金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

80,5 宴の後

2007-01-03 16:35:31 | 鋼の錬金術師
ラッセルが緑陰荘に歩き出したのは、エドが遅めの昼食をもてあましているころだった。なんだかふわふわしていい気分だった。キャスリンのおかげとラッセルは思っていた。それも事実だった。しかし最も直接的に作用したのはデザートに使われたシャンペンだった。たいした量ではない。子供でも食べるデザートだ。しかし、ラッセルは自覚無く酔っていた。
おかしな話であった。普段裏社会でも軍でも彼はザルと呼ばれているのだ。いくら飲んでもまったく乱れない。酔っている気配も無い。これは彼が有機系の練成者であることに秘密があった。彼は飲むときはたいてい炭酸割を好んだ。実はグラスを手にしている間にアルコールを水と二酸化炭素に分解していたのだ。酔わないわけである。

この方法でロイの相手を務めたこともある。そのときにはロイが勝った。あまりの量に胃のほうがいっぱいになったからだ。翌日、二日酔いに悩まされたのはロイ一人。エドには「もう年なのだから無茶するな」といわれロイはいきなりの中年コールに大いに落ち込んだ。

エドが昼食をもてあましているとき、フレッチャーはエドを持て余していた。
  ロイが帰らない。アルの事を聞きたいのに。
エドはどうしようもないほど機嫌が悪かった。それも時間とともにますます悪くなる。
昨日まではエドはわがままを言ったりむくれたりすることは多かったがこんなに不機嫌になることは無かった。
エドの周囲に黒い雲がたまっていくようだ。
  以前ときどき気づくことがあった。エドのむくれ方がひどいときや、調子の悪いとき、エドの全身を包む青紫の光に。それに包まれた後エドはうとうとと少し眠って次に目を覚ますときは不機嫌さを忘れていた。
何の証拠も無く、弟は‘兄‘だと確信していた。
 しかし、今日はどんどん黒い雲を増やし続けるエドを光が包み込む気配は無い。
「ヨーグルトぐらい食べないと」
「欲しくないもんはいらねぇ。だいたい牛の乳を腐らせたような物食えるか!」
なんだか、エドは柄まで悪くなっている。
今日何度目のため息かをフレッチャーはかみ殺した。
エドの中は今アルのことだけでいっぱいいっぱいになっている。おそらく、‘弟‘の自分が近くにいるだけでも気が荒れるのだろう。むやみやたらと怒鳴り散らさないだけでも感心してもいいだろう。まぁ、体力的に怒鳴れないということもあるようだが。

