さあ、今日からテンプレートの絵柄もリニューアルして、また題名も新しくしてお話して行こうと思います。
前回は2005年の僕の初めてのオリジナル作品の上演、「真夜中のレストラン」についてのエピソードをご紹介しました。
このブログの場を借りて、自分のささやかな演劇の経歴を語るに至ったのは、今年5月に多治見のまなびパークで公演した、演劇ユニット マーシュマロウ 第3回公演「ゆうすげ綺譚」の公演が終了して、1週間経ってのことでした。
最初は、簡単にその心境を話そうと思っていたんですが、ふとした僕の気まぐれな思い付きから、こんなに長く語ってしまうことになりました。
多治見で地元ラジオの仕事をさせてもらったのをキッカケに、高橋和子さんという方と知り合い、高橋さんが昔お芝居をやっていたということを知って、じゃあ一緒にやりませんかとお誘いしたのが、その2005年の夏のこと。
お話して1ヶ月余りで書き上げたのが「女房はシェイクスピアがお好き」という戯曲でした。
演劇ユニット マーシュマロウ という名称で、双方の家族も巻き込んで2006年5月に第1回公演を催し、翌2007年に第2回公演「帰りなむ、いざ」。
そして、今年の第3回公演「ゆうすげ綺譚」という運びになったのです。
仮にも表現することを生業とさせてもらっていますので、この芝居公演を趣味や道楽で続けているわけではありません。また文化芸術の担い手などと、大上段に構える気もありません。だからといって、こういった活動で、お金儲けを目論んでもいません(出来たらいいなと思うのは本音ですが、出来ようもない話でしょう)。また、今の経済至上主義の社会においては、これを仕事、ビジネスとも呼ばれにくいでしょうし、そう思われる傾向にもない。しかし僕は、この演劇活動を大きな意味での仕事、事業だと考えています。
1回から3回と、公演の数を重ねながら、僕らは僕らなりのハードルを上げ、そして、来て下さるお客さんの事を考えながら、芝居創りをしてきたつもりです。
今回特に考えたことは、私たちが生活する地域、いわゆる中央に対して地方と呼ばれる場所において、「演劇は必要か?」という問いでした。
この問いは中央地方、有名無名プロアマを問わず、演劇人がしばしば問うてきたことだと思います。
必要でなければ消滅し、必要ならば存続できる。その可能性をギリギリまで追求してみたいと思っています。
演劇が、あるいはメディアを通してのテレビドラマや映画というものが、すべて中央発信のものに依存しているだけ、ということで果たしていいのでしょうか。
私たちが私たちのものとして所有し、身近に体感するリアリティーの場を、僕は演劇空間において作り出して行きたいと思っています。
新しいコミュニティーの発想や、思考の循環としての演劇空間。それは与えられるものではなく、共に創り出していくものなのです。
なんて小難しい話はこれくらいにして、ようは芝居って大変だけど面白いですよ、観るのも創るのも・・・ということをより多くの方に知ってもらえたらというのがその第1歩でしょうか。
前回は2005年の僕の初めてのオリジナル作品の上演、「真夜中のレストラン」についてのエピソードをご紹介しました。
このブログの場を借りて、自分のささやかな演劇の経歴を語るに至ったのは、今年5月に多治見のまなびパークで公演した、演劇ユニット マーシュマロウ 第3回公演「ゆうすげ綺譚」の公演が終了して、1週間経ってのことでした。
最初は、簡単にその心境を話そうと思っていたんですが、ふとした僕の気まぐれな思い付きから、こんなに長く語ってしまうことになりました。
多治見で地元ラジオの仕事をさせてもらったのをキッカケに、高橋和子さんという方と知り合い、高橋さんが昔お芝居をやっていたということを知って、じゃあ一緒にやりませんかとお誘いしたのが、その2005年の夏のこと。
お話して1ヶ月余りで書き上げたのが「女房はシェイクスピアがお好き」という戯曲でした。
演劇ユニット マーシュマロウ という名称で、双方の家族も巻き込んで2006年5月に第1回公演を催し、翌2007年に第2回公演「帰りなむ、いざ」。
そして、今年の第3回公演「ゆうすげ綺譚」という運びになったのです。
仮にも表現することを生業とさせてもらっていますので、この芝居公演を趣味や道楽で続けているわけではありません。また文化芸術の担い手などと、大上段に構える気もありません。だからといって、こういった活動で、お金儲けを目論んでもいません(出来たらいいなと思うのは本音ですが、出来ようもない話でしょう)。また、今の経済至上主義の社会においては、これを仕事、ビジネスとも呼ばれにくいでしょうし、そう思われる傾向にもない。しかし僕は、この演劇活動を大きな意味での仕事、事業だと考えています。
1回から3回と、公演の数を重ねながら、僕らは僕らなりのハードルを上げ、そして、来て下さるお客さんの事を考えながら、芝居創りをしてきたつもりです。
今回特に考えたことは、私たちが生活する地域、いわゆる中央に対して地方と呼ばれる場所において、「演劇は必要か?」という問いでした。
この問いは中央地方、有名無名プロアマを問わず、演劇人がしばしば問うてきたことだと思います。
必要でなければ消滅し、必要ならば存続できる。その可能性をギリギリまで追求してみたいと思っています。
演劇が、あるいはメディアを通してのテレビドラマや映画というものが、すべて中央発信のものに依存しているだけ、ということで果たしていいのでしょうか。
私たちが私たちのものとして所有し、身近に体感するリアリティーの場を、僕は演劇空間において作り出して行きたいと思っています。
新しいコミュニティーの発想や、思考の循環としての演劇空間。それは与えられるものではなく、共に創り出していくものなのです。
なんて小難しい話はこれくらいにして、ようは芝居って大変だけど面白いですよ、観るのも創るのも・・・ということをより多くの方に知ってもらえたらというのがその第1歩でしょうか。