外国人参政権法案ひとまず収束か

鳩山総理が「与党合意」を参政権法案提出の条件と表明したことにより、多くの国民の皆さまにご心配をおかけしてきたこの問題も一応の収束を見た。ほっと安堵。しかし、参院選の行方次第では、まだまだ予断を許さない。

(引用はじめ)
亀井氏、外国人参政権法案は「今国会に提出できない」
産経新聞(ネット版)2010.1.28 17:27

国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は28日、産経新聞社のインタビューで、鳩山由紀夫首相が永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案の国会提出には与党合意が必要と表明したことを受けて、「国民新党が賛成しないと逆立ちしても法案を出せない。首相は分かっている。今国会に提出できないことは間違いない」と述べた。亀井氏は「帰化要件を緩和すればいい。(参政権を得るには)帰化し(日本国民として)同化していく方法を選ぶべきで、同化しないで権利だけ付与すると民族間の対立を生んでいく危険性がある」と指摘した。
(引用終わり)


ところで、「外国人参政権」合憲論の理論的主柱と目されていた中央大学の長尾一紘教授(憲法学)が、このたび劇的な転向を表明したことの意義は大きい。長くなるが、これも産経新聞インタビュー記事から転載させていただく。

(引用はじめ)
外国人参政権をめぐる長尾教授インタビュー詳報「読みが浅かった」
産経新聞(ネット版)2010.1.28 21:52

 --地方参政権を認める参政権の部分的許容説に対する今のスタンスは

 「過去の許容説を変更して、現在は禁止説の立場を取っている。変える決心がついたのは昨年末だ」

 --部分的許容説を日本に紹介したきっかけは

 「20年くらい前にドイツで購入した許容説の本を読み、純粋に法解釈論として合憲が成立すると思った。ただ、私は解釈上は許容説でも、政策的に導入には反対という立場だった」

 --許容説から禁止説へと主張を変えたのはいつか

 「民主党が衆院選で大勝した昨年8月から。鳩山内閣になり、外国人地方参政権付与に妙な動きが出てきたのがきっかけだ。鳩山由紀夫首相の提唱する地域主権論と東アジア共同体論はコインの裏表であり、外国人地方参政権とパックだ。これを深刻に受けとめ、文献を読み直し、民主党が提出しようとしている法案は違憲だと考え直した」

 --考え直した理由は

 「2つある。1つは状況の変化。参政権問題の大きな要因のひとつである、在日外国人をめぐる環境がここ10年で大きく変わった。韓国は在外選挙権法案を成立させ、在日韓国人の本国での選挙権を保証した。また、日本に住民登録したままで韓国に居住申告すれば、韓国での投票権が持てる国内居住申告制度も設けた。現実の経験的要素が法解釈に影響を与える『立法事実の原則』からすると、在日韓国人をめぐる状況を根拠とすることは不合理になり、これを続行することは誤りだと判断した」

 --もうひとつは

 「理論的反省だ。法律の文献だけで問題を考えたのは失敗だった。政治思想史からすれば、近代国家、民主主義における国民とは国家を守っていく精神、愛国心を持つものだ。選挙で問題になるのは国家に対する忠誠としての愛国心だが、外国人にはこれがない。日本国憲法15条1項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ」

 --ほかには

 「許容説の一番最先端を行っているドイツでさえ、許容説はあくまでも市町村と郡に限られる。国と州の選挙の参政権はドイツ国民でなければ与えられない。一方、鳩山首相は地域主権論で国と地方を並列に置き、防衛と外交以外は地域に任せようとしている。最先端を行くドイツでさえ許していないことをやろうとするのは、非常に危険だ」

 --政府・民主党は、外国人地方参政権(選挙権)付与法案を成立させたい考えだが

 「とんでもないことだ。憲法違反だ。国家の解体に向かうような最大限に危険な法律だ。これを制定しようというのは単なる違憲問題では済まない」

 --付与の場合の影響は

 「実は在日韓国人より、中国人の方が問題だ。現在、中国は軍拡に走る世界で唯一の国。中国人が24日に市長選があった沖縄県名護市にわずか千人引っ越せば、(米軍普天間飛行場移設問題を焦点とした)選挙のキャスチングボートを握っていた。当落の票差はわずか1600票ほど。それだけで、日米安全保障条約を破棄にまで持っていく可能性もある。日本の安全保障をも脅かす状況になる」