チリンとちいさなドアベルの音。
兄だ。
ベルの音を聞くとフレッチャーは手のつけようの無いエドを置いて兄を迎えに出た。エドに‘弟‘がなにを言っても逆効果になる。ここは‘兄‘に任そう。
「ただいま。何だ、ご機嫌斜めだな」
兄はやけに機嫌がいい。この一年近くずっと青白かった顔色までいくらかましになっている。それがアルコールの効果とは自覚のない兄もあまりにも少量ゆえに呼気にも現れないため弟も気づけない。
(さすがにプロは違う)
老医師が何の反応もなかった兄をどうやって立ち直らせたのか?
このとき弟は将来必ず医師になることを決意した。兄がまたおかしくなったときに助けるのは自分の手だけであるべきだ。
兄の左手がゼノタイムにいたときのように弟の前髪をなぜた。このごろ弟の身長が大きくなっているので帰ってきてもほとんどしなくなった動作。今、兄はよほど機嫌がいいらしい。この1年ほどで一番機嫌がいいのではないだろうか。数時間前を考えると同じ人とは思えないほどだ。
「誰のせいだと思っているの(散々心配かけて一人で何もかも決めてしまって)」
「エドだろ」
兄の返事はよどみない。
間違ってはいない。エドの黒いオーラに手を焼いているのは事実だ。ただし、エドよりもはるかにたちの悪い原因がもう一人いるのだが。この兄は一生それには気づかないまま終わる。
「交代する。少し遊んで来い」
兄が車のキーとカードを渡す。
フレッチャーは運転できないが、外の警備員を誰でも使えばいい。
カードはラッセルの口座に直結している。
フレッチャーがセントラルにきて一年近くになる。その間彼が緑陰荘を離れたのは2度しかない。1度目は来てすぐに兄と必要品の買い物に出たとき。このときはあっさり道に迷い帰り着くのに3時間かかった。それ以来弟は兄の道案内を信用しないことにした。
2度目は運転手を借りて一人で出た。通称錬金通りに行った。そこでゼノタイムでやりかけていた命の水の合成に必要なあらゆるものをそろえた。兄は何も言わなかったが兄の口座残高を半分にするほどの買い物だった。その後緑陰荘の1室で研究を続けている。兄にも一緒に研究して欲しかったし、マスタングの意見も聞きたかった。しかし、兄は忙しすぎたしマスタングは専門が気体に偏っていた。
有機練成の中でも生命に関する練成は人を選んだ。術師が陣を選ぶのではなく、陣が術師を選ぶといわれていた。
昔、トリンガム兄弟はよく似ているといわれた。同じ印象を与える金の髪と銀の瞳によって。最近は兄弟に見えないと思われていた。これはラッセルの印象が金から銀へ変わったことに寄る。
それでも彼らは似ていた。行動が。兄が赤い石を作ろうとしているとき、弟は命の水を作ろうとしていた。
街で楽しんで気分を変えて来いとの兄の気持ちはありがたいが、なぜだろう?追い出されたような気分になるのは。兄はまたエドに何かするつもりではないか。           危険なことを。
それでも弟は外に出た。煮詰まりかけているのも事実だったし、どうせ止めても無駄とよく知っていたから。
弟を見送ってから兄はエドの部屋に向かった。弟に聞いていたせいかドアが開いてもいないのに黒い雲を感じる。
かすかな声が聞こえた。重厚なつくりの緑陰荘は防音が効いている。ドアが閉まっていたら中の音が聞こえるはずはない。それでも聞こえた。
アル
ラッセルははじかれたようにドアノブに手をかけようとした。

開かない。
見下ろすと右手はまだ硬直したままだ。
手は真っ白くなるほどに硬く握り締められている。実のところキャスリンは気づいていた。しかし気にさせてはいけないので気づかないふりをしていた。
「まったく、情けない身体だな」
左手で指をこじ開ける。
(これは?)
直径3センチほどの白い球体が手の中にある。
キャスリンのつけていたペンダントの真珠に似ているがこの球体の方が輝きに深みがある。

