酒蔵に勤め始めて、約1年半。まだそれだけしか経っていませんでしたが、そのうちに蔵の中の顔ぶれも、少しずつ変わり、ちょっとは責任ある仕事も任されるようになっていました。
日本酒はその年仕込まれた原酒がタンクに何リッターと貯蔵されています。そのアルコール度や甘口か辛口かの度数を分析して、出荷できるアルコール度にするべく、水で割ります。ほら、日本酒のラベルなどに16度未満とか表示されてありますでしょう。何度から何度までならOKというように、少しアバウトな数字になっていますが、そこは僕の勤めていた酒蔵の規模だと、本当に手作業ですから匙加減なんです。ですからその範囲に収まるように計算をします。すべて税務署に報告するべく、リッター数を記さなければいけませんから、誤魔化しは許されません。
そして、そのお酒のタンクに適量の炭素(粉末状の炭ですね)をまぜて、濾過機を通して、濾過する。そうすると、皆さんが良く見慣れている、透明度の高い清酒になります。それを加熱殺菌して、壜詰めパック詰めと製品化していくわけです。
僕はその分析を任されていました。え、1年半で?と思われるでしょうが、本当にベテランの人たちが辞められて、わりと新しい人ばかりになってしまったのです。
2シーズン目の仕込みの冬を経験し、ある程度仕事の内容も飲み込め、その面白みがわかり始めた2年目の夏、僕はまたしても、ぶっ倒れてしまいました。暑さに対するトラウマというのもあったかもしれません。また去年のような猛暑だったらどうしようという、恐怖に身体が敏感に反応してしまいました。それに、1週間に1度ほど整体に通うということもしていましたが、腰と背中が限界に来ていました。
「徹底的に検査して悪いところを直して元気になって来い」と、社長に言われましたが、この状態で普通の30そこそこの成人男子に回復させようと試みるには、今の労働をしながらでは無理だろうと思いました。
もう病気のことは言わないと、前回か前々回だかに言いましたが、それではあまりにこのブログを読んでおられる方には解りずらいので説明しますが、もともとは脊髄と脊髄の間の軟骨が磨り減ってしまった椎間板ヘルニアの一種を患っていました。が、それにプラスして背中すべり症(肩甲骨の辺りの脊髄部分に痛みを感ずるもの)。そして、頚椎も痛めていたのですが、それにもましてパニック障害の諸症状に長年見舞われていたのです。それで前回の終わりに、不定愁訴と言う言葉も登場させてしまったのです。
もちろん前にも行ったように、病気なんてないと思えばないんです。僕にそう言わしめるのは、病いは気からだと本当に思うからです。けれどそれがコントロールできない。とてもとても難しいことなんです。パニック障害は、その発作時の条件が重なっただけでも、当初は発症していました。
現在病気されている方がこの文章を読まれたら、随分乱暴な言い方で納得行かないと思われることと思います。その通りだと思います。ごめんなさいね。でも、決して諦めないでくださいね、前向きに病気と付き合ってみてください、治りますから・・・。殊にパニック障害を患っておられる方、決して諦めないでください。必ず治癒しますから。もがかないで闘わないで、あなたの信じられるものを信じてください。例えば傍にいてくれる愛する人のこと。一所懸命に力になってくれる、信頼できるお医者さんがいらっしゃれば、その人を信じて、前向きに生きていってみてください。また話が逸れましたね、今日はここまでにしておきます。
日本酒はその年仕込まれた原酒がタンクに何リッターと貯蔵されています。そのアルコール度や甘口か辛口かの度数を分析して、出荷できるアルコール度にするべく、水で割ります。ほら、日本酒のラベルなどに16度未満とか表示されてありますでしょう。何度から何度までならOKというように、少しアバウトな数字になっていますが、そこは僕の勤めていた酒蔵の規模だと、本当に手作業ですから匙加減なんです。ですからその範囲に収まるように計算をします。すべて税務署に報告するべく、リッター数を記さなければいけませんから、誤魔化しは許されません。
そして、そのお酒のタンクに適量の炭素(粉末状の炭ですね)をまぜて、濾過機を通して、濾過する。そうすると、皆さんが良く見慣れている、透明度の高い清酒になります。それを加熱殺菌して、壜詰めパック詰めと製品化していくわけです。
僕はその分析を任されていました。え、1年半で?と思われるでしょうが、本当にベテランの人たちが辞められて、わりと新しい人ばかりになってしまったのです。
2シーズン目の仕込みの冬を経験し、ある程度仕事の内容も飲み込め、その面白みがわかり始めた2年目の夏、僕はまたしても、ぶっ倒れてしまいました。暑さに対するトラウマというのもあったかもしれません。また去年のような猛暑だったらどうしようという、恐怖に身体が敏感に反応してしまいました。それに、1週間に1度ほど整体に通うということもしていましたが、腰と背中が限界に来ていました。
「徹底的に検査して悪いところを直して元気になって来い」と、社長に言われましたが、この状態で普通の30そこそこの成人男子に回復させようと試みるには、今の労働をしながらでは無理だろうと思いました。
もう病気のことは言わないと、前回か前々回だかに言いましたが、それではあまりにこのブログを読んでおられる方には解りずらいので説明しますが、もともとは脊髄と脊髄の間の軟骨が磨り減ってしまった椎間板ヘルニアの一種を患っていました。が、それにプラスして背中すべり症(肩甲骨の辺りの脊髄部分に痛みを感ずるもの)。そして、頚椎も痛めていたのですが、それにもましてパニック障害の諸症状に長年見舞われていたのです。それで前回の終わりに、不定愁訴と言う言葉も登場させてしまったのです。
もちろん前にも行ったように、病気なんてないと思えばないんです。僕にそう言わしめるのは、病いは気からだと本当に思うからです。けれどそれがコントロールできない。とてもとても難しいことなんです。パニック障害は、その発作時の条件が重なっただけでも、当初は発症していました。
現在病気されている方がこの文章を読まれたら、随分乱暴な言い方で納得行かないと思われることと思います。その通りだと思います。ごめんなさいね。でも、決して諦めないでくださいね、前向きに病気と付き合ってみてください、治りますから・・・。殊にパニック障害を患っておられる方、決して諦めないでください。必ず治癒しますから。もがかないで闘わないで、あなたの信じられるものを信じてください。例えば傍にいてくれる愛する人のこと。一所懸命に力になってくれる、信頼できるお医者さんがいらっしゃれば、その人を信じて、前向きに生きていってみてください。また話が逸れましたね、今日はここまでにしておきます。