ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

ふきのとうを摘む

2010-02-28 17:11:30 | Weblog
 日当たりの良いところにふきのとうが出ていました。我が家の敷地からはちょっと外れたところですが、5つほど摘み採らせてもらいました。
 その横には野蒜もかなり背を伸ばしていて、ちょうど梅の花の咲き始めるころ、もう旬です。
 そう、我が家の梅の木もここのところのポカポカ陽気に花を開き始めています。

 ふきのとうは、さっと茹でて味噌と和えてふきみそ、そしててんぷらなど美味しいかと思います。
 野蒜は生で、味噌を付けてかじるのが定番ですが、ちょっと匂いとかクセが強いと思えるなら、これもてんぷらでいただいてみてはどうでしょう。わけぎみたいにぬたにするのも手かな?
 山菜の季節のはじまりに、春をいただく幸福。けれどマナーは守らなくては・・・・・・。
むやみやたらに採らないこと。余所様の土地、山へ入って採らないこと。そして採り過ぎないこと。また山や林を荒らさないように心掛けたいと思います。
 山菜は自然からの春の恵みのおすそ分け。

 本当にこの十年くらいの野や林の瘠せ方はひどいです。

水仙の葉が・・・・・・。

2010-02-27 09:12:54 | Weblog
 雨上がりの今朝、庭の片隅に水仙の葉が3㎝からから5㎝ほど地面から顔を出していました。少しずつ少しずつ春は確かなものになりつつあります。
 我が家の庭の水仙は八重の花を咲かせますが、例年決まって花を咲かせてくれるわけではありません。なにしろなんの手入れも肥やしもやらないずぼらな主人ゆえ、ほったらかしにしているものですからしょうがありません。

 しかし、ここのところ秋に樹木の手入れを少しばかりして、刈り込んであげた所為で日当たりがややよくなって、このごろはぽちぽちと花を見せてくれるようになりました。
 さあ、今年はどうなのでしょう。これからふきのとうが顔お出したり、土筆がでてきたりと楽しみな季節を迎えます。
 ということはまた草草も勢いを増して伸び始めるということです。やれやれ・・・・・・。

雨の日に思うこと

2010-02-26 15:25:34 | Weblog
 今日は久々に雨の日になりました。気温10℃以上ある寒くない雨です。
 昨日はこれも久しぶりに詩なぞを書きましたが、むかし書いた詩の中で雨に関するものは、みんな暗くてジメジメしたものばかりだったように思います。

 日本人は雨の日を、天気が悪いと表現します。これは年間を通して雨量も多く、梅雨時など雨で毎年被害を被る国民性だからなのかもしれません。
 あまり雨の降らない国や地域にとって雨は天の恵みであって、雨の日に天気が悪いなどということはないのでしょう。

 慈雨や穀雨などといったことばもあり、旱魃日照りに際した時は、雨に恵みや救いを感じますが、どうも平時は雨を良としないのが普通のようです。

 たしかに雨の日はなぜか憂鬱で、気持ちも湿りがちになる人が多いようですが、先日雨の日の方が心が落ち着き、潤うように思える。という人がいたので、へええそうなのかと思いました。
 人は思いひとつでガラッと状態が変わっちゃうので不思議です。

 今度から雨の日に、ああいい天気! っていってみようかな? 心の中の景色が変わって見えてくるかもしれません。

薄曇の空の2月

2010-02-25 12:53:30 | Weblog
 薄曇の空の2月は
 白川公園の冷たいベンチにもたれる
 19歳のワタシの背中
 ブラスバンドの行進と
 上空に飛ぶヘリコプターの
 微かにとどくプロペラの音

 乾いた風の巻き上げる
 白い砂埃と 
 その風に乗るソプラノの声 
 おし止められない時の移ろいに
 埋没の文字を刻む
 ささくれた指の砂まみれの爪

 歩き出せば惰性に進む足の運びを
 妨げる人の流れもないままに
 水曜日の午後の歩道は
 何処へ行くのか
 何処へ続くのか
 伏見通りの行くてに翳むぼやけた春の哀しみ
 19歳のワタシの目にうつる
 かたちのない幻影
 どこまでも終わりのない 薄曇の空の2月 

今年はじめての散髪 2

2010-02-24 09:58:48 | Weblog
 そのおじさんの職人さんが嫌いだったわけではない。おじさんは子供好きのいいおじさんだった。けれど、幼い子供とはいえやっぱり男だ。若いお姉さんにやってもらいたい。

 この当時この店には若い女の理容師さんが2人いた。1人は通いのもういっぱしに仕事の出来る人。もう1人は住み込みの見習いのお姉さんで、働きながら理容学校に通い、これから資格をとる人だった。なので、たいしたことはできない。椅子に坐って客をてるてる坊主状態にするまでの準備か、せいぜい洗髪くらいだったろうか。
 
