心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅2(百済最後の都扶余へ)

2016-08-18 | 地方旅行
韓国チングの来日やお盆ですっかり遅れてしまった2016ハルの韓国生活
最終イベントの旅の続きをやっとお届けします^^;

端午祭り見学のために訪韓のスケジュールを決めながら、肝心要の祭り
イベントをチェックしなかったミスが判明した所まで、前回報告しました。

メイン行事は、当然端午の日に組まれるとハナから信じ込んでいた私、
江陵へは9日の朝出発を予定していました。ショックは禁じ得ませんでしたが、
落ち込むわけにはいきません。端午の日を含む1週間は、多彩な行事で内外から
大勢の観光客が集まり楽しめるはずとチングに説明、旅は予定通りに進行させ
江陵の前に8日は扶余へ行きます。

扶余はマーズの流行さえなければ、昨年の7月に広大な人工池(宮南池)に
咲く蓮の花を見に、チングIと訪れる予定だった所です。6月ではまだ蓮は
咲いていませんが、前々から扶余へ行きたがっていたチングIは、喜んで
くれるのではないかと思ってのチョイスでした。

2年前の晩秋に訪れたときは、東ソウルターミナルから出発する扶余行きに
乗ったら、到着したのは公州だったという、謎の出来事が起きました。多分
公州経由扶余行きだったのかと思いますが、そこで全員降りたので何の疑いも
無く、目的地に着いたものと思ってしまいました。

そんなことの無いよう、今回は南部バスターミナルからのバスにしました。
現地でたっぷり時間がとれるように、早め早め行動で9時半には到着!
今度はちゃんと扶余に着きました!

バスターミナルで市内地図をいただいて、早速扶蘇山城へ向かいます。
一番に出くわしたのは、聖王の銅像(ドラマ「藷童謡(ソドンヨ)」のソドンの
お祖父さんにあたる王)


この銅像を右(東)へしばらく行くと扶蘇山城の入り口があります。



不思議に思ったのはこの山門を表から見た時と、入った後内部から見た時に
別な扁額が掛かっていたことです。


表の額は、この山門内が扶蘇山城だということを示し、内側の額はこの門自体の
名称?を指しているのかと思いましたが、外側と内側に二つの名称を掲げた門は
初めてでした。

2度目の扶蘇山城、紅葉の前回と打って変わって新緑もとても良いです。
今回も私に合わせて傾斜の緩い方の道を行ってもらいました。途中には、再現
された遺跡などがありますが、今日は一日で博物館と宮南池にも行きたいので
絶対外せない箇所だけの見学です。

百花亭(断崖絶壁から身を投げた後宮女性の魂を慰めるために落花岩近くに
建てられた東屋)


落花岩







落花岩の崖下の皐蘭寺






天井一面に提灯が百花繚乱の如く咲いていました。


前回は気がつかなかった薬水は、この寺の裏にありました。

皐蘭薬水ーコランジョン、若返りの薬水だと言います。一口含んできましたが
効果はあったでしょうか?確認して頂けないの残念!?


王はこの薬水を、この付近にのみ咲く皐蘭草を浮かべさせて、確かに
コランジョンの薬水だと確認して飲んだという伝説があるそうです。
お寺の外壁にその内容が描かれていました。






見学を終えて船上から落花岩を見学しようと船着き場に向かいかけて、ふと
この付近に咲いているという皐蘭草がどんなものか気になり、お寺の人らしき
人に聞いてみました。「この近くに咲いているという皐蘭草は今も見られ
ますか?」
すると今は無いが、写真があるので見せて上げると、スマホにファイルした
写真の皐蘭草を見せてくださいました。




扶蘇山城見学はこれで終えて、船で白馬江(歴史教科書に出てきた「白村江」)を
下りクドゥレにある鰻屋さんへ行きます。船は乗客が集まり次第出航というので
長く待つことを心配しましたが、程なく団体が何組か現れ出発となりました。



