分かりません。

太い鉄製のメッシュ(網)も折り曲げられて脱出したようです。

凄い力ですね。

良くテレビなどで見る、猛進して突き破ったのでしょう。

前の職場から依頼されたベンチづくりのために、ペンキ塗りを始めました。

でも、寒いので途中で止めましたよ。

これも来年に回します。

残材を燃やして片付けをしています。

この燃やし場も来年はつくり返るか、補強しようかと思っています。

良く使いましたからね。

夕方になって、薪ストーブに火を入れました。 

良く燃えています。

 

今日の晩酌はふぐひれの熱燗にしました。

香りが出るように、ひれをちょっと炙ります。

ヤカンに日本酒を入れて、加熱します。

薪ストーブですので、まろやかなお燗になります。

外気温は1度でした。

寒い訳です。

でも、この寒さの中でも薪ストーブの威力と景色は何とも言えないですね。

これが道志での贅沢な時が過ぎて行きます。

 部屋に入り、ふぐひれで晩酌です。

何とも言えない至福のひと時です。

そのうちにウトウトと・・・。

先日のことですが、お一人さまのクリスマスイブの過ごし方でした。

女房はいただいたショートケーキで、お一人さまのイブを過ごしているとラインがありました。

今日はもう30日です。

この日はは何もできないので、道志の水を汲んでから帰宅しました。

その朝の外気温はマイナス2度でした。

これからカレンダーを付け替え、片付けをして帰宅します。

もちろん、水場(キッチン・風呂場・洗面所・トイレなど)には不凍液を流し込みます。

今年も楽しい道志生活を送らさせていただきました。

しかし、あのイノシシは憎たらしいですね。

 

Hiro


十年以上前から美味しいみかんが届く

2019年12月30日 | なかま道志

現職の頃からのお付き合いで、広島県大崎上島町の方から毎年「さのやの野生みかん」を送っていただいています。

あまり具体的な話をすると、現職のころの仕事がばれてしまいますのでご勘弁を。

私のブログは一応、個人情報は伏せていますがご存知の方にはバレバレです。

十数年前のある機会で、瀬戸内海に浮かぶ大崎上島町の方と知り合いになりました。

その時から、この時期に瀬戸内海の香りがする野生みかんを送っていただいています。

お顔もハッキリとは覚えていないのが実情ですが、女房が大好物で楽しみにしているみかんです。

野生だけあって、不揃いで小粒が多いのですが、これがみかん本来の味なのでしょう。

昨年は知り合いも欲しいと、注文したくらいです。

しかし、そんなに大量販売している訳ではないので、何とか送っていただきました。

不思議な縁で広島県大崎上島町の方と結ばれています。

お礼にと、いろいろと考えるのですが、東京にはこれに匹敵するようなものはありません。

佐渡〇さん、毎年ありがとうございます。

餅つきでいただいた伸し餅がちょうど良い硬さになって来ましたので、サイズに合わせて切りました。

まさに、野生みかんや餅切りで年の瀬を感じます。

全く意味の無い、ゆず味と醤油です。

昨夜はタラ鍋と刺身で夕食でしたので、女房がついでに買い求めたものです。

嘱託社員で週に3日勤務ですので、有休も使ってそれなりに年末を送っています。

現職の頃は考えられないことで、当時は忘年会のかけもちで動き回っていました。

この年齢になると、忘年会などの予定も無く手帳は真っ白です。

団体の役員をしているころにこのベンチを作りましたが、だいぶ痛んできましたので、作り変えられないかと依頼が入りました。

先日、お話ししたベンチです。

道志に行って作る予定です。

現職の頃など使っていた遊歩道です。

これから母のところへ行こうかと思っています。

 

Hiro

 