 --学説の紹介が参政権付与に根拠を与えたことは

 「慚愧(ざんき)に堪えない。私の読みが浅かった。10年間でこれほど国際情勢が変わるとは思っていなかった。2月に論文を発表し、許容説が違憲であり、いかに危険なものであるのか論じる」(小島優)
(引用終わり)

この長尾教授の学問的良心に基づく勇気ある転向表明の中で、私がもっとも大事な視点だと思うのは、外国人への参政権付与で最先端を行くドイツでさえ、参政権の付与はあくまでも市町村と郡に限られ、国と州の選挙の参政権はドイツ国民でなければ与えられない、という点である。

我が国の場合、先日の名護市長選挙のように、在日米軍基地の移設受け入れといった国政の根幹にかかわるような問題がしばしば地方選挙の争点となる。領土問題や原子力発電所の立地、国家安全保障など日本の主権と安全保障に直結するような争点は、国政選挙であろうが地方選挙であろうが分かちがたいのである。このような国家の基本問題を国籍を有さない人々による選択に委ねることに慎重であるべきは自明と考える。
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共産党機関紙「赤旗」から名指し批判

先日の朝日新聞に掲載された鼎談記事をめぐり、日本共産党の機関紙「赤旗」から名指し批判を受けた。天下の「赤旗」、ある意味で名誉なことだ。ただし、看過すべからぬ大事な問題なので、全文引用して、きちっと反論・説明しておきたい。

(引用はじめ)
「朝日」てい談の暴論--核持ち込み認め、三原則堅持?(赤旗2010年1月21日)

 核兵器を持ち込ませずとした非核三原則の堅持と、核兵器を積んだ米軍艦船の日本寄港・領海通過は矛盾しない―。こういう珍論とも暴論ともいうべき議論が、朝日新聞紙上の鼎談(ていだん)(19日付)で行われています。外務省の核密約調査とからんで、核積載艦の寄港・領海通過を公然と認めようとする動きとして看過できません。

同盟強化論者

 「朝日」の鼎談は現行安保条約50年企画で、防衛省の長島昭久政務官、元外務省幹部・元首相補佐官の岡本行夫氏、元陸上自衛隊幹部の山口昇防衛大教授と、日米軍事同盟強化論者ばかりをそろえて行われています。

 そのテーマの一つが、核積載艦の寄港・領海通過を日米間の事前協議の対象外にし、自由な核持ち込みを認めた日米核密約の問題です。外務省の密約調査の結果が公表(2月予定)されるのを受け、米国の核抑止との関係をどう説明するのかとの司会の質問に、長島氏は「今後の政策にあたっては、非核三原則は堅持し、『持ち込ませず』の定義をより明確化する。事前協議は求める」と答えます。

 しかし、これを受けて岡本氏は「米国の解釈は一時寄港や領海通過は『持ち込み』ではない、だから非核三原則は守っていると。実際、日本が言っているのは三・五原則だ。本来の三原則に一時寄港と領海通過という〇・五がくっついてしまっている」と発言。司会から「領海通過や一時寄港を三原則の外に置いた場合、事前協議を求めるのか」と聞かれ、長島氏は「岡本さんの定義でいけば、それはプラス〇・五で三原則の外だから求める必要はない」と言うのです。

 つまり、2人の議論を合わせると、核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませずの非核三原則のうち「持ち込ませず」について、米側は、核積載艦の寄港・領海通過を含まないと解釈している。しかし、日本側は表向きは、「持ち込ませず」の原則に寄港・領海通過も含めており、プラス〇・五の三・五原則になっている。だから寄港・領海通過を公然と認めて〇・五を差し引いても、もとの三原則になるだけで、非核三原則「堅持」に変わりはない―ということになります。

 核積載艦の寄港・領海通過を認めようとする論者は従来、非核三原則を二・五原則に見直すべきだと主張してきました。これは、三原則から寄港・領海通過の〇・五を引いて二・五原則にするというものです。これに対し、公然と寄港・領海通過を認めながら非核三原則も「堅持」すると強弁する議論は今まで聞いたことがなく、アメリカ言いなりの詭弁(きべん)、驚くべき開き直りです。

