俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

改憲

2015-05-03 10:16:44 | Weblog
 今日は憲法記念日だ。マスコミ各社は改憲の賛否などを問うアンケートを実施するが、どのアンケートでも欠けている重要な質問がある。それは「憲法全文を読んだことがあるか?」だ。読みもせずに是非を判断することはできない。一部を読んで否定することは可能でも、全文を読まずに肯定することはできない。これは食べたことの無い料理の味を評価するようなものだ。
 ではなぜ食べたことの無い料理を評価できるのか?聞き齧ったことを鵜呑みにしているからだ。こんな人の評価を同列に扱うべきではない。憲法は膨大な量の刑法などとは違って短時間で通読できる。憲法について考える前に憲法を知らねばならない。知らないことについては判断できない。実際に全文を読んで、このままで良いと考える人は殆んど皆無だろう。
 まず挙げられるのは悪文であることだ。「てにをは」など修正すべき箇所は沢山ある。よく分からない曖昧な表現も少なくない。
 第9条については、これだけ曲解を許しているのだから、曲解を許さない内容に改めるべきだろう。空文化した条文は最早有害無益なだけだ。
 絶対に改めるべきだと思うのは第89条だ。「公金その他の公の財産は(中略)公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」改憲を否定する人はこの条文を知っているのだろうか。知っているなら今すぐにでも、私立学校に対する助成金を違憲として訴えるべきだろう。護憲を唱えるのであればそうするべきだ。私は全く逆に、助成金を許容するためにも改憲が必要と考える。平気で曲解をしている人には、権力者による曲解を咎める権利など無かろう。 
 第15条も空文だ。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」とし「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。」と定めているのに未だこんな選挙は行われたことが無い。総ての公務員を選定することは金銭的にも大変だが、事務次官や副知事あるいは実質的国営企業の社長などの信任投票であればあっても良いと思う。勿論NHKの会長も対象とすべきだ。
 憲法とは時の権力者の暴走を防ぐための防波堤だろう。だから権力者による曲解を許してはならない。もし憲法が時代遅れになっているなら恣意的解釈によって誤魔化すのではなく、誤解を許さない形で明文化つまり修正すべきだろう。明文化しておけば歯止めが掛かる。曲解が許されてしまうのは権力者だけが悪い訳ではなく、曲解を許すような憲法の大きな欠陥とも言える。曲解に怒る人こそ改憲論者であるべきだ。護憲論が曲解を招いている。

生まれる前

2015-05-03 09:34:51 | Weblog
 誰も死んだことが無いのだから死んだ後のことは分からない、と言う。確かに仮死から蘇った人はいても死んで生き返った人はいない。しかし死んでいた人ならいる。誰もが、生まれる前は死んでいたからだ。少なくとも生きていなかったのだから死んでいたと言って良かろう。だから誰もが死んでいたことの経験者だ。
 勿論、誰一人、死んでいた時の記憶など無い。しかし数百億年に亘って死んでいたことは事実だ。主観的には「無」が延々と続いていたことになりこれは数学的にはゼロだ(0×α=0)。人は死んだ後のことは考えても生まれる前のことは考えないが、どちらもゼロだ。
 死んだ後がゼロだと分かれば何をすべきかも分かる。死んだ後のことを考えるよりも今生きている内に何ができるかを考えるべきだろう。
 人は徐々に枯れて行く。精神的にも肉体的にも不活発になってから枯れ死する。これは良いことだ。意欲に満ちてやる気満々の時に死ぬことと比べればずっと好ましいことだ。性欲は失せ、美味しい物も分からなくなり、動くことさえ億劫になれば、死ぬことはさほど苦痛ではなくなる。死ぬことが喜びでさえあり得る。死に対する恐怖が死ぬことに抵抗しているだけだ。
 私自身、老化しつつあることを感じる。毎日泳いでいても徐々にタイムが悪化している。中年までであれば鍛錬すれば向上したものだが、現状を維持することさえできなくなった。
 痒みは慢性化した。いつもどこかが痒い。多分、皮膚が老化して修復不能になりつつあるのだろう。視力も衰える一方だ。昔「35歳を超えると羊水が腐る」という軽率な発言をして倖田來未さんが顰蹙を買ったが、老化とは細胞の壊死だろう。それぞれの細胞が再生力を失えば腐り始める。不老不死ではない生物にとって老化は避けられない。
 人が死ぬとは生まれる前に戻るということだ。無と無の間に束の間の「有」がある。この貴重な「有」を無為に過ごすことは余りにも勿体ない。生きられる期間は短い。まるで成虫になってから3日後に死ぬセミのようなものだ。