賑わいのある餅つき

2019年12月28日 | なかま道志

今年もあと3日となりました。

もう28日ですよ。

令和元年もいろいろとありましたね。

毎年、年末の恒例事業になっている、〇〇社の社員総出の餅つきに参加してまいりました。

こんな大がかりな、本格的な餅つきは珍しいですね。

毎年、お声をかけていただき、厄払いの気持ちと一年の節目として伺っています。

年の瀬も迫って、室内では段を取るヒーターも焚かれています。

広い作業場?利用しての餅つきです。

おそらく、関係者など200~300名くらい、入れ替わり立ち代わり参加しているかと思います。 

昨晩より社員が米をといたり、準備も大変だったかと思います。

早朝6時過ぎより、餅つきが始まったのでしょう。

今年のもち米は島根県の仁多米で、直接南雲農協から取り寄せたものだとお聞きしました。

そこまでこだわっているもち米です。

蒸し器も2か所で3~4段重ねで蒸しています。

ご担当のみなさんも段取りが良いですね。

蒸されたもち米を臼の中に入れます。

重要なのは臼を温めることだとしています。

この臼が温まるまでは、本格的な杵もち(食べるまでには)にはなりません。

最初はお供え用の餅として打つようです。

餅の出来栄えは杵でこねることで8割は決まるとされています。

慣れた方が、念入りにこねています。

床に半畳の畳を敷いてクッションにしています。

立派な木臼ですね。

この画像で、こねの作業がお分かりかと思います。

お一人の方は地下足袋を履いています。

野菜を作らしたら天下一品だとのことです。

この方も社員のようです。

大勢で代わる代わる、杵を持ちます。

それぞれ役割が決まっていて、つきあがるのを待っています。

掛け声に合わせて、打ちますがいろいろなポーズ(上手な方、そうでない方)がありますね。

女性や子どもさんは、軽い杵で打ちます。

いよいよ私に回って来ました。

今年も古希を過ぎ、後厄だったのでしょう。

一般的に男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳。

女性の場合は19歳、33歳、37歳とされています。

 特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされているのです。

そして、寺の住職は、その後の還暦や古希、喜寿なども厄として考えてくださいと言われました。

その厄には前厄と後厄もあります。

私もみなさんの掛け声に合わせて餅をつかせていただきました。

今年はいろいろとありましたので、古希の後厄だったのでしょう。

これで来年は良い年になるかと思っています。

美味しそうなつきたての餅をいただいています。

家にも土産にいただきました。

女房もこれは美味しいね!と言っています。

社長の〇崎さん自ら煮込み担当になっています。

味付けは抜群です。

普段はラフな格好をしているのですが、この日は地元の要職についていますので、10時過ぎには一旦そちらに向かうそうです。

したがって、ある会でご挨拶するとかででワイシャツ姿です。

お供えの鏡餅を作っています。

良く知っている方が担当していました。

つきたての餅ですので、かなり熱く柔らかなので成形も大変の様子が伺えます。

大分、形になって来ましたね。

これも年配の指導者が丁寧に教えてくれているそうです。

鏡餅も立派に出来上がりました。

餅も各種いただき、煮こみもお代わりするくらいです。

車ですので、景気付けに飲めないのが残念ですが・・・。

これで新しい年を迎える気持ちになりましたね。

このあと、2軒ほど年末のご挨拶に伺いました。

帰宅して日記を付けています。

来年は好きだった(得意な)水泳でも始めようかな?とも思っています。

段々体が硬くなり、肩が回らくなって来ました。

中・高・社会人の時は水泳部でしたからね。

〇崎さん、今年もお呼びいただきありがとうございました!

良い年をお迎えください。

道志に入るのは来年になります。

 

Hiro


通勤と鮮魚店の話

2019年12月27日 | なかま道志

職場近くの植樹帯です。

こちら側から反対側の隅まで通り抜けます。

朝の時間は多くの方々がこの植樹帯を抜けます。

抜ける方法で、その方の性格が出るような気もいたします。

そう、品川駅を出ると、ほとんどのサラリーマンはまるで競歩のように早足です。

その波に乗れないと、後ろの方に悪いような気もいたします。

狭い日本、そんなに急いでどこへ行くの?のフレーズを思い出しました。

私は先ず立ち並ぶ植栽の脇(横)を通って、三本目の角を曲がりそのまま直進して本通り(歩道)に出ます。

ある方は、小刻みに角々を曲がって、ほぼ斜め直線で抜ける方もいます。

時間は計ったことはありませんが、そんなに変わらないかと思いますが、これも性格なのでしょう。

ヨットの操縦と似ていますね。

目的地が風上方向にある時の最短距離をセーリングで走る方法が「クローズホールド」と言います。

このクローズホールドは方向転換を行わないと、どんどん目的地から離れて行ってしまいます。

そこで、目的地に向かうために方向転換をジグザグに繰り返して風上へ向かってゆくわけです。

細かくジグザグに進むときの方向転換を「タッキング」”tacking” と言います。

日本では「タックする」と言い、スキッパー(船長)がクルーに号令をかける時には「タック」と言います。

タッキング

距離は短いのですが、タックが多いとそれだけ抵抗もあって速度は落ちます。

タックが少なければ速度は出ます。

どちらが良いのかは結果次第ですね。

余談になってしまいました。

なんか、ヨットの操縦を思い出してしまいました。

何度も曲がれば早く着くかも知れませんが、今の私は真っ直ぐ横に行って一回曲り歩道に出る性格です。

来年の干支はねずみ年ですね。

6回目の干支を迎えます。

性格も変わって来ましたよ。

さて、先日のことでした。

最近、やけにこの店が気に入っていて、買い出しに(一人)で行って来ました。

自宅からは35分かかります。

ここのサワラフライとホタテフライが結構美味しいのです。

アジフライなどはバカでかくて、一回では食べきれないくらいです。

 just looking(見るだけ)です。

アラカルト(切れ端パック?)の刺身を晩酌用に買い求めました。

私はこれで十分です。

この塩じゃけは前回も買い求め、意外と美味しかったので、4枚カゴに入れました。

時間が午後でしたので、いつもよりは空いていましたね。

早朝はプロも買いに来ているようです。

プロが何を買うかも、楽しみでその品を買う友人もいます。

まぁ~、保存できるモノを多く買い求めましたね。

そうだ、明太子もです。

一本モノは値も高く、口に入ればみな同じですので、バラにしました。

量は同じでも半額くらいです。

隣接して野菜も売っています。

今日のダントツ野菜(お一人2束まで)に目が止まりました。

ホウレンソウです。

これは美味しかったですね。

大根やブロッコリー、そしてミカンやタマゴもです。

少しずつでしたが、まとめると買い過ぎましたね。

どうやって女房に請求するかです。

半分は自分で持っても良いかと思います。

ストレス発散代としてです。

 

Hiro


ほうき草

2019年12月26日 | なかま道志

初夏に買い求めたほうき草(コキア)を木鉢に植えました。

今年の夏は天候不順でどうなるか心配していたところです。

そして、夜なべ?して、このほうき草で箒を作っていました。

園芸店で買い求めた小さな(安い)苗です。

去年の種を育てて道志に植えましたが、思うようにきれいにはなってくれませんでした。

やはり、環境と世話が問題だったのでしょう。

我が家のは、水やりしたりそれなりに管理していましたので、元気に育ちました。

秋口には緑が赤に紅葉して、二回楽しめます。

そろそろ、ENDに近づいて来ました。

思い切って切り取り、軒先に吊るして乾燥させました。

そして、昨夜です。

一杯やりながら(夜なべして)、ほうき草で箒を作りました。

実際に使うか?それとも当分は観賞用にするか思案中です。

やはり観賞用が良いのかも知れません。

種はたくさん収穫できましたので、来年は先ずポットに植えて発芽させ、大きく成ったらまた木鉢か道志に持って行く予定です。

むかしの人は、こんな風に自然のモノで日用品などを自分で作っていたのでしょう。

使えなくなったら、かまどにくべれば良い焚き付けになります。

ほうき草で箒を作る半年の工程がこれで終わりました。

小判草も色づき、小判のようです。

これが本物の小判なら、もっと増やすのですがね。

シャコバサボテンも室内に入れました。

やがて、きれいな花が咲き始めました。

花屋さんで買い求めれば、かなりの高額になるくらいの大きさに育っています。

玄関先の椿?です。

椿かさざんかなのか良く分かりません。

木鉢にパンジーを植えています。

こんな風に飾ると可愛らしいですね。

70歳過ぎの爺さんが言う言葉ではないかも知れません。

一昨日から植木屋さんが入りました。

玄関と庭の松の手入れです。

お一人ですが、丁寧にハサミを入れています。

1日に1本手入れできればの状況です。

 

