安倍総理の靖国参拝について考える
年の初めに「靖国問題」について改めて考える
謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、昨年末、安倍総理が就任1周年の節目に合わせ、かねてからの公約を果たす形で、靖国神社を参拝しました。それに対し、近隣の中国や韓国やロシアはもとより、同盟国である米国や欧州諸国からも厳しい批判の声が上がりました。本来、慰霊と静かな祈りの場所でなければならない靖国神社がかくも物々しい外交問題、政治問題化の喧騒の中に投げ入れられてしまうことは、まったくもって残念なことです。来年迎える「戦後70年」を見据え、私が考える靖国問題の解決策につき改めて述べたいと思います。
戦没者追悼という国内問題のもつ国際的な影響
安倍総理は、はたして諸外国からの反発を認識しながらも敢えてこの時期に参拝したのでしょうか。まず、前回の首相在任中に参拝できなかったことを「痛恨の極み」と公言していたにもかかわらず、「戦略的忍耐」(谷内国家安全保障局長)をもって昨春も夏も秋も参拝を自粛してきたことからして海外からの反発は十分認識していたはずです。しかも、この時期は、尖閣問題をはじめ国際的な「世論戦」の只中に在って、日本外交に対する国際社会の支持をさらに拡大して行くべき重大な局面です。その隠忍自重を破って靖国参拝を強行したのですから、当然に外交的に厳しい事態に直面することは覚悟の上だったのでしょう。この間の中韓の頑なな姿勢を安倍総理が見切った結果だとの冷めた見方もあります。ただし、国民がこの困難な現実を本気で受け入れるかどうかは今後の推移を見極める必要があります。戦没者慰霊は純粋に国内問題で外国からとやかく言われる筋合いはない、との意見も根強いようですが、国内問題の国際的影響を軽視するかのような姿勢はまさしく「井の中の蛙、大海を知らず」です。その意味で、これまで中韓との関係改善の橋渡しに尽力してきた米国との関係がギクシャクし始めた場合の外交リスクについて、真剣に考える必要があると思います。
心ならずも戦場に斃れた戦没者と「大東亜戦争指導者」
問題の本質は、靖国神社という国のために尊い命を捧げた戦没者を慰霊、追悼する施設に、戦場に斃れた軍人・軍属(およびそれに準ずる民間人)に加えて「(それらの人々を戦地へ送り込んだ)戦争指導者」が祀られているという事実が、国家指導者による靖国参拝を国際問題にまで発展させているのです。ですから、麻生太郎副総理も外相当時「個人の信条と、首相という立場が担うべき責任とは自ずと異なる」と述べ、1985年に戦後の総決算として公式参拝を実現した中曽根首相(当時)も同様の理由から翌86年以降靖国参拝を自粛したのです。
一方で、私は「A級戦犯分祀論」についても、余りにも主体性のない議論だと思います。そもそも、A級戦犯というのは、私たち日本人自身の手で主体的に、先の大戦について、その原因や責任の所在を真摯に総括した結果として導かれたものではありません。連合国が主宰する極東軍事裁判(東京裁判)において、「平和に対する罪」など新たに定められた事後法に基づき、十分な審理も尽くさずに戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた結果に過ぎません。したがって、東京裁判は、今日、その正当性を問う専門家の批判にさらされているのです。しかし、だからといって、私たちは、東京裁判をいまさら無効だと叫ぶわけにもいきません。なぜなら、我が国はサンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受け入れることによって独立を回復したのですから。悔しくとも、それが敗戦国の宿命なのです。
東京裁判への反発と「昭和殉難者」合祀
