景虎

DUFOUR 325

鳥島 航海

2016-04-27 17:46:29 | Weblog

航海艇

航海ルート

28日から鳥島航海に出発します。この度のクルージングはは江戸末期に活躍したジョン万次郎が土佐清水から鳥島に漂着する迄を邂逅する航海になります。

使用艇は西浦マリーナのチャーター艇(ベネトー50F)で合計10名が乗船。
(航海艇の位置情報は景虎ブログ左画面のSPOTでご確認頂けます。)

天候が許せば6日に鳥島上陸、先に八丈島から漁船で上陸している鳥類居学者等合流。ジョン万生活した洞窟や信天翁の生態を観察します。

その後八丈島に向かい一部乗船者を下ろして解散となり西浦マリーナ帰港は10日頃を予定。なお鳥島上陸には環境省の許可が居るので無断で上陸すると罰則があります。
又、アホウドリは渡り鳥で上陸前に飛び去ってしまわないか少し心配!

いずれにしても人数が多いので食当も兼ねる私の負担は今から胃が痛いです。


帰宅

2016-04-22 22:23:03 | Weblog


20日、2時間遅れで関空に到着。空港に家内とクロウズネストの若尾さんに出迎えて頂く。久方振りに回転寿司、徳兵衛で夕食。美味しい!!

21日、姉宅で一緒に夕食、22日姉が通う乗馬クラブ JOY (ティンカーベル) まで車で送る。写真は姉の持ち馬 スタープラチナ。

ケアンズ到着

2016-04-20 11:12:07 | Weblog

ロジー&ブルース Doug and Barbie

Doug and Barbie宅



夜景

絵画 100合の大作です。

ただ今、ケアンズ空港で時間待ち。
心配していたポーとモレスビーも無事通過出来ました。

19日、4時起き4:30テンダー上陸、真っ暗でしたが幸い風無くホテル前でラバウル空港行きバスに乗車出来ました。

ポートモレスビー空港は5時間も待ち時間が有ったので荷物受け取りを早めて貰い、直ぐに入港手続きを終え出発ロビーから一歩も動かずなので安心でした。

ケアンズで瀬戸内ラリーで御世話になったロジー&ブルースに出迎えて貰い友人のDoug and Barbieと一緒に夕食をご馳走になりDoug 宅に泊めて頂きました。
高台にあるプール付きの豪華な家で眼下にケアンズの街明かりと海が広がっていました。Barbieは芸術家でとても絵画と陶芸が上手でボランティアで学校で教えて居るそうです。100号近い大作が家中に展示されていました。

こうして行く先々を素敵な人達にもてなして頂けるのもヨットが縁で知り合った方々です。
改めてヨッティー・フレンドに感謝です。

Kokopo移動

2016-04-18 18:58:27 | Weblog

Kokopoのリゾートホテル

ホテル前のブイに係留 無料

ディナー1

ディナー2

火 踊り

17日、首都Kokopoのリゾートホテル前のブイに移動。ディナー(70キナ/人 酒抜 約3500円)、&空港迄のバス予約(45キナ)。少しリッチな気分のディナーでした。

浜辺に行くとかがり火を焚いて居るので覗いて見る。観光客向けと思うが木を叩き歌のリズムに乗せて大きな焚き火の火を時々蹴飛ばしている。皆裸足だ。多分、火山に見立てた焚き火を鎮まる様に祈りをしていると想像。

明日19日にいよいよTOROAⅢ下船です。
4時起き、5時にホテルロビーで空港行きバス乗車、6時50分出発。ポートモレスビー国際空港でケアンズ行きに乗機、ケンズで一泊し、20日17時40分に関空到着予定です。治安の悪いPNGに一人旅、少し心細いです。

