好漢・花咲が頑張っている!

私の最も苦しい浪人時代を秘書として支えてくれた花咲宏基が我が事務所を「卒業」して、選挙区の岡山へ向かったのが5年前の春だった。衆院選挙に挑戦するためだ。彼にとって中学高校を過ごした第二の故郷(広島県生まれ)とはいえ、岩盤のような保守王国。相手は、加藤六月衆議院議員の娘婿どの。正直、応援するというより、心配で心配で胸が張り裂ける思いだった。これまで政治などまったく縁もなかった奥様と、小学校就学前の小さな男の子を伴って、なんでまた、苦労のどん底に身を投じるのか?

しかし、彼はきっぱりと言った。
「日本の政治を変えるには、私の故郷のようなところを変えなければだめです!」

以来、硬い岩盤にノミで穴をくり抜いて行くような、気の遠くなるような日々を彼は懸命に闘い抜いてきた。私も、国会の合間を縫って何度か足を運んだ。仲間の議員にも花咲応援を頼み、野田佳彦さんはじめ、長妻や馬淵ら知名度の高い応援弁士も何度も足を運んでくれた。石の上にも3年、いや5年。集会のたびごとに、選挙区(岡山5区:笠岡市、井原市、総社市、高梁市、新見市、浅口市、真庭市、倉敷市など)内の集会場に駆けつけてくださる参加者の規模はじわりじわりと拡大して行った。1年前には10人しか集まらなかった会場に100人、20人しか集まらなかった会場に200人、30人のところは300人を超す聴衆で溢れかえるようになったのだ。

そして、昨日。岡田幹事長を迎えての井原地区集会は、なんと1200人の参加者で埋め尽くされたというではないか。
(当日の様子は、ぜひ、花咲本人による興奮気味の現地報告を参照されたい。http://www.hanasakihiroki.jp/diary/archives/001720.html)

本人も感謝と感激の涙をこらえながらの演説だったと書いている。私も、興奮と感動で涙があふれた。花咲宏基。大学の応援部の後輩でもあり、ゼミの後輩でもあり、私の浪人時代に馳せ参じてくれた男だ。よくぞここまで頑張った。いや、もちろん、まだ勝ったわけではない。しかし、誰もが諦めかけていた分厚い保守地盤における「旧い政治」との正面衝突を彼は見事にやってのけ、いまや遙か彼方だった相手の背中をとらえ、まさしく相手の荒い息遣いが聞こえてくるような接近戦に持ち込んだのだ。

夢は必ずかなう。志は必ず遂げられる。
花咲の闘いは、全国の同志を感動させるに違いない。
私自身も奮い立たされる思いだ。

この8月30日、文字通り徒手空拳だった「花咲宏基の挑戦」は、いよいよクライマックスを迎える。そして、8月8日、私も数か月ぶりに花咲の応援に入る。真っ黒に日焼けした花咲のはにかんだような笑顔に再会するのが待ち遠しい。自分の選挙以上に魂を込めて応援演説をぶちかますつもりだ。じつは、6日には長妻が入ってくれる。(ついでに言えば、5日には相手に麻生太郎総理大臣が入るという。ついに、自民党のデータでも互角の勝負になったのだ!)

がんばれ、花咲! ゴールは目前だ! 
5年間のすべての思いをぶつけて最後まで走り抜け!

このブログを読んでくれている皆さん!
岡山5区にお知り合いの方がいらっしゃれば、ぜひ「花咲宏基」をお願いします!

岡山5区は、笠岡市、井原市(旧美星町、旧芳井町)、総社市(旧山手村、旧清音村)、高梁市(旧川上町、旧備中町、旧有漢町)、新見市(旧哲西町、旧哲多町、旧新郷町、旧大佐町)、浅口市(旧鴨方町、旧金光町、旧寄島町)、里庄町、矢掛町、吉備中央町(旧賀陽町)、真庭市(旧北房町)、倉敷市(旧真備町、旧船穂町)です。よろしくお願いします!
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衆議院解散、歴史に刻まれる総選挙へ!

