最後の「次の内閣」閣議

前原代表(当時)によって組閣され、そのまま小沢代表によって引き継がれた現「次の内閣」の41回目にして最後の閣議が衆議院内で開かれました。

そして、この閣議が文字どおり最後となるかもしれません。というのも、小沢代表は、政権も獲ってないのに「内閣ごっこ」は滑稽千万との考え方です。もちろん、「ごっこ」というのは言い過ぎで、この間、かなり真摯な政策論が展開されてきたこと、与党の政策では光の当たらなかったテーマでいくつもの現実的な対案をつくってきたことに誇りを感じてもいます。

しかし、これからの10ヶ月は、政権奪取に向けたヤマ場。膨れ上がった党組織を思い切ってスリム化して、政権交代のための選挙勝負に党の持てる資源を集中しようという代表の姿勢は十分理解できます。(もちろん、次の内閣が本当に廃止されるかどうかは未定です。)

さて、その最後の閣議で決まったことの中に次の二つの重要なテーマが含まれていましたので紹介しておきましょう。一つは、最近多発している飲酒運転・ひき逃げ犯の厳罰化。今一つは、多重債務など社会問題化している貸金業法等の改正。いずれも、与党に先駆けて立法化を図ることになりました。

3年前に新設された「危険運転致死傷罪」(飲酒または酒気帯び運転による四輪自動車事故)では最大20年の懲役となったが、事故の翌朝酔いを醒まして出頭した場合には、飲酒・酒気帯びの立証を国ができなければ(実際ほぼ不可能)、最大7年6ヶ月の懲役ですんでしまう(つまり、逃げ得!)。この理不尽な量刑バランスについては、以前も書きました。これを是正するために、思い切って「ひき逃げ」犯を重罰に処す法改正を行い、「飲酒・酒気帯び」の有無に拘わらず卑劣な犯行を重罰に処してこれを抑止しようという方向性が合意されました。ついでに、四輪だけでなく、二輪自動車(バイク)にも適用することに。これによって、悲惨な飲酒ひき逃げ犯罪を少しでも減らせることにつながればと思います。これは、地域の仲間たちと取り組んできた被害者支援策の一環でもあります。

また、貸金業法等の改正についても、自民党内ですったもんだの挙句に決着を見た「出資法の上限金利を利息制限法の15ないし20%に引き下げる(ただし、3年ぷらす3年のモラトリアム期間付き)」を改正後の経過期間を設けずに直ちに施行することを決めました。しかし、これだけでは効果は限定的であり、根本的な問題解決につながりません。グレーゾーンの撤廃や上限金利の引き下げはもちろん必要ですが、むしろ、貸し過ぎ・借り過ぎを防ぐ消費鞘保護のため安易なATMや無人契約機の撤廃、ヤミ金の撲滅生活困窮者に対する公的融資制度の創設、健全で公正な市場をつくるための事業者の監督と規制の在り方を示す抜本的改正案を策定することに決しました。

最後に、本日選出された自民党の安倍新総裁の誕生をまずはお祝いし、臨時国会・通常国会を通じて、正々堂々と国会論戦を挑んで行くことを誓いたいと思います。
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沖縄県知事選

11月19日投開票の沖縄県知事選で、沖縄社会大衆党(社大党)副委員長の糸数慶子参院議員(58)は19日、民主、社民両党など野党陣営から出馬要請を受けて「勝利に向けてまい進し、県政を奪還する」と述べ、受諾を表明したそうです。

野党統一候補で、自公が擁立する与党候補と一騎打ちとなる模様。

しかし、糸数さんは、以前、「朝まで生テレビ」でもご一緒させていただいたことがあるが、共産党と変らない主張の持ち主です。米軍はおろか自衛隊の存在すら許さないという強烈なイデオロギーが彼女のスタンスの背景にあります。これでは、県知事選挙は、米軍基地にイエスかノーか、という極論のぶつかり合いとなってしまい、米軍再編のプロセスを沖縄県にとってより良い方向(基地依存経済からの脱却)に導いていく道筋を冷静に議論できなくなってしまうでしょう。