白馬江の穏やかな流れから眺める扶蘇山、何千人もの女たちの悲劇を飲み込んだ
とは到底思えぬ穏かさでした。




白馬江遊覧は皐蘭寺下からクドゥレ間数百mで、出発時も到着前もそれぞれ
上流・下流に大きく回り込んでくれて15分程度の楽しみでした。


下船したら丁度12時少し過ぎ、お昼をとってから博物館へ行こうと思います。
お昼はチングIがガイドブックで見たという、クドゥレ近くにある鰻焼き定食の
お店へ行くことにしました。道なりに通りに向かって歩いて行き適当な所で
人に聞いたら、目の前にそのお店があるというような場所でした。



鰻はそれぞれの手前に鉄板の器に1人前ずつ盛られ、テーブル中央に並んだ
料理は共同で分け合っていただきます。

食後は腹ごなしを兼ねて歩いて博物館へ向かいました。途中に定林寺址があり
ますが、塔があるだけなので通りすがりに塀越しに見て済ませました。


博物館まで歩くと暑さと疲れで少しへばってしまいましたので、博物館前に
ある伝統茶のお店で、マチャをいただこうと寄ってみると・・・、お店は
開け放たれているのですが、何度声を掛けても誰も出て来ないので、諦めて
先に博物館へ。


国立扶余博物館、ここで見逃してならない展示物は百済金銅大香炉です。
ぺ・ヨンジュンも惚れ込んだと著書の中で打ち明けています。当時の百済人の
技術力・美意識などの粋がここに込められていると言って過言ではないものに
思います。



一般の展示品のさらに奥に特別室に収められた国宝287号、発見は1991年と
云うから、私の初韓国の時はまだ土の中にあった!らしい。



お寺の祭壇前に置かれて使われる香炉だそうですが、何と多彩な自然や
生き物たちが表現されていることか!
↓のアップの2枚に彫られた楽士が抱えている楽器は片やコムンゴか伽耶琴
もう一つは琵琶の様な抱える形の弦楽器です。香炉一つに浮き彫りにされた
世界の深さに大感動です^^






博物館見学を終えてまた伝統茶のお店を覗いてみましたが、まだお留守でした。
お隣の工務店の様な事務所の人に聞いてみても行き先も、いつ頃帰るかも知らない
とのこと。でもお店はずっと閉じまりもしないで開けっぱなしです!?
長閑ですね^^

已む無くのどの渇きはコンビニを探して飲み物を調達、疲れはタクシーで
最後の目的地 宮南池に向かう・・・つもりが、タクシーが来なくて
途中で拾えたら乗るつもりで歩いていたら着いてしまいました^^



宮南池はソドン祭りに向けた準備なのか、飾り付け工事中でした。そして蓮の花は
蕾が膨らんでいるものを一生懸命探して~





この蓮が一斉に花開いたら・・・壮観でしょうね!本当にいつか、きっと来なくちゃ!




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8 コメント

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大香炉 (越後美人)
2016-08-19 10:19:11
韓国からのお客様も無事におもてなし出来たようで良かったですね。
国同士はギクシャクしていても、はるさんのように草の根で
交流して下さる人がいて有難いと思います。

今回は、素晴らしい香炉の紹介を頂き、興味深く拝見しました。
古代から戦乱続きの中で、土中に埋もれていて助かったのでしょうね。
ヨーロッパの貴族のお城にあっても似合いそうな美しさですね。

歴史ある風景や建物など、解説付きで楽しませて頂きました♪
宮南池の蓮は咲きそろったら見事でしょうね。
また訪韓の楽しみが増えましたね(^_-)-☆
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韓国の文化遺産 (はる)
2016-08-20 02:31:23
古き良きものにご造詣深い越後美人さま、香炉をお気に召して
いただけたようで嬉しいです^^

こんな素晴らしいものが大切に守られず、土の中に埋もれていたなんて!
と驚きますが、おっしゃる通り戦乱の多かった半島、
早々と土に埋もれてくれて無事だったのでしょうね!
戦乱に加えて、李朝時代には崇儒廃仏で、閉鎖された寺院が
多かったそうです。
継承されず、失われてしまった文化財も膨大なのではと思っています。

歴史的には、文化遺産が大切にされる余地が、無かったに思える韓国ですが
現状には羨ましく思うことがあります。
それぞれの地域にある博物館等の観覧料金が、無料或いは
とても低く設定されていて、国民や市民が文化財に親しむ機会に
恵まれていることです^^
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懐かしいです (Fs)
2016-08-21 01:17:50
この記事のすべてが懐かしい!