ラバウル観光

2016-04-16 14:37:06 | Weblog

地下 病院跡

子供達

女性

魚雷艇格納壕

ラバウル湾を見下ろす高台

大噴火前のラバウル写真

日本軍の墜落飛行機

火山近くの温泉

16日、ラバウル観光。二日前にダウンタウンに行った折りにAlbertと名乗る男が声を掛けてきた。日本語で名前を語り[私の名前はアルバート。ようこそラバウルに来て頂きました。]ビックリしたが日本語はそれだけでした。

ラバウル観光ガイドの勧誘だったが丁度バスで防空壕巡りしようとしていたので価格を聞いてみると60キナ(約¥3000/3人)と安いので依頼し本日8時半にヨットクラブに来たが車が無い。バスで観光案内するという。話が違うと言ったが通り掛かったバスを止めて交渉し3人で3時間、75キナでバスを観光タクシーにしてしまった。彼のガイド料は50キナに負けさせたが乗っていた客は通りがかりのダウンタウンで降ろし最初に訪問したのは、日本軍の地下病院跡地でした。

直径100m、高さ30m位の小高い山に奥行き100m位の洞窟を縦横に掘り、丁度蟻の巣状態で中は3層位になって居た。

次は直ぐ近くのコンクリートで固められた直径10m、奥行き100mの坑道に魚雷艇の様な船が5隻朽ち果てて保管されている。いずれも入場料一人5キナ徴収。出入り口には観光客目当ての土産物売り場が並ぶが客はいずれも我々だけでした。

次にラバウル湾を見下ろす地震観測所を訪れる。眼下に湾と火山が一望出来る素晴らしいロケーションで遠くにTOROAⅢと米国艇も見る事が出来た。

次に訪問したのは火山麓の温泉で此処には50人位の客が居たが我々は水着を忘れた為入浴は中止。道中やたら広い土地だったが以前飛行場の跡地で、戦後はゴルフ場になって居たが噴火で今はだだっ広い荒れ地になっている。

帰路、墜落した飛行機を見学。事故で墜落した日本軍の飛行機で多くの飛行機が他にも有るという。観光巡りと言っても其所はいずれも日本人の多くの血が流れた地で遠く本国から離れ無念の死を遂げた人達が偲ばれる。ご冥福をお祈りする。

観光途中、アルバートが歌を歌い出したが「ラバウル小唄」だった。私も合唱したが助手席の20歳位の男も歌ったのには驚いた。日本の若者でこの歌を知っているのは極少数だろう!

帰船してエンジンチェックすると二次冷却水が僅かに漏れている。もう一度、取付けホースを外しガスケット用のシリコンシーランドを塗って修理。書くのは簡単だが作業はクーラントを抜いて又、補給する必要があり根気と時間の掛かる作業でした。

ラバウル滞在

2016-04-15 21:46:25 | Weblog

ラバウル YC.

ラバウルホテル 奥に大砲が飾ってある

大噴火写真

ゴーシュと再会

山本ミュージアム

山本ミュージアム 防空壕入り口

防空壕の中

米国艇ファミリー
13日、Rodに教えて貰ったRabaul Yacht Clubから徒歩15分のRabaul Hotelレストランに出掛ける。此処で偶然にもNinigoで会ったオランダ艇のGhosにばったり会う。(仏艇と記載したがオランダ艇の間違いでした。国旗のデザインが同じで縦か横かの違いで間違えてしまいました。)

実はKaviengでも再会したが彼らはラバウル島のキンベイにダイビング行くと言って分かれたが今は別のクルーが来てGhosは下船し一人でラバウル観光を楽しんでいる所でした。一緒に食事をし分かれてからの出来事について歓談。料理も美味しく大正解でした。

ホテルには1994年に噴火した当時の写真が飾られていて街が火山灰に埋まっている様子が生々しい。この噴火で首都がRabaulからKokopaに移転しました。

14日、山本ミュージアム見学、日本軍の防空壕跡だが海軍大将「山本五十六」の名前が付いている。2年前に来た時には看板も無かったが整備されてゲストブックには1月に訪問し「PC.PIGEON]岩佐さん、藤田さん、春日井さんのサインを発見。来場者の半分は日本人でした。