沖縄には歴史的な傷跡や県民の皆さんの特殊な心情があり、沖縄独自の主張があるのは当然としても、糸数さんで与党に代わる現実的な選択肢を県民の皆さんに提供できるとは思えず、民主党沖縄県連の決定には正直言って暗澹たる気持ちにならざるを得ません。かくなる上は、県民の皆さんの賢明なご選択を祈るばかりです。
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竹中参議辞職を考える

小泉構造改革の実質的な設計者にして最大のプロモーターであった竹中平蔵氏が、小泉首相退陣とともに議員辞職するそうな。

さまざまな思いがよぎります。
もちろん功罪相半ばしていると思いますが、日本経済の復活のためには、猛烈な批判や与党内の激しい軋轢をも踏み越えて竹中さんが推進した構造改革路線は「功」の方が優っていたと認めざるを得ません。官僚主導の意思決定に風穴を開けた功績は決して小さくありません。また、「第三の道」を提唱したブレア政権の前にはサッチャー改革があり、クリントン政権の前にはレーガン規制緩和がありました。その意味で、私たちには、小泉・竹中構造改革の「後始末」を民主党政権が担うものと心中期するものがありました。改革の影の部分に政策投資を集中させると同時に、決して構造改革路線を停滞・逆流させない日本版「第三の道」を模索してきました。

それはさておき、竹中さんが参議院議員という職を途中で投げ出してしまうことの負の影響は決して軽くないといわねばなりません。まず、「竹中」と書いた70万票を超える有権者の付託を「一身上の都合」(その真意がどこにあるのかは現時点ではわかりませんが)によって放棄してしまうことには、議会制民主主義の制度の根幹にかかわる重大な疑義が残ります。それに付随して、非拘束名簿式比例選挙制度の下で、彼の集めた70万票によって当選できた議員が相当数いたことも事実です。さらには、竹中さんの辞職によって繰り上がり当選する次点の方が・・・、いやこれ以上は申しません。

それにしても、竹中さんが、なぜ小泉退陣とともに議員辞職しなければならないのか、腑に落ちません。ひとつの区切りであることは間違いないし、所属する自民党内で包囲網が狭まって最近は居場所がないという話はしばしば耳にしました。なにやらスキャンダルのようなこともささやかれています。ただ、それは、すべからく一身上の都合に過ぎません。議員職、つまり「職業としての政治」は、かくも軽いものであるのか、考え込まざるにいられません。有権者の付託というものは、代議制民主主義の信頼性を支える根幹であって、これを他の職業のように、議員自ら処分できるものではないのではないか、と思うのです。

もともと竹中さんは、自民党政権に代わる政策の受け皿づくりに熱心で、その意味でも民主党の若手改革派議員とのつながりには深いものがありました。東京財団という日本初の「完全」独立系(特定な企業や団体や政党のひも付きでない)のシンクタンクを立ち上げた方で、ワシントンで研究員をしていた私に声をかけてくれたのも彼でした。そのお陰で、ワシントンでの研究を続けることができ、アジアに展開する米軍の将来像を予測し、いま行われている米軍再編をめぐる国会論戦でも一石を投ずることができたと自負しています。

そんな彼が、民間シンクタンクの理事長として小泉首相に請われて政権入りしたことは、画期的なことだと思いました。それは、やがて日本にも本格的な「リボルビング・ドア」(民間から政権へ、さらに民間に戻り、再び政権へという回転ドアのしくみ)が確立する嚆矢となると考えたからです。大臣を辞して民間シンクタンク(あるいは大学や研究機関)に戻り次期政権の政策を練る、そしてその政策を引っさげて再び政権へ、という時代が来れば、わが国の政治を支える「知」のインフラが充実することは間違いないと。その意味では、大臣から民間へ戻らずに議員へ転進してしまったことには、いささか失望しましたので、「せっかく日本にもリボルビング・ドアを確立できるところだったのに!」と直接ご本人に文句も言わせてもらいもしました。

