ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

走り梅雨でしょうか・・・。

2009-05-31 12:27:37 | Weblog
 走り梅雨でしょうか、なんだかはっきりしない天候が続きます。
 今日で5月も終わり、5月最後の日曜日なのでもありますが、気分も身体もどんよりとして、あまりはきはきと動けません。まあそういう日もありか、というところで、ゆるゆるしてますが、でも公演が間近いので、午後からは稽古に励まなくては・・・。

 さて、スパーマーケットではもう梅の実もとっくに売られているようですが、例年の習いで、我が家の梅の実の収穫も、それを漬けるのも梅雨時を待ちたいんです。
 しかし、天候の変化でやはりその時期は早くなっているんでしょうか? うちの母親は大正生まれですので、梅をもぐのは梅雨が明けてからに決まっているといいます。けれど、それを待っていたら熟れ過ぎてしまうことにもなりかねません。
 実際かなり大きくなって、いい頃合に育ってきているのです。

 農作業なんか、種の播きどき、収穫時というのはだいたい同じような時期にやられていると思うんですが、私の住む中山間地も今はかなりズレてきているんでしょうか?

 

中川李枝子著「ももいろのきりん」

2009-05-30 13:15:18 | Weblog
「ぐりとぐら」や「そらいろのたね」などたくさんの名作を生み出している童話作家 中川李枝子さんの「ももいろのきりん」をずいぶん久しぶりに読みました。

 この本の初版発行は、1965年7月1日となっています。私の生まれたのは1960年ですので、そう。ちょうど幼稚園の時に、まだまだ生まれたてのこの本を、読んでもらったと思うのです。いや、読んでもらったんじゃないかと・・・。

 実は最近読み直すまで全く忘れていたんです。
「エルマーの冒険」や「エルマーと16ぴきのりゅう」は、しっかり読んでもらっていた記憶があるんです。黄色と青のシマシマの竜をお絵かきした記憶もなんとなく残っています。
 
 しかし、「ももいろのきりん」はまったく忘れ去られていました。でも、読んでいきながら、少しずつ思い出していきました。

「ももいろのきりん」は、るるこちゃんがお母さんから大きなももいろの紙をもらうところからはじまります。るるこちゃんはその紙で、きりんを切り抜いて作ります。前足を長くしすぎて、後ろ足がたりなくなったので、前足を半分にして、後ろ足にします。そしてシッポは、るるこちゃんが頭に結んでいたももいろのりぼん。

 そうそう、そうだった。この話を読んでもらってから、幼稚園児だったわたしたちも紙を切り抜いて、きりんやどうぶつたちを作ったりしたよな、確か・・・。

 このあとももいろのきりんのキリカの背中に乗って、るるこちゃんはクレヨンの木のある山へと行き、きいろいさるやそらいろのうさぎ、ぶどういろのりすやクリームいろのきつね、チョコレートいろのひつじやあおいいろのうま、きいろいぶた、あかいたぬき、そしてあかいりぼんのようなへびに出会います。が、みんないろがはげていたりよごれたりしています。

 るるこちゃんとキリカが、山のてっぺんのクレヨンの木からクレヨンを取りに行こうとすると、みんなはくちぐちにとめようとします。
 だめだめ、クレヨンの木のところには、オレンジいろのいじわるなクマがいて、クレヨンをとらせてくれないというのです。

 それから、キリカがオレンジいろのクマをやっつけて、みんなを綺麗にクレヨンで塗りなおしてあげて・・・とまぁそんな話なのですが、どうしてこのお話が私の記憶から抜け落ちてしまったのか? 色々と考えてみました。

 私は幼い頃より絵を描くのが好きでした。しかしそれはもっぱらクレヨンや色鉛筆ではなく、鉛筆で、でした。もちろん、クレヨンも持っていたし、色鉛筆ももっていましたし、それでも描きはしました。でも鉛筆が一番好きでした。鉛筆で細かく丁寧に描くのが得意でした。が、色を塗るのは苦手でした。

 私は色弱の検査で、緑色や茶色などの中に赤系統の色が混ざると、赤系統が消えてしまう、色弱だといわれました。それと関係してか色コンプレックスが私の中に芽生え、赤系統に限らず色を覚えられない子供になりました。もちろん原色の赤や黄色、青などははっきりとわかりますが、中間色など今でもとんでもない色を言ったりすることがあります。

 友達や親にあれは何色? とか家具や建物、動物や鳥などを指差されて聞かれると冷汗が出て、わかっているものでも答えられないようなことがありました。

 おそらくこの「ももいろのきりん」でも同様のことがあって、色がわからなかった、答えられなかったということがあったのでしょう。
 私の中からるるこちゃんとキリカは消えました。

