ラッセルは屋根の上から光の粒をはじいた。
光の粒、その正体はある植物の組織の一部と成長の練成陣を仕込んだ小球。
直径8ミリ、小型のビー球ぐらいの大きさである。ショックを与えると1秒前後で200倍に成長し繊毛に触れたものに吸い付き締め上げる。ラッセルがコントロールすることで首手首足首を的確に縛らせる。
50球目をはじいたとき、ラッセルの足元は少し揺らいでいた。
ブロッシュなら気がついただろうが1日程度の時間しかラッセルを見ていないシャオガイは気づかない。
50球目は敵の両足首だけに絡みついた。一瞬動きを止めた馬賊の青年は、次の瞬間何のためらいも無く腰の大刀を振り上げ片足の皮膚1ミリごと蔓を切り裂いた。
(しまった)
声にはしないが強く臍を噛んだ。
照準が狂ってきている。
(手が、限界か)
指先がわずかに震えている。
疲労とエネルギー切れ、何よりもスタミナ不足。
無理にでも朝食を摂るべきだったと後悔しても後の祭り。
ラッセルが自分の体内を見つめている間にも敵は動いた。
馬賊の青年は巨体の割りに動きが軽い。一族の先達に鍛えられた彼の身体にはぜい肉が無い。男として理想とされる筋肉質の頑健な肉体。
ラッセルには決して得られない理想体型。
トリンガムは自伝記の記述でこの馬賊の青年を〈戦車のように戦闘に特化した肉体を持つ男〉と表現している。たとえとしては的確かもしれないが、時代背景に誤りがある。戦車が登場するのはこの次の大戦でありこの時期にラッセルが敵を戦車に例えるはずは無い。(なお、自伝は後世の偽作である)
馬賊は建物の屋根を見上げた。戦闘士として鍛えられた彼の勘は正確にラッセルの位置を見抜いた。
座りこみかけたラッセルは馬賊の視線にはじかれたように一気に立ち上がった。
一瞬、視界が薄暗くなった。急に動いたので脳貧血を起こしかけた。
「逃げて!」
甲高い幼児の声が聞こえた。
声のほうへ1歩足を動かしたところで、ラッセルは座り込んだ。
悪寒と視覚の異常。(感染?まさか)前回の砂漠熱の症状と似た感覚。
砂漠の空は天国の底が見えそうなほどに晴れ渡っているのに、ラッセルには頭の上すぐに岩の壁が見えた。洞窟のひんやりした空気を感じる。
エド、守る対象の名を唇に触れさせかけたとき、左の耳たぶにかすかな痛みを感じた。風の走る音が聞こえた。
「にいさん、たすけて」
弟の声。助けを呼ぶ声を聞いた。
確かに聞いたとラッセルは思った。
だが、ここは砂漠の真ん中。弟がいるわけはない。
「おじさん、早く」
小さな手に右手を引かれた。いつも弟が握る右手を。今はシャオガイがひいていた。
馬賊は化け物蔓をたたき切った刀をそのまま屋根の上の敵に投げていた。
シャオガイが呼ばなければ刀はラッセルを貫いていた。
殺すべき対象を失った刀は空中で1回転し屋根を叩き割った。
刀が通った後に穴が残った。ちょうど子供がはまりそうな大きさの穴。
シャオガイは穴に飛び込んだ。逃げるために。もういたずらではない。今は戦争だ。
命あってのモノダネである。当然、ラッセルもすぐ逃げ込んでくるとシャオガイは思った。
だがラッセルは屋根の上で躊躇していた。
ラッセルがいくら細身とはいえ、幼児体型のシャオガイでもぎりぎりだった穴に入るのは無理があった。
そしてそういう物理的な理由以外にも理由があった。
戦略的後退ならいいが、「単に逃げる」のは彼の矜持が許さない。
「ドーピングするか」
ラッセルはつぶやいてから隠しポケットに手をいれ小さな錠剤を出した。
この薬は「1粒で800メートル」と時代を間違えたエセ自伝はその効力を伝えている。
八角から抽出したシキミ酸のB誘導体の錠剤。後に麻薬指定を受ける薬。
馬賊は襲い掛かってきた。巨体をものともせず屋根に飛び上がり、ラッセルの正面に降り立った。
「ルイよりはチビだな」
からかう口調でラッセルは相手を見上げた。
でかい。身長は2メートルを越している。そんな大男にあえてチビという単語をラッセルは貼り付けた。
「女・・・?」
「おまえ、もてないだろ(男女の区別もつかないほど馬鹿では)」
会話が成立しているようだが、事実はお互いが勝手に母国語でしゃべっているだけだ。
馬賊の青年は筋肉隆々、ボディビルジムの看板になれそうな体格だ。対するラッセルは身長こそ平均より高めだが、その身長もこのところの騒動で伸びが止まっている、ガラス細工に練り絹をかけたような細身。まともにぶつかれば馬賊の一撃でラッセルの全身の骨は折れてしまうだろう。
馬賊の青年は片腕を振り上げた。ラッセルはこぶしの下りてくるのを待ってはいない。2メートルほど後退する。
体格差で不利な相手とまともな肉弾戦をするつもりは無い。
軍に出入りたびに視線が生意気だの、敬礼がなっていないだのと難癖をつけてくるでかい兵士を相手にした。大総統のお気に入りだろうと、マスタングの子飼いだろうと遠慮は無かった。もちろんラッセルも遠慮したことは無い。その経験が教える。でかい相手を倒すには・・・!
