拙速な外国人材の受け入れに、きっぱりNO!


 我が国にどれだけの外国人材を受け入れるかという「移民政策」は、言うまでもなく国のかたちの根本を左右する重大問題ですから、慎重の上にも慎重を期して議論しなければなりません。もちろん、我が国が人口減少という深刻な課題に直面し、かつ、すでに我が国には約130万人に上る外国人労働者が存在しているという事実から目を背けることはできません。しかも、その4割が技能実習生とアルバイト留学生が占めており、彼らが「国際貢献」や「教育」を名目に安価な労働力として利用されているという歪んだ実態を、これ以上放置しておくわけにはいきません。しかし、だからといって、このような日本社会の将来像に決定的な影響を及ぼす法案が、たった数日間の国会審議で拙速に処理されていいはずがありません。少なくとも数年かけて、憲法改正に匹敵するような侃侃諤諤(かんかんがくがく)の国民的議論を要すると考え、今回の出入国管理法の改正案には明確に反対しました。

外国人材に飛びつく前に、少子化対策や生産性革命に全力を上げよ!

 たとえば、財界から人手不足で地方経済が回らない、との悲鳴が上がっているといいます。しかし、「労働力不足」解消という一時しのぎで将来に禍根を残してはなりません。人手不足と言いながら、たとえばコンビニ業界は、百貨店やスーパーなど小売業が軒並み低迷を続ける中で猛烈な拡大路線を突き進み、出店競争を激化させています。低賃金で面倒な作業を嫌う日本人に代わって、外国人留学生が低賃金の荷重労働でその穴埋めをしているのです。こういう場合、市場原理に従えば、日本人を惹きつけるレベルまで思い切って賃金を上げるか、人材不足を補うために無人レジや無人店舗といった省力化投資を行うしかないはずです。それができない企業は、営業時間や出店そのものを縮小するしかありません。

国会議員は与野党を問わず、技能実習生を過酷な状況に追いやった責任を痛感すべし

 もともとバブル期に広がった「過剰サービス」には持続可能性がなかったのであり、人口減少に伴って縮小を余儀なくされるのは理の必然です。それを、留学生や技能実習生で無理やり補おうとするから、そのひずみが外国人材の命や健康を蝕んでしまったのです。ただし、今回の国会審議を通じて明らかになった技能実習生の悲惨な実態については、与野党を問わず制度をつくった私たち国会議員に大きな責任があり等しく反省すべきで、一部野党が激しい政府攻撃に利用したのは決してフェアな姿勢とは言えません。したがって、今回の制度改正の最大のポイントの一つは、現行の技能実習制度のひずみをどこまで是正できるかでした。しかし、送り出し国における悪質なブローカーの排除や我が国の受け入れ企業や業界における劣悪な労働環境や生活支援の改善について、政府から納得できる具体的な制度設計はついに示されませんでした。

国内体制を疎かにして外国人材を無制限に受け入れれば、社会の混乱を助長する

 なによりも問題なことは、政府が「いったいどこまで外国人が増えるのか?」という最も肝心な国民の疑問(不安)に全く答えられなかったことです。財界からの圧力があったのか、政府は最後まで受け入れ総数の上限を明示できませんでした。日本社会における外国人材との共生を本気で考えるなら、受け入れ人材の厳格な「総量規制」は絶対に避けて通ることはできません。私自身は、人口減少、とりわけ生産年齢人口の減少に対しては、女性や高齢者の活躍や生産性革命に加え、AI・ロボット・自動運転技術に徹底的な投資を行って、社会全体のスマート化を図ることが先決であって、労働力不足を安易に外国人で補う一時しのぎの発想では、社会分断に苦しむ欧州の轍を踏むばかりだと危惧します。