ところが、この裁判に対する反発から、独立回復から15年目の1978年10月17日、「A級戦犯」(正確には「昭和殉難者」)の合祀が密かに行われたのです。(この事実は、翌79年4月19日に新聞報道により明らかとなりました。)この合祀の根拠としては、「死者を鞭打たない」という我が国古来の慣習や、「東京裁判による刑死、獄死は、連合国との戦争で命を落とした公務死に相当するのだ」など、さまざまな理屈が並べられていますが、この「昭和殉難者」合祀の結果、靖国神社が本来の性格を変質させてしまったことは間違いありません。それまで、戊辰戦争以来の国内外に勃発した事変・戦争において戦没された軍人・軍属を英霊として追悼、顕彰、崇敬してきた靖国神社に、「軍人でも戦没者でもない」戦争指導者たちが祭神として祀られてしまったからです。たとえば、廣田弘毅元首相・外相や松岡洋右元外相、東郷茂徳元外相らは、本来、靖国神社とは何の関係もなかった文官です。また、南京事件の責任を問われた松井石根元陸軍大将は、戦争犯罪(B級)および人道に対する罪(C級)により処刑されたのであってA級戦犯ではありません。病気で仮釈放後に死去した平沼騏一郎元首相は厳密には獄死ではありませんでした。
結論から言えば、「靖国問題」というのは、じつは我が国が戦争責任について主体的に議論した結果として生じているのではなく、むしろ主体性を失って、連合国による東京裁判に振り回された結果起こった問題であることがわかります。言い換えれば、極東軍事裁判によって重要戦争犯罪人として訴追された人々のうち死刑および獄死した14名の人々が、その後、1975年に厚生省引揚援護局の作成した祭神名票に登載され(たものの、元皇族の筑波藤麿宮司(当時)が合祀を見合わせていたものを、元帝国海軍軍人で後任の松平永芳宮司(当時)の強い意向に基づき)1978年10月靖国神社により「昭和殉難者」に列せられた結果、靖国神社の伝統からいっても異例な形で合祀されてしまったことが、問題を複雑にしてしまったのです。
靖国神社の伝統と「昭和殉難者」合祀の矛盾
したがって、靖国問題を解決する大事なポイントは、この「昭和殉難者」なる概念を生み出した東京裁判と明確な一線を画すということではないでしょうか。それには、私たち日本人が、主体的に戦争総括を行うことが先決です。つまり、満州事変以降中国戦線をずるずると拡大し、ヒトラー頼みの戦略なき日独伊三国同盟を締結し、真珠湾攻撃に端を発した無謀な戦争を指導し、結果として260万もの尊い命を奪う(しかも、4000人余もの有為な若者を特攻に送り、戦死者の約7割が餓死だったというではないですか!)原因をつくったすべての戦争指導者たち(当時の国務大臣および陸海軍統帥部の要職(将官以上)にあった人々)は、理由のいかんを問わず例外なく、これを靖国神社合祀の対象とすべきでないと考えます。つまり、それらの基準に該当する人々が既に合祀されていた場合には、分祀せざるを得ません。こうして初めて、(昭和殉難者の合祀等により)文官や戦没者でない軍部の指導者たちが、靖国神社に祀られている御英霊に紛れ込んでしまったことにより生ずる混乱を回避することができるのです。
すなわち、東京裁判によるABC級戦犯という概念(なお、このABCは上述のように起訴事由の分類に過ぎず、罪の軽重とは無関係)とはまったく別に、私たち日本人が主体的に自らの近現代史を総括した結果、上述のような大東亜戦争指導者すべてを靖国神社の祭神名票あるいは霊璽簿から削除するのです。これは、決して不名誉なことではありません。そもそもの靖国神社の成り立ちに照らした措置であり、その基準は各人の政策遂行や戦争指導の理非や巧拙によるものではなく、あくまで国際社会との衝突を決定的にしてしまった満州事変以降のすべての大東亜戦争指導者を対象とするものだからです。
靖国神社の祭神を分祀することは可能か?
