石川・稲城市長のファインプレー

耐震強度偽装マンションを巡り地方の反乱が起こった。
東京都稲城市が、国の打ち出した公的支援策に伴う財政支出を拒否したのである。
(私もよく存じ上げている方だが)まさしく石川市長の英断だ。

稲城市は、姉歯・木村建設・ヒューザーによる問題マンションを抱える。問題物件は、構造計算書改ざんにより強度は基準の33%。東京都は、発覚後直ちに使用禁止命令を出している。追い出される住民の皆さまにどんな救済の手を差し伸べるべきかが焦点となることは言を待たない。

今月6日に国土交通省が公表した国の支援策では、転居先の家賃補助、解体費用などの半額を国が負担、残りを自治体が負担(東京都の場合、都と区市で折半)することになっていた。

しかし、この問題マンションの建築確認は、稲城市ではなく、民間の確認検査機関「イーホームズ」で、建築基準芳情の責任を負う「特定行政庁」は、都多摩建築指導事務所だ。したがって、石川市長は、「市は特定行政庁にも当たらず、財政負担の法的根拠がない」と負担を拒否したのだ。この動きは、全国に広がるだろう。論理的には、石川市長の方がはるかに説得力がある。

そもそも国の行政責任は、建築確認で耐震強度の偽装を見抜けない制度を作ったという点で免れることはできない。したがって、公的支援はあくまで国が主体になるべきだろう。それなのに、自治体の負担割合を55%に設定しているのは、「国から地方へ」という小泉政権のスローガンの悪用に他ならない。国土交通省は顔を洗って出直すべきだ!

今年もいろいろなことがあった。
ブログを始め、皆さまからの反響も多く寄せられ、スタッフからも概ね好評で、政治活動に新たな地平が拓かれたような気がする。
来年も、国会に地元に「翔ぶが如く」暴れまわる所存ですので、倍旧のご支援のほどどうぞよろしくお願いいたします。

どうぞ皆さま、よい年をお迎えください。
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歳末の「感謝」遊説始まる

毎年恒例の歳末「感謝」遊説が今日から始まる。
今日から2日間、選挙区内の3市を民主党宣伝カーの助手席に乗り込んで、走る、走る、走る・・・。弁士は、私一人。午前10時から日没(午後5時ごろ)まで。(ところどころスタッフに合いの手を入れてもらう)

市民の皆さまから温かい激励をいただきながら、晦日の景色を楽しむ。
一家総出で大掃除をしているお宅、お正月の準備で山のような買い物を抱えている家族連れ、公園で遊ぶ親子などなど。

年末を彩る街のあわただしさの中を、車で駆け抜け、「よい年お迎えください」「新しい年が皆さまにとりまして、素晴らしい一年になりますよう心からお祈り申し上げます」「来年もよろしくお願いします!」とマイクで声をかける。振り返って笑顔で応えて下さる皆さんに、改めて感謝。温かいエネルギーをいただく。

来年も頑張るぞ!
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外務省の醜態

外務省は、中国公安当局による情報漏えい強要が原因で自殺した上海総領事館の職員をめぐる外交上の対応を事実上1年半も「放置」してきたという。

(以下、2006年1月3日追記)
この問題に関しては、外務省職員の自殺原因をめぐって、中国側の主張(個人的な職務上の重圧)と日本側の主張(中国公安当局による「遺憾な行為」)が真っ向から衝突している。

したがって、本件が1年半も事件が秘匿されていたこと、外務省がうやむやにして済まそうとした形跡があること(この点で、1年半もたっていきなり抗議を受けた中国政府の「驚き」は理解できる面もある)とともに、徹底的な真相究明が必要だと思いる。この点こそ、わが党が取り組むべき最優先課題だ。

この事件では、尊い人命が失われているのですから、闇から闇に葬るわけにはいかない。結果次第では、当事者の処罰や中国政府の謝罪、補償、さらには、大使の召還など、外交的な「けじめ」をつけることが必要となるかもしれない。これらの過程を通じて、北京の共産党政権が内包する問題性に対する国際社会の認識が深まることは避けられないと考える。
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学級崩壊

今朝は、選挙区内の小学3年生の保護者の皆さんと懇談。
何と、小学校の低学年から深刻な学級崩壊が始まっているのだ!

