日英議会政治シンポジウム

今年の初めから、自民・民主の若手議員で国会改革について議論を重ねてきた。そこで、議院内閣制発祥の国であるイギリスから国会議員や専門家を招いて日英の議会改革について討論しようということになり、各方面のご助力も得て本日開催の運びとなった。

時期は、通常であれば、夏休みも終わり、臨時国会開会直前で正常も波静かな9月末あたりで、とうことでこの日を選んだが、福田政権崩壊で解散総選挙が差し迫るとんでもない時期になってしまった。8人の議員のうち、全体を通して参加できたのは、選挙区が安定している河野太郎氏だた一人。欠席者1名、残念ながら、あとは自分も含め担当するセッションだけ参加して皆足早に選挙区へ戻って行った。

シンポジウムの概要は次のとおり。

9:30 主催者挨拶 加藤東京財団理事長

9:35 基調講演 ジャック・カニンガム上院議員

9:55 第一セッション:「国会議員と官僚の関係」
モデレーター:田中秀明(東京財団政策研究部ディレクター)
ディビッド・ウォレン(駐日英国大使)
山内康一(自民党衆議院議員)
泉健太(民主党衆議院議員)
高安健将(成蹊大学准教授)

11:30 第二セッション:「政党ガバナンスの諸問題」
モデレーター:田中秀明(東京財団政策研究部ディレクター)
フィリップ・カウリー(ノッティンガム大教授)
竹中治堅(政策研究大学院大学准教授)
馬淵澄夫(民主党衆議院議員)

13:55 第三セッション:「国会機能強化に向けて」
モデレーター:梅川正美(愛知学院大教授)
大山礼子(駒澤大学教授)
アレックス・ブレイジアー(ハンサードソサエティ・ディレクター)
河野太郎(自民党衆議院議員)
細野豪志(民主党衆議院議員)

15:35 第四セッション:「二院制の課題と政党」
モデレーター:梅川正美(愛知学院大教授)
長島昭久(民主党衆議院議員)
柴山昌彦(自民党衆議院議員)
アーサー・ストックウィン(オックスフォード大教授)

17:00 総括
カニンガム上院議員、河野太郎衆議院議員、梅川正美教授

以下、ご参考までに私のレジュメをコピペしておきます。

「二院制の課題」講演メモランダム

1.問題の所在
(1)二大政党制の確立により、「ねじれ」は常態化
我が国の議会制度は、1993年代前半の「政治改革論議」を経て、二大政党による政権交代可能なシステムが確立を主眼に変遷を重ねてきた。昨年夏の参議院選挙における与野党逆転もその重要な一里塚といえる。そして、いま、まさに、国民に政権選択を迫る解散総選挙を目前にしている。

ところで、二大政党による政権交代可能なシステムが確立すれば、衆参選挙のたびに多数党が入れ替わる可能性が高まる→「ねじれ」の常態化
→立法機能が第一院だけでは完結しない日本のシステムの場合、立法機能が不全に陥る危険性は常にある、と考えておかねばならない。 

(2)議院内閣制と二院制との原理的緊張関係
解散のある衆議院と、解散がない上に半数改選の参議院の多数派を一致させようという試みが成功する確率は本来低いはず。
参議院の多数を確保した政党が、次の衆議院総選挙で多数を確保できるとは限らない。
したがって、二院制は、衆議院の多数が政府を形成する議院内閣制とは、絶えず緊張関係にある。
原理的にいって、議院内閣制は、一院制の方が貫徹しやすい。→第一院の優越性「強化」へ

・・・議院内閣制の先輩国である英国では、二院制と議院内閣制を両立させるための工夫を凝らしてきた。
①貴族院には予算関連の権限が制限されている。
②政府がマニフェストに基づいて推進する法案には、貴族院は基本的に反対しない。

2.日本型二院制のメカニズム
(1)不徹底な「衆議院の優越性」
衆院の優越性:①予算・条約に関しては、両院の一致が得られない場合には、衆院の議決を国会の議決とする(憲法60、61条)、②法律案:衆議院2/3再議決規定(憲法59条2項)
・・・参院の反対を無力化するほど強くない。
とくに、立法機能については、「両院対等」に近い。・・・衆院による2/3再議決は事実上不可能。

←戦後長きにわたり、衆参の多数派が一致していたので、この矛盾は表面化しなかった。
・・・1989年以降、自民党が参院多数を失う状況がしばしば生まれるようになったが、それを「連立政権」によって衆参の多数派を制し、この矛盾を抑え込んできた。→その結果、選挙による政権交代を封じ込めることになった。