核抑止正当化

 長島氏は「(一時寄港・領海通過について事前協議を)求めたら拡大抑止論は崩壊する」と言います。しかし、そうした米国の核戦略を「抑止」の名で正当化することこそ、標的になった国々に核兵器を持つ口実を与え、歯止めのない核拡散を生むことになります。

 鼎談では、核問題だけでなく、「日本は米軍の抑止力から最大限の恩恵を被っている」「それが嫌なら日米安保体制を出て、武装中立に行くしかない」(岡本氏)「緊密で対等な関係を結ぼうとすれば、日本の果たすべき責任はもっと大きくなる」(山口氏)など、同盟関係見直しへの脅しともいえる議論も展開しています。今の「朝日」の立場を象徴しています。
(引用終わり)


いかがでしょうか。

まず、第一に、「核抑止」を我が国の安全保障の根幹と位置付けている私の議論と、「核抑止」そのものを否定する日本共産党の持論が噛み合わないのは、残念ながら仕方がない。前提が異なるのであるから、議論はどこまでも平行線となる。

しかし、岡本行夫さんによる「非核3.5原則」という問題提起は、我が国の国是である非核三原則を国際社会の現実の中で貫徹させる上で、きわめて興味深いものだった。岡田外相が主導する「核密約」解明も、歴史的事実を明らかにする意義は大きいが、その結果が我が国の今後の安全保障政策を縛るものとなってはなるまい。つまり、核保有を拒否する我が国の立場を前提にした場合、北朝鮮や中国やロシアの巨大な核戦力を前にその安全保障を確立するためには、米国による拡大抑止戦略と緊密な連携をとる(敢えて、ここで「依存する」という言葉使わない!)必要があることは論を俟たないだろう。

ところで、米国の拡大抑止は次の三つから構成される。
(1)米国の(報復)核戦力
(2)米国の通常戦力(前方展開兵力はその担保)
(3)米国によるミサイル防衛システム

このうち、(2)と(3)については、それぞれ緊密な日米同盟協力が行われているた。前者をめぐっては、アジア太平洋地域に前方展開された米軍との共同演習や共同訓練や共同のオペレーションが平時から積み重ねられてきた。後者においても、昨年の北朝鮮のミサイル発射時に見られたように日米のミサイル防衛協力の着実な深化は、我が国の安全保障における基盤ともいえる。いずれにおいても、我が国は米国に一方的に依存するものではない。

今日最大の問題は(1)の米国の核戦力による拡大抑止の信頼性をどう確保していくかである。昨今の北朝鮮の核脅威をめぐり、我が国で巻き起こった核武装論や敵基地攻撃論などは、米側からみれば米国による拡大抑止の信頼性が低下した証左と映る。したがって、昨年のゲイツ国防長官来日時の(普天間問題の陰に隠れてしまった)真のアジェンダはまさしくそれであったし、最近報道された岡田外相から米政府の外交安全保障閣僚に宛てた書簡もこの点が今年行われる日米同盟深化の最重要課題であることを物語っていたと言えよう。

そして、上述の「拡大抑止の三本柱」のうち、(1)の米国による核抑止力に限っては、核保有の可能性をを自ら排除した我が国として、安全保障上これに全面的に頼らざるを得ないのである。したがって、「赤旗」から激しく非難されようとも、このさい非核三原則の定義を明確化する過程で、「持ち込ませず」をintroduction(配備)としていたその出発点に遡り、定義をめぐり混乱をきたした過去の議論を整理して行くことは、核武装の道を拒絶し非核三原則の国是を貫き「核のない世界」実現を目指す鳩山政権としてギリギリの戦略的決断ではないかと考える。

もしこの議論を否定し、あくまで「非核3.5原則」に固執すれば、それは米国による拡大抑止の信頼性を浸食することとなり、「米国の核抑止力に頼らず我が国の安全保障を確立するために」との理由からかえって核保有の議論へ道を開くことになりかねない。それこそが、誰も望まない最悪のシナリオではないか。この際、こういった現実的な視点に立った核抑止を含む拡大抑止の議論が国民の間に広く行われることを望むものである。
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高校生からの激励メール