わたしの記憶ではテジョンまで鉄道で行って、バスに乗り公州でバスを乗り換えたと思います。ちょっとあやふやですが‥。
ソウルや光州市内のバスよりは揺れずに安心して乗車できました。

わたしの未体験は、鰻の料理と、皐蘭草。

博物館の大香炉は実に美しい。大香炉のポストカードを同じもの6枚購入して友人に送りました。
蓮池は盛りを過ぎていましたが、お写真よりはまだ咲いていました。そして広大な敷地にびっくりしました。

扶余はまた是非いきたいと思います。
ホテルが少し離れたところでしたが、ホテルの窓から見る農村風景が、日本の農村風景とそっくりに見えました。
ペクチェの文化的影響の大きさを再認識しました。
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共有イメージ (はる)
2016-08-21 17:00:27
Fs,さんは途中まで鉄道を利用されたんですね。
その場合直接プヨへ向かうバスは無く、公州を経由して行かれたんですか!
きっと2年前のソウルからのバスも、公州経由プヨ行きだったに違いありませんね^^;

ホテルが離れていたそうですが、地図で見ると白馬江を隔てて反対側に
宿泊施設が多いようです。新しい市街地が広がっているのかしらと
思ったのですがそちらも農村風景でしたか!

低い山々に囲まれた長閑なプヨの風景は、初めて見た30年前は
奈良の明日香辺りに雰囲気似ていると感じました。

街並みはもうすっかり忘れていますが、山々の連なりや川の流れは
今も当時と変わらずゆったり長閑でした。

再訪をご希望なさっていらっしゃるのなら、その節は是非
益山(イクサン)にもいらっしゃってくださいませ。
王宮里(ワングンニ)という遺跡があって
Fsさんの知的好奇心を刺激するだろうと予想します。
 
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Unknown (スジニ)
2016-08-22 16:23:54
ソファ姫の肖像画を訪ね歩いたはるさんは 百済とはなにか縁があるのかもしれませんね。ヨンジュンさんが伽耶の文化に惹かれて不思議に感じたように。

私は ソドンヨは見た事がないのですが、スベッキャンは見ました。聖王はソドンヨの主役を演じた方です。ドラマが素晴らしかったのですが、聖王は本当に良い王様として描かれていました。このドラマの影響で当時の朝鮮半島と日本の関係などが最近興味がわいてきました。仏教を正式に日本に伝えたというのも百済の聖王ということになっていますね。読むことが無かった古事記や日本書紀の解説本のようなものも読んでみたりしましたが、遥か昔の事は結局は不明なとことが多く謎が多くてモヤモヤが深まるばかりです。ただ、遥か昔から 交流がふかかったということだけは確かですね。歴史教科書に出てきた白村江の戦いのことも、今回はじめてどういうことだったのかということを知りました。

ハナヨのp246に出てくる石塔は王宮里の王宮跡に建っているいるものですね。 韓国に詳しくないので 最初に読んだ時は石塔がいろいろ出てくるので 弥勒寺のどこかにあるのだろうと こんがらがっていました。塀越しに見た定林寺址の石塔にも似ていますね。
香炉は発見は1991年なのですね。司馬良太郎さんのからくに紀行を読むと 百済には何も残っていないと嘆き悲しまれ憤られる人が登場してきましたが 徐々にではありますが百済の遺物が発掘されて良かったです^^