15日、エンジンオイル&フィルター交換時に二次冷却水漏れ発見。ゴムホースの劣化に依るモノだが代替えパーツ無くホースクランプを替え強く締める事で何とか漏水を防ぐ。

イミグレで出国手続き終了後に軽油補給。PNGのGSスタンドは何処も凄くいい加減で驚く。まずディーゼル(軽油)とペトロ(ガソリン+オイル)、それに何に使うのかケロシンを販売していてガソリンのみの販売が無い。

ペトロもドラム缶から直接ポリタンクに給油しペットボトルでも販売している。我々は4本のポリタンク90Lとテンダー用のペトロ3Lを注文して支払を済ませたが間違えてペトロを給油されてしまい途中で気が付き入れ替えて貰ったが気が付かなければトンでも無い事故になるところだった。

金曜の夜だけはRABAUL YC.でディナーが提供されると聞き夕刻行く。此処でKaviengで出会った米国艇ファミリーと一緒になり情報交換。TOROAⅢが日曜日に行く予定のKokopaのアンカレッジ情報を入手。

大学生、高校生位の年代のファミリーだが勉強の方は大丈夫なのかな~と余計な心配をしてしまう。

ラバウル到着

2016-04-13 13:13:43 | Weblog

ラバウル湾 此処に大小100隻近くの日本海軍艦艇が眠る。

トロアの後ろに7年前に爆発した火山が見える

市場

ラバウルYC.でRodと歓談

4月12日、AM7時にラバウル到着。2年前を思い出す。此処までの道中は風が全くなく鏡の様な海面に星が映り、昔加山雄三さんが話していた銀河鉄道に乗って宇宙を旅しているかの様な時間が2時間程経験出来た。直ぐに雲が掛かってしまったが2年間の景虎クルージングでも経験する事が無かった体験。

到着後、早速ビールで乾杯。此処で私はトロアを下船してPortMoresby空港経由で帰国する予定で KieteからRabaulへの空港チケット変更して貰ったが航空チケットが無い。Am7時出発便で5時には空港に着いていないと行けない。治安がイマイチ、PNG貨幣を持っていない、英語が話せ無い等、此処からの一人旅の方が私にとっては大冒険になる。

4月12日,カスタムに行くがPM3時からしか役人が来ないと言う。15分ほど歩いてダウンタウに行き、キャッシュディスペンサーでPNG紙幣を入手、パンとビールを仕入れて帰船、夕方ラバウルYC.でシャワー後にバーでRodと歓談。

Rodはオーストラリア人だが此処ラバウルで生まれオーストラリアの大学を卒業後にラバウルに戻りケッチとトローラーをねぐらに一人で生活しているという。
 
彼の父は実業家でラバウルで大きな農園も所有していたり海運業もしていたらしい。終戦後、多くの日本人家族がラバウルに取り残されたが400人位の日本人を本土に送還したと語っていた。同じ日本人として感謝を述べる。

Negrie島

2016-04-13 10:17:57 | Weblog

Negrie島

Negrie島上陸

Negrie島上陸2

Negrie島上陸3

ポシリ奥さん

ポシリとロブスター

ロブスター10匹

◆4月4日、AM10時にNegrie島到着。此処でも日本人の訪問者は私が二人目だった。驚いた事に日本語で「有難う」を知っていた。PNGでもかなり外れた位置のNegrie島は昨年は3~4艇。今年はTOROAが初めてだそうだ。

NegrieはNinigoと非常にロケーションが似ていて海抜2~3mの低い島に椰子が茂る30程の島があるが、人が住んで居るのは二島だけで訪問した島には約300人がもう一つの島には200人が住んで居るとの事。