毎日様々なメールを受ける。
政権交代してから、その量は激増した。
お叱りや批判メールもたくさん頂戴するが、中には心温まる激励メールも多い。
今日は、その中から高校3年生からのメールを紹介したい。
なかなか鋭い視点に感心するとともに、高3当時の自分を思い出し嬉しくなって、思わず長文の返信を認めてしまった。それにしても、高校生にまで心配をかけてしまっていること、反省せねばなるまい。以下、そのやりとりの一部を紹介させていただく。

【A君から長島へ】
新年明けましておめでとうございます。

これで二度目の送信になります。このメールも長島議員に届けばよいなと思って送らせていただきます。

(中略)

ブログが更新されたので、また一言伝えたいなと思いました。海兵隊の基地の件や
外国人参政権に関しての議員の文章を読んですこし安心しました。僕が議員のことを知ったのは政権発足当初のNHKの放送を見たときです。あの時も議員の話を聞いて、安心したことを、議員に頑張ってほしいと思ったことをいまでも覚えています。

民主党政権が始まって、100日と何日かが過ぎました。テレビの情報は様々で知識のない自分には本当の所がなんなのか。鳩山政権の外交・安全保障政策がうまくいっているのかどうかは判断できませんが、いまだに何も決まっていないという事実と鳩山首相を筆頭に政府の中で意見の統一ができていないという事に漠然とした不安を覚えています。

外国人参政権のことについては、何が正しいのか判断ができないことでは外交の事と同じですが、日本の国籍を持っていない人に参政権を与えることに違和感を感じていました。参政権を望むのであれば何故日本の国籍をとらないのだろうと。

二つの問題に関して、長島議員の文章を読ませてもらって改めて議員にエールを送りたいと思いました。難しい立場に置かれているとは思いますが、頑張ってください! 米軍基地の問題にかんしても、参政権の問題に関しても長島議員の考えに賛同している国民は多いはずです。少なくとも僕はその一人です!わからないなりに議員のおっしゃることはただしいと思います。

自分の話になってしまって恐縮ですが、僕は受験の真っ最中です。今後の進路としては国際政治学を学んでいきたいと思っています。選挙権もなく、知識もない自分は、日本の今後にとってもっとも重要なこの時期に何もできないことをとても悔しく思っています。

ただ、遠くない将来自分も日本の未来に貢献できるよう、努力したいと思っています。

僕も頑張りますので、長島議員も頑張ってください!


【長島からA君へ】
メール拝受。二度目とのこと、感謝申し上げますとともに、前回のメールに返信できていなかったことをお詫びします。

私が政治家を志したのが高校3年のちょうど今頃だったので、貴兄のメールを読みながら懐かしく当時のことを思い出しました。時は1980年。今からちょうど30年前のことです。前年の12月24日にソ連軍がアフガニスタンへ突如侵攻し、のちに「新冷戦」といわれるものが勃発しました。その前にはイランの米大使館人質事件が勃発しており、国際情勢は混沌とし、第二次オイルショックで日本経済も大きな打撃を受けておりました。それなのに、国政は「大平vs福田」で泥沼の40日抗争を繰り広げておりました。

その有様を目の当たりにして、「国際社会に通用する政治家をめざそう」と志したのです。それから、実際に国会議員になるまでに23年の歳月を要しましたが・・・。それでも、高校生の私が現職の国会議員に直接コンタクトを取ろうなどとは到底考えも及びませんでした。その意味では、メールなどという便利なツールが普及したことは、政治家と国民の距離を確実に縮める事になりましたね。

それはともかくも、貴兄の抱く不安と同じものを多くの国民が共有していると感じます。鳩山政権のめざす外交安保政策がまだはっきりしていないことがその原因だと自覚しております。半世紀ぶりの政権交代で新たな政官関係が構築されていないこともさることながら、連立政権という制約もかなりあります。

ただ、せっかくの機会なので、私が描く新政権の外交安保戦略の核心について、貴兄が今後勉強される上で多少役立つようなヒントをお伝えしておきましょう。

鳩山政権の外交政策の基軸ももちろん日米同盟です。東アジア共同体というのは遠い将来の理想の旗です。しかし、現実の国際情勢の中で、我が国の生存と繁栄を維持していくためには、日米同盟の強化以外に選択肢はありません。そこで、私たちは、「緊密で対等な日米同盟を築く」とマニフェストで約束しました。

