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102の6お夜食の時間

2007-08-17 01:47:50 | 鋼の錬金術師

102の6
お夜食の時間

さて、ラッセルがこの時点で正気であったか否かは別の論題として、すっかり忘れられている主人公を覗きにいこう。
ラッセルが素っ裸でぼけーっとしていた同じ時刻にエドワードはお夜食のピーチパイにフォークを突き刺していた。
ピーチパイのサイズに合わせて大きく口を開けてかぶりつこうとするエドに、フレッチャーがお手拭を手にストップをかける。
フォークを握ったままのエドの手を拭いてやり、またそのままかぶりつこうとするのを優しくでも断固として止め小さなナイフで(武器としては使え無いサイズ)パイを5つに切り分ける。
(兄さんが甘やかすからエドワードさんは自分では何もしない人になっている・・・兄さんだけではないけど、はぁ、この人が兄ではアルは苦労しただろうな)
はあぁとまた内心だけでフレッチャーはため息をついた。
果たしてエドがもともと手のかかる存在だったのでアルやラッセルの面倒見が良くなったのか、それとも面倒見のいい存在が身近にいたから手がかかる存在になったのかはタマゴとにわとりの関係だ。
ちなみにこの論法はラッセルとデニー・ブロッシュの関係にも当てはまる。
切ってもらったら今度エドは自分でフォークを持とうとしない。
「食べさせろ」と言わんばかりに口を開けて待っている。
(兄さん、これはどう見ても兄さんの責任だよ)
一時期ラッセルはエドを小鳥の餌付け状態にしていた。
ラッセルに言わせれば医学的見地からの患者の観察のためにやむを得ず行なっただけだが、実弟の目にはどう見ても兄がエドを甘やかして楽しんでいるとしか見えなかった。
フレッチャーは無言でフォークをエドの口元に持っていく。エドがまた口を開く。
(兄さん、アルが帰ってきたらアルと二人でエドさんをここまで甘ったれにした責任を追及させてもらうからね)
(アルが帰ってきたらか、それこそが最初で最大で最後の問題だ)
フレッチャーはアルがいない本当の理由を誰からも聞いていない。
想像や予測はしても本当のところはわからない。
アルがセントラルにいては危険だからマスタングが遠くに隠したとは一応聞かされたがとても信じられない。今、エドは死のふちにいるのだ。本当ならすでに死んでいてもおかしくない状態だ。それをかろうじてとどめているのが実兄の技。
あのアルが死に捕らえられつつあるエドをほったらかしてどこかに隠れているとはまったく信じられない。
(アル、君はエドワードさんのために君の兄さんのために何かをしているのかい。・・・いいな。僕もそうしたいな)
エドがまた口を開けた。
身長を縮まされたためか、自分より幼くさえ見えるエドの顔を見ているうちにフレッチャーはいらだってくる。
『エドを頼む』
あの日の朝、ラッセルは軍命で出るそのドアを閉める手を止めて弟にエドを託した。
短い言葉に弟は強くうなづき「大丈夫。兄さんの変わりに僕が何があってもエドワードさんを守るよ」
硬く約束した。兄がそれを望んでいたから。思えば兄が命令形以外で話しかけてきたのは数ヶ月ぶりではないか。
「兄さんの馬鹿」
フレッチャーは声に出さずにつぶやく。
「なんだ?」
声にしたわけでもないのに、こんなときのエドは勘が良い。
「なんでもないですよ。エドワードさん、僕お茶を入れ替えてきますからパイくらい自分で食べてください」
お茶の入れ替えくらいメイドにさせればいいのにフレッチャーは自分で立ち上がる。
今の数秒だけでいいからエドワードの顔を見たくなかった。
お茶のポットを持って戻ってくるときは、いつもの優しい弟代理兼実兄の代わりの完璧な治癒師の顔をしていられる。だから今だけはこの場を去らせて欲しい。
 フレッチャーが行ってしまってからエドは自分でフォークを手にした。
眉間に皺が寄る。たかがパイを食べるのにこんなに真剣にならなくてはいけないとは。
エドは苦い笑みを浮かべる。
ラッセルなら何も言う必要も無く気がついてくれて、自分にその不自由さを感じさせることさえ無いだろう。
〈人体若返り縮小〉という聞いたことさえないようなトンでもない技さえも使ってここまでの回復を見たエドだが、やはり神経系の障害は進んでいる。一口サイズのパイをフォークに刺すという動作が途轍もない難業になっている。
一度二度三度フォークは皿と遊んで音を立てた。
かちゃん。四度目にフォークは床に落ちた。

ことん。ポットが置かれる。
それからフレッチャーは床に落ちたフォークとまだ使っていなかった自分の分のフォークを見た。
だがどちらも手に取らず指先でパイをつまんだ。
そのままエドの口元に持っていく。
エドの前にあるのは少年の指。
そして少年の兄に良く似たどこまでも無色透明な瞳。
エドが思い描くアルと完全にそっくりの優しい笑み。
エドはパイを食べた。少年の指先ごと口に入れて。

これがラッセルが己の正気を疑っていた日に、誘拐された少年達のお夜食の時間にあったこと。

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