ただ、構造改革の設計者として、その影の部分についての処方箋を書けるのは、もしかすると彼だけかもしれませんから、今後の竹中さんの言動には引き続き注目していく必要がありそうです。
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明日は統合幕僚学校で講義

これで4年目となる自衛隊の統合幕僚学校での講義を明日に控え、準備に追われています。

明日は、奇しくも「911」5周年。
そして、私の小選挙区敗戦1周年でもあります。

昨日も今日も、地元で講演をさせていただきましたが、アメリカの対外政策が、911ショックによって大きく動揺し、イラク戦争によって取り返しのつかないほど歪んでしまいました。大げさではなく、確実にヴェトナムの二の舞を踏んでいます。これは、世界の平和と安全にとってきわめて深刻な事態です。「アメリカが馬鹿なことをしでかして」などと突き放すことは簡単ですが、それでは何の解決にもなりません。

つまるところ、イスラエルとアラブ諸国との真の意味の共存共栄を実現できなければ、テロとの戦いは根絶できないでしょう。それは、5000年もの歴史を遡らなければならない気の遠くなるような作業です。しかし、現代世界でその中心的な役割を果たせる実力を持っているのは、じつはアメリカしかいませんでした。1993年のオスロ合意はノルウェイが仲介しましたが、両者にその実行を迫れるのはアメリカだけでした。しかし、それには、実力と共に国際的な信頼性(キッシンジャーが著書『外交』で繰り返し強調していた「国際的リーダーシップの正統性」)が絶対的に必要です。深刻なことは、イラクでの選択を誤ってしまったことにより、アメリカがこれまで培ってきた信頼性や正統性を一気に喪失してしまったことにあります。

そんなアメリカの戦後の安全保障戦略の変遷について講義するのは、いささか気が重い作業です。ご参考までに、明日のレジュメを掲載しておきます。

統合幕僚学校2006年度講義
『米国の安全保障戦略の変遷』

イントロダクション
「米国」は一つではない
力の源泉:特別の使命感と世論の復元力
米国の安保観3つの系譜(2つの現実主義vs理想主義)

I. 戦後(冷戦期)の安全保障戦略
ヤルタ体制(米ソ協調による連合国支配の模索)
朝鮮戦争とNSC-68(反共ロールバック戦略の発動)
ヴェトナム戦争とデタント(Nixonによる古典的現実主義への回帰)
アフガン侵攻と新冷戦(Reaganによるロールバック戦略)
冷戦終結と「平和の配当」(理想主義の振り子)

II. ポスト冷戦の安全保障戦略
BURからQDR(国防予算削減と2MCRの呪縛)
NDP(トランスフォーメーションの提唱)
国防改革と古典的現実主義外交の模索(Bush政権の船出)

III. ポスト9.11の安全保障戦略
ユダヤ・ロビーとネオコン(古典的現実主義の退潮)
イラク政策の失敗(中東民主化構想の挫折・・・ロールバック戦略の崩壊?)
古典的現実主義への揺り戻しの予感(2008年大統領選の行方)

IV. 日米同盟へのインプリケーション
米軍再編と同盟変革
「普通の同盟」を構築できるか
(現実的)野党の使命:国防体制の変革が急務
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皇孫殿下のご生誕をお祝い申し上げます

とても嬉しいニュースです!
全国民の皆さまと共に、心よりお慶び申し上げたいと思います。

これで、拙速な皇室典範改正論議もめでたく沙汰やみとなり、少なくとも数年間かけてじっくりと皇統継承のあるべき姿について、以前、竹田恒泰さんから伺った男系継承の方策を参考にしつつ、議論を深めて行きたいものです。
皇孫殿下の健やかなるご成長を心よりお祈り申し上げます。
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