普段の年であれば枯れた葉などは落ちるとのことです。

しかし、今年の夏場は雨が多く枯れた葉は新芽などに張り付くので、見た目に松が黄色く見えると言っていました。

退職すれば、剪定も覚えて自分で出来るかと思います。

道志では庭師を入れる家も少ないかと思います。

道志全体が庭みたいなものですからね。

聞えるのはチェンソーの音ばかりです。

ハサミのパッチンと言う音は聞こえません。

所変われば、品変わるとはこのことを言うのでしょう。

仕事もそろそろ(潮時)と考えていますが、会社はまだまだ(これから)と言っています。

そろそろと、まだまだの葛藤があります。

 

Hiro


今日は道志に入りますが・・・

2019年12月24日 | なかま道志

?今朝のPCの調子がイマイチです。

日常の生活を写真を撮って日記みたいにしているブログです。

忘れてしまう出来事を、デジタル上で残して置きたかったからです。

よって、内容はありません。

さて、日曜日の昼に母のいる施設に女房と行きました。

中庭も晩秋を迎えており、紅葉と枯葉が舞っていました。

病院と併設ですので、人影も少なく静かですね。

母も暖かいいつものいるフロアーでうたた寝していたのでしょう。

きっと、昔の夢を見ていたかと思います。

突然行ったものですから、夢と会話とが合いません。

母は夢の話をしています。

食欲もあり体は元気です。

でも数えで98歳ですからね。

夢の内容を話していますが、断片的で良く分かりません。

食事を終えると、眠くなったからもう帰って良いよと言っています。

毎日?3年日記を筆で書いていますが、もう頁が無くなってきました。

ネットで同じモノを注文し、また3年書くことにしました。

今は筆を休め、書道教室には行っていません。

仲間は上達してランクアップ(昇段)しています。

書道を本格的に始めると、結構時間が必要になります。

毎週、お稽古日があって書いた作品を先生に見てもらい朱で直してもらいます。

他に趣味も多い私ですので、数年前より筆を休めることにしました。

ただ、日記だけは筆で書こうと付けています。

昨日も早朝6時過ぎには家を出て品川に向かいました。

電車も着膨れで、座席が狭くなったような感じがいたします。

会長や社長とも雑談?したり、東北支店に用事電話を入れたりしていました。

社員数は3500名の会社です。

周りの社員は会長室に入ったり社長と話をしている私が突飛に見えるのでしょう。

私の人見知りしない、もの怖じしない性格ですので致し方ありません。

ちょっと早めに帰宅しました。

冷蔵庫に貼ってあるカレンダーを見ると、歯医者に予約を入れていました。

 

慌てて自転車で5分ほどのところの歯医者に・・・。

受付ではyukiさん予約時間より30分早いので、待っていただけますか?とのことです。

慌てん坊の私です。

時間まで確認していませんでした。

最近はこんな日常になって来ました。

診察台の壁面には秋の映像が流れています。

インプラントにして、定期的(3か月1度)に歯のケアーをしていただいています。

自分で歯磨きや歯垢を取ろうとしても、やはり完全ではなく歯医者さんに行った方が良いですね。

インプラントは歯ぎしりなどには弱いとのことで、寝る時はマウスピースをすることを進められました。

よって、この日は歯型取りもしました。

数日後には出来るようです。

歯医者から帰宅する時は、西の空が夕焼けになっていました。

今日は晴れることでしょう。

ダンスの練習会がありますので、飲まずに準備していましたが、女房は気分がイマイチすっきりとはしないのでしょう。

それは当然のことだと思います。

ダンスの練習もお休みすることにいたしました。

先月、最愛の母が突然他界したものですから、心残りがあると思います。

いろいろとしてあげたかったことも沢山あるかと思います。

日常の仕事はしているのですが、帰宅し夜になると母のことを思い出すのか、私にとっては静かにしてあげることが一番だと思います。

ポジティブな女房ですので、そのうち元気になるかと思います。

今日は仕事はOFF日ですので、家事手伝いをする予定です。

スミマセン!

自分の写真日記ですので、つまらないことをつぶやいています。

 

Hiro


いろいろとお世話になったお礼に(鮨忠)

2019年12月22日 | なかま道志

いつもいろいろとお世話になっている(お願いしている)、書道家 内田藍亭(うちだ らんてい)先生を八王子戸吹にある「鮨忠」さんにご案内いたしました。

先生の書体も好きで、道志の別荘にも飾ってあります。

桐箱に納められてられており、箱書きまでされていました。

「内田藍亭書萬竿脩竹半載幅」 と書かれています。 

 裏面は、書かれた年干支日、「令和己亥秋日」

「藍亭題」と落款です。

落款も桐箱に強く押されています。

きっと5分以上は押し続けたのでしょう。

桐箱に朱の印泥を浸み込ませるためです。

書道家の想いが伝わります。 

 「萬竿修竹」

出典は 明・帰有光とあり、「無数の長い竹」を意味するとありました。

道志の山荘にピッタリの掛け軸です。

しかも、私の雅号「萬鶴」の一字が入っています。

一番上の字が「萬」です。

右側は私の書いた瓦当文で「千秋萬歳」です。

中国で発見された屋根瓦の一部に描かれていた字体です。

藍亭先生の隣に掛けるのは失礼かと思いますが・・・。

更に右側には育てたコキア(ほうき草)で作った箒です。

・・・・ 

そして、いつもお願いばかりしていますので、お礼に鮨屋さんにお連れしました。

待ち合わせは八王子駅北口のバス停(12番)です。

11時05分発戸吹行きです。

到着時間は11時31分の予定です。

オープンは11時30分からですので、ピッタリのバスの旅?です。

終点のバス停から歩くこと2分。

戸吹「鮨忠」さんが見えてきました。

青い建物です。

内田藍亭先生はまだ、来られたことが無いとのことです。

先生と比較して書の壁面(看板?)の大きさが分かります。

この店は桑原翆邦先生の板戸(間仕切り)もあり、書道家さんや書を愛好する方には有名な店です。

壁画のような巨大看板は鈴木方鶴先生の作品です。

いよいよ約30分のバス旅を終えて店内に入りました。

店内の壁面もこのとおりです。

御影石?にサンドブラシで「華下一壺ノ酒」と書かれています。

若大将が笑顔で出迎えていただきました。

今回の目的は、桑原翆邦先生(現天皇陛下の書道の先生)の書かれた板戸(部屋の間仕切り)の作品を見るためです。

普段は納戸に納めていますが、私たちのために出していただきました。

内田藍亭先生も大きなため息をついていました。

写真と実際に見るとでは大きな違いだと仰っていました。

 

