心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

5月19日インタビュー試験終了、と同時に大好きな図書館へ

2014-05-31 | 韓国生活

先週末の筆記試験に続き、この日はインタビュー試験でした。与えられた課題15のうち
8項目は中間試験と同じですから、残り7項目についてどんなことを話すか予め準備をします。
中間の時は準備した文章を暗記しようと頑張って、その結果は緊張で覚えたはずのフレーズ
が出てこず失敗するという目に会っています。
今回は話したい内容を整理するだけにして、文章化は全部はしませんでした。そして暗記も
かける労力の割に、成果が期待できないのでやめることにしました。とはいえできる限りの
努力はしたつもりです。
私が割り振られた順番は3番(4番だったら良かったのに・・・)9時40分開始です。
授業は9時開始でしたから、いつも通り起きて準備すれば遅刻の心配はありません。
不安はありますが、今現在の実力が試されるのですから、ありのままを見ていただくしか
ありません。

インタビュー試験は、前回までは担任が試験官でしたが、今回は違う方だそうです。私たちの
クラスは偶然ですが、学期開始前にどのクラスに入るのが適当か、レベルチェックをして
くださった方でした。すっかり忘れて・・というより記憶してなくって失礼してしまいました。
その面接の時、前回の留学で大変な思いをしたあることについてお話していたので、それに
ついてどうだったかという質問から始まりました。できる限り授業で習った表現を、気にかけて
話したつもりですが、使い慣れない習いたての文法については、あまり使うことが出来ません
でした。かなりの時間それに関連した話に費やした後、やっと課題の中から「あなたの国で
起きた事件のうち、一番記憶に残るものについて」話すよう言われました。中間では原発事故
について話したので、今回これがでたら東日本大震災について、話すことにしていました。

「東日本大震災」とは何を意味する言葉なのか、どういうことが起きたのか、その理由は何か・・・
いわゆる5W1Hを織り込む為の文法があり、それを自在に使いこなせるか見られるわけです。
流暢とは程遠い訥々とした語り口でしたが、3年前の日本に起きたことを話始め、被害状況に
話が及んだ時、われ知らず涙が出てしまいました。つらいなら他の話題に変えましょうと
おっしゃってくださったのを大丈夫ですと、少し続けたのですがもう駄目でした。
一言いう度迫りくる水やもろく崩れていく家々が思い出されて、言葉が詰まってしまいました。
意外でした!私は大きく長い揺れは感じたものの、直接的な被害を受けることはありませんでした。
試験官も「被災地出身ですか?」と尋ねられたほどです。今日一番に受験したクラスメートに
当事者の方がいました。彼女も試験中に泣いてしまったそうです。二人目の私まで泣いてしまって
先生も本当にお困りだったでしょう。止めましょうというお申し出をありがたく受けて、その後は
雑談になりました。私としてはこの日のために2回足を運んだ、映画について話したかったん
ですが話題転換の糸口が見つからないまま既に予定時間は経っていました。

上首尾とはいきませんでしたが、トッコリ(턱거리ー懸垂)通過はできたと思います。
今日は帰国日24日までの残りの時間を一緒に過ごすべく夫がやって来ます。2時半到着予定
ですから、新村へは4時頃になるでしょう。今日はもう近所で過ごすことにして、この間書け
なかったブログの続きを書こうと、試験終了後は図書館への道を急ぎました。
韓国語教育院があるアルぺ館から図書館へは、体育館前の通路を裏門の方面へ向かい途中で
左へ折れます。いつの間にかバラが咲いていました。

しんどい生活を慰めてくれた花たちはすっかり終わっています。夢中で過ごした10週間
いつの間にか過ぎていました。過ぎてしまえば私たちの年代にとって、月日はあっという間です。
図書館が見えてきました。

図書館わきのベンチコーナー近くにひっそり咲いていたアジサイ状の小さな花

明日は午前中卒業式があり、全員参加です。終了後教室で、学校が用意してくれた軽食をいた
だきます。お名残りを惜しみたいほどの関係を誰とも築けなかったのでパスして、今日から
遊びの予定をいれようかとも思いましたが、それこそ最後ですからきちっとけじめをつけて
終わった方がいいし、成績表も早くみたいし、ということで卒業式には出ることにしました。

久々の夫との会食は近所の食堂で、サムギョプサルとカルビの焼き肉に韓国ビールで無事終了の
乾杯をしました。この日はおまけがあり、このお店に我が下宿で一番のチャ―ル センギン 
ナムジャだと、セスクシがいうナンジャが来ました^^v