宮南池はソドン祭りに向けた準備なのか と言う箇所にひっかかり検索したら なんて素敵なお祭りがあるのでしょう。それはやっぱりはるさん、行かなくてはいけないですね。スベッキャンの中で 和紙で作った蓮の花の形をした入れ物が出てきてそれが素敵だったので 昔 友達からいただいたカピョンのチャンジバンのお土産の和紙で作ってみたのですが、色付けに失敗してしまいました。蓮の花に惹かれます。

同じコメントが重なったら 消して下さい。
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韓国歴史ドラマ (はる)
2016-08-23 14:11:47
スジニさん、こんにちは。
お返事大変遅くなりました。

スジニさんもスベッキャンをご覧になったのですね!私は
途中(妹が
スベッキャンになり済まして王宮に入り、王と対面するあたり)から
時々ですが、見ていました。

百済のお話だというのは分かったのですが、王様の名前も知らずに
みていたので、誰の時代と特定しない創作だと思っていました。
実在した人々だったんですね。もっとちゃんと見るべきでした!

蓮の花の入れ物も気付かず、残念です。
百興庵の提灯の様な形かしら?提灯と云えば皐蘭寺の提灯も、小振り
でしたが蓮をかたどっていました。

ドラマに出てくる美しいものなど細部も、しっかり見届けているスジニさん
あなたなら、是非ソドンヨを見ることをお勧めします。

ソドンの恋物語と共に百済の物づくりが重要な構成要素となっています。
その集大成に金銅大香炉が設定されています^^

あの時代は仏教も文物も半島を通じてもたらされ、伝来のものに刺激を
受けて日本的な工夫が施され日本のモノ作りに生かされ・・・
本当に良い関係だったなと思われます。

そうそう246Pの石塔、弥勒寺の記述の一番最初に出てきたので、私も
ずっと弥勒寺にあるものとばかり思っていました^^;

今も著書をひも解いて、隅々まであじわっていらっしゃいますか?
ご本で何か発見や、他でハナヨに繋がるお話があったら教えてくださいね(^_-)


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Unknown (スジニ)
2016-08-23 17:43:24
時間がなかったのかもしれませんが、ハナヨの写真に詳しい説明がないのが惜しまれます。もともとそれなりの知識を持っていて、あのけっこう難しい文章をも読み解く読解力がある人は よいかもしれませんが、けっこうわからないです。後ろの写真の箇所にしても外国の人にも読んでもらうことを前提にしたらたとえば全羅北道 セマングムとか コムソ塩田 ウイドとか 慶尚北道 慶州のヌンボダウォンとかあると 本当に本文中でjは 紙面の関係上収められなかったけれど 本当に韓国中を歩き回ったということがもっと伝わるのに。
おかげで、すごい探偵になりましたよね!

papaでヨンエさんの弟役の人が東城王、愛の群像のギルジンさんが武寧(ムリョン)王、として出ていましたね。みなさん上手かったですね。ラスト近くになるといっぱいいっぱい泣きました。スベッキャンの花吹雪の中で幸せな気持ちになれました。 最近 古代のことを自分で振り返ってみたら民を思うあの王様が 歴史的に日本に仏教を伝えた人だと知って なんか単純に嬉しかったです。

ソドンヨ見なくてはいけませんね。了解。
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名探偵 (はる)
2016-08-24 15:09:30
あなただったでしょうか?以前韓半島の地図に所縁の場所を記入したものを
いただいたことがありました。
所縁の場所を、一ところも逃すまいと丁寧に読み、地図上に再現された
そのご熱意は、彼が良いと思い自分の家族に見せたい、伝えたい思いで
時間の制約の中、ギリギリの期限まで構成を考え記事を推敲し続けた
ご努力に匹敵する力作でした。

ハナヨは貴方も惜しまれる通り、時間をもっと掛けることができたら
手を入れたいところや追加したいこと、いろいろお有りだったろうと思います。


一生懸命、誠心誠意を尽くす時の表現に、韓国で‘チョンソンコッ’という
言葉があります。振り返って見ると、彼は‘チョンソンコッ’励む人ですね。

スジニさん、彼の演技再開迄私たち韓国語もチョンソンコッ頑張りましょうね^^
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