ところで、分祀については、靖国神社が「神道の信仰上絶対にあり得ない」との見解を発表しているようですが、神道においては複数の祭神の一部を分離して別の場所に遷す(分遷、遷座)ことは、記録に残っているだけでも8世紀以来行われています。たとえば、明治政府が神田明神から平将門の霊を将門神社に遷した事例などが有名です。
私の真意は、A級だとか、B級だとかといった、極東軍事裁判に振り回された分祀論から一刻も早く脱却したい、その一点にあります。ちなみに、「昭和殉難者」合祀の事実が明らかとなった1979年以降(厳密には、75年の終戦30周年の御親拝を最後に)天皇陛下の靖国参拝は途絶えたまま今日に至っています。外国からの批判に反発する前に、私たちはこの厳然たる事実の背後に昭和天皇、そして今上天皇のお気持ちがいずこに在るのかを静かに推し量るべきではないでしょうか。
靖国「国有化」こそ、御英霊に報いる天皇陛下御親拝を実現する道筋
一方で、私は、外国からの圧力に屈する形で国のために命を投げ出した戦没者の方々の慰霊・追悼方式が動揺するのは、主権国家として健全な姿だとは思いません。したがって、周辺諸国の意向を慮って「新しい追悼施設を」という議論に与するつもりは毛頭ありません。要は、天皇陛下をはじめ誰もがわだかまりなく参拝し、国のために命を捧げられた御英霊に哀悼の誠を捧げることのできる靖国神社となるよう、政治家が関係者の皆さまと知恵を絞る以外にないと考えます。
その意味で、国家のために命を捧げた方々をお祀りするという国家的事業を一宗教法人に丸投げしてきたこと自体、国家の在り方から言っても、世界の常識に照らしても、極めて異常だといわざるを得ません。麻生太郎副総理が数年前に提案したように、靖国神社の「国有化」を速やかに実行に移すべきです。国有化は、靖国を「東京招魂社」と呼ばれた明治2年の創立時の姿に戻すことに他なりません。宗教法人への国家介入が憲法上禁じられている以上、どの方を祭神としてお祀りするかは靖国神社に委ねるほかなく、じつは現状では分祀論も机上の空論に過ぎません。国有化の過程を通して初めて、どういう方々を慰霊対象にすべきかについて国会の慎重な審議に付されることになるのです。
繰り返しますが、国家のためにその尊い命を投げ出した方々に対し国家が最高の栄誉を以ってお祀りすることは、国家が国家で在り続けるための最低限の矜持であると思います。その意味からも、靖国神社に代替施設はあり得ないし、天皇陛下に出来る限り早く心安らかに御親拝を復活していただける環境を整えることこそが、ご英霊に対する私たちの責務であると信じます。
平成26年甲午元旦
衆議院議員 長島昭久
謹んで新春のお慶びを申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、昨年末、安倍総理が就任1周年の節目に合わせ、かねてからの公約を果たす形で、靖国神社を参拝しました。それに対し、近隣の中国や韓国やロシアはもとより、同盟国である米国や欧州諸国からも厳しい批判の声が上がりました。本来、慰霊と静かな祈りの場所でなければならない靖国神社がかくも物々しい外交問題、政治問題化の喧騒の中に投げ入れられてしまうことは、まったくもって残念なことです。来年迎える「戦後70年」を見据え、私が考える靖国問題の解決策につき改めて述べたいと思います。
戦没者追悼という国内問題のもつ国際的な影響
安倍総理は、はたして諸外国からの反発を認識しながらも敢えてこの時期に参拝したのでしょうか。まず、前回の首相在任中に参拝できなかったことを「痛恨の極み」と公言していたにもかかわらず、「戦略的忍耐」(谷内国家安全保障局長)をもって昨春も夏も秋も参拝を自粛してきたことからして海外からの反発は十分認識していたはずです。しかも、この時期は、尖閣問題をはじめ国際的な「世論戦」の只中に在って、日本外交に対する国際社会の支持をさらに拡大して行くべき重大な局面です。その隠忍自重を破って靖国参拝を強行したのですから、当然に外交的に厳しい事態に直面することは覚悟の上だったのでしょう。この間の中韓の頑なな姿勢を安倍総理が見切った結果だとの冷めた見方もあります。ただし、国民がこの困難な現実を本気で受け入れるかどうかは今後の推移を見極める必要があります。戦没者慰霊は純粋に国内問題で外国からとやかく言われる筋合いはない、との意見も根強いようですが、国内問題の国際的影響を軽視するかのような姿勢はまさしく「井の中の蛙、大海を知らず」です。その意味で、これまで中韓との関係改善の橋渡しに尽力してきた米国との関係がギクシャクし始めた場合の外交リスクについて、真剣に考える必要があると思います。