上陸して島を案内して貰う。横幅1Km,奥行き400m位か、家は床下が高く素材は茅葺き、トタン葺き、板、ボードの様な物とマチマチだ。

学校には4人の教師が居るが昨年、校長がクリスマスでBukaIS.に帰ったまままだ来ないと言う。理由を聞くと船便が無く来れないらしい。

Negrie上陸、昨日TOROAに来た一人はポシリと名乗り、電気関係のトラブルを修理出来る事。砂糖と米を持っている事等を告げると早速、公共ハウスの衛生電話と無線機、ポシリの自宅のソーラーパネル、GPSの修理を依頼される。流石に衛星電話は無理、無線機も電源が無いのでトロアに持ち帰って修理を試みるがこれも無理。GPSとソーラーパネルの修理は出来た。映画のコピーもUCBメモリーにコピーしてあげたがポシリが持っていたのはDVDプレーヤーで残念ながら映画も見られそうに無い。

翌朝、お礼にロブスターを10匹も持って来た。それもその中の2匹は頭の横幅だけで20センチは有ろうかと言う超大物。流石に鍋に入らないので胴体と切り離し頭も上からと下からを入れ替えて10匹を二つの鍋で1時間以上掛けてゆであげ、格納し易い様に頭部分や足をバラして大きなタッパウェアー4個に収めるのに2時間も掛かった。

服も20枚程、帽子二つ、米5Kg,砂糖3kgをお礼に上げる。私もJSAF東海パールレースTシャツ、新品タオル、歯ブラシ5本を提供。この島に初めて「日の丸」が描かれたTシャツが闊歩する姿を想像する。

◆4月8日、学校見学に行くと80名位の生徒が浜辺や運動場の木陰で勉強していた。我々が行くと急に集められ突然先生から挨拶してくれと言われる。殆どの生徒は日本人を見るのは初めてで日本が何処にあるか知らない。

日本を代表する気分での英語のスピーチに緊張するが、先生からの逆質問で日本の四季について聞かれ、なるほど此処は赤道直下で通年同じ気温で四季が無い。春の桜や夏の暑さ、実りの秋、寒い雪の冬と寒暖の差の大きさや、自然の美しさを紹介。ついでに東日本の大震災の事や世界中から援助して貰ったお礼を話すが単語を並べて居るだけなので何処まで通じたのやら、、。津波の大きさが30mもあり18000人もの人が亡くなったと話したら信じられない
様な顔をしていた。Negrieは台風も地震も津波も無く年中温暖で平和にゆっくりと暮らすには最高の場所だろう。刺激を求める人には退屈かも知れないが、、。

ついでにと学校のデスクトップPC2台が壊れているので見て欲しいと言われチェックして見ると配線のやり直しで1台は復帰、もう一台の修理は難しい。プリンターはHP社製だったが富士ゼロックス用紙が置いてあった。

夕方、先生4人がトロアにテンダー一杯の食料持参で遊びに来る。ココナッツジュース用20個、ミルク用10個、サトウキビ3本、葉もの野菜バケツ一杯、マンダリン30個、レモン20個、バナナ6房と此処の人達は加減と言う事を知らないのだろうか?


4月10日,予定を一日早めてラバウルに向け出港する為、上陸し住民に挨拶。日曜の礼拝が終わった後のリラックスしているタイミングで教師のセローンとリーダーのポシリが島を一周して案内をしてくれた。短い期間であっても一時でも心が通い合うと別れは淋しい物だ。パスの出口までカヌーを30分以上漕いで別れを惜しんでくれる。

当初予定のBukaIS.経由Kieteで下船ルートがNegrie島リーダーのポシリの情報で急遽ラバウル下船に変更になる。

ポシリがマリアンヌと話していると次回訪問先のBukaIS.は今は治安が悪い。2年ほど前にヨットが襲われ有金、PC,パイロットチャート、ソーラ等を強奪されたと聞き急遽Kieteをラバウルに変更したいと言う。

実はKieteの有るブーゲンビル島はBarry&Mariyanneが35年程前に働いていた事があり知人も居て安全だと聞いていたのでマリアンヌもビックリ。安全に超したことは無いのでラバウルに変更に異存は無いがやっぱりPNGは危険な国である事を改めて認識。