「学級崩壊」という言葉は、10年ほど前から世間を騒がせてきた。私自身、幸いそのような環境に身を置いたことはない世代だが、おそらくこれは中学生に特徴的な現象だと思い込んでいた。学生時代に中学校の水泳教室のコーチを数年間やり(今来年2月の「新春の集い」にゲスト・スピーカーで来てくださる岸井成格さんはそのチームの先輩にあたる)、ほんとに素直で可愛いピカピカの1年生が2-3年生になるにつれて、声も変わり、体つきも成長し、みるみる生意気になっていくのを目の当たりにしてきた経験から、授業が成立しなくなるほどの学級崩壊現象は、中学ならありうるなと感じていたし、逆に、まさか小学生では想像もつかなかった。

それが、小学3年生で起こっているとは!
お母さま方に伺うと、すでに1年生の時から初期症状が現れていたというのだ。
クラスの中に数人の「暴れん坊」がいて、その子供たちにルールやマナーを教えるなど上手に育てることができず、逆に、当初は面白半分だった子供たちを調子に乗せて、さらには他の子供たちが付和雷同するのを律することができず、やがて悪貨が良貨をも駆逐してしまい、今日の崩壊現象を招いたという一連の経緯が理解できた。

親御さんたちからすれば、何にも染まっていない(はずの)1年生の時に、もう少しきちっと(毅然と)指導してもらえたら、あるいは、2年生になっても状況が改善しない中で、担任の先生を工夫するとか、補助教員を増強するとか、学校全体の取り組みとして真剣に対処してもらえたら、その後の状況の悪化を防ぐことができたのでは・・・、との悔しい思いは強い。(・・・この件については、市の教育長さんに相談するつもり。)

しかも、その学年はたった1クラスしかないので、生徒たちは、クラス替えといった「逃げ場」がまったくないのだ。少子化現象の深刻なのはこの点にも現れている。さらに現行の学校教育法制の欠陥がこの悪循環に拍車をかけている。すなわち、いまの義務教育制度は、子供たちの人数に従って教職員数が決まり、予算が配分される仕組み。だから生徒数が減るにしたがってさまざまな予算が削られ、今回のようなケースへの対処のために補助教員をつけたりすることが難しい。

一言で言えば、国が決めて運用している今の制度が、現場の声や地域のニーズ、とりわけ子供たちの育ちや学びの切実な要請に応えられない、ということだ。

学級崩壊を解決するためには、担任教員による指導のあり方や学校全体の教育力を向上させることは喫緊の課題。なぜなら、子供たちは日々成長しており、ようやく対策が講じられた時には卒業してしまって、「時すでに遅し」ということになりかねないからだ。それと同時に、より根本的な処方箋を考える必要がある。つまり、そろそろ教育をめぐる「主権」を文部科学省から地域へ、保護者へ、学校へ、延いては子供たちへ、「奉還」すべき時が来たのではないかと思う。

私たち民主党若手議員有志は、わが国にも地域主導のコミュニティ・スクールを制度的に確立する運動を立ち上げる準備をしている。この分野では草分け的カリスマの鈴木寛(通称すずかん)参議院議員にアドヴァイスを求めながら、来秋発刊をめざして「教育再生」をテーマにした共著を上梓する計画だ。ぜひ、学校教育に対するさまざまなご意見をお寄せいただきたい。
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盟友・馬淵澄夫来る!

今年最後のタウンミーティングに、馬淵澄夫代議士が駆けつけてくれた。
講演会の皆さまはじめご参集いただいた方々も今年一番の大入りで熱烈歓迎してくださった。
馬淵代議士の30分の熱弁に、会場全体が吸い込まれるように聞き入っていた。

「すべては、2冊の分厚い構造計算書が事務所に届けられたことから始まった。」
11月24日、告発文書とともに馬淵事務所に送られてきた構造計算書が、未曾有の社会問題にまで発展する「耐震強度偽装事件」の発端だったという。事件の渦中にあって、身の危険をも顧みず、国会追及の急先鋒に立って、不眠不休の事前調査から国会質疑の核心に迫る馬淵代議士の話は、同僚の私が聞いても感動する内容だった。

参加された誰もが、馬淵澄夫という政治家の素晴らしさを満喫されたと思う。
彼の素晴らしいところは、正義感である。正義感のない政治家はだめだ、と常々自らの戒めとしてきたが、彼は全身が正義感のような男だ。それだけに、浪人時代以来、彼の行動には特別の信頼を寄せてきた。まだ初当選間もない頃、菅代表(当時)が辞任に追い込まれてきた時も、後継をめぐって岡田幹事長(当時)に直談判に行った時も馬淵と一緒だった。その後も、それぞれ担当する分野が違っていても、節目節目で連絡を取り合って励まし合ってきた。そんな彼に、今回は無理を言って引っ張り出してしまった。

別れ際に、彼は、「すごい熱気やったね!来てよかったよ」との言葉を残してくれた。感謝である。また、散会後、ボランティアで熱心に応援してくださっている方が、「いいクリスマス・プレゼントをもらったよ」とニッコリ。今年最後のタウンミーティングは有意義なものとなった。

このイベントは、来年2月予定の日野市議選へ向けた我が民主党にとってのキックオフの意を込めたものでもあった。日野市で初めて民主党の公認としてチャレンジする今井昭徳秘書も、馬淵代議士とともにタウンミーティング終了後の駅頭演説で力強く演説し、皆さんの激励を受けていた。これで、彼の活動にもスパートがかかる。寒風の中、最後までお付き合いいただいた皆さんに心から感謝申し上げます。
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