俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

落ちた猿

2015-05-17 10:23:20 | Weblog
 「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」という名言は、自由民主党の産みの親の一人である大野伴睦氏の言葉だ。昔の政治家は賢かった。
 人が自分の利益を追及することを否定する気は無い。利益を追及することは人権でさえあるだろう。しかし公僕であるべき政治家が公的利益を忘れて私的利益だけを追及することは許されない。
 自民党は15日の参議院総会で参議院の「6増6減」案を党方針と決めた。昨年11月に最高裁が「違憲状態」と判決した1票の格差が4.75倍でありこの案では4.31倍にしかならない。司法に認められるためには2倍以下に留めるべきだと分かっているのにこんな案にまとめるとは司法無視にも程がある。こんな最初から違憲と判定されることが分かっている案に賛成した議員の名を公表すべきだろう。こんな「堕ちた議員」こそ落とすべき議員だ。
 議員からただの人にならないために現職の議員はどんな恥知らずなことでもやる。彼らは恥を知る庶民であるよりも恥知らずの議員であろうとする。痩せたソクラテスよりも太った豚であろうとする。自民党の大阪府連が共産党と共闘してまで大阪都構想に反対するのは、議員定数を減らしたくないということで既得権益者同士での利害が一致するからだろう。彼らは二枚舌を使う。
 この「6増6減」案は最終的には否定されるだろう。自民党はそこまで馬鹿の集まりではない。逆に言えば自民党の参院議員の半数以上が、司法判断の価値を理解できない阿呆だということだ。更に言えば、こんな馬鹿な主張が受け入れられないということさえ分からない大馬鹿者だということだ。
 戦前の井戸塀政治家に戻れとまでは言わない。戦前の政治家は低報酬だったために私財を政治活動に注ぎ込まざるを得ず、家には井戸と塀しか残らなかったとまで言われている。現代の政治家は最も儲かるビジネスだ。2世・3世議員がウヨウヨいて、政治家を家業とする一族までいる始末だ。家業を奪われたくないという思いだけで無茶苦茶なことをする政治家は木の上に安住する猿だ。自民党の議員でありながら共産党の宣伝カーに乗って演説した柳本卓治参院議員も2世政治家の一人であり政治家一族の一員だ。2世だから悪いという訳ではないが、政治家を世襲の家業とする人はその地位を守るためには形振り構わない。

民有国家

2015-05-17 09:40:17 | Weblog
 国の借金が1,053兆円になったそうだ。これは好ましいことではないが危機的状況とも思えない。債権者の大半が国民と国内企業だからだ。最大の借金は国債でありその金額は885兆円だ。しかしその内訳を見れば、外国人による保有は僅か5.1%に過ぎない。残りの95%は日本人と日本企業が保有している。
 債務のためには債権者が必要だ。国債を国民が持っているということはこれが国民の財産ということだ。国の借金の貸し手が国民であれば国の所有者が国民ということにはならないだろうか。つまり国の大株主が国民ということだ。
 企業にとって安定株主が好ましい。ハゲタカファンドであれば目先の利益と売り逃げを狙うが、安定株主ならそんなことはしない。企業の長期的・安定的成長に期待する。もっと好ましいのは社員株主だ。この場合、企業の利害と株主(社員)の利害はしばしば一致する。ある企業の株式の大半を社員が進んで持っているならそれは優良企業だろう。逆に社員でさえ株を持ちたがらない企業は不良企業だろう。
 日露戦争の際、大日本帝国はイギリスなどから借金をしてようやく戦費を調達した。それと比べて、国民からの借金によって財政が成立する現代日本はずっと健全な社会だ。この点がギリシャとは大いに異なる。
 日米戦争で硫黄島を攻略した米兵は英雄として凱旋した。帰国した彼らに与えられた最重要の任務は戦費調達のための国債の拡販活動だったと言われている。
 だらしない国を有能な国民が支えているという構図は痛快でさえある。国の主権者でありながら選挙によってしか意思表示できずしかも選択肢がノミかシラミかしかないような酷い現状ではあるが、資金面においては既に国民が国を支えている。これは世界でも類い稀な民有国家と言えるのではないだろうか。
 今年の歳出予算を見れば総額96兆円の内、32兆円が社会保障費に、23兆円が国債費に充てられている。この合計55兆円を国民への直接配当と考えれば決して悪い投資ではなかろう。
 但し少なくとも国民が負担可能な範囲に借金を収めねばならない。それを越えれば国債は暴落する。つまり金利が急上昇することになる。