Kavieng

2016-04-01 20:07:34 | Weblog

市場の風景

アンカリング中のTOROAⅢ

カスタムレディーと

◆Nihigo⇒Kavieng約360マイル 3日間航海。3月28日~4月2日までKavieng滞在。此処は飛行場やゴルフ場、ダウンタウンも有るリゾート地だが人口も多く市場にも多くの人だかりがあり皆フレンドリーで挨拶をしてくれるが、びんろうを噛んで口は真っ赤っか、そこら中に赤い唾を吐くので街は汚い。野菜などの物価はNinigoの倍額だ。

Ninigoで会った仏艇がアンカリングしていて一緒に入国手続き。Wifiカードが2ギガで@8000円程と馬鹿高いのでネットを諦めていたがリゾートホテルで出会った英国人が携帯のシムカードを購入してネットを使うようにすれば半額になると教えてくれやっとネットが出来る様になるがデジセルの電波も気まぐれで直ぐに通信不能になる。

市場とダウンタウンで約3週間分の野菜食料ビールを調達し税関に出港手続き終了。リゾートホテルで夕食。昨夜リゾートホテルオーナーが市場の買い出しにリゾートの船で朝6時に迎えに来る事になっていたが一時間待っても来なかった。そう言えば今日はエイプリルフールだったのを思い出した。

次の寄港地はNuguriaIS,NissanIS,BukaISだがBuka迄はネットの繋がらない島への寄港なので暫く音信不通になります。

パプアニューギニア Ninigo島

2016-04-01 14:52:31 | Weblog

4度目の赤道通過

Ninigo島で出迎えてくれたオスカー&キャンベル

ラグーンに停泊のTOROAⅢ

Sailingカヌー

オスカー家

キャンベル家

夕焼け

手作りの墨壺

小学校(手前女子は瀬戸内ラリーTシャツを着用)

イースター祭り用のウミガメ

ロブスター



◆3月14日にパラオ出港、20日9時30分にパプアニューギニア(PNG) Ninigoに到着。6日間約900マイルのクルージングでした。風もダウンウィンドで夜も寒くなく快適だったが逆潮で2Kt位スピードロスしていたが予定通りの航海。

Ninigoは6家族80名位の島に上陸、沢山島が有るけれど人が住んでるのが7島で平均4~5家族位で50~60人位住んで居る。

島には電気は無くソーラーパネルとLEDランプで生活、英語と、ローカル語とPNG語を話し収入は無いが畑と漁業で暮らしている。この島はその昔、ドイツ領だった為西欧風の顔立ちをしている人が多い。皆親切で愛想も良く、和やかに笑って声を掛けてくれる。はやり貧乏でも貧富の差が無い事が平和には重要な事だと感じる。

パラオで知り合ったドイツ艇のカップルから、砂糖と米を持参すると野菜、魚、ロブスターと交換してくれると聞いて来たので1kg@200×10個、米25kg(@2500)持参したが毎日、砂糖をくれとカボチャやパパイヤ、バナナを持って来るが一度にそんなに貰っても困るのでカツオやロブスターと交換。最後は食事に招待してくれた家族優先に差し上げる。

学校には小学校、中学校、高校クラスがあるが生徒は各10名位。

マリアンヌはトロアに有った古着を36枚持参、一枚@2キーナ(約1$)で販売、売上金を学校に寄付していた。

約一週間居て(3/20~3/26)マスト灯の修理や学校のソーラー、バッテリー配線、家庭用LED修理等をしてあげてすっかり仲良くなってしまい。2家族から食事の招待をされたが蝿が凄く食欲半減でした。これだけ蝿が多いのに蚊はもゴキブリも居ないのが不思議でした。

別れ際にはココナッツオイル、木製フォーク、箸をプレゼントされハグハグのお別れになりました。

滞在中に仏艇(3名乗船)、オーストラリア艇(韓国人カップル)も入湾してきてそれぞれ情報交換し楽しく過ごす事が出来た。