「距離を置いて対等をめざす」わけでも、「対等関係を確立したうえで緊密化させる」わけでもありません。緊密化→対等へという順番でことを進めるのです。この順番をいささか間違えてしまったのが新政権つまづきの原因です。じつは、同様の間違いを首相のお祖父様である鳩山一郎政権も犯してしまっているのは興味深い歴史の綾といえます。(この辺をもう少し深く研究すると面白いでしょう。)

そして、自民党政権との違いは、その目標を達成するためのアプローチにあります。自民党政権のアプローチは、端的に言うと「吉田路線」です。麻生太郎前首相のお祖父様の吉田茂が戦後外交の柱に据えた「軽武装、経済優先、対米依存」のアプローチです。

当時保守陣営には、これに対抗する勢力がありました。
重光・改進党と芦田・民主党と追放解除組の鳩山、岸、まだ新人議員だった中曽根らです。彼らは、吉田路線に対抗し、「自主防衛、憲法改正、対米自立(駐留軍の漸次撤退)」というアプローチを主張しました。(この辺の政治史もぜひ勉強してみてください。)

鳩山首相のお祖父様たちが唱えた「吉田路線からの脱却」を半世紀ぶりに成し遂げようとするのが本来の鳩山政権の使命だと思うのです。じっさい、私は新人議員の時、鳩山さんを囲む憲法改正の勉強会に参加させてもらい、その成果は鳩山由紀夫著『新憲法試案』という形で本にもなりました。

少々長くなりましたが、政治というのは時に妥協したり、足踏みや後退を余儀なくされることがあります。しかし、目標さえ見失わなければ、目標が明確であればあるほど、目標達成に向けた信念が強ければ強いほど、物事を少しづつでもその方向へ動かすことができるはずです。少なくとも私自身はそう信じています。政治は、また「可能性の芸術」ともいわれます。あらゆる可能性を探りながら、脱吉田路線の自立外交をこの国に確立するため、全力を傾けて参ります。今後とも、応援してください。

末筆ながら、A君のますますのご活躍と初志貫徹を心よりお祈りします。

長島昭久拝
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再掲・外国人参政権について考える

鳩山新政権の課題として、多くの国民の皆さまからの関心を集め、また大いに心配されているテーマの一つに「外国人参政権」の問題がある。この件に関しては、すでに昨年1月のブログにエントリーしている(し、私の考えはその時点か全く変わっていない)ので、これを再掲することにより、多くの皆さんの疑問に対する私の答えとさせていただきたい。

予め背景説明しておくと、一昨年の暮れ党内に「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」なる組織が立ち上がり、政権交代を目指す民主党のマニフェストにこの公約を載せようとする運動を始動させた。それに対して、慎重派の有志議員が反論を提起し、結果としてマニフェスト掲載を阻止したもの。その党内論議の真っ最中に書いたのが以下の小論である。

(再掲、2008年1月28日付ブログ・エントリー)
我が党内に「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が設立されるという。呼びかけ人の代表が岡田克也副代表であるから、党内論議を行う上で、かなり重要度が高いといえる。

岡田さんは、たしかにとっつき難い方ではあるが、代表時代に訪米のお供をさせていただいたこともあり、プライベートの側面も垣間見て親しみも感じている。岡田さんは、昨年来、核軍縮議連を率いて、現実的で建設的な党内論議をリードしてこられたし、与党が渋っていた政治資金改革も岡田さんのリーダーシップと頑固さで実現させた。また、05年総選挙後は、とくに全国で懸命に頑張っている落選議員や浪人中の新人のところへ一人ひとり応援行脚に回っておられる。こういう姿は、否が応でも党内の信望を高めるもの。そんなわけで、私は岡田さんを密かに尊敬してきた。

しかし、それだけに、今回の議連の旗振りは残念でならない。
いずれにしても、今後の党内論議に備えて、現時点での私なりの考え方をまとめておきたい。(バランスを失しないよう、なるべく推進派の生の声を紹介しつつ考察を試みたい。)

さて、同議連の趣意書を読む限り、「特別永住者」に対し地方参政権を付与しようとの目的で結成されたものらしい。この問題は、公明党が非常に熱心で、自民党や民主党内にも推進派の議員が相当数いることは認識している。それらの方々がどういう考えであるのか、それを端的に表現していると思われるのが、野中広務元自民党幹事長の以下の発言であろう。