心ならずも戦場に斃れた戦没者と「大東亜戦争指導者」
問題の本質は、靖国神社という国のために尊い命を捧げた戦没者を慰霊、追悼する施設に、戦場に斃れた軍人・軍属(およびそれに準ずる民間人)に加えて「(それらの人々を戦地へ送り込んだ)戦争指導者」が祀られているという事実が、国家指導者による靖国参拝を国際問題にまで発展させているのです。ですから、麻生太郎副総理も外相当時「個人の信条と、首相という立場が担うべき責任とは自ずと異なる」と述べ、1985年に戦後の総決算として公式参拝を実現した中曽根首相(当時)も同様の理由から翌86年以降靖国参拝を自粛したのです。
一方で、私は「A級戦犯分祀論」についても、余りにも主体性のない議論だと思います。そもそも、A級戦犯というのは、私たち日本人自身の手で主体的に、先の大戦について、その原因や責任の所在を真摯に総括した結果として導かれたものではありません。連合国が主宰する極東軍事裁判(東京裁判)において、「平和に対する罪」など新たに定められた事後法に基づき、十分な審理も尽くさずに戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた結果に過ぎません。したがって、東京裁判は、今日、その正当性を問う専門家の批判にさらされているのです。しかし、だからといって、私たちは、東京裁判をいまさら無効だと叫ぶわけにもいきません。なぜなら、我が国はサンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受け入れることによって独立を回復したのですから。悔しくとも、それが敗戦国の宿命なのです。
東京裁判への反発と「昭和殉難者」合祀
ところが、この裁判に対する反発から、独立回復から15年目の1978年10月17日、「A級戦犯」(正確には「昭和殉難者」)の合祀が密かに行われたのです。(この事実は、翌79年4月19日に新聞報道により明らかとなりました。)この合祀の根拠としては、「死者を鞭打たない」という我が国古来の慣習や、「東京裁判による刑死、獄死は、連合国との戦争で命を落とした公務死に相当するのだ」など、さまざまな理屈が並べられていますが、この「昭和殉難者」合祀の結果、靖国神社が本来の性格を変質させてしまったことは間違いありません。それまで、戊辰戦争以来の国内外に勃発した事変・戦争において戦没された軍人・軍属を英霊として追悼、顕彰、崇敬してきた靖国神社に、「軍人でも戦没者でもない」戦争指導者たちが祭神として祀られてしまったからです。たとえば、廣田弘毅元首相・外相や松岡洋右元外相、東郷茂徳元外相らは、本来、靖国神社とは何の関係もなかった文官です。また、南京事件の責任を問われた松井石根元陸軍大将は、戦争犯罪(B級)および人道に対する罪(C級)により処刑されたのであってA級戦犯ではありません。病気で仮釈放後に死去した平沼騏一郎元首相は厳密には獄死ではありませんでした。
結論から言えば、「靖国問題」というのは、じつは我が国が戦争責任について主体的に議論した結果として生じているのではなく、むしろ主体性を失って、連合国による東京裁判に振り回された結果起こった問題であることがわかります。言い換えれば、極東軍事裁判によって重要戦争犯罪人として訴追された人々のうち死刑および獄死した14名の人々が、その後、1975年に厚生省引揚援護局の作成した祭神名票に登載され(たものの、元皇族の筑波藤麿宮司(当時)が合祀を見合わせていたものを、元帝国海軍軍人で後任の松平永芳宮司(当時)の強い意向に基づき)1978年10月靖国神社により「昭和殉難者」に列せられた結果、靖国神社の伝統からいっても異例な形で合祀されてしまったことが、問題を複雑にしてしまったのです。
靖国神社の伝統と「昭和殉難者」合祀の矛盾