 40数年ぶりに私のなかにによみがえった「ももいろのきりん」というお話は、とても優しく、その頃の私を包んでくれたように思いました。

 そのほかにも私は左利きで、母に治すようにいわれたりしましたが、どうしても右利きにはなりませんでした。なぜ使いにくい利き腕を使ってはいけないのか、幼いながらに納得がいかなかったのだと思います。私は頑固な子供でもありました。

 人はいろんなコンプレックスを抱えているものです。他人から見ればなんでもないようなことが、大問題であったり、ずっと心の中の棘として残ってしまったりするものです。
 
 それが何十年前のことでも、もう遅いということはありません。その頃の自分に戻って、自分で自分の棘を抜いてみてください。方法は様々だと思いますが、まずは子供の頃の自分はどう思っていたかを思い出すこと・・・。

 あんがい親になって、自分の子供がそれを教えてくれたりすることもあります。子供は親の鏡です。
 まあ、素人療法ですが、私はこれらのことをセルフカウンセリングと、勝手に呼んでいます。

 また自分史みたいなものを書いて、むかしの自分を思いだし、その時々の自分を許してあげたり、また自分を傷付けたと思われる他者を許したり、その逆で、自分が傷付けたと思われる他者に許しを請う。そんなことをやってみてはどうでしょう。それは直接でなくてもかまいません。心の中でいいんです。
「ごめんなさい」って心から言うんです。なんだか気持ちが軽くなって、楽になりますよ。
  

5月28日(木)天候 雨。

2009-05-28 10:57:49 | Weblog
 もうすぐ6月になりますが、今日は雨で少し肌寒く、なんだかもう梅雨のような感じのする朝です。
 
 そんな雨模様の天候にもかかわらず、庭の木々には雀たちが飛んできていて、家の北側に面する竹薮のほうからは、うぐいすとホトトギスが互いに鳴き合っているのを耳にしました。
 世の喧騒、世事の喧しさからは遠くはなれたような、のどかな朝です。

 昨日は市内の幼稚園で、お母さん向けの絵本の読み聞かせ(読み語り)の口演というか、講演といいましょうかを、1時間ほどしてきました。
 自分の経験談や、これまでの実践や、その中で感じたこと学んだことをわりとまとまりなくランダムに語らせてもらってきました(いつもそうですが)。

 その中で感じたことを一つお話します。
 
 私は私の住んでいる町に限って、ボランティアに近いかたちで、読み聞かせや子育て支援事業に参加させてもらっています。
 私にしっかりとした副業や収入源があれば、もっと無償なかたちで力を入れたいジャンルの事なのです。が、それにも限界があって申し訳なく思うのですが、そこのところはこれからも継続させていくために、しっかりしていかなければいけないところだと考えています。

 さて、お話したいのはそんなことではなくて、時間についての観念、あるいは意識についてです。

 私は本当に世界中の子供たちが、1日に15分誰かから(親であることが一番ですが)読み聞かせなり語り(お話)を聞けたなら、おそらく世界は大きく変わるだろうと、本気で考えている一人です(当然世界ということを口にしてしまうと、現状からして夢のような話だとは、百も承知で言っています)。

 そこにはどうしても、現実的な時間の消費、あるいは1日の時間配分のサイクル等が関わってきて、大人の観念や意識に左右されていきます。

 忙しさの中に埋没しない、オアシスのような15分の捻出を、本気で考えてみてはどうでしょうか。これは、どの場所においても等しくあっていいものだと思います。

 前に様々な学校で、朝の10分間読書というのが盛んに行われた時がありましたが、今はどうでしょう? あれはゆとり教育というものの中でのことだったんでしょうか? 学力重視の方向に再転換された現在の状況では、もう捻出できない、過去のものとなりつつあるのでしょうか? そこのところはよくわかりませんが・・・。
 とにかく家庭でも、その10分、15分なりを創り出して行くことは、とても重要なことのように思えてなりません。

 幼少期や低学年期には、漢字のドリルや学習としての読み書きよりも、読み聞かせと言うものの担う役割は、大きいのではないのだろうか。もちろん、学習面を否定するものではありません。しかし、子供には遊びや楽しい中から学び取っていくこと、発見していくことが多々あって、それが体感としての学習能力に結びついていくのではないかと(お勉強も、苦痛なものではなく楽しいこととして子供たちに植えつける魔法のようなものがあれば幸いなわけですが)。
 私は素人ながらに考えるのです(素人というのは教育者というライセンスを持たないと言う意味です)。子供たちの学習能力、想像力、思考力を高めていくための最良の道は何かと・・・。