(2)憲法制定過程にみる参議院の存在理由の曖昧さ
GHQは、貴族院を否定し、連邦制を採用せず、全議員を公選とする方針から、一院制を主張。・・・日本政府で新憲法草案の起草にあたった松本蒸治国務大臣らが抵抗を見せ、二院制を勝ち取った。

ただし、創設された参議院の存在理由は必ずしも明確でなく、「第二の考慮」の機会をおくための「再考の府」としての第二院というあいまいな位置づけだった。

=憲法制定時の付帯決議
「参議院は衆議院と均しく国民を代表する選挙せられたる議員を以って組織すとの原則はこれを認むるも、これがために衆議院と重複する如き機関となり終ることは、その存在の意義を没却するものである。政府は須くこの点に留意し、参議院の構成については、努めて社会各部門各職域の経験知識あるものがその議員となるよう考慮すべきである。」

①参院緑風会の結成(1947年)と挫折(1965年解散)
②河野謙三参院議長『書簡』(1971年7月)
③衆議院選挙制度の変更(1993年)により、衆参選挙制度がほぼ同一のものとなり、代表の在り方を衆参で別にすることにより参議院の独自性を生み出そうとする試みは潰えた。

3.解決の方策
(1)「第一院」本来の役割とは?(参照、Walter Bagehot『イギリス憲政論』)
下院の役割は、「立法機能」というより「首相の選出」こそが最も重要な機能。(しかも、英国では、下院第一党の党首が自動的に首相となる慣行。狭義の立法機能は与党の内閣が実質的に担う。)したがって、首相選出機能は、総選挙が済んだ時点で果たされている。

(2)憲法改正で一院制か、参議院の役割変更か?
民主主義国にあっても、
1950年にはニュージーランドで、
1953年にはデンマークで、
1970年にはスウェーデンで、それぞれ二院制が廃止されて一院制へと移行した。・・・共通の理由は、第二院が完全に政党化し、二院制の効果が発揮されなくなったこと。

「一院制」移行には、憲法改正が必要。・・・憲法改正にまで踏み込んで議論すべき時を迎えた。

(3)次善の策としての運用の変更
目的:参院の役割を変更し、二院制と議院内閣制の両立を図る。
 ① 政権運営の根幹にかかわる問題での衆参対立を避けるため、参議院の自己抑制を求める。(ex. マニフェストの推進に関わる法案、予算関連法案などは、一定の基準を設けて参議院が自制する慣行をつくる。)
 ② 参議院における法案の可決・否決という権限を棚上げして、激しい党派対立から一線を画し、独自機能を発揮せしめる・・・独自領域での参院優位:行政監視・決算機能、長期的視点からの調査提案(ex. 生命倫理、死刑制度、皇室制度、etc.)
 ③ すでに形骸化している現行の両院協議会に代わり、衆参両院の議員全員で構成される「両院合同会」方式を導入する。・・・現行の「衆参それぞれで与党が過半数」という条件が緩和され、衆参を合わせた数での過半数でよくなり、基準が単一かつ明確になる。とくに、衆院と参院がほぼ2:1の関係にある我が国では、衆議院の意思が大きく決定に反映されることになり、衆院の総選挙で政権を選択できるという議院内閣制が貫徹される。

=現状に当てはめると、自民党389(衆305、参84)は、単独で野党の総議席数280(衆143、参137)をはるかに上回り、公明党52(衆31、参21)との連立は不要となる。・・・これは、民主党にも当然にあてはまるので、衆院総選挙の結果次第では、両院合同会でも多数派を形成することは可能。

たった数時間の参加だったが、しばし知的刺激を受けてリフレッシュした感じか。いずれにしても、国会改革は、常設の特別委員会を衆参に設置して(衆参合同でもいい)超党派で議論すべきだ。しかし、すべては総選挙の結果を受けて。とにかく、いまは必勝を期して選挙戦に邁進するのみだ。
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最後の戦い

民主党の臨時党大会が行われ、小沢代表の三選が決まった。
いよいよ小沢一郎の最終決戦の火蓋が切って落とされた。
実際、今日の小沢演説は、魂がこもっていた。
小沢一郎という政治家が、毀誉褒貶にまみれながらも一貫して追求してきた政権交代可能な政治の実現。多くの同志が自民党へ出戻るなど幾多の紆余曲折を経て、しかし、小沢一郎という政治家は自民党政治の解体に遮二無二突き進んできたのだ。

