長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

尖閣へ都の上陸不許可

2012-08-28 08:07:46 | Weblog
国が都の申請に対し、不許可を出したことに、私はやっぱりという感じしかない。
というのも、都がたくさんの寄付を集めて、尖閣諸島を買い取るとやったた時点で、国は面目丸つぶれである。
しかも、あの石原都知事が尖閣諸島を買い取ったら、何をするか分からない。
そうなると、大きな火種になりかねない。
そこで、当然の結果として、国は東京都へ、不許可の決定をしたことになる。
それなら、国が何をしてくれるかといえば、たぶん当たらず触らずで、ほとんど何もしないだろう。
そのほうが波風が立たないと思っているからである。
しかし、上陸許可が出ないからといって、下がるような石原都知事ではない。
上陸できなくても、測量は開始するだろう。
そうなれば、結局日中の火種になることにも変わりはない。
どうせ火種になるのなら、国は尖閣諸島をどのように管理していくかを明示してもらいたい。



国民は原発ゼロを希望

2012-08-28 08:07:12 | Weblog
政府のエネルギー政策についての国民的議論で、多くの国民は原発のない社会を望んでいると、いう方向でまとめることになったという。
議論の方法などについてもいろいろと問題はあるけれど、今回はこの方向でまとめて行ってもいいのではないかと思う。
一応は、2030年後に、原発をゼロにするということになるのだろうけれど、まだ18年あり、技術はどのように進化するか分からない。
今でも、原発は少し稼動されていることだし、今後は人口も減少するのだから、私は原発ゼロでも、十分競争力がある形で、やっていけると思っている。
それ以上に、東日本大震災から1年後の今年でさえ、原発がほとんどいらないくらい節電が出来たのだから、節電と技術の開発で、効率よく電力を使用し、企業も国際競争力をつけることは十分できると思う。
いまさら、2030年に原発の稼働率を30%で維持するような政策を立てたら、技術の進歩を阻害するだけだと思っている。

裏のおばあちゃんの死

2012-08-28 08:06:37 | Weblog
昨日の朝、裏の奥さんが、挨拶に来た。
「母が、亡くなり、家族葬で誰も呼ばないけれど、今なら顔を見に来てくれないか」というようなことだった。
そこで、妻と奥さんに付いていって、おばあちゃんの顔を見させてもらった。
玄関を入って右側の部屋に、棺に入れられて横たわっていた。
95歳で大往生らしく、穏やかな顔をしていた。
一昨日の朝、3時過ぎに、見に行ったら、もう亡くなっていたということで、静かに亡くなったようだ。
亡くなってから、1日経っているというのに、顔色もよくて、鼻にも綿がつめられていないため、とても死人には見えない。
「情けない」というのが口癖だったけれど、今にもその言葉が出てくるような気がした。
「情けない」というのは、生きていても何も出来ないで、ただ面倒を見てもらっているだけなのが、なんとも情けないということのようだ。
大往生ということで、部屋には5,6人の家族や親族がいたけれど、誰も泣くものはいなかった。
それに救われて、少し雑談をして帰ってきた。