ついに衆議院が解散された。

この天下分け目の総選挙を、歴史的な選択とできるかどうか。
候補者たる私たちと、主権者たる国民との共同作業に、日本の将来がかかっている。決して大げさでなく、そう確信する。

慢心も油断も楽観もない。
ただ「政権を担う」というとてつもない緊張感が胸に迫ってくるだけだ。

今日から始まる40日間の熱い闘いを通じて、私たち民主党に対し半信半疑の有権者をどこまで納得させられるか、が紛れもなく勝負どころだ。

とりわけ外交安全保障。

内政で民主党が自民党を遙かに凌駕していることは、すでに有権者には浸透している。年金、医療、介護、子育て、教育、雇用政策で、自民党がいかに選挙向けスローガンを並びたてたとしても、現下の惨状をもたらした責任は覆い隠しようもない。官僚主導政治の脱却も、中央集権打破・地域主権の実現も、官から民への流れも、あの小泉政権でさえすべては掛け声倒れの中途半端な改革に終わったことを有権者はすでに見抜いているはずだ。もちろん、これだけでも十分、政権交代の理由になる。

しかし、一発勝負の「投票による政権選択」の経験のない日本国民にとり、政権交代という未体験ゾーンへ突入するにあたってなお石橋を叩きたくなる気分に駆られることも理解できる。

そこで、民主党の外交安保政策だ。

今朝も、自民党の全面広告が主要各紙に掲載されていた。
テーマは、ずばり民主党の外交安保政策に対する有権者の不安を掻き立てるものだ。題して、「日本の未来が、危ない。」 それにしても、内容はお粗末。ついでに教育と憲法にも触れているが、この広告がいったいどれほど有権者の心を揺さぶるものかはわからない。しかし、売られたケンカはきっちり買わねばなるまい。以下、反論しておきたい。

(1)新テロ対策特別措置法を制定した自民党に対し、民主党はこれに反対したではないかと。ちょっと待った! 新テロ特措法は、旧テロ特措法に明記されていた国会承認条項(しかも事後!)すら削除したいい加減な法律だ。民主党は、テロ対策を国際協調の下で進めることにはどの党よりも積極的に取り組んできた。しかも、「ガンコに平和の社民党」とは異なり、必要な場合には自衛隊の運用は認める立場だ。ただし、自衛隊という実力組織を海外に出す時には、国会(つまり国民)によるコントロールという最低限のルールを定めるべきだと主張しているのである。したがって、この最低限の民主的な歯止めを安易に吹っ飛ばす自民党の融通無碍なやり方を続けることこそ、よほど「日本の未来が、危ない」。

(2)海賊対処法を制定した自民党に対し、民主党は反対。ちょっと待った! 昨年10月に海賊対処を直接麻生総理に提案した立場から、明快に反論しておきたい。これも(1)のロジックと全く同じである。今回の民主党マニフェストにも明記するように、民主党は、海賊対処は断固やるべし、一義的には海上保安庁だが、困難であれば自衛隊で対処すべし、との立場で一貫している。この点で、自民党とほとんど変わりはない。しかし、我が国の国益を背負ってソマリア沖にまで派遣される海上自衛隊の皆さんに堂々と胸を張って任務を遂行してもらうためにも、国会両院の圧倒的多数による承認は不可欠だと主張しているだけなのだ。

ちなみに、この考え方には、浜田防衛大臣や石破前防衛大臣はじめ心ある自民党政治家はみな賛同してくれている。おっちょこちょいの輩が、最低限の民主的ルールも無視し、常軌を逸した過激な話を民主党に吹っかけて、わざと反対に回らせて、「ほら、民主党は日本への商船を海賊から守るという、国民生活に直結した法案にもかかわらず反対した!だから、民主党に外交は任せられない!」と喧伝しようとしているだけなのだ。自民党こそ「政策より政局」ではないか。

(3)自民党は「在沖縄海兵隊グアム移転協定」を締結し、沖縄県民の負担を軽減しようとしているのに、民主党はこれにも反対していると。ちょっと待った! 世界規模で行われる米軍再編に際し、米国との在日米軍基地再編協議において独自のアイディアも示せず、受け身の姿勢に終始してきた自民党政治家が、土壇場で米側との条件闘争に陥り、結局、(米軍としてすでに既定路線だった)在沖縄海兵隊のグアム移転部隊の移転費用を大部分負担させられた、というのが同協定締結の真相ではないか。この自民党による基地受け入れ自治体の意向無視の対米追従路線こそ、長期的な日米同盟関係を揺るがす元凶である。