実はもう一枚あったのです。

ちょうど出入り口になっていましたので、一枚が重なっていたのです。

全てで5枚です。

実に壮観と言うのか圧観ですね。

鮨店の板戸ですので、作品が前に出ずそれとなく存在感を与えるような考えだったのでしょう。

奥ゆかしさを感じます。

書道もいろいろな場面を考えて書かれているのですね。

書道家さんの目は目の付け所が違います。

どのような筆を使って書いたのだろう?目を見張って見ていました。

翠邦先生使用筆は、籠巻筆(銅製)。 だと、つぶやいていました。

八十六歳の作品です。

こちらは吉野大巨先生が寄贈された桑原翠邦先生の額装です。

八十八歳と書かれています。

更に吉野大巨先生の軸装も掛けられています。

内田藍亭先生は、興奮状態で見入っていました。

いよいよ美味しい鮨をいただきます。

いろいろなものをいただきたいので一貫にしていただきました。

今日の仕入れ具合や珍しいものを、若大将お任せでの注文です。

いよいよ若大将と客である私たちとの戦闘開始?の雰囲気です。

戦うには喉も乾きます。

先ずは生ビールで・・・。

食べるのに夢中になって、最初写真をパチリするのを忘れていました。

若大将はこれはどうか!と美味い握り鮨を出します。

シャリもかまど炊きです。

実に完璧です。

美味過ぎる・・・!

ここで、また喉が渇いて来ました。

今度は銘酒の十四代をいただきました。

キンキンに冷えた竹筒です。

美味しい鮨と会話、そして酒・・・。

昼時にも関わらず贅沢な時間が過ぎて行きます。

イカも美味しい!

イカは包丁を入れるほど美味しくなると聞いたことがあります。

さすがです。

マグロも赤身やトロと違った味が出されます。

このカウンターは千年以上前のもので、この節を触るとご利益があると言われています。

藍亭先生も一生懸命に撫でていましたね。

これはなんだっけな?

富山沖でとれたブリ?と一緒に紛れ込んだ、迷いカツオだったかな。

中々手に入らないとのことです。

一口いただいて唸ります。

サバもしっかりしていて美味い!

やはり話に夢中になり、パチリを忘れています。

yukiさんが前回来られた時は、奥さまと結婚記念日の日でしたね。と覚えています。

〇崎さんご夫婦も仲良くて、良くご来店いただきますと言っていました。

私が初めてこの店に来たのも〇崎さんとでした。

私は店の近くにあった(現在は三鷹市内)杏林大学でゲストティーチャーを何度かしたことがあります。

酒は、秋田の「花邑(はなむら)」そして、新潟の「景虎」に・・・。

それぞれ全く異なった味で、結構いただきました。

挿しつさされつ、戦いは終盤を迎えています。

最後に玉子焼きになります。

季節のモミジがアクセントになっています。

これで打ち止め(最後ですよ)の意味もあるのでしょうか?

最後に香のモノが出て来ました。

名を忘れました。

最初にお出ししていただいた、イカの塩辛とこれだけでも酒が進みます。

余は満足じゃ!です。

この一枚で伝わるかと思います。

二人で最後の乾杯ですが、若大将の腕には完敗です。

さすが、吉兆で修行してきた若大将です。

小さかった娘さんも、もう中三で受験のようです。

若大将!今日も美味しくいただきました。

更に「鮨忠」さんの繁盛を祈念いたします。

また、内田藍亭先生にもいろいろとお願いしちゃいました。

13時45分のバスで八王子駅に向かいます。

始発ですので、空いていました。

テレビで出て来るような路線バスの旅も楽しいものです。

喧騒な街から、バスに揺られて田畑や竹などの囲まれた街道を通って、目的の鮨店に辿りつくことに意味があります。

その努力?があって美味しいものに出会うのです。

やはり本場で修行した若大将の握り鮨を食したり、書道なども含めてデジタルの世界でなく、もっと広い世界観を感じます。

有意義なひと時が過ぎて行きました。

人との出会いは大事にしたいですね。

何よりもの財産です。

今回は、いろいろとお世話になったお礼にと、鮨屋さんにお連れしました・

 

Hiro


スタッドレスに履き替えた そして買い物

2019年12月20日 | なかま道志

母のいるところへ、施設代を支払いに行って来ました。

このような施設に何年もお世話になっています。

ここの施設は病院であり、先生やスタッフも揃っていますので安心できます。

97歳になりますが、よく来たね!と元気に会話いたします。

忙しいだろうから帰っても良いよと言っています。

眠くなったのでしょう。

そして、そこから青梅街道を西に約20分ほど行った、寺泊直送の鮮魚店に向かいました。

新鮮な魚類が並びます。

大体、買い求めるものは決まっています。

時間的には道志から峠を越えて都留カインズに行くくらいの時間(35分くらい)です。

昼用の寿司と、揚げ物も買い求めました。

素材が新鮮ですので、出来上がったものも当然美味しいですね。

平日の昼間だと言うのに、大変な混みようです。

威勢の良い声が飛んでいます。

買い求めたものは、その場で調理してくれます。

どこも当たり前ですがね。

前回はサザエなども買い求めましたが、酒と醤油味で網で焼いていただきました。

美味しかったのですが、ペロッと食べて終わりです。

エビも良いのですが、皮を剥いて食べるのも面倒になって来ました。

今回はサザエも甘エビも買いませんでした。 

鍋も良いかな?と思って真鱈(タラ)を買い求めました。

ついでにアンコウも考えましたが、ストップしました。

この時期はあんきもも美味しいですよね。

飲み屋さんでは、結構いい値段いたします。

甘塩鮭を買って来て欲しいと頼まれていますので、これを5枚買い求めました。

調理場も忙しそうです。

次から次へと注文が入ります。

何故か、「やみつき炙り鱈」がやみつきになっています。

今回も2つ買いました。

レジも並んでいます。

外には野菜も売っています。

泥ねぎや大根もです。

1万円札が飛んで行きました。

しかし、こんな風に買い物するとストレスの発散?にもなりますね。

当分、買い物をしなくても良いのでしょう。

そして、本題です。

午後4時からスバルのディーラーでスタッドレスタイヤに交換です。

以前なら、こんなことは自分でもできたのですが・・・。

やはり気力と体力の限界を感じています。

私の車が目の前でリフトアップされています。

タイヤって結構重いんですよ。

作業も早く、疲れないのかなぁ~。

洗車付きで4400円の工賃でした。

これなら自分でやっても良かったかと思います。

これでいつでも道志に入れます。

女房も店で仕事していますが、先月に母親を亡くして心中穏やかではないことを察しています。

今年は喪中ですので、正月飾りも無く静かに過ごします。

昨夜は美味しい鮮魚類で夕食でした。

買い出した費用は私のおごりです。

 