「かつて我が国が36年間植民地支配をした時代に、朝鮮半島から(強制)連行してきた人たちが、今70万人といわれている在日を構成している。一世はかつて、日本国民として創氏改名され、兵役にも従事し、日本国民として困難な時代を乗り切ることとなった。従って、日本社会に貢献し義務を果たしたこの一世やその子孫に我が国の地方参政権を与えることは、日本が国際国家としてありうる道ではないかと一人の政治家として考える。」(産経新聞1999年9月21日付朝刊)

いかにも善意と正義感にあふれる見解だ。
しかし、ここには看過することのできない3つの重大な誤解がある。

第一に、現在の「在日」の中には、朝鮮半島から強制連行されてきた人たちおよびその子孫はほとんどいない。終戦時の在日人口は約200万人で、そのうち戦時動員計画による労働者として終戦時に現場にいたのは約32万人。占領軍の命令によって、日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料・荷物重量制限付きという条件で彼らを帰国させ、昭和21年末までに約150万人が祖国へ帰還した。引き揚げにあたっては、戦時移送計画により渡日した労働者が優先され、結果的に、32万人の「連行者」は、ほとんどこの時に帰国を果たしている。したがって、過度の贖罪意識から情緒的に参政権の話を進めていくことには慎重であらねばならない。

第二に、日本社会に貢献し義務を果たしているから、即ち参政権というのも短絡的だ。たとえば、納税の義務を果たしているからといっても、納税は、行政サービスや生活インフラなど国民が長年にわたって築き維持してきた様々な公共サービスの利用等に対する対価に他ならず、外国に居住する日本人もそれぞれの国に税金や保険料を納めている。しかも、納税を根拠に参政権をということになれば、税金を納めていない国民の選挙権の喪失や、かつてのような納税額による選挙権の制限などといった別の問題が生じてしまう。また、特別永住者の方々へは、1960年代後半から国民健康保険制度が、1980年代には国民年金制度が適用されるようになっている。

第三に、国際化のために永住外国人に参政権をというのも論理が飛躍している。この議論に対する反論は、自ら在日でもある東京都立大学の鄭大均教授の次の指摘が説得力を持つ。
「永住外国人の大半は「特別永住者」といわれる朝鮮半島出身者とその子孫だが、彼らは韓国・朝鮮籍を持っていても、本国に帰属意識があるわけではないし、外国人登録証を持っていても、自分を本物の外国人とは考えていない。・・・こういう人々が外国籍を持ったまま日本の参政権を行使するというのでは、国籍とアイデンティティーのズレが永続化してしまう。・・・「自分は民族的に生きたい」という人もいるが、それなら、コリア系日本人として生きていけばいい。民族的に生きるということと国籍を重ねて考えるはおかしい。・・・多文化共生社会を実現する一番確かな方法は、日本人という枠組みを多様化することだろう。コリア系日本人の誕生は間違いなくそれに寄与する。」(朝日新聞2004年8月19日付朝刊)

そもそも、参政権とは何ぞや。
参政権は、憲法15条1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定められている。
この権利は、他の自然権としての人権とは異なり、国民主権原理から導かれるもので、国家と運命を共にする構成員、つまり「国民」にのみ保障された権利で(あり、公務(義務)でも)ある。したがって、そもそも、日本国籍を有しない外国人に参政権は憲法上保障されない。この点で、最高裁判所も、平成7年の判決において以下のように判示している。

「(憲法15条1項)の規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものに他ならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文および1条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における「国民」とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有するものと意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人に及ばないものと解するのが相当である。」

このように説明すると、参政権付与推進論者からは、二つの反論が返ってくるであろう。第一に、付与するのは国政ではなく、地方の参政権であること。第二に、参政権といっても、選挙権のみで被選挙権は考えていないこと。代表的な主張を、公明党の国会議員の発言から拾ってみる。

「国には外交・安保など国益に関する機能があり、外国人の国政への関与は憲法上認められない。地方自治体は主に住民の日常生活に密接した事務を行っており、この面で一定の行政参加は許される。一方、自治体は国の統治機構の一部との側面もあるので、外国人が直接、為政者の立場になる被選挙権は与えない。」(山名靖英衆議院議員、東京新聞2004年10月3日付朝刊「私が正しい」)