 だから、誰の手にかかっても最初から最後まで1人の人がみなやってくれるということはなく、カミソリをあてるときはもう1人のお姉さんに変わったり、そうして仕上げは必ずこの店の主人が手を入れて、小さなホウキで身体を払ってくれ、ハイ出来上がりという運びとなった。

 小学校中学校と進むにつれて、この店の理容師さんも様々に変わっていった。お姉さんは結婚したりして店をはなれ、男の職人さんも独立して店をやめていった。
 私の髪型もその時々の理容師さんによって多少の変化をさせながら、ただ髪を切ってもらうだけではなくこだわりを持って注文する年頃になっていった。

 ふるさとを離れて、はじめて違う床屋さんに行ったときの心細さと、あのうしろめたい思いは今でも忘れられない。

 そんな私が先に述べた事情で理容店にいけなくなり、妻にしてもらうようになった。
 それからこの8年くらいは、あることをキッカケに私の幼いときからの友人のお母さんに髪を切ってもらうようになった。
 友人のお母さんはむかし理容師さんだった人で、二ヶ月に1度くらいの間隔で、お宅を訪れて散髪してもらうようになったのだ。

 2月23日今年はじめての散髪をしてもらったわけだが、散髪してもらいながら鏡をのぞいて、白いものが増えボリュームもなくなったなぁとつくづく思った。
 10年くらい前まではいつか自分も、月に1度くらい余裕で理髪店に通えるような身分になりたいものだと、ささやかな思いを抱いていたものだが、いつしかそんな思いもどこかに消えている。今の自分があたり前のこととして繰り返されてあるということか。
 おそらくやってもらえる限りは、友人のお母さんにこれからも散髪してもらうだろう。
 しかし、いつかは生まれて以来通い続けたあの理容店に行ってみたいと思うことがある。

 むかし床屋さんは町の社交場、まさにサロンだった。いろいろの大人の話が聞け、また自分もいろんな話に花を咲かせた。今の時期なら今年のプロ野球、贔屓の球団のどの選手の仕上がり具合がよくてとか、新人選手の話題に花を咲かせたものだ。もちろん時事問題も話題に上ったりした。

 ひとつひとつ人と人との繋がりが希薄になって行く世の中に、何を持ってつなぎとめられるだろうかと、思う日々である。
 ブログもメールも、やっぱりきめ細かな会話や対話にまでは至り得ない。<おわり>

 

今年はじめての散髪 1

2010-02-23 15:02:07 | Weblog
 行き付けの理容店に行かなくなって何年になるだろう。いや、正確にはいけなくなってというのが正しい。
 家計費のなかから散髪代を捻出するのが難しくなったからだ。
 
 子供のころから床屋さんに行くことはまったくもって当たり前のことで、幼少期からそれほど裕福な家庭に育ったわけではなかったにもかかわらず、散髪は積極的に奨励され、月に1度の頻度でも親はよろこんで散髪代を出した。

 それほどに髪を長くする、不精にすることを親たちは嫌っていたのだが、私としてみれば必ずしも毎度よろこんで行っていたわけではない。
 しかし、散髪を嫌がり泣き叫ぶよその幼児とは一線を画して、なんと愚かな子供らよと嘲笑ういやな子供でもあった。
 むかしの理容店の店員(職人)さんは、白衣を身に着けていたので、要するにお医者さんと間違えられたということなのだろうが、こっちとらは乳児のころから病院には通いなれ、ちっとやそっとの注射くらいでは泣かないような病気慣れした子供だったし、なにより床屋さんは近所で顔見知りだったんだから、泣く理由がなかったのだ。

 ただその理容店にひとり年配の職人さんがいて、その人の腕にかかるとやや古臭い子供の髪型に刈られてしまうことが多大な心配事で、行くには行ってもそのタイミングがあるのだ。つまり、そのおじさんに当たらない順番に待合の椅子にかけなければならないのだった。<つづく>

今日は猫の日

2010-02-22 17:13:42 | Weblog
 今日は2月22日、ニャンニャンニャンで猫の日だそうです。
 我が家の猫2匹のうちの1匹、写真のテトは、ニャンニャンニャンどころか、しょっちゅう鳴いてエサを要求してきます。もう日に何食たべることやら・・・・・・。

 主食はドライフードと缶詰(総合栄養食)の半々ですが、まあ食べること食べること。
 最初は日に何回と決まった時間にきちんとという風だったのが、いつの間にかかなりアバウトな食事になってしまいました。
 といって決して肥満猫ではありません。

