アメリカ大統領選挙、佳境へ

ようやく民主党、共和党の正副大統領候補が出揃った。

何といってもサプライズは、ジョン・マッケイン上院議員が選んだランニング・メイトだろう。サラ・ペイリン知事(アラスカ州)。弱冠44歳の女性だ。しかも、マッケイン氏は72歳の生涯でたった一度会っただけで、彼女を副大統領候補に据えたのだから、米政界は大騒ぎになっている。(じっさい、民主党陣営からは、無責任で無謀な選択、との非難が始まっている。)共和党陣営は、この衝撃的な発表を民主党大会の翌日に持ってきたのである。果たして効果覿面で、オバマ大統領候補の指名受諾演説は、ペイリン女史の笑顔にかき消されてしまった。

CNNニュースクリップで観た限りではあるが、このペイリン州知事、声の張り、演説の切れ、溌剌とした雰囲気、なかなか魅力的な女性に映る。共働き夫婦から市議、市長、州知事とアラスカ政界を駆け上る過程で地元の共和党老政治家たちの策謀を粉砕した経歴に加え、二男三女を育て上げた明るくチャーミングな人柄は、アメリカ国民を大いに魅了するはずだ。しかも、中絶反対、同性愛婚反対、銃規制反対という筋金入りの保守主義者でもある。共和党穏健(中道)派のマッケイン氏の最大のウィークポイントである共和党保守票の取り込みにはうってつけだろう。

アメリカ史上初の黒人大統領に挑むオバマ上院議員がランニング・メイトに選んだジョセフ・バイデン上院議員が36年のキャリアを誇るベテランのワシントン・インサイダーであることを考えると、ワシントン政界とは対極にある無名のアラスカ州知事の副大統領候補指名は、共和党初の女性副大統領候補であること以上の威力を発揮しそうだ。今後の選挙戦を通じて、ペイリン女史が、オバマに敗れたヒラリー・クリントン上院議員を支持していた女性有権者層を惹きつけることができれば、米大統領選挙は激しい大混戦となるであろう。(実際、世論調査結果も大接戦を示している。)

これからの闘いは、失点をした方が負け。大統領候補、副大統領候補同士のテレビ討論会を中心にメディアを通じた熾烈な攻防戦が、とくにバトルグランド・ステイツ(接戦州)と呼ばれる民主・共和いずれの党も多数を制しきれていない諸州(ペイリン知事のアラスカもこの一つ!)をめぐって展開されることになる。あと2ヶ月ちょっと、目が離せない。もちろん、日本の政局も、この2ヶ月ちょっとの間に、解散総選挙の時期がはっきりしてくるであろう。もしかしたら、ほぼ同時期に日米新政権が誕生することになるかもしれない。

明日から9月。夏の地元挨拶回りの総仕上げとともに、12日からの臨時国会に備え、自分自身も文字通り「実りの秋」としたい。
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いまさらクラブ活動とは嘆かわしい

「反小沢」の怨念のみが原動力の政党が発足未遂に終わった。
その名も「改革クラブ」。

政党を目指したが、一人の女性議員による突然の翻意で、その目論見は潰えた。
この一両日は、凄まじいハラスメントの応酬だった。
彼らは離党のタイミングを、小沢代表の3選出馬表明の日にぶつけた。
これに対抗して、民主党執行部は参加予定議員の離党撤回で「新党」発表記者会見を台無しにしてみせた。政党成立要件である5人の現職議員が集まらず、新党構想は、結局、クラブ活動に終わった。

そもそも、新党綱領の中に「党議拘束なし」が謳われていたところに、理念も政策も棚上げして、5人確保・対小沢民主党ハラスメントというクラブ活動の実態が垣間見られた。政権交代に向かう歴史的な潮流を前に、こんな小石につまずいている暇はないが、松下新平(参議)という有為な人材までもがこのクラブ活動に巻き込まれてしまったことは誠に残念だ。

それにしても、国内経済・国際情勢の危機に直面し、かりそめにも「全国民の代表」として負託を受けた国会議員がこのようなクラブ活動に興じるとは嘆かわしい。

某新聞記者が、「長島さんの名前も取りざたされてましたよ」と心配して電話をしてきた。苦笑するほかないが、思わず「俺を見くびるな!」と怒鳴り返してやった。巷間流布されている「前原離党」とか、「野田同調」とかは絶対にありえない。この期に及んで政党助成金に目がくらみ、時局の大勢を見失う愚か者はもはや一人もいない。秋の臨時国会の論戦に堂々と臨み、政権交代あるのみだ。
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国境の島・対馬