推進派の急先鋒の議論にしては、いかにも中途半端ではないか。結局、原子力発電所の立地や、国民保護法に基づく住民の避難誘導、自衛隊や米軍の基地施設など、実態として中央と地方の政治行政は一体不可分であることまで否定することはできず、推進派の主張でも、外国人に認められるのは、地方における「一定の行政参加」であり、参政権とは名ばかりでじつは選挙権しか与えないというのだ。参政権の半分しか与えないというのは、あまりに偽善的で、新たな権利格差問題を生み出すことにもなる。また、「一定の行政参加」というのであれば、すでに100を超える自治体が住民投票で外国人の投票を認めているから、今後もこの動きを促進していけば街づくりへの意見反映の機会は確保されるのではないか。

そろそろ結論を急ごう。
これまで見てきたように、どうしても参政権を行使したいというのであれば、国籍を取得していただくほかない。たしかに、現行の国籍法に基づく国籍取得(帰化許可申請)には、七面倒くさい書類提出が伴う。そこで、とくに、植民地統治という戦前戦中の負の歴史と切り離し難い在日韓国・朝鮮、台湾人といった「特別永住者」に限っては、帰化手続を大幅に緩和して、本人が希望すれば届出により日本国籍の取得が可能にする国籍法の改正(もしくは国籍取得特例法の制定)を提案したい。これは、従来の審査による帰化の許可とはまったく性格が異なるものだ。

また、「過去の清算」というのであれば、「特別永住者」という特殊な集団を固定化するような安易な参政権付与には慎重であるべきだと考える。それよりも、鄭教授が示唆するように、「日本人という枠組みを多様化する」ことによって、日本型の多文化共生社会を創り上げていくべきだと考える。その中で、70万コリアンの皆さんには、朝鮮半島の文化と伝統を脈々と引き継いで、日本の中に活き活きとしたコリアン・コミュニティを形成していって欲しいものである。

追記(2008年1月29日)
以上のような思いから、明日午後、同志の皆さんと外国人参政権問題についての勉強会を開催することとした。24名の呼びかけ人のほか、名前は出せないものの趣旨に賛同する議員は少なくとも20-30名ほどいることに意を強くしている。一部の報道では、党内政局の新たな火種のような書き方をされているが、現在、過去、未来にわたってこの国の舵取りを担う参政権のもつ重い意義をしっかり見据えた議論を党内で喚起していくつもりだ。まかり間違っても、こういう国家の根本問題を政局に利用してはならない。勉強会発足にあたってこの点を十二分に弁えていこう、と同志とも確認し合っている。
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謹賀新年

平成22年・庚寅の新年が明けた。
皆さまにとり、素晴らしい一年となることをお祈りします。

人生4度目の年男。
心中期するところあり、だ。
自分の専門分野で新しい地平を開拓したいもの。

思えば、前回の年男の時は米国留学の真っ最中だった。
在米5年目で、いよいよ「武者修行」も仕上げの段階に差し掛かっていた。前年に大学院を修了し、図らずも読売論壇新人賞の最優秀賞を受賞したことがきっかけとなり、当時まったく無名の素浪人が日本のメディアや日米研究者からにわかに注目され始めたころだった。ニューヨークに本部がある外交問題評議会で初の日本人研究員(ワシントンDCブランチ所属)として働き始め、「朝鮮半島和平プロジェクト」に携わっていた。(その時に、今日につながるあらゆる日米人脈を形成することができたのが何より幸運であった。)

その朝鮮半島では60年前に勃発した戦争が未だ終わっていない。北朝鮮はついに核兵器を保有するに至り、日本との関係では拉致問題が未だ解決していない。拉致問題については、担当大臣に就任した中井洽先生が精力的に動いてくださっている。超党派議連でもしっかり支えていく。そして、今年は、日米安保改正50周年の年。同時に、朝鮮戦争勃発60周年、日韓併合100周年の年にあたる。すなわち、私のライフワークである「日米韓三国連携」にとっての歴史的な節目の年である。