外国人材は、経済の歯車としての労働力ではなく、喜怒哀楽を持った生身の人間だ

 しかも、我が国が受け入れる外国人材は、「労働力」などという無機質な経済の歯車ではありません。彼らは、私たち日本人と同じ、喜怒哀楽を持った生身の人間なのです。異国において生活するためには、まず語学。そして、生活支援、さらには健康保険や社会保障が必須です。にもかかわらず、たとえば、肝心の日本語教育施設は都市部に偏っており、日本語を教える場所がない空白地域に住む外国人はすでに50万人を超えています。日本語教師が絶対的に不足し、6割近くはボランティアに頼り、日本語教師の質の向上のための公的な資格制度をこれから検討するという無責任な状況です。

どんな外国人を受け入れるかは、国家主権の根幹にかかわる重大問題だ

 いずれにしても、どこの国からどんな人材を我が国に受け入れるかというのは国家主権の根幹にかかわる問題です。したがって、厳格なルールの下に適切に選別しコントロールしなければなりません。その上で、いったん受け入れたならば、日本人との共生を図るべく外国人やその家族に対し基本的人権の保障はもとより生活や健康保険などにつき手厚い支援を行うことに国が責任を持たねばなりません。これは、国家の品格と国民の尊厳にかかわる我が日本国の矜持なのです。今後とも、この移民問題については、厳しい姿勢で臨んでまいります。

衆議院議員 長島昭久

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「元徴用工」をめぐる韓国最高裁判決に、喝!

 新たな日韓関係の火種となっている旧朝鮮半島出身労働者(元徴用工)をめぐる韓国最高裁判決の問題点につき、改めて考えてみたいと思います。

 なお、この問題については、11月29日の衆院安全保障委員会で河野太郎外務大臣に質問し、最後に私の意見も述べましたので、ご関心のある方は以下からご覧ください。




 さて、韓国の最高裁にあたる大法院は、10月30日と11月29日に、「元徴用工」を雇用していた日本企業(新日鉄と三菱重工)に賠償責任を認定する判決を下しました。これに対し、日本政府は「断じて受け入れられない」と厳しい批判を繰り返していますが、具体的なアクションを取っていません。

 いったい韓国最高裁判決のどこが問題なのでしょうか。半世紀前に「完全かつ最終的に解決された」(1965年の日韓請求権・経済協力協定第2条)はずの問題がなぜ再び蒸し返されるのでしょうか。

 まず、日韓請求権・経済協力協定は、日韓両国も批准する「条約法に関するウィーン条約」第26条、27条により、韓国の立法、行政、司法の三権を等しく拘束します。韓国最高裁判決が国際法を逸脱していると批判される理由はここにあります。そして、同協定により日韓は相互に「外交保護権」を放棄したので、個人の請求権までは失われないものの、相手国の裁判所に訴えても法的に救済されないこととなりました。その代わり、「元徴用工」への慰謝料など個人の救済についての道義的責任は自国、すなわち韓国政府が負うこととされました。このことは、同協定に関わる全ての外交文書を公開し、官民のプロジェクトチームで再検証した結果に基づき、2005年8月に盧武鉉政権が国内外に正式に表明しました。

 そして、それら個人への救済のための原資は、同協定により日本側が提供した総額5億ドルの無償・有償援助をもって充てることとされ、現に1970年代および2007年、2010年に韓国は国内法を制定し、そのような方々への支援を実施しています。にもかかわらず、今回の韓国最高裁の判決は、上述した日韓両国政府による法的、政治的、外交的努力を根底から覆してしまったのです。

 2度にわたる最高裁判決が出てもなお、韓国政府は同判決に対する態度を明らかにしていません。これに対し、我が国政府は強い口調で非難はするものの、韓国政府の出方を見守っているだけです。しかし、事態を放置すれば、次々に類似の訴訟が提起されてしまうでしょう。したがって、ここは、同協定第3条に基づき、日韓両国の代表者に加え第三国の代表者も入れた「仲裁委員会」の速やかな開催を提起すべきです。同協定によれば、日本側の提起を韓国側は拒むことはできず、仲裁委員会の下す裁定には必ず従わねばなりません。これしか早期に決着をつける方法は見当たりません。日本政府の決断を促したいと思います。


衆議院議員 長島昭久

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