衆議院の安全保障委員として、国境の島・対馬を視察した。
日本と朝鮮半島を分かつ対馬海峡に浮かぶ対馬は、福岡から138kmの距離に位置するが、韓国の釜山からはその半分以下の49.5kmで、晴れた日には対馬の西岸から朝鮮半島の山々や建物を望むことができる。元寇襲来や秀吉の朝鮮出兵の折には、日本の最前線基地として幾度となく翻弄された。

その対馬に、いま韓国資本が大挙して押し寄せている。それを象徴するのが、島のほぼ中央に位置する海上自衛隊対馬防備隊本部の基地周辺だ。基地施設の隣接地が韓国資本に買収され(厳密には、真珠工場だった跡地を「ナマコ加工工場建設」という土地取得理由で100%韓国資本が占める日本企業に売却されたのだという)、韓国人向けのリゾート開発に供されているのだ。週末になると、韓国人観光客が押し寄せ、自衛隊基地の中を走る道路を闊歩しているという。

今回の視察の一つが、その海上自衛隊対馬防備隊本部。対馬にある2つの海上自衛隊基地に壱岐島の基地も加え対馬海峡に所在する3つの基地を統括し対馬水道周辺の情報収集に当たる枢要な基地だ。その基地の隣接地を外国資本が買収するなどということは、あってはならないことだ。韓国人観光客にまぎれて北朝鮮の工作員が潜入する可能性も排除できない。つねに、彼らは国境の島の警備状況を観察できる環境にある。

こんなことがまかり通る国はおそらく日本だけではあるまいか。実際、真珠工場跡地が売りに出された2002年当時、自衛隊は対馬警備隊本部の拡張を念頭に隣接地たる真珠工場跡地の買収を検討していた。しかし、予算が組めないとの理由で断念されたというのである。平和ボケも極まれり。臨時国会では、毒入り餃子問題や後期高齢者医療制度の見直しや緊急経済対策など争点山積であるが、この国境の島の無防備状態につき最優先課題として、安全保障委員会で徹底的に追及するつもりだ。
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靖国問題再考

敗戦から63年目の夏。
改めて、先の大戦で尊い命を落とされた戦争犠牲者の皆さまに対し、心からの哀悼の誠を捧げたいと思います。

今年の終戦記念日は、早々と福田首相が「靖国参拝しない」と明言したために、例年に比べ平穏だった。北京五輪に世間の耳目が集中していることも影響しただろう。

しかし、靖国問題については、未だに議論は収束していない。河野衆議院議長が全国戦没者慰霊式典で「特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置」を呼びかけた。古賀誠日本遺族会会長が「A級戦犯の分祀」を改めて提案した。いずれの見解にも、強い違和感を覚える。靖国神社に代わる戦没者の慰霊・追悼・顕彰施設はありえないし、A級だとかB級だとか東京裁判に振り回されるいわれもない。私見については、2年前の夏に深く考えた末に当ブログで公開させていただいた。再掲し、改めて広く議論の参考に供したい。

『戦争責任と靖国問題』(2006年7月23日のブログ再掲)

そもそも歴史というものは、ある瞬間だけ切り取って観ても十分な理解を得ることは困難ですから、昭和16年冬の重大な国家意思決定を導くことになった多岐にわたる大小の意思決定の積み重ね―たとえば、満州事変およびその不拡大方針を徹底できなかった当時の政府など―もまた再検証する必要があると思っています。その意味で、コメントにもありましたが、読売新聞や朝日新聞が連載を通じて戦争責任をめぐる再検証を試みているのはその努力の一環で、意義深いと思いますし、私自身も昭和20年夏の敗戦にいたる近現代史におけるいくつかの分水嶺についてさらに検証を深めて行かねばならないと自覚していることを冒頭に記しておきます。

さて、結論から言えば、「靖国問題」というのは、じつは我が国が戦争責任について主体的に議論した結果として生じているのではなく、むしろ主体性を失って、連合国による極東軍事裁判に振り回された結果起こった問題であることがわかります。言い換えれば、極東軍事裁判によって「平和に対する罪」(A級)に問われた人たちが、その後、厚生省引揚援護局の作成した祭神名票に登載され、靖国神社により「昭和殉難者」に列せられた結果、靖国神社の伝統からいっても異例な形で合祀されてしまったことが、問題を複雑にしてしまったのです。そもそも靖国神社は、近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において戦没した軍人・軍属を慰霊、顕彰、崇敬の目的で祭神として祀る神社です。(なお、合祀の対象が、朝廷側、日本政府側に限定されて、「怨親平等」との本来的な神道の伝統から逸脱していることは、この際措いておきます。)