民主党は、マニフェストにも明記するように、政権交代してもすべての国際約束はいったんこれを引き継ぐ。その上で、核とミサイルの脅威を増大させる北朝鮮や、軍拡著しい中国、復活を遂げたロシアなど我が国周辺の戦略環境の変化をもう一度精査したうえで、新時代にふさわしい強固な日米同盟を確立するために、地位協定や米軍再編協定などタブーを排しすべて抜本的に見直していくことになる。もちろん、このプロセスの目的は、日米同盟の弱体化ではなく、あくまで強化するのであり、持続可能な同盟関係を再構築しようとするものだ。その際、最低限沖縄県民の皆さまに約束できるのは、「沖縄県内に新たな米軍基地施設を造らない」との一点である。自民党政治家たちの土建利権で決まった普天間基地代替施設の辺野古への移転は、利権としがらみを排した立場で抜本見直しして行きたい。

(4)北朝鮮特定貨物検査特措法の成立を進めた自民党に対し、これに反対した民主党。ちょっと待った! そもそも、この法案は3年前につくっておかねばならなかったものではないか!北朝鮮が最初にミサイル連射し核実験を強行した3年前、我が国は国連安保理を舞台に、北朝鮮に対する「拘束力ある」制裁決議採択を主導した。そして、このときの安保理決議1718に「貨物検査」が明記された。しかし、当時、我が国にはこの安保理決議を履行するための国内法がなかったのだ。私は、委員会質疑を通じて、再三にわたり貨物検査を可能にする国内法制定を政府に督促した。しかし、政府はなんらアクションを起こさず、のど元過ぎれば熱さ忘れるとばかり、3年間この問題を放置し立法提案を怠ってきたのだ。

そこに勃発したのが、今回の長距離弾道ミサイル発射、核実験、中短距離ミサイル連射という一連の北の挑発行為だった。そして、今回は、前回よりもさらに拘束力ある国連安保理決議1874が採択されることとなった。そこで、政府はあわてて国内法制定、つまり貨物検査特措法を、麻生総理の解散宣言直前のどさくさに国会提出してきたのである。このような泥縄対応にもかかわらず、わが民主党は、党内をほぼ賛成で固め、特別委員会審議に真摯に対応した。しかも、衆参両院でなるべく早く結論を出すとの国対方針まで示してきた。しかしである。衆院での審議が佳境に入った7月13日(月)になって、肝心の麻生総理が「解散宣言」を出してしまったのである。自民党は本当にやる気があったのか、はなはだ疑問である。すなわち、貨物検査法案を葬り去ったのは、賛成を前提に審議に臨んでいた民主党ではなく、党利党略で凝り固まった麻生官邸なのである。この点だけは、はっきりさせておきたい。

もとより、北朝鮮に対する国連制裁を実効化するための国内法整備を怠ってきたのは、政府のみの責任ではない。立法府たる私たち国会議員の責任は重大であり、私自身この怠慢のそしりを免れるものではない。しかし、その責任を、選挙戦を有利に戦いたいとの一心で、挙げて民主党に負わせようとする自民党の姑息な姿勢は、甚だ残念だ。

いずれにしても、今朝の新聞各紙で正確に報道されているように、わが民主党の外交安保政策は、政権を担うにふさわしい極めて現実的なものである。私たちが戦っているのは、日本の主体性を失った自民党の対米追従外交であり、日米同盟の根幹を支えている米軍基地受け入れ自治体の切実な声を無視する姿勢であり、基地施設建設にまつわる土建利権主導の自民党政治家の体質である。これらのしがらみを断ち切るためにも、政権交代が何としても必要である。政権交代によって、我が国の外交安全保障政策を歪めてきたさまざまな利権やしがらみを一掃したい。
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「核持ち込み密約」否定に見る自民党政治家の矜持

同盟国アメリカに文書もあり公開もされ、これまで再三にわたり関係者の間で存在が取りざたされてきた「核持ち込み」についての日米間の了解(「密約」という言葉はいかにも悪事を前提にした響きがあり好ましくない)について、麻生総理以下、麻生政権の閣僚たちはあくまで頬かむりを続けるつもりのようだ。まことに情けない。政権末期、自民崩壊前夜のこの時期だからこそ、思い切って前言を翻し、歴史の真実を国民に明らかにしようとの矜持をもった与党政治家はいないのか!