Hiro


今年もあと少し これからのこと考えること多し

2019年12月19日 | なかま道志

今年の漢字一字は「令」が選ばれました。

私もこれかな?と思っていましたね。

台風や豪雨などの大きな被害もおよぼしました。

未だに道志への道は、完全復旧していません。

親族も義兄と義母が他界しました。

世相では嫌なニュースばかりが取り上げられます。

もっと夢のあるモノや楽しいこと、笑えるニュースは無いものでしょうか?

やはり視聴率優先なのかなあ~。

では、私の漢字一文字は「迷」にしました。

道志には生鮮食品を扱っている店がありません。

私だったら、都留のカインズホームへ行くのでしょう。

でも山越えをしていくのですから、片道30分以上はかかります。

いつも冷凍モノを調理しています。

美味しくありませんね。

道志から帰宅する時は、家近くのスーパーに寄って握り寿司を買い求めます。

生鮮(刺身など)に飢えているのでしょう。

さて、今年の一文字を何にするかも悩みました。

「悩み」もあったかと思います。

「気」もあります。

気力(やる気)も、体力も衰えを感じています。

今年の1月か次の企業からも声がかかり、迷いましたがお受けすることたしました。

来年はどうするか?も「迷う」っています。

居間にかけてある来年のカレンダーも届きました。

3年日記もあと12日分しかありません。

ネットで同じものを注文しました。

この3年日記も8冊(24年)くらいになりました。

昨年や一昨年の同時期のモノを読むと、想像できないことになっています。

これからは、昨年と同様な日々を送りたい気持ちもあります。

そんな心境から、今後をどうするか?で「迷」になりました。

庭の柿の葉も舞っています。

木枯らしなのでしょう。

気持ちだけは木枯らしが吹かないようにしているのですが・・・。

今年一年、ダンスにも全く力(気)が入りませんでした。

どうダンスと向き合うかもあります。

昨朝のお月さんです。

コンデジでパチリしました。

あんなに大きな塊(月)がどうして浮かんでいるのかも不思議です。

人間って、迷ったり、考えたりして生きているんだなと思いました。

そして、道志に入るためにスタッドレスタイヤに履き替える予約もして置きました。

冬ですね。

 

Hiro


昼はイノシシ対策と木工 夜は斧の手入れと手帳整理

2019年12月17日 | なかま道志

イノシシに入られ、荒らされたブルーベリー畑の補修作業をしていました。

畑も除草や枯れたモノを撤去し、肥料を撒いて置きました。

次に来るときには、プチな(耕うん機)で耕し、冬を越そうかと思っています。

枯れた枝にトマトが残っていました。

収穫する時期を逸していたのでしょう。

頑張りましたね!ミニトマト。

そして、木工です。

7~8年前になるのでしょうか?以前の職場がバス停前にありました。

バス待ちの高齢者にベンチを作ってあげようかと、絵になるようなモノを設置いたしました。

そのベンチも古くなり使えなくなって撤去したとのことです。

ベンチを利用していた方から、また置いて欲しいと要望があったそうです。

先日、偶然お会いした当時の部下からそんな話を聞きました。

今回は作れませんが、ちょうど良さそうな板がありましたので次回来た時に作るつもりです。

年配の方が座っている姿を想像しています。

座ってくれてありがとう。

昨日はこの扉を作り直していました。

ピタッと納まらなかったからです。

畑仕事も終え室内に入りました。

泥だらけとはこのことを言うのかも知れません。

防寒着や作業服を洗濯機に入れ込みました。

風呂が沸くまでしばし、庭を眺めています。

片付けは今日にすることにしました。

風呂から上がり、時間が早いものですから、錆びた斧をサンダーと砥石で磨きます。

ちょっと荒っぽいのですが、こんな風に磨き上げました。

さやに納めて終了です。

そして、テレビを見ながら手帳の整理です。

長年使っている手帳です。

バインダー式になっていて、私には使いやすいですね。

この手帳もぼろくなってきました。

そろそろ使い修めの時期が来たような気もします。

新しい来年の用紙をはめ込みました。

とりあえずは、来年の予定までは書けます。

現職のころは、隙間が無いくらい予定がぎっしりと書きこまれていましたが・・・。

手帳にはいろいろな記録?も作り挟まっています。

これは漢字一文字で表す字ですね。

いろいろなことを思い出します。

私の履歴や年齢とその時に起きた事件や事故、トピックスなども記載されています。

13歳の時はソ連のガガーリン少佐が人類初の宇宙旅行と書かれています。

18歳の時に、東京オリンピックがあったのですね。

63歳の時に東日本大震災が発生いたしました。

72歳の時に、再び東京オリンピック開催が追記されるのでしょう。

きっと、テレビの録画を見ているかと思います。

その他、私や女房の両親、子どもたちの誕生日なども記載しています。

故人の戒名などもです。

飲んでいる薬や病歴もです。

何かの時は便利ですね。

さて、来年4月からこの手帳を使うかどうかです。

思案中、潮時・・・。

どちらにしても相手(会社)の考えもあります。

今年を漢字一字で表す字は「令」になりました。

 

Hiro


またもイノシシにやられた!