レフティーという言葉

2010-02-21 18:21:30 | Weblog
 レフティーという言葉をご存知ですか? まあ左利きのことですが、私もそのレフティーのひとりです。
 レフティーなんて呼びなれない語なので、ちょっとめずらしがっていうのですが、私の子供のころはおもに「ぎっちょ」という呼び名でいわれました。近年はどうも差別的な言葉として使われなくなってきているようですが、それでも時々左手で字を書いたり包丁を握って料理などしていると「ぎっちょさん? 器用だね」と年配の方になんの屈託もなく言われたりすることがあります。

 私らの子供のころは、この左利きを「悪いこと」だといわれ、右利きに矯正させられるという苦い経験があります。あたかも矯正しないとまともな社会生活は送れないというように。
 それは、不自由なく使える利き手が存在するのに、それを捨てて逆の手にリハビリさせられるようなものでした。いわゆる右へ倣え、太いものにはまかれろ的なものだったと思います。
 小学校のある教師にいたっては、私に向かって右に直さなければ中学へ行って英語の文字が書けないと、真顔でいう人がありました。左から右の横文字は、左利きには無理だというのです。
 しかし、日本語だって横書きのものはありますし、私は横書きのノートだってみんなと一緒に書いているんです。誰にも負けないくらいに早く書き取っていたんです。字も斜めになんかなっていません。
 それに、日本人よりも欧米人ははるかに左利きが多く、その人たちは字が書けないのでしょうか。

 今でこそ私はそういった反論ができますが、小学3,4年生では授業中にそういわれてただ泣くしかできませんでした。
 あるときテレビニュースでアメリカ大統領が左手で何かに調印するのを見たとき、子供の私ははじめてその教師に対して怒りを覚えたことを思い出します。

 現在左利きの子供に対して矯正を促す親も教師もいません(と思いますが)。それに「ぎっちょ」という言葉も死語に近くなって、それを差別語だと思う人も少なくなったと思いますが、私たちから前の世代には、右手でなければご飯も食べさせてもらえないという、ある種虐待めいたことが、なんの罪の意識もなく平然と行われていたのです。

 子供のころ左利きで褒められるのは野球をするときだけ。サウスポーの選手は貴重だといわれ、私はそれで野球が好きになったくらいです。

 レフティーという言葉。なんか横文字でカッコいいくらいな感じで使っていますが、では右利きの人をライティーだとはいいませんよね。
 やはり少数派は特殊なものとして見られてしまいがちなのかな? 左利きだからといって特に器用なわけでも、右脳の人というわけでもないと思います。ただ左利きなだけのことです。

 しかし、私はそういった子供のころの体験から、ちょっと偏屈な反骨心の抜けない大人になってしまったかもわかりません。

 マイノリティー(少数派)でなければ見えないこと、考えられないものの見方というものがあると思います。どんなジャンルや立場においても、その心は忘れないでいようと思います。
 私はレフティー、どんなに矯正を強いられようと、ガンと拒んだ子供のなれの果てなのです。

 

尚古荘について

2010-02-19 09:57:26 | Weblog
 私がもうここ10年来毎年伺っている西尾市の尚古荘は、西尾市歴史公園の一角にある京風庭園で、昭和初期に米穀商岩崎明三郎という人が建てたものだと、市のHPには紹介されてあります。

 その建物の大広間で毎年口演をさせてもらうのですが、過去にはこの歴史公園の中にある旧近衛邸でも演らせてもらったことがありました。

 秋には紅葉の名所としても賑わうところだそうで、この日も幾組かの観光客が庭園内を散策されていて、雪見障子の向こうにリハーサル中の私と目があったりなんてこともありまして、前には本番中に縁側の戸が開いていて、ガラリとあけられるなんてこともありました。

 お茶処としても有名な西尾には、名物いが饅頭などもあり、古い城下町としてなかなかに落ち着いた風情のある町です。
 みなさんも一度、西尾へお出掛けしてみませんか? いいところですよ。といって私はもっぱらこの季節ばかりに伺うので、今度はほかの季節にも行ってみたいと思います。

バンクーバー・オリンピックはじまりましたね。

2010-02-18 11:47:11 | Weblog
 氷上に、また雪上に日々熱戦が繰り広げられているバンクーバー冬季五輪。これからの日本選手の活躍が楽しみですが、私はどうもウインタースポーツというものに縁が薄くて、子供のころ地元にスケートリンクがあったにもかかわらず、一度もスケート靴というものを履いたことがなく、スキーも兄がスキー場のたくさんあるところに住んでいるにもかかわらず、10代の頃にたった一度試しただけで、それ以来やったことがありません。

 どうも寒い中でのスポーツというものが苦手のようです。でも決してイン・ドア派って言うわけでもないんですけど・・・・・・。

 しかし観戦するのは面白い。自分ができない遠い世界のような競技なので、なおさらに凄いなぁと、感心したり感動したりです。

 ガンバレ!ニッポン!!