ようやく、その最終段階に至った。
その思い、ほとばしる思いがあふれる演説だった。
万雷の拍手喝采を巻き起こしたのは、「自民党総裁は政権を投げ出すことができても、国民は生活を投げ出すことはできない」と断じた瞬間だ。

「同志の皆様、いよいよ決着の時を迎えました」で始まる所信表明演説は、自民党政治の総清算と呼ぶにふさわしい気迫のこもった演説だった。
(全文は、http://www.dpj.or.jp/special/2008_shoshin/index.html)

この演説の最大のアピール・ポイントは、これまでしばしば指摘されてきた「財源の曖昧さ」に正面から応えた次の部分だ。
「83兆円の一般会計と178兆円の特別会計、さらに事実上の税金である社会保険料を一体として捉え、税金の使い方を根本から改め、財政構造を大転換しなければなりません。予算の劇的な組み替え、いわば「予算の総組み替え」であります。・・・「国民の手による予算編成」という考え方に基づき、一般会計と特別会計とを合わせた国の純支出212兆円の約1割に当たる22兆円を、段階的に私たちの主要財源に組み替えていくことを、その方法と共にお示しいたします。」

そして、小沢演説の圧巻は、何といっても次のくだり。
「この一戦はいくつもの意味で、「最後の戦い」であります。
今ここで、国民本位の政権を作り、「新しい国民生活」を築き上げないと、日本社会は無残にも崩れ去ってしまいます。もちろん、経済の危機的状況を打開することもできません。国民にとって、社会・経済を立て直す最後のチャンスであります。
また、日本にとって、国民自身が政権を選択し、議会制民主主義を定着させることのできる、おそらく最後の機会になると考えられます。
私自身のことについて敢えて申し上げれば、国政を担おうとする政治家としては、精神的にも肉体的に最後の大一番であります。国政を担う覚悟がなければ、政治家をやっている意味はありません。」

「精神的にも肉体的にも最後の大一番であります」に込められた小沢代表の万感の思いに、私自身激しく魂を揺さぶられた。

自民党候補と対峙するすべての選挙区の同志とともに、乾坤一擲の戦いをしよう!
すべては、国家国民のため、将来世代のために。
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あごを引いて、重心を低くせよ!

「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。」
安国寺恵瓊が、織田信長の転落を予言した有名な言葉だ。

いまの民主党の姿勢は、この様になっていないだろうか。
2代続けて政権投げ出し、
厚生年金の改ざん発覚、
汚染米の不正転売事件、
農水大臣、次官の辞任、
リーマン・ショックでかき消される茶番の総裁選・・・。

政府攻撃の材料には事欠かない。
文字通り、押せ押せだ。
早期解散を叫び、総選挙で政権交代を迫る。
選挙区を歩けば、「一度、民主党にやらせよう!」の声々々。
それも、自民党支持者から盛んに激励を受ける。
朝の駅頭でも、昼の街宣でも、夕方の演説でも、笑顔で声をかけられる。

今度こそ、行ける!
絶対に、勝てる!
3年前のようなことはないはずだ。
小泉マジックに席巻された郵政選挙の再現などありえない。
みんな、漠然とそんな気分に支配されていないか?
自分自身も、事務所のスタッフも、後援会の人々も・・・。

しかし、3年前を思い起こさねばなるまい。
解散直後のあの高揚感。
選挙区に戻ってきたときの優越感。
まるで、すでに勝ったような気分だった。

しかし、あの小泉首相の夜の記者会見で、その高揚感は吹っ飛んだ。
一夜にして流れが変わり、あとは大津波のような逆風。
終わってみれば、小選挙区の議席から転げ落ちていた。
「高ころびに、あおのけに転」んだ瞬間だ。

対する自民党候補者の誰一人として、高揚感などに浸っていなかったはずだ。
必死で、小泉構造改革を訴え、
郵政民営化の正しさを訴え、
駆けずり回っていたはずだ。
その結果として、勝利が転がり込んだのだ。

浮ついたパフォーマンスは必要ない。
まだ、確信を持って民主党候補者の名前を書けない有権者が数多くいるはずだ。
長年、自民党候補者の名前を書き続けた人々にとっては尚更だろう。
民主党政権にまだ現実的な感覚を持ち得ない人々に語りかけるのだ。
自民党が耐用年数を終えていることはわかっても、なお民主党に信頼をおけるか逡巡している人々に力強く訴えるのだ。

だから、真摯に政策を語るべし。
新たな税金の使い方を示すべし。
財源を明確にすべし。
わかりやすく、政権交代の必要性を説くべし。
そして、それがなぜ、今日本に必要なのかを明らかにすべし。
国民の生活がどう変わるかを真剣に語るべし。