この大事な年を前に、自分なりに布石を打ってきたつもりだ。一つは、日米同盟の再建と強化のための準備。もう一つは、日韓戦略協議のための準備だ。前者はまだ五里霧中であるが、後者については年末に訪韓し、韓国国防部にて長官、次官と、青瓦台の外交安保首席(米国でいえば国家安全保障担当大統領補佐官に相当)らと会談する機会に恵まれた。民主主義や市場経済、環境、エネルギー資源など日韓に共通するものは多いが、半世紀以上も米国との同盟関係を堅持し共に駐留米軍を受け入れている点を看過するわけにはいかない。

日米同盟も米韓同盟も、仮想敵国に対抗する(against)同盟から共通の利益を実現するための(for)同盟へと進化しなければならない点で、共通の課題を抱えている。その進化の過程で、駐留米軍の規模や機能や兵力配置について不断の見直しが行われねばならないのだ。未だ朝鮮半島の情勢が不安定な現実を前に、在韓・在日米軍は必然的に連動する。それに伴い米軍のホスト・ネーションとして日本と韓国との間の連携・協議を緊密化させる必要がある、とこれまでずっと考えてきた。

しかし、日韓の間に横たわる不幸な歴史が、そのような必要不可欠の安全保障協議すら遠ざけてきた。敢えてタブーに挑戦する政治家は存在しなかった。そんな中で火中の栗を拾おうという役人が出て来るわけもない。しかし、いったん朝鮮半島に不測の事態が起これば、韓国軍は自動的に米軍と連合軍を形成し脅威に対処する。日米間にも防衛協力の指針(ガイドライン)に基づく協力支援活動が始動する。周辺事態安全確保法や有事法制に基づき陸海空自衛隊部隊が朝鮮半島へ殺到する米軍の後方支援活動に出動する。かりに日韓連携・協力の準備が欠落したまま、その瞬間を迎えたらどうなるか。

かりそめにも我が国の防衛・安全保障を預かる政務三役の一人として、この不確実な現状を座視するわけにはいかない。今年こそ、これまで手のつけられなかった「有事における日韓連携」の方途を模索して行きたい。(ついでに言えば、これは、永住外国人の地方参政権を認めることなどより遥かに国益にかなう喫緊の課題だ。)

同時に、朝鮮半島有事における在日米軍の役割について、改めて鳩山新政権の下で考え直すことを提案したい。じっさい、韓国訪問中に、政府関係者を含め何人もの有識者、国会議員から在日米軍基地再編、とりわけ沖縄駐留の米海兵隊の存在意義について、日本政府が十分に理解しているのかという懸念の表明があった。私自身、かねてから指摘しているように、沖縄駐留の海兵隊部隊は、日本防衛というよりもアジア太平洋地域における平和と安定のための国際公共財のごとき役割を担っている。とくに、朝鮮半島有事の際には、戦場に真っ先に飛び込んで行く部隊だ。この後詰めの先鋒部隊の存在こそが米韓連合軍に無言の安心感(逆にいえば、侵略者への無言のプレッシャー)を与えているのだ。これが「抑止力」の中身であり、近年勢いを増す中国の海洋進出に対しても睨みを利かせている。

その米海兵隊を、こちらの一方的な都合で、「やれグアムへ行け」だの「それ硫黄島へ行け」だのと無責任に論ずることには大いなる違和感を覚える。海兵隊の即応体制を維持するには、「函館よりもマニラに近く、東京よりもソウルに近く、福岡よりも台北や上海に近い」沖縄の地政学的価値は代替不可能とさえいえる。さりとて、辺野古の「美ら海」を破壊する現行案にそのまま立ち戻って来ることはもはや現実的には考えられない。

すなわち、私たちに課された今年前半における最大の宿題は、かかる制約の下で、米海兵隊の即応部隊(第31海兵遠征部隊)に兵力を供給する第4海兵連隊と第36海兵航空群(総兵力2000-3000人、ヘリ約20機)の駐屯地を、これまでのようにアジア全域に常時展開可能な態勢で確保することにある。文字通り至難の業である。しかし、(未だあまり多くを語れないが)これまでの「しがらみ」を解き放てば、正解が見出せないわけではないと確信している。

日米安保改定50周年の記念すべき年を、さらなる半世紀の日米同盟を展望し得る輝かしい年とするため、政府の総力と連立与党の英知を結集せねばならない。その中で、存分の働きをしてまいりたい。どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
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