景虎

DUFOUR 325

GUAM 2日目

2014-05-26 16:51:17 | Weblog

メモリアルデーにアサンビーチに立つアメリカ国旗 


戦死者の違いに驚く




MarianasuYCに帰って来たレース艇

24日、PM5時半にグアム、マリアナスYCのブイをとり上陸。事前連絡してあった入国審査官が待っていてくれた。事前にバリーとニューカレドニア在住の堀さんにはB2ビザが必要な事をアナウンスしていたが二人共取得していなくて550ドルの現場発給料金を一旦は請求されたが今回は特別な計らいで無料にしてくれる。娘の時はそんな温情処理は無かったがやはり係官の性格に負うところが大である。

続いてカスタムから連絡があり2時間待ってPM10時に手続き終了。疲れていたのでシャワーと簡単なラーメンで無事到着を祝う。

25日、本日の作業項目はレンタカーを借りること。ランドリーで洗濯をする事。腐らないものの買い物をする。

まずレンタカーを借りに行くがバリーの免許有効期限が切れていて30分掛けて私と堀さんの免許を船に取りに帰る。4日借りて一番安い140ドルの車を借りたら日本では車検も通りそうにないボロボロの車でマニュアル車で雨漏りはするは、途中でエンジンがかからなくなるなどまいった。夕食はタモンビーチ繁華街の炭焼き焼肉店で乾杯。

26日、今日はメモリアルデーで祝日。まずは車を替えて貰う。少しましなオートマチック車にしたら一日10ドルアップ。今日はシーツ、マットのクリーニングと船の修理に必要な部品を買いに行く。帰路、旗が一杯立ててある公園が目に付き寄って見る。第二次世界大戦時、日本軍占領していたグアムに米軍が上陸奪還したアサンビーチで1週間で攻略されたそうだが日本軍死者17000+に対し米軍は1880名、地元民の死者1170だったそうだ。
多分アメリカの国旗は1880本なのかな?と思ってしまう。

マリーナに戻るとサイパン、ロタ島迄のレース艇が戻ってきているところだった。3年前位にお世話になったマリーナコモドアのKellyBruceに連絡をとっていたが彼女もレースに参加していてめでたく再会出来た。彼女はゼロックスCO.に務めていてFB友達である。疲れているにも関わらずビール等差し入れて頂いた。