職業としての政治

福田政権の支持率がつるべ落としに急落している。

ウェーバーは、『職業としての政治』で、「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」と述べているが、福田首相には、この「情熱」がまったく感じられないのだ。今回の「そんな公約してましたっけ」発言や、薬害肝炎訴訟原告団に対する無気力な姿勢、独立行政法人改革への無関心は、すべてこのゼロ・パッションという福田さんのご性格(イメージだけかもしれないが)に起因するものといえる。

それにしても、ウェーバーが「駆使」せよと説いている情熱が伝わってこないのは、政治家として致命的であるかもしれない。ましてや、一政治家ではなく、国家の最高指導者である。福田さんにパッションがまったく感じられなかったのは、じつは最初からだ。このブログでも触れたが、自民党本部でやった総裁選立会演説会での福田さんの演説は、「私はこれを実現する!」という情熱も気迫も感じられなかった。

ついでに言えば、安倍前首相は、それなりの情熱はあったように思う。憲法改正や教育改革など確かに情熱をもって語っていた。しかし、彼には、もう一つの政治の重要な要素である「判断力」が欠落していたのかもしれない。KYだなどと揶揄されてしまった政策選択や政治姿勢は、明らかに時代のニーズを読む判断力に欠けていた。この二人に比べ、小泉元首相には、この情熱と判断力が備わっていたように思うし、明らかに彼は、それら二つを駆使しながら政権運営を行っていた。

ただし、政治の本質を喝破したウェーバーの言葉のポイントは、むしろ後段にあるに違いない。つまり、政治とは「堅い板に穴をくり貫いていく作業」なのだ。しかも、「力をこめてじわっじわっと」やるのが肝心だというのだ。小泉政治は、ここが違っていたといわねばならない。郵政や道路公団の民営化も、刺客作戦も、北朝鮮外交も、出だしはパッと華やかな打ち上げ花火だったが、いずれも中途半端なまま終わった。明らかに、「じわっじわっと」懸命に穴をくり貫いていくような姿勢とは異質なものだった。

しかも、ウェーバーは、一巻を次の言葉で締めくくる。
「どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」

福田政権を倒し政権交代を実現するために、私たち民主党のすべての候補者が肝に銘じておかねばならない箴言であろう。無気力な福田流でもなく、空気が読めなかった安倍流でもなく、そして、打ち上げ花火の小泉流でもなく、「国民の生活第一」政権を樹立するため、情熱と判断力を駆使して、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業に徹するのみだ。支持率の上下に一喜一憂する必要はまったくない。そして、どんな困難に直面しても「それにもかかわらず!」と前進し続けるのだ。
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