 教育に格差をつくってはダメだと思います。落ちこぼれを出さない教育を目指すべきです。
よりよい社会の確立は、学力の向上というよりも教育力の向上であり、一人一人の子供の教育水準の底上げではないでしょうか。
 教育とはお行儀や公共のマナー等、私たちが社会人として最低限に見に付けていく本来の道徳意識も含まれているのだと思います。各教科の学習だけではないと思います。

 理想論や夢物語を話しているつもりはありません。今何が本当に大事なことかを私なりに真剣に考えているつもりです。その上で出来ることはなんだろうかと・・・。
 極端から極端に走らない柔軟性を身に付けて、メンタルな面において、強く豊かな子供たちを育て上げていくのも、立派な教育だと考えるのですが・・・。

 子供には子供の時間というものが流れています。いや、かつてはあったというべきでしょうか。今は大人の社会の時間の仕組みを、子供たちにも押し付けているように思えてなりません。

 かつて、大人の世間があるように子供には子供の世間というものがあって、その領域を侵さないという暗黙のルールが、大人の世間にはあったと思います。
 それも一つの文化として私たちは共有してきたはずなのですが・・・。

 まずは子供の目線に立って、伴に楽しむ1日15分の読み聞かせの時間、創り出して見ましょうよ。もちろんとっくにやっていると言われる方もおありでしょうが、この15分はどの時間にも匹敵しない、違う流れを持った15分です。 

 読み聞かせや読書は、決して時間の消耗や浪費ではありません。目には見えない蓄積と構築なのです。

5月28日は旧暦の5月5日ということで・・・。

2009-05-27 23:13:27 | Weblog
 あと38分ほどで日付が変わりますが、明日28日は旧暦の端午の節句ということで、我が家の五月人形はまだ出たままになっています。
 西暦の5月5日は芝居本番前で、その準備に時間を費やしていたので、遅まきながら明日端午の節句を祝おうかと。と言って何をどうということもなく、我が家にはもう子供と呼べる年齢の子もいないので、世の中のすべての子供たちの健康と幸福を祝おうかと思います。

 普段は太陽暦で生活している私たちですが、もともとの日本人の暮らしに馴染んでいて身体のサイクルにも合っているのは太陰暦ではないかと。
 二十四節気というものが太陰暦のもので、立春や夏至、冬至というものが旧暦の日付の上でしっくりくるものではないのかと・・・。

 だから何というほどのことかもしれませんが、意外と健康管理というものが月齢の上に調えられたりするということも、あるかもわかりません。

 と書き込んでいるうちに、28日までにあと6分という時間になりました。おやすみなさい

母校の皐月

2009-05-26 11:00:24 | Weblog
 今年の3月1日を持って閉校した私の母校、恵那北高等学校。その最後の文化祭が去年の秋に行われ、足を運んだのですが、そのとき記念にもらったふた鉢の皐月の苗木が、今花を咲かせています。
 
 校舎の周りに植樹された皐月の木々によって、母校の建つその地は皐月台(こうげつだい)と呼ばれました。

 今誰もいなくなった学び舎の周辺に皐月の木々たちが、ひっそりと無数の花を咲かせているのかと思うと、少し切ない気持ちにもなりますが、でもこうして私の手元でその子孫たちは命を受け継ぎ、綺麗な花を咲かせているのです。

 私は思います。あの学び舎のことを誰も忘れられないような、心のモニュメントを築けないものかと。
 私は夢見ます。あの学び舎を語り継ぐ、心の物語を創り出せないかと。
 きっといつか、きっといつか・・・と考えつつ今日も、かわいい花びらを見つめています。

「調べは、アマリリス」舞台写真No,2

2009-05-24 16:22:35 | Weblog
 昨日はといいますか、今朝方はいきなり銀平の写真を載せてしまいましたが、これは5月9・10日に上演した演劇ユニット マーシュマロウ 第4回公演「調べは、アマリリス」で私が演じた役柄の写真です。
 
 病気休職中の小学校教師山科澄子の家の6畳間が、この芝居の舞台となります。
その狭い部屋に、澄子の娘で、臨月を迎えるかなめが登場し、あと甥の銀平(私です)、澄子の元上司高梨斗志男、助産師の林沙織と言った面々が出入りして、5月3日の朝から晩までの出来事が、ストーリー展開していくお芝居です。
 
 その全景のわかる写真を・・・。
 

待望の畑仕事。

2009-05-22 17:49:15 | Weblog
 遅まきながら、昨日は畑仕事にいそしみました。
 何日かまえに、まず草刈をして土を起こしてはおいたのですが、その間に雨が降ったので、草はまた伸びかけては来ていましたが、そこは目をつぶり、去年から作っていた生ごみの堆肥で出来た土を使って、二種類のトマトの苗と、きゅうりの苗を植えました。