決して浮ついてはいけない。
あごを引いて、重心を低くして、脇を締めて、確実に前進するのみだ。
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いずれにしても、選挙管理内閣

自民党総裁選がバトルロイヤルの様相を呈してきた。
「バラマキ派」と類型化される麻生前幹事長を軸に、財政均衡を優先させる「増税派」の与謝野氏、小泉路線継続を目指す「上げ潮派」から小池氏あたりで止まっていれば、非常に引き締まった総裁選になったのに、との声をここ数日よく耳にするが、我が方は代表選挙もできなかったのだから、自民党の総裁選挙を論評する立場にはない。

ただ一つ言えることは、この総裁選の結果選出される自民党総裁は、好むと好まざるとに拘わらず、選挙管理内閣を組織することになる。総裁選が終わったその瞬間から、解散総選挙のタイミングに耳目は集中することになるからである。これぞ、世に言う「解散風」。自分自身、11月9日投票のスケジュールで活動のラストスパートに入っている。この期日は、奇しくも5年前に初当選した総選挙とまったく同じタイミングだ。

今年の初めにも選挙あるべしとのことで、仲間たちと選対会議を重ねてきたので、体制だけはすでに固まっている。あとは、公示の日までにやるべきことをきっちりやり切るだけだ。焦る気持ちを抑えつつ、確実に着実に歩を進めるのだ。合言葉は、この3年間叫び続けた一言。「小選挙区の奪還」あるのみ!
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中曽根総理の批判と福田総理の職場放棄

今朝の産経新聞に掲載された中曽根元総理の「首相退陣に寄せて」を読み、感銘を受けた。以下、抜粋。

「福田康夫首相の突然の退陣表明は、今の日本の首相級の政治家の素質、性質を表している。最近2代の安倍晋三前首相と福田首相の退陣では、強い粘りと必死の信念が見えず、サラリーマン化したとの印象を禁じ得ない。」

「首相の出処進退は、国民が納得するラインで、ある意味において厳粛でなければならない。国政の重大さ、対外的な重さがあるからだ。われわれの時代と比べ、首相の地位が軽くなってしまった感は否めない。
 これはジャーナリズムの問題も大きい。首相は国会で指名され、天皇陛下に任命される。憲法上、そういう重さで作られている。にもかかわらず、まるで普通の会社の社長の交代のように扱うから、政治家の心掛けも似たようなものになってきた。」

「福田さんは素朴な人柄だけに、執念を持たずに辞めたようだ。われわれの時代のように苦労して首相になれば、簡単に辞める場面にはならなかった。
 昔は、政治家がある段階で首相になろうと決意したら、そのための修行をして、いつでもなれるような体系を作った。見識を広め、修養を積み、国際関係も含め広く網を張って備えたものだ。同志も募った。」

「福田君、安倍君にしても良家の子弟だ。下から汗水垂らしてねじり上がったのではない。地位に恵まれた面はある。一方、外国の指導者たちは、下から苦労して地位を獲得した歴戦の闘士だ。温室育ちの日本の政治家は、外国の指導者と太刀打ちできるだけの修行が必要だろう。」

中曽根総理の言葉は、これからの政治家に対する戒めと受け止めたい。たしかに、三角大福中と呼ばれた歴代宰相は、皆叩き上げ。加えて、彼らは、「55年体制」と呼ばれる政治の安定期に突入する前に政界入りを果たし、自由党、民自党、民主党、改進党、国民協同党、社会党などが乱立した戦後の激動期を「ねじり上がった」政治家たちである。結局、安倍さんも福田さんも、自民党一党支配下の安定期しか知らない。したがって、昨夏以来の「ねじれ国会」のような事態に直面し、為す術なく(どころか、悪いのはすべて民主党と言わんばかりの捨て台詞を残して)職場放棄して行ったのであろう。

職場放棄といえば、福田さんの無軌道ぶりは目に余る。マスコミは、「ぶら下がり取材」に一切応じなくなったことを盛んに非難しているが、もっと深刻な職場放棄を看過することはできない。それは、昨日行われた自衛隊最高幹部会同ドタキャンである。退陣表明し、文字通りレイムダック化した首相とはいえ、任期は未だ全うされておらず、福田氏が自衛隊の最高指揮官であることに変わりはない。最高幹部自衛官に対する首相の訓示は年に一度。これは、命懸けで我が国の平和と安全を守る自衛隊の将官に対する全国民を代表する首相としての最低限の務めではないか。
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