竹中参議辞職を考える

小泉構造改革の実質的な設計者にして最大のプロモーターであった竹中平蔵氏が、小泉首相退陣とともに議員辞職するそうな。

さまざまな思いがよぎります。
もちろん功罪相半ばしていると思いますが、日本経済の復活のためには、猛烈な批判や与党内の激しい軋轢をも踏み越えて竹中さんが推進した構造改革路線は「功」の方が優っていたと認めざるを得ません。官僚主導の意思決定に風穴を開けた功績は決して小さくありません。また、「第三の道」を提唱したブレア政権の前にはサッチャー改革があり、クリントン政権の前にはレーガン規制緩和がありました。その意味で、私たちには、小泉・竹中構造改革の「後始末」を民主党政権が担うものと心中期するものがありました。改革の影の部分に政策投資を集中させると同時に、決して構造改革路線を停滞・逆流させない日本版「第三の道」を模索してきました。

それはさておき、竹中さんが参議院議員という職を途中で投げ出してしまうことの負の影響は決して軽くないといわねばなりません。まず、「竹中」と書いた70万票を超える有権者の付託を「一身上の都合」(その真意がどこにあるのかは現時点ではわかりませんが)によって放棄してしまうことには、議会制民主主義の制度の根幹にかかわる重大な疑義が残ります。それに付随して、非拘束名簿式比例選挙制度の下で、彼の集めた70万票によって当選できた議員が相当数いたことも事実です。さらには、竹中さんの辞職によって繰り上がり当選する次点の方が・・・、いやこれ以上は申しません。

それにしても、竹中さんが、なぜ小泉退陣とともに議員辞職しなければならないのか、腑に落ちません。ひとつの区切りであることは間違いないし、所属する自民党内で包囲網が狭まって最近は居場所がないという話はしばしば耳にしました。なにやらスキャンダルのようなこともささやかれています。ただ、それは、すべからく一身上の都合に過ぎません。議員職、つまり「職業としての政治」は、かくも軽いものであるのか、考え込まざるにいられません。有権者の付託というものは、代議制民主主義の信頼性を支える根幹であって、これを他の職業のように、議員自ら処分できるものではないのではないか、と思うのです。

もともと竹中さんは、自民党政権に代わる政策の受け皿づくりに熱心で、その意味でも民主党の若手改革派議員とのつながりには深いものがありました。東京財団という日本初の「完全」独立系(特定な企業や団体や政党のひも付きでない)のシンクタンクを立ち上げた方で、ワシントンで研究員をしていた私に声をかけてくれたのも彼でした。そのお陰で、ワシントンでの研究を続けることができ、アジアに展開する米軍の将来像を予測し、いま行われている米軍再編をめぐる国会論戦でも一石を投ずることができたと自負しています。

そんな彼が、民間シンクタンクの理事長として小泉首相に請われて政権入りしたことは、画期的なことだと思いました。それは、やがて日本にも本格的な「リボルビング・ドア」(民間から政権へ、さらに民間に戻り、再び政権へという回転ドアのしくみ)が確立する嚆矢となると考えたからです。大臣を辞して民間シンクタンク(あるいは大学や研究機関)に戻り次期政権の政策を練る、そしてその政策を引っさげて再び政権へ、という時代が来れば、わが国の政治を支える「知」のインフラが充実することは間違いないと。その意味では、大臣から民間へ戻らずに議員へ転進してしまったことには、いささか失望しましたので、「せっかく日本にもリボルビング・ドアを確立できるところだったのに!」と直接ご本人に文句も言わせてもらいもしました。

ただ、構造改革の設計者として、その影の部分についての処方箋を書けるのは、もしかすると彼だけかもしれませんから、今後の竹中さんの言動には引き続き注目していく必要がありそうです。
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