 きゅうりの苗の手にするネットをケチって、プロの農家で使うような網の目の粗い、長いネットにしたためにかえって手間取りつつ、午後からの作業も日の翳る頃には何とか目途が着きました。

 ちょうどその頃、我が家の後方に広がる藪の向こうの河原の辺りから、今年初めてのホトトギスが鳴きはじめ、初夏の夕暮れの風情が、慣れない肉体労働に軽い疲れを覚えた私を包み込みました。

 このあと一般的には食前にキュッと一杯ビールをあおるのでしょうが、晩酌という習慣のない、付き合い以外は酒類を口にしない私は、畑仕事と並行して仕込んでいたおでんを、妻と二人で囲んでいつもよりやや遅い夕飯をとったのでした。

お隣の庭に・・・。

2009-05-21 15:31:21 | Weblog
 最近玄関の黒い敷物の上に、ミツバチが何匹かうずくまっていたりしていたので、このミツバチは何処から飛んでくるのだろうと思っていましたら、お隣の庭からの飛来でした。

 我が家は一段低い土地に建っているので、2~3メートルくらいの石垣の上にお隣の庭があります。その隅っこの木陰に巣箱が設置されてありました。

 どうも養蜂家の方に頼まれて置かれているみたいです。
 近頃世間ではミツバチが姿を消してしまうということが言われていたので、ああミツバチいるなぁ、と眺めていたのですが。

 蜂蜜を採取するミツバチと、種付けに放たれるミツバチでは、同じではないんでしょうか? 女王蜂が輸入品として海外から入ってくることも余り知らなかったので・・・そっち方面に暗い私です。

 去年はアシナガバチ(だろうと思っているんですが)が軒先に巣を作って、取り払ってしまうのもかわいそうだと思い、そのままにしておいたんですが、うっかり黒いTシャツを着て下を通り、スクランブルをかけられて、2度程刺されました。
 それでも8月まではそのままにしておいたのですが、花火の夜に来客を迎えることになり、止む無く完全防備の服装で、近くの藪まで巣を運んだのでした。
 このことは去年の夏のブログに載せたのかな? 

 ああこうして歳を取っていくんでしょうか? 皆さん私が近いスタンスで同じ話題を頻繁にブログに載せ始めたら、どうか指摘をお願いします。

 同じ人に2度同じ話をしないようにしようと心掛けているのですが(もちろん仕事上何時も同じ話を繰り返し語ってはいますが)、84歳の母親にその話さっき聞いたばかりだよ、なんて言えなくなってしまいます。母は認知症ではありませんが、物忘れはいっぱいあるようになって、昔はよく知っていたことを、知らないと平然と答えます。
 息子としてはそんな母の繰り返しの話を、いつも新鮮に「へえ~そう!」と聞ける忍耐力を養わなければいけないと考えていますが、中々思うようにはいかず「それはさっき聞いたよ」と、言ってしまいます。

 子供の頃、同じ話を繰り返し繰り返しせがむ子にしてやった忍耐力と、同じものを要求されているように思う今日この頃です。
 話がかなりそれていってしまったようなのでこのあたりでやめます。
 最後に一つだけ、山や野に出かけられるときは、黒い服装はやめましょうね。白っぽくて、あまり肌の露出してないものがいいです。もちろん虫の苦手な方は、虫除けスプレーをお忘れなく。
 蜂は無闇に怖いものではありません。

 

ジャズシンガー原田芳雄!

2009-05-20 09:57:32 | Weblog
 私の子供の頃からの憧れの人、俳優原田芳雄さん。今朝は久しぶりに彼のアルバム「exit」を聴きながら身体を動かしています。
 最近もドラマでちょくちょく御見受けしますが、なんといっても私たちの世代にとってはATG映画の原田芳雄さんでしょう。
「竜馬暗殺」凄かった。

 私がちょうど東京にいた頃、下北沢本多劇場の杮落としのいっかんだったかと思いますが、原田芳雄ジャズリサイタルというのがあった記憶があって、そのラインナップには、松田優作さんのライブもならんであったような・・・。
 残念ながら、お芝居のほうの杮落とし3作品は観たのですが、そちらの方のチケットは買うことが出来ませんでした。

 今もって入手出来ない「exit」以外の彼のアルバム。たしか清水邦夫作品の舞台で、原田芳雄「タクシードライバー」という曲が歌われていた気がするんですが、あれは岸田今日子さん主演の「火のように淋しい姉がいて」だったでしょうか? 思い出せません。
 もう今は歌手としての活動はされていないのかな? 田舎暮らしは情報が乏しいです。