最初に結論を言えば、かかる日米了解(密約)の存在を明らかにすることで、誰も傷つかないし、かえって同盟関係の信頼性を高めることにつながると考えている。むしろ、総理以下与党政治家は、かかる日米了解(密約)が我が国の安全保障にとり当時の国際情勢の中でぎりぎりの戦略的判断に基づくものであったことを堂々と主張し、国民に理解を求めるべきだと思う。

この問題は、2つに分けて考えるべきだ。
一つは、歴史の問題として捉えるということ。つまり、これは、あくまで日本外交史の重要な一頁として刻まれるべき事柄である。したがって、1960年の日米安保条約改定時に、我が国の平和と安全のため、「非核三原則」の例外として核兵器搭載の米海軍艦艇の寄港と領海通過についてだけは暗黙の了解として容認しようと日米政府間で合意した事実を、半世紀近くたった今日認めることに何の躊躇が必要だというのであろうか。多少恥をかくとすれば、かかる了解(密約)はなかったと国会答弁を繰り返してきた歴代政権・外務省関係者だけではなかろうか。それも、国益のため「しら」を切り通したのだから恥ずるところは一つもなかろう。

しかも、1990年代初頭のブッシュ(父)政権における「戦域核の撤去」という決断以来、核兵器を搭載する艦艇による日本寄港・領海通過の可能性は消滅したのだ。つまり、かかる了解(密約)をもたらした背景的事情はもはやなくなったという意味で、一つの歴史的なエピソードとなったのである。さらに言えば、日本政府が「密約は存在せず」と言い張ることにより、すでに関連文書の公開に踏み切っている米国政府との齟齬は決定的となり、肝心の日米同盟にも悪影響を及ぼす。外務省はいったい何のために意固地になっているのか、という疑問が払拭できない。まさに、関係者の面子を守るだけという官僚機構の硬直性を露呈するばかりではないか。

もう一つは、この本音と建前をつなぐ絶妙な「外交上の知恵」を将来的な課題としてどう捉えるかである。つまり、北朝鮮の核とミサイルの脅威が増大する中で、民主党であれ自民党であれ政権を担うにあたり、これまで国是とされてきた「非核三原則」と米国の拡大抑止を実効あらしめ我が国の平和と安全を確保するという死活的な国益とをいかにして両立させるべきかという極めて現実的な「落とし所」の模索である。これは、私たちが政権に就いた暁に、非核三原則の理想と我が国の安全保障をめぐる日米同盟の現実と核不拡散という地球規模の課題解決とを鼎立させる新たな戦略的決断を下さねばならない重要課題だ。しかし、拙速は慎むべきだ。まずは、半年くらいかけて、各情報機関によるインテリジェンス・ブリーフィングなどに基づき、我が国を取り巻く現下の国際情勢を再評価した上でじっくりと結論を出すべきであろう。政権交代とはそういうものだ。

言うまでもないことだが、以上の政治決断を行えるのは、外務官僚などでは断じてなく、政治家たる大臣である。先例墨守の官僚任せではなく、政治家が判断し、かかる了解(密約)が存在したことを認め、この混乱をリセットすべきだ。かりに自民党政治家たちの手では実行できないというのであれば、私たちが国益を賭けて彼らを踏み越え、断固真実を国民の前に公表するまでだ。

[おまけ] ところで、我が国も、諸外国並みに外交文書の公開25年ルールを公式に定めるべきだ。もちろん外交に秘密はつきものだ。しかし、四半世紀たてば、よほどのことがない限りそれは歴史の一頁となるもの。公開するに臆することは何もないはずだ。要は、将来の公開・歴史家による検証・国民の理解に耐え得るような政策判断をすることだ。それが政治家や外交官に課せられた厳粛なる使命だということに尽きる。それを、よりによって姑息にも廃棄するなど切腹ものだ!
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外交安保は民主党のアキレス腱か?

いよいよ東京都議会議員選挙が迫ってきた。連日、地元の候補(予定)者とともに街頭に立ち、「総選挙へつなげるためにも、首都決戦での勝利を!」と声を嗄らして訴えている。日に日に、政権交代への有権者の期待が高まっていることを実感する。そんな中、「民主党で大丈夫か」という声も錯綜する。とくに不安なのが、外交安保政策だという。

そのような懸念に対する私なりの答えが、本日7月1日発売の月刊誌『正論』に掲載されたインタビュー記事「民主党政権で日本は守れますか」である。民主党の政策、とりわけ外交安保政策に批判的な産経新聞社が発行している硬派雑誌『正論』だけに、厳しい質問の矢面に立たされることとなった。私の議論に説得力があったかどうかは読者に委ねるほかないが、鳩山「友愛外交」に対する世間の誤解や、民主党の安保政策は支離滅裂だなどという不信感はある程度払拭できたのではないかと自負している。