2019年12月16日 | なかま道志

先日は急に思い立って、道志に行くことにしました。

時間は昼近くです。

荷物を積んで、家をでました。

慣れた道ですので、の先は急カーブだとか把握しています。

その分運転も楽ですね。

相模湖の橋を渡ります。

後続車もありませんので、車を止めて景色をパチリしました。

雲っていましたので、色合いはイマイチです。

まだ土砂崩れの部分は片側通行になっています。

台風と大雨で、今年は各地域が大変な目に合っていますね。

やがて、我が家の入り口です。

この辺りでは、紅葉は終盤になっていました。

車を止めてビックリです。

また、イノシシが入ったようで、ブルーベリー畑やワサビを育てているせせらぎも荒らされています。

イノシシは鼻で土を深さ30cmくらい掘り起し、ミミズを餌にしているようです。

まるでブルドーザーでかき回したような状態です。

見るも無残なせせらぎとワサビの苗です。

簡易な扉もぶち壊されていました。

昨日のニュースで、八王子市でも出没し取材のヘリが追いかけていましたね。

本来は山に住むべき野生動物が里に降りてきています。

畑の被害はともかく、人に襲ってくるものですから注意も必要です。

なんとか、被害があった部分だけを直しました。

排水溝も詰まっています。

ワサビもこれで育つかとお思います。

さて、今日は扉直しと、ベンチづくりを予定しています。

牛肉とキャベツの炒め物です。

牛肉は冷凍モノでしたので、美味しくは無かったですね。

空腹を満たすだけの食事です。

その後は、錆びた斧などの手入れです。

専用のサンダーに付け替えて、先ずは刃先などの手入れです。

2本ありますので、同じように手入れしました。

最後はやはり砥石で刃を磨きます。

今年に入って年齢のせいか、全てが中途半端になっています。

昨夜も、女房ラインを送りました。

3月いっぱいで仕事を辞めようかな?とも思っています。

私から仕事を取っては何になるのかもあります。

ダンスの練習も全くしていません(やる気が出ません)ので、年明けの試合は出ないことにしました。

潮時かも知れませんが、その潮が読めません。

本当に迷って(悩んで)います。

しかし、自然との共存は難しいですね。

 

Hiro


東日本大震災を思い出す

2019年12月14日 | なかま道志

現在でも道志に入るには、台風や豪雨の影響で通行止めや片側通行の場所が何か所もあります。

完全復旧にはどのくらいかかるのでしょうか?

さて、過去の統計を見ると2年~5年の間に、震災が発生しています。

詳しくは地震年表を参照してください。

私の記憶では北海道奥尻で津波により町が壊滅したテレビ放映をしていました。

信じられない光景です。

その後、中越や中越沖地震も発生しました。

更に、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本での震災などが頻発しています。

天気予報の地震をクリックすると、ほとんど毎日発生しているのです。

道路脇に線路と枕木を固定する犬釘(いぬくぎ)が散乱しています。

津波はこんなに強い力?があるのでね。

陸前高田のある駅でした。

海は遠くに見えます。

ホームも姿形もありません。 

本当はダメだと思いますが、この状態を忘れないように2本拾ってきました。

ホームらしきモノがあります。

線路わきに車も流されていました。

碁石海岸です。

旧職場の先輩が帰省して、ご実家の大船渡で暮らしていたのです。

この地震発生の直後は、宿などは取れません。

連絡したところ、何ももてなしはできないけど家に泊まりなさい。と言ってくれました。

ご立派な家で、高台でしたので大きな影響はなかったようです。

甘えて泊めさせていただきました。

碁石海岸の石と犬釘です。

これを見ては、あの時の被災場面が目に浮かびます。

一本は磨いて、部屋に置いています。

セカンドステージはある団体で、私は役員を仰せつかっていました。

遠野市とも縁があり、現状を把握するため先遣者を行かせました。

私も発災後間もなく、大船渡と陸前高田に入りました。

発災後まもなくですので、想像できない光景です。

その方の案内でガソリンも十分手に入らない中、あちこちを案内いただきました。

合わせて7回ほど伺いました。

思えば、新潟沖地震の現地にも入りました。

現状がどうなっているのかは、地元のタクシーを利用することが一番です。

もちろん個人的な行動ですので、交通費も結構かかりました。

帰りの新幹線はグリーン車席しか空いていませんでした。

大船渡の線路がなぜ?こんな風になっちゃうのでしょうか。

この現場を見た時は、大変なことが起きていると感じたのです。

こんな大きな船が住宅街まで流されたのです。

どうして?なぜ?と思うばかりです。

大船渡の中心市街地です。

写真も何千枚も撮っていますので、ご紹介するものがなかなか出て来ません。

復旧作業は先ずは道路上の瓦礫の撤去から始まります。

道路だけは通行可能にするのです。

海辺の船もこんな状態でした。

護岸や沖合の防波堤も崩れています。

おそらく、風光明媚な松林だったのでしょう。

根こそぎ折られています。

凄い破壊力です。

これまでに被災を受けた場所は、目で見て風や臭いを感じないと映像に過ぎないと思って行動していました。

これまでに場面は異なりますが、50年前にはケネディー大統領がダラスで暗殺された場所も見て来ました。

暗殺されたのは、金曜日です。

また、ベルリンの壁が崩壊した時も単身ベルリンに出向き、崩壊した現場(壁)も見ました。

だから、何だと言うことは有りません。

現場を見て自分に刻み込むだけです。

もちろん、阪神淡路大震災もです。

やはり移動するには街の状況を知っているタクシーを使うことが一番です。

運転手さんは、発災直後は誇りと悪臭が凄かったと言っていました。

また、避難所などでは得体の知れない者が、夜は避難所で昼間は街中に出て窃盗?と思わる人もいたようです。

 陸前高田です。

まさに瓦礫の山で、行きかう車両は自衛隊や消防、警察そしてダンプカーなどです。

どこまでが田んぼで、市街地だか分かりません。

やはり現場を見ることは大事ですね。

最も安全な場所にあるのが消防署だと思いますが・・・。

消防車はこの裏手に流されていました。

陸前高田です。

現場に入った私です。 

こんな画像は絵になりませんよね。

これが現実でした。

熊本地震にも仕事関係で行きました。

線上に被災された場所と影響の無かった場所がハッキリと分かります。

道路を挟んで片側は壊滅状態で、その反対側は普通の生活?をしています。

西日本の豪雨災害(仕事で)も岡山県の高梁市などを確認しました。

この場所に行ったときに、ハザードマップなどを確認するようにと現場に伝えたのですが・・・。

大船渡の踏切です。

電車が通らないことが分かっているのに、地元の方は一時停止しています。

今日は何を言いたいのか分かりません。

何の役?にもなりませんが、現場を見るだけでも自分にとっては大切なのでしょう。

こうして、18歳で返還前の沖縄に行ったり、米国での生活やフォースステージ(4度)の仕事をさせていただいています。

 陸前高田の線路脇に落ちていた犬釘を磨いてみました。

本来はお返ししなければならないモノだと思います。

これを見ると、何故か勇気と行動力が湧いて来ます。

お許しください。

 