したがって、靖国問題を解決する大事なポイントは、この「昭和殉難者」なる概念を生み出した東京裁判と明確な一線を画すということではないでしょうか。それには、私たち日本人が、主体的に戦争総括を行うことが先決です。つまり、満州事変以降中国戦線をずるずると拡大し、ヒトラー頼みの戦略なき日独伊三国同盟を締結し、真珠湾攻撃に端を発した無謀な戦争を指導し、結果として260万もの尊い命を奪う(しかも、4000人余もの有為な若者を特攻に送り、戦死者の約7割が餓死だったというではないですか!)原因をつくったすべての戦争指導者たち(当時の国務大臣および陸海軍統帥部の要職(将官以上)にあった人々)は、理由のいかんを問わず例外なく、これを靖国神社合祀の対象とすべきでないと考えます。つまり、それらの基準に該当する人々が既に合祀されていた場合には、分祀せざるを得ません。こうして初めて、(昭和殉難者の合祀等により)文官や戦没者でない軍部の指導者たちが、靖国神社に祀られている御英霊に紛れ込んでしまったことにより生ずる混乱を回避することができるのです。
すなわち、東京裁判によるABC級戦犯という概念(なお、このABCは上述のように起訴事由の分類に過ぎず、罪の軽重とは無関係)とはまったく別に、私たち日本人が主体的に自らの近現代史を総括した結果、上述のような大東亜戦争指導者すべてを靖国神社の祭神名票あるいは霊璽簿から削除するのです。これは、決して不名誉なことではありません。そもそもの靖国神社の成り立ちに照らした措置であり、その基準は各人の政策遂行や戦争指導の理非や巧拙によるものではなく、あくまで国際社会との衝突を決定的にしてしまった満州事変以降のすべての大東亜戦争指導者を対象とするものだからです。
靖国神社の祭神を分祀することは可能か?
ところで、分祀については、靖国神社が「神道の信仰上絶対にあり得ない」との見解を発表しているようですが、神道においては複数の祭神の一部を分離して別の場所に遷す(分遷、遷座)ことは、記録に残っているだけでも8世紀以来行われています。たとえば、明治政府が神田明神から平将門の霊を将門神社に遷した事例などが有名です。
私の真意は、A級だとか、B級だとかといった、極東軍事裁判に振り回された分祀論から一刻も早く脱却したい、その一点にあります。ちなみに、「昭和殉難者」合祀の事実が明らかとなった1979年以降(厳密には、75年の終戦30周年の御親拝を最後に)天皇陛下の靖国参拝は途絶えたまま今日に至っています。外国からの批判に反発する前に、私たちはこの厳然たる事実の背後に昭和天皇、そして今上天皇のお気持ちがいずこに在るのかを静かに推し量るべきではないでしょうか。
靖国「国有化」こそ、御英霊に報いる天皇陛下御親拝を実現する道筋
一方で、私は、外国からの圧力に屈する形で国のために命を投げ出した戦没者の方々の慰霊・追悼方式が動揺するのは、主権国家として健全な姿だとは思いません。したがって、周辺諸国の意向を慮って「新しい追悼施設を」という議論に与するつもりは毛頭ありません。要は、天皇陛下をはじめ誰もがわだかまりなく参拝し、国のために命を捧げられた御英霊に哀悼の誠を捧げることのできる靖国神社となるよう、政治家が関係者の皆さまと知恵を絞る以外にないと考えます。
その意味で、国家のために命を捧げた方々をお祀りするという国家的事業を一宗教法人に丸投げしてきたこと自体、国家の在り方から言っても、世界の常識に照らしても、極めて異常だといわざるを得ません。麻生太郎副総理が数年前に提案したように、靖国神社の「国有化」を速やかに実行に移すべきです。国有化は、靖国を「東京招魂社」と呼ばれた明治2年の創立時の姿に戻すことに他なりません。宗教法人への国家介入が憲法上禁じられている以上、どの方を祭神としてお祀りするかは靖国神社に委ねるほかなく、じつは現状では分祀論も机上の空論に過ぎません。国有化の過程を通して初めて、どういう方々を慰霊対象にすべきかについて国会の慎重な審議に付されることになるのです。
繰り返しますが、国家のためにその尊い命を投げ出した方々に対し国家が最高の栄誉を以ってお祀りすることは、国家が国家で在り続けるための最低限の矜持であると思います。その意味からも、靖国神社に代替施設はあり得ないし、天皇陛下に出来る限り早く心安らかに御親拝を復活していただける環境を整えることこそが、ご英霊に対する私たちの責務であると信じます。
平成26年甲午元旦
衆議院議員 長島昭久