民主党の外交安保政策をめぐっては、麻生・自民党もここがアキレス腱とばかりに徹底的に突いてくる姿勢を見せている。先日の党首討論でも、麻生首相は、時間切れ間際に話の脈絡もなく突然に小沢前代表の「第7艦隊発言」を論って非難していた。報道によれば、昨日も首相は国際問題研究所での講演の中で、民主党に対し「国家としての重要な選択に、いずれも反対や異議を唱えた」「日本が果たしてきた役割をどこか他の国にやってもらいたいということなのか。観念論ばかりで、具体論には反対と留保ばかりつける外交・安全保障では、国際社会の現実には太刀打ちできない」などと厳しく批判したとのこと。

ここで首相が言う「国家としての重要な選択」とは、最近ではソマリア沖海賊対処のための海上自衛隊護衛艦派遣のことを念頭に置いているものと思われる。ただし、これは言いがかりも甚だしい。きっちり反論しておかねばならない。たしかに、民主党は、ソマリア海賊対処のための政府提出法案に衆参両院の採決で反対した。しかし、政府原案に反対したからといって、海賊対処のために海上自衛隊の護衛艦を派遣するとの考え方自体に反対したわけではない。ズバリ結論を言えば、民主党は、ソマリア海賊への対処は賛成、海上保安庁が対応できないのであれば自衛隊の派遣が必要となることにも賛成、その際に現場での対応を円滑にするため武器の使用基準を緩和することにも賛成だったのだ。にもかかわらず、政府原案に反対した理由はたった一つ。法案の出来があまりにも悪かった、ということに尽きる。

それを「観念論ばかり」と難癖をつけて、「具体論には反対と留保ばかりつける」と切り捨てられては、国会における建設的な与野党間の議論は成り立たない。私たちが政府原案に対して要求していたのは、自衛隊という実力組織を海外に派遣する場合の最低限のルールとして「国会の事前承認を付すべきだ」という一点だった。国際社会における平和構築のために我が国として応分の役割を果たすことは、国益を守る上で極めて大事なことだ。しかし、軍事組織を海外に派遣する場合には、諸外国においても一定のルールが確立されている。ドイツや韓国はもとより、米国でも戦闘開始に当たっては必ず上下両院の承認決議が行われる。我が国でも、自衛隊法に規定されている防衛出動、治安出動、災害派遣をはじめ、自衛隊の運用にあたっては、必ず原則事前の国会承認が定められてきた。したがって、ソマリアに限らず海賊対処のために長期にわたって海上自衛隊の艦艇を派遣するにあたって国会の関与が必要であることに疑問の余地はないはずである。

また、派遣される海上自衛隊員の名誉のためにも、国会の両院における圧倒的な賛成の下で送り出すことが望ましいことは言うまでもない。自民党の中でも、浜田現防衛大臣や石破前大臣も、国会の事前承認にはこだわりを見せていた。それが、穏当な政治判断というものだ。この我が国における民主的統制(議会による軍事に対する優越性の原則)の根幹にかかわる最低限の要求が、首相に理解されず、「ねじれ国会だから、衆参両院で承認が得られるか覚束ない」などといった皮相的な理由で政府与党によって拒否されてしまったことは甚だ残念だ。私自身、昨年10月に海賊対処の必要性を国会で最初に提案した者として、それを補強するための法案に反対することは忍び難いものがあった。しかし、致し方ない。このような無原則な欠陥法案に対しては断固反対だ。この与野党攻防の記録は、100年残る国会議事録にしっかり刻まれねばならない。

いずれにしても、私たちが政権を担うようになったら、ただちにこの原則を確立させる。衆参の議席配分が「ねじれ」ていようがいまいが、これは与野党の間で共有されるべきシヴィリアン・コントロールの大原則であり、今後、国際平和協力についての一般法(恒久法)を整備する際の基本指針となるからである。この他、日米同盟の在り方をめぐる米軍再編や日米地位協定といった課題など、まだまだ多くの論点はあるが、私の基本は、「外交は8割が常識、あとの2割はニュアンスの違い」(チャーチル元英国首相)というもの。国際関係が絡む外交安全保障政策の選択肢はそれほど多くはない。ただし、与野党の間でニュアンスやアプローチの違いを競い合うことは民主主義国家として当然のことだ。選挙戦を通じて大いに議論して行きたい。そして、有権者の皆さんにどちらに説得力を感じていただけるか、それが勝負を分かつと信ずる。
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