Hiro


喪中ハガキを作って・・・

2019年12月13日 | なかま道志

母の葬儀も終えても、行うことは結構多いですね。

先ずは、喪中ハガキづくりです。

お出しする方も一時に比べて三分の一くらいになりました。(しました。)

近所の銀杏畑も紅葉して、枯葉が舞っています。

やはり師走を感じます。

喪中ハガキを作っている時に、疑問がありました。

それは私にとっては義母にあたるのですが、連名ですと女房は実の母ですよね。

結局、女房の友人には母〇〇と単独でお出ししました。

私は義母〇〇としてお書きし単独名です。

そして、お知らせするだけの方には連名にしたのです。

何が正解なのか、ご存知の方は教えていただきたものです。

変なことに拘っている自分がいました。

これも性格なのでしょう。

そして、昼近くになって家を出ました。

いろいろな用事を済ませにです。

先ずは喪中のハガキをお出ししました。

本来なら手書きで宛名をお出しするところですが、枚数もあり、また12月6日ですのでパソコン打ちでお出ししてしまいました。

突然の訃報でしたのでお許しいただきたと存じます。

ポストの反対側では年末ジャンボ宝くじが売られていました。

買わなくては当たる権利?は有りませんし、買っても当たらないのが通常です。

当たる確率は北海道の面積で、米粒一つ拾うくらいだとのことです。

当然、スルーしています。

吉祥寺のデパート近くです。

周辺は賑わっていましたね。

デパ地下の食品売り場です。

チョコレート売り場でしたが、有名なんでしょうか?賑わっていました。

濃いめのウィスキーボンボンなら食べてもよろしいのですが・・・。

ちょっと甘いものは苦手です。

毎年、この店でお歳暮として送る方がいます。

以前は多かったのですが、今ではお一人だけです。

いつもいろいろとお世話になっていますので、奮発して今年から値段を上げました。

歳末商戦なのでしょう、あちこちの店が混んでいます。

デパートのカバン売り場に行きましたが、気に入ったものがありません。

今、使っているモノがちょっと傷んで来ており、もう少し大きいものが欲しかったのです。

デパートを出てLOFTに行きました。

結構、品数もあって面白い店です。

これも良いかな?と思って、女房にラインで送りました。

モノを見ていないのでアドバイスはできないとのことです。

あまりポケットが無い方が良いとのことでした。

結果的には、シンプルな肩掛けバッグにしました。

あまりポケットは付いていませんので、探す必要が少なくなりますからね。

*人のことを言えないのですが、女房も数珠を失くした?ようです。

結構良い数珠だと思います。

斎場かな?実家かな?と探したようですが、結局バッグ内の小さなポケットに有りました。

物忘れは私だけでは無いようです。

吉祥寺の有名店?のメンチカツ屋さんです。

あまり並んでいませんね。

私好みではないメンチでした。

返って、二軒隣りのおでん種の塚田水産さんの方が並んでいました。

やはり、寒い時期ですので、おでんの方が多いのかも知れません。

近くにいた外人さんも、何を売っているかも分からずビックリしていましたね。

手には小笹の最中を持っていました。(笑)

私は喧騒な商店街を離れて、ハモニカ横丁に入りました。

店は昔と比べると大分変りましたね。

もっと、ノスタルジック(戦後の闇市)でした。

ここには本屋さんが2件あり、付録が沢山入っている漫画本(ぼくら・少年王・日の丸など)を買ってもたっらのも覚えています。

通りっぷちには、もみ殻に並べた玉子屋さんや、奥くには金魚屋さんもありましたね。

もう60年以上も前の話です。

初めてエスカレーターに乗ったり水洗トイレに入ったのは名店会館でした。

今は二度立て直して(取り壊して)いますのでありません。

ノスタルジック風な飲み屋さんが並んでいます。

世代交代や今風の店に変わりました。

まだ、あるかどうか分かりませんが、「峠」とか、あぁ~名前が思い出せない!(秋田おばこの「てるみ」さんだったかな?)などの店も成人してから通いましたね。

これも時代の流れなのでしょう。

雰囲気的にはインスタするような一見さんは入れなかったですね。

年配の方が店探しをしています。

ちょっと前までは魚屋さんだったと思いますが、海鮮丼屋さんになっていましたね。

街は変わって良いのです。

残念ですが郷愁ばかりではやっていけないのでしょう。

父とこの界隈を歩き、漫画本を買ってくれた私も70歳を過ぎていますからね。

帰宅する電車を待ちます。

待っていると言うより、次から次へと来ますから・・・。

二つ離れた最寄りの駅に降りました。

そこでも一つ用事を済ませて、腹も減ったので昼食を考えました。

女房からのラインには美味しいものを買って来たら~とありましたが、デパートのモノは値が張ります。

1980円の寿司などは買えません。

したがって、チェーン店のラーメン屋さんに入りました。

五目中華そば(650円)にしました。

私はこれで十分です。

隣のボックス席の一人女性は餃子と何かで、昼間ですが生ビールや酎ハイを飲んでいました。

今の時代はこれで良いんです。

私も飲みたくなりましたが、時間が早過ぎますので我慢です。

 帰宅して、こんな本を読み始めました。

近日中にこの本の感想や加筆もしたいくらいです。

 

Hiro

 