たとえば、戦争に反対し、なぜ「平和に対する罪」に問われねばならないのか、かねてから疑問の声が上がっていた廣田弘毅元首相・外相などは、そもそも軍人・軍属ではない生粋の文官であり、極東軍事裁判でA級戦犯として起訴されなければ、靖国神社とは無縁の人物でした。その意味では、今回のメモで昭和天皇から名指しされた松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使はじめ、平沼騏一郎元首相、東郷茂徳元外相らも同様です。また、南京事件の責任を問われた松井石根元陸軍大将は、平和に対する罪ではなく、戦争犯罪(B級)および人道に対する罪(C級)に問われ処刑されたもので、厳密には「A級戦犯」ではありませんし、判決前に病死した永野修身元海軍大将や刑期中に病死した小磯国昭元首相(陸軍大将)、梅津美治郎元陸軍大将らについても、すでに祀られている軍人・軍属の方々と合祀されるのは甚だ違和感のあるところ。

とりわけ、中国戦線を無用に拡大し、ヒトラー頼みの戦略なき日独伊三国同盟を締結し、真珠湾攻撃に端を発した無謀な戦争を指導し、結果として260万もの尊い命を奪う原因をつくったすべての国家指導者たち(閣僚および陸海軍統帥部の要職にあった人々)は、これを靖国神社合祀の対象とすべきでないと思います。

すなわち、靖国神社が「戦没者を慰霊、顕彰する施設」という本来のあり方を取り戻すためには、極東軍事裁判からは断じて切り離す必要があると考えます。その一方策が、「分祀」なのです。つまり、極東軍事裁判に対する反発からそれまでの靖国神社の伝統を逸脱して合祀された方々を、靖国の本殿とは別の社殿にお祀りし直すことです。(実際、筑波宮司(当時)は、厚生省からの祭神名票を受理した後、本殿への合祀を留保し、昭和40年に創建された「鎮霊社」という境内社にその霊を祀ったとのことです。ちなみに、鎮霊社には、本殿に祀られていない全ての日本人戦没者および世界中の戦没者が祀られているそうです。これが、本来の神道のあり方です!)

分祀については、「靖国神社が神道の信仰上ぜったいにあり得ない」との見解を発表していますが、神道においては複数の祭神の一部を分離して別の場所に遷す(分遷、遷座)ことは、記録に残っているだけでも8世紀以来行われているそうです。たとえば、数週間前の『AERA』には、明治政府が神田明神から平将門の霊を将門神社に遷した事例が紹介されていました。

こう考えてくれば、靖国問題で、外国からの容喙を許したり気にしたりする必要はなくなるでしょう。「勝者の裁き」である極東軍事裁判の正当性についても、靖国問題とは切り離して、国際法の観点からより自由に議論ができるのではないでしょうか。ちなみに、当時の国民の多くがそれを不当だと判断したからこそ、サンフランシスコ講和条約(第11条)によってすべての判決結果を受け入れたものの、これら戦犯は「国内法で裁かれた(戦争)犯罪人ではない」との解釈から、1953年の国会決議によって一斉に名誉回復が果たされたのです。

それでも、政治の結果責任から逃れることはできません。中曽根元総理がよく述べておられるように、政治家というものは、「歴史法廷の被告人」であるからです。私自身、そのような立場に身を置いていることを胸に刻んで、政治家として後世に恥ずかしくない言動を心掛けて行きたいものです。
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よくやった慶應義塾高校@甲子園!

46年ぶりの夏の甲子園。
88年ぶりの甲子園勝利。
92年ぶりの甲子園2勝。
昨日の準々決勝も延長にもつれる大接戦の末夢敗れたが、本当に良く頑張った。

僕が高校生だったころの野球部とはまるで別物だ。
当時は、県予選の1回戦敗退を繰り返していた。
体つきも、パワーもまるで違う。
とくに、県予選の決勝戦で東海大相模を延長13回に振り切った試合などは、途中経過を聞きながら、「もういいよ。これで十分だ」などと弱気につぶやいてしまったほどだ。しかも、皆楽しんで野球をやっているところが凄い。

今朝の朝刊で、選手諸君のさわやかなコメントを読み、改めて感動した。
今年は、慶應義塾創立150年という節目の年でもあり、塾高ナインがその記念の年に花を添えてくれたことに拍手を送りたい。
でも、やっぱり、甲子園へ駆けつけて思いっきり「若き血」を歌いたかったなあ!
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