『距離を置きすばやい攻撃と撤退。その繰り返しでわなに誘い込め』
くわえタバコのハボックが教えてくれた。
熱心に教えてくれたマスタングの講義よりハボックの短い言葉を強く思い出す。
『喧嘩なら玉けりも有効だが実践では使えない。確実に仕留める自信がなきゃ、逃げろ』
『お前の筋力では拳は無意味だ。蹴りに集中しろ。ただ、蹴りは拳に比べると次の攻撃に移りにくい。だから・・・』
だから、どうするのかをラッセルは聞けなかった。もしそれを聞いていればこれほど体格差のある敵に挑もうという気にはならなかったかもしれない。
まずは先制攻撃で1撃とばかりにラッセルは跳んだ。
狙いは目である。
どんな達人でも目だけは鍛えられない。これは古今東西の用兵家・達人が認める事実である。
したがってラッセルの狙いは間違ってはいない。間違っていたのは戦術ではなく戦略だった。
ラッセルは馬賊=敵と聞き即座に戦いを選んだが、戦わない方法もあったのだから。だがラッセルはそれを考えなかった。
そして個人戦闘家としてのレベルでも間違いはあった。当然敵も攻撃を予測していることを配慮していない。今まではそれでも勝ってきたのだが。
ラッセルは跳んだ。上空からの鋭い蹴り。今まで戦ってきたレベルの相手ならそれで倒せたはずだった。
確かに切れはいい。スピードも並みじゃない。俺以外の相手なら倒せるだろうな。とはトレーニングを見ていたハボックの弁である。
あいにくこの言葉をラッセルは聞いていなかった。
ハボックの考えでは蹴られるのを待っている必要は無い。上昇中のラッセルをわしづかみにして肋骨の1本も折れば勝負はつくのだから。
馬賊の青年は良く鍛えられていた。彼はハボックのテキストどおりの行動に出た。
両手を大きく広げ交差する。
両腕の間の空間にラッセルは捕らえられた。挟み罠に捕まった小鳥のように。小鳥は苦痛で激しく啼く。その鳴声がに死を早く引き寄せる。
恐怖心。圧倒的な力に対する恐れ。普段は抑えているラッセルの感情が重石をなくして叫ぶ。
「ア!?ア、アアァ!」
馬賊は笑った。嘲笑ではない。単に笑った。その顔は体格から予測されるよりはるかに若い。むしろ幼い。日焼けしているのでわかりにくいが彼はラッセルより若かった。
(あの人、ひょっとして馬鹿かもしれない)
いったんは穴から逃げたシャオガイはこっそりと穴から覗いていた。体格差を考えれば、向かっていくのは無謀だ。それをあえてやるのは。
馬鹿か、あるいはよほど自信があったのか?
どっちにしても結果は同じだが。
どうするべきか。見た目は幼児でもシャオガイは11歳。まして異常な育ちのせいで年齢よりはるかに大人びた精神を持っている。精神年齢だけならエドを超えているだろう。
(今、この街で戦えるのはせいぜい30人。その中で銀時計持ちが2人。ただし、一人はすでに捕まっている。救助を求めようにも近くに味方はいない)
(大体ベイロンジュも戦いには向いていない)ベイロンジュとは白水の名である。アメストリス語にはこれに対応する発音は無い。この表記音も厳密には異なる。
(僕がやるしかないけどさー。もう少し自分の実力を把握していて欲しいなぁ。銀時計術師のレベルは言われてるより低いんじゃないかな)
やるしかないと決めたけどシャオガイは無理をしない。第一無理したくてもこの幼児体型の身体では「できないもんね」
できることとできないことがある。人は生まれながらに同じでも平等でもない。それをシャオガイほど身にしみてわかっているものは この時代には他に一人しかいない。
(ま、やれることをしようか。やっちゃいけないこともやるかもしれないけど、それこそ-子供のやることーだし)
この街はもう死んでいる。いまさら壊しても何の問題も無い。シャオガイはそれを知っている。
僕はこの街のサイゴノ子供。ぼくはこの街であそぶ。
ラッセルは知らないが彼らがいるのは博物館の屋根の上。シャオガイは遊び仲間が生きていた頃見つけた玩具を使うことにした。大槍や弓。青銅の剣。古代の大鍋。
子供のいたずらで、オトナが死ぬこともある。
それを教える人はいなかった。
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