道志で一本の電話が・・・。

2019年12月12日 | なかま道志

女房が土曜日(11月23日)敬老の日に山梨(実家)に行かない?と急に言い出したのです。

私が道志で使う稲ワラが欲しくて、女房と取りに行ったのです。

母と女房は元気に話し合っています。

更に裏手から、ワラを何束も引き出して来た母です・・・。

後日、私はそのワラを一週間後に道志にワラを運び入れました。

帰宅しようとした早朝(6時半)に携帯電話が鳴りました・・・。

実家の長男からです。

内容は母危篤でした。

そして、その日に帰宅し女房と山梨の実家に向かい、静かに眠る母に会いました。

えっ!1週間前はあんなに元気で、東京オリンピックも楽しみだと言っていた母が永眠するなんて信じられません。

婿である私とも草花の取り持つ共通の趣味で、女房より田舎に行っていた回数も多いかも知れません。

本当に良くしてくれました。

通夜式や告別式の日程やお飾りする顔写真も決まりました。

たまたま、米寿の時の私とのツーショットをトリミングしたもにしました。

通夜式当日、あの富岳(富士山)を目指して、山梨の実家に向かいます。

軽く昼食を取ろうとしてと初狩サービスエリアに入りました。

思い出せは、7年前のこの日に笹子トンネルの天井落盤事故があった日です。

私もこの日、30分前にこのトンネルを通過していました。

その直後に事故は起きたのです。

帰りは遠回りして、帰宅した覚えがあります。

サービスエリア内のフードコートでいただきました。

私は初狩ラーメンです。

腹を満たすだけで、何故か味は感じません。

一週間前に93歳になる母と、元気よく話をしていた時にパチリしました。

最後の一枚です。

女房が残した、鰻飯もこれをお茶漬けにすると美味しいんだよと言って、残しておいてくれとのことです。

女房の妹とも亡くなる二日前に電話で話したり、その日も洗濯や掃除をして、近所に住む母の妹とお芋を食べながら話し込んでいたそうです。

そして、その夜に戻して頭が痛いとのことで救急車で病院に行き、検査を受けたのですが、大したことは無いとのこと、帰宅しました。

翌朝、早い時間にトイレに行って廊下で倒れたそうです。

その音に気が付いたのは孫娘でした。

一次は回復したかのように見えたのですが、結局は帰らぬ人になりました。

享年94歳です。

通夜式が終わらんとするところ、私の長男坊が東京から駆けつけました。

近くの通夜式を終え、兄妹孫たちは実家に戻り、しばしの会話です。

長男坊は東京へ帰宅し、私たち夫婦はその日は甲府市内のホテルに泊まることにいたしました。

甲府の駅前も変わりましたね。

岡島や山交デパートなどは無いようです。

駅前も整備されています。

駅の傍には武田信玄公の像あります。

結婚当初(48年前)は良くこの辺のデパートで買い物した記憶があります。

実家周辺(当時は竜王町)も田んぼで囲まれていました。

夏には蛙の鳴き声も良く聞こえたものです。

田植えや稲刈り、側溝掃除も手伝いました。

田舎の無い私には楽しい作業でした、。

今ではアパートや店などが建ち並んでいます。

出張であれば、こんなような場所に寄って行ったのでしょう。

この日はコンビニで酒類を買い求め、一人晩酌です。

女房と昔話をしながら、いつの間にか寝入っていました。

翌朝、6時半より朝食です。

7時過ぎには納棺の儀で組の方々や親族が集合いたします。

所変われば作法(やり方)も変わります。

 そして、斎場に移動いたします。

富士山が見え、アルプスや八ヶ岳に囲まれたところです。

このような場所で育った女房ですので、結婚し東京で暮らし始めたころ、山が見えないので淋しいと言っていました。

告別式会場には思い出の写真が飾られています。

私がお撮りした写真や作ったフォトブックもあります。

大正・昭和・平成・令和の激動の時代を過ごして来た母です。

楽しいことの何倍も苦しいこともあったのでしょう。

勤労報国隊で横浜の軍事工場へ駆り出されたとも聞いています。

戦争によって多くの人に苦しみや人生も変えさせました。

戦後生まれの私です。

その恩恵?を受けて、今まで暮らして来ることができました。

私たちの結婚記念日には、毎年母に感謝の電報を送っていました。

引き出しには全て残されているようです。

私たちも年老いた母の思い出づくりに、小旅行に行ったりしましたね。

大事な娘を東京に行かせるのですら、私は出来るだけ両親に心配かけ無ようにしてきましたつもりです。

夫婦仲良く、孫たちも元気にしていることが一番の知らせだと思っています。

 18歳の時の母のようです。

そう言えば面影も感じられます。

4年前に投稿した記事です。

何でも興味を持っていて、凄く心配性でもありました。

長男で同居する息子を始め子どもたちの健康、もちろん孫のこと、親戚やご近所のことなどもです。

母より若い方が亡くなると「悪いじゃんねぇ~こんな生きちゃってぇ~」なども口癖でした。

 告別式も終わり、初七日です。

豪華な食事が出されます。

あちこちで、良いお婆ちゃんだった。

誰にもご迷惑をおかけせずに、お別れしたいとの話も聞えます。

私も親族代表として御礼のご挨拶をさせていただきました。

先ずはご列席いただいた方への感謝と菩提寺住職さまへの御礼、いただいた戒名を想像しての内容のご紹介をいたしました。

更に、沿道で黄色く色づいた銀杏の葉は散っていく様は、生きとしてるものは全て散って行くんんだなぁ~と感じたこと。

また、母と女房とで、時折方言が混ざっての電話が聞けなくなった淋しさ。

組(ご近所)の方や普段は合うことが少ない親族や知り合いが葬儀の場をお借りして参集できたのも母のおかげです。

誰もが信じられない別れでした。

人によっては94歳であれば大往生だねと言われますが、気持ち的には年齢に関係なくまだまだ長生きしてほしかったが実情です。

家族も含めて他人にご迷惑をかけさせないで最後まで家事を手伝い、翌朝には同居する家族に見守られての往生は誰にマネできないかと思います。

こんな一生を終えることが、誰しも夢かも知れません。

時間があれば、もっともっと話したかったこともありました。

会葬御礼の品々も場所に寄って異なります。

日曜品が多いですね。

昨日も朝7時ごろ納棺式に間に合うように私の次男坊も駆けつけ葬儀に参列いたしました。

夕刻6時ごろになって、次男坊も他の車で帰宅しました。

女房は疲れていたのでしょう。

居間でうたた寝していました。

今日は早速、喪中のはがきづくりです。

弟夫婦もよく母の面倒を見てくれました。

この様な内容をアップしてスミマセン!

 

Hiro