記憶をたどってもそんなものを持っていた覚えはない。唯一考えられるのは、
赤い石の練成だ。それにしても、
(なんとも見事な失敗だな。赤い石の変わりに白い石とは)
手の中の球体を見る。一度は処分しようと思ったが球体は美しい。
(エドにやろう)
もうすぐエドの17歳の誕生日である。少し早いが腕輪にでもしてやろう。
ずっと後になって落ち着いて考えると(よくこんな正体のわからないものを贈る気になったなぁ)とラッセルはその時の自分の考えを理解できなかった。
結果的にはエドが扉を開いた夜、白い球体は消えた。オートメールの腕につけられていた銀の腕輪は翌朝当たり前の顔をして生身の右腕にはまっていた。
小さくノックした後ドアを開く。
「エド」
ドアを開いたとたんに黒い霧の中に突っ込んだ気がした。なるほど重症だ。
何とか機嫌を直させないと身体に悪い。
睨み付けるようなエドの視線。
「退屈か?」
「        アルは、何所にいる         」
いきなりだった。
「お前はいつもまっすぐだな」
「なにを!」
「もう少し待ってくれ。必ず何とかする」
「もういやだ。待てない。もう時間がない」
エドは知っている。最初に医者が宣告してしまった。もう後どのくらい持つのか、何の保証もない。もう医者の宣告した時間はすぎている。
「アルを、つれて来い。約束したじゃないか」
フレッチャーがいる間は、それでも押さえていた。‘弟‘のまえで泣き言は言いたくない。
ラッセルの胸元をつかむ。昔なら引き倒していた。今はそんな力は無い。
「エドごめん、待たしてばかりで。でも、頼む。もう少し待っていてくれ」
石を作らなければ、強く思った。石さえできればエドの時間を延ばせる。うまくいけばある程度外に出してやれる。
「・・・まてない・・・」
「俺がアルを・・・・・・・・アルを元に戻す」
「アルに会いたい。会って扉を開ける。必ずアルを元に」
シーツがぬれる。
ラッセルはタオルを落とした。エドの涙を見てはならない。
誰かに気づかれたと知ったときに、エドは崩れ去る。
ラッセルは気づかないがそれはほんの少し前にキャスリンが彼のためにしたことと同じ。
さりげなく視線をそらす。そして気づいた。ベッドの柵が叩き折られている。
「これは?」
切り口に見覚えがある。弟だ。
だが、何のために?
抑えていたものを吐き出したことでエドもいくらか落ち着いた。
自分が誰を責めているのかにようやく気づく。責められるべきは彼ではない。そんな相手がいるとしたら、悪夢におびえなくなった自分自身。そう、緑陰荘で最初の夜が終わってからエドはもう悪夢に悩まされなくなった。あれほど恐れた嵐の夜すらも。ロイの手の中で、雷鳴が美しいとはじめて思った。
ロイがいた。守ってくれた。
コワイモノからみんな。
ロイが直接守れないほど忙しくなってもラッセルがいた。ラッセルが軍に引きずられて忙しくなったころにはもう一人の弟がいた。
直接に2重に3重に、自分は守られている。
エドが急に静かになった。
すかさずラッセルはエドの右手をそっと取った。
(かなり同調しているな)
弟の報告で大体の見当はついた。
エドが自責の念に捉えられる前に気分を切り替えなければならない。
ラッセルは親指と人差し指でエドの人差し指をそっと動かした。
エドが内臓でも引っかかれたかのような顔をして右手を見た。すでに握りこまれていたベッドの柵ははずされている。感覚の同調をラッセルは逆利用した。
「手!」
感覚などあるはずの無い機械の手が、感じた。
ラッセルがエドの手首をそっと握る。そのまま青い練成光をあげた。
見慣れた光が収まった後には青銀の細い腕輪が淡く光る。白い球体はうまく7割ほどが腕輪の銀に収まっている。
「えっ」
目をしばたかせるエドを(かわいいなぁ)と聞こえたら張り倒されそうなことを考えながら、ラッセルがオートメールの手を引く。鋼の手の甲に軽く唇を当てる。
「少し早いけど、バースディプレゼントだ」
確かに17歳の誕生日にはあと少しある。
「ああ、アリガト」
言いかけて、エドが止まる。
何だがごまかされたとわかったらしい。
(限界か)
できるならエドにはもう少し笑っていて欲しかった。
(もう見せてくれないのか?お前の透明な笑顔は)
悩みも苦しみも忘れて、ただ幸せに。立場も方法も違ってもラッセルはロイと同じ目でエドを見ている。
気分が悪いわけではないのに、足元がふらついた。とりあえずベッドの隅に腰を下ろす。
「エド、必ず間に合わすから、待って・・・」
言葉が途中で詰まる。エドの輪郭がぼやける。
(おかしいな。妙に目が)
ふらふらして起きているのがつらい。
(ラッセル?)
なんだか、様子がおかしい。
「悪い、部屋に戻るよ。少し気分が」
気分が悪いわけではない。この感覚は何だろう。彼は今までまともに飲んだことがなかった。さらに疲れもあって肝機能が低下していた。そのために普通なら感じるはずのない量で、酔っていた。
立ち上がろうとしても足が震えている。
「無理するな。ここで休んでいけ」
エドの声が優しく響く。
「・・・そうする・・・」
それだけ答えるとラッセルがベッドにもぐりこむ。
「・・・」
予測外の反応にエドが言葉を飲み込む。
「エド」
薄い雲に守られた月のような瞳が見上げる
「なんだ?」
「一緒に寝よう」

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