大阪と言えばキタのことだと思っている人が少なくないが、キタの歴史は浅い。キタの中心地の梅田は元々「埋田」と表記されたように田んぼと泥沼を埋め立てた新興地だ。近隣に梅の名所の綱敷天神社があったことから字面の良い「梅田」に改められた。
梅田が大阪の中心になったのは京都と神戸の中間に位置するからだろう。だからこそ国鉄(現在のJR)がこの地に大阪駅を作ったのだと思う。大阪のもう1つの拠点は難波を中心とするミナミだ。しかしここは真西に進めば大阪湾に出てしまうからキタと比べて交通の要衝にはなりにくかった。それどころかここは元々海だった。日本書紀に拠ると、神武東征において潮流の速い海があり「浪速」と名付けたと記されている。難波の語源は「難破」したからではないし、今のように「軟派」が多かったからでもない。
地理や歴史に疎い人の中には北野天満宮が梅田にあると思っている人が稀にいる。綱敷天神社との混同だろう。なお橋下市長の出身校の北野高校は淀川を挟んだ対岸の十三(じゅうそう)にありこの「北野」あるいは旧北野村との混同もあるかも知れない。
大阪は大阪維新の会の牙城だが、かつて全国的に自民党が強かった時代でも大阪では弱くone of themの政党に過ぎなかった。中選挙区制の頃、ある定数5人の選挙区では5党が議席を分け合ったこともある。つまり自民・社会・公明・民社・共産の各党が仲良く1議席ずつ取った。定数5人であればどの党も2議席を取ることは難しかった。定数4人であればどの党が落ちるか大混戦になったものだ。これは大阪の「反中央性」と価値観の多様性のシンボルのように私には思えた。
全国レベルでは独り勝ちして「この世をば我が世とぞ思」っている自民党だが、今も大阪では弱い。昨年12月の衆院選挙の比例区での得票率を見れば、大阪の自民党が日本一弱いことは明白だ。あの沖縄での25.36%を下回る僅か24.79%で日本一低い。そのせいか人材にも乏しく、中央の自民党とは違って、何にでも反対するしか能の無かった某政党と同様、NOと言うことでしか存在価値を示せない体たらくだ。だからこそ共産党や民主党と連携してまで大阪都構想を潰そうと躍起になっているのだろう。
梅田が大阪の中心になったのは京都と神戸の中間に位置するからだろう。だからこそ国鉄(現在のJR)がこの地に大阪駅を作ったのだと思う。大阪のもう1つの拠点は難波を中心とするミナミだ。しかしここは真西に進めば大阪湾に出てしまうからキタと比べて交通の要衝にはなりにくかった。それどころかここは元々海だった。日本書紀に拠ると、神武東征において潮流の速い海があり「浪速」と名付けたと記されている。難波の語源は「難破」したからではないし、今のように「軟派」が多かったからでもない。
地理や歴史に疎い人の中には北野天満宮が梅田にあると思っている人が稀にいる。綱敷天神社との混同だろう。なお橋下市長の出身校の北野高校は淀川を挟んだ対岸の十三(じゅうそう)にありこの「北野」あるいは旧北野村との混同もあるかも知れない。
大阪は大阪維新の会の牙城だが、かつて全国的に自民党が強かった時代でも大阪では弱くone of themの政党に過ぎなかった。中選挙区制の頃、ある定数5人の選挙区では5党が議席を分け合ったこともある。つまり自民・社会・公明・民社・共産の各党が仲良く1議席ずつ取った。定数5人であればどの党も2議席を取ることは難しかった。定数4人であればどの党が落ちるか大混戦になったものだ。これは大阪の「反中央性」と価値観の多様性のシンボルのように私には思えた。
全国レベルでは独り勝ちして「この世をば我が世とぞ思」っている自民党だが、今も大阪では弱い。昨年12月の衆院選挙の比例区での得票率を見れば、大阪の自民党が日本一弱いことは明白だ。あの沖縄での25.36%を下回る僅か24.79%で日本一低い。そのせいか人材にも乏しく、中央の自民党とは違って、何にでも反対するしか能の無かった某政党と同様、NOと言うことでしか存在価値を示せない体たらくだ。だからこそ共産党や民主党と連携してまで大阪都構想を潰そうと躍起になっているのだろう。