今更ながらに朗読ってなんだろうと思います。上手い下手というのをどんな判断基準で分けるのか・・・・・・。
技術的には未熟でも耳に残る朗読、心に響く朗読というものもあります。それは自分の言葉で腹のそこから語られたもので、けれん味のないストレートな朗読です。
でも、それはいつも同じように出来るものではありません。様々な条件が揃ってはじめて出来るもので、自分の意志とは異なるところのものです。
ドラマティック・リーディングというのがありますが、これ音の出所や感情の起伏がずれていたりすると、とんでもなく聴き辛いものになります。指導している先生すらがそれをやっていたりすると、「あああ」と思うことがありますが、指摘は出来ませんので、それきりです。お年寄りとか子供の声は、決して口先で表現してはダメなんです。
小手先の高低でやってはいけません。
的確に感情表現が出来なかったら淡々と読んだ方がいいのですが、この淡々と読むというのが、実は一番難しいんです。
声というものには表情があります。明るいか暗いか、その時の健康状態や精神状態によっても違っている声の質を、どうコントロールして淡々としたものにするかというのは実に難しい。
やっているように思ってらっしゃる方々もおありでしょうが、おそらく大方は単なる色の付かない無表情な朗読をされているんです。
淡々といっても、それはまったく感情を入れないということではなく、的確な間とリズムによってその文章の内容を理解し、伝えることで、そのためには日常とは違う感情表現が必要になってきます。
たとえば、感情の昂ぶるところで大きな声を出すのではなく、ぐっとお腹に力を込めて声を下方に下げてやるとか、いろんな方法がその場面や状況によって試みられます。
まあ、いろいろいいましたがまず第一には、自分の声を知ること。その特徴や長所短所を知って、得意なところを伸ばし、苦手なところを克服する。これが基本的なところでしょうか?
これから時々、「朗読について」気まぐれにつぶやいていこうと思います。
ご興味があればお読みください。質問なんかにもお答えする用意があります。もちろん反問にも。
と書いても、あまり来ないかな~? 地味ですもんね。
技術的には未熟でも耳に残る朗読、心に響く朗読というものもあります。それは自分の言葉で腹のそこから語られたもので、けれん味のないストレートな朗読です。
でも、それはいつも同じように出来るものではありません。様々な条件が揃ってはじめて出来るもので、自分の意志とは異なるところのものです。
ドラマティック・リーディングというのがありますが、これ音の出所や感情の起伏がずれていたりすると、とんでもなく聴き辛いものになります。指導している先生すらがそれをやっていたりすると、「あああ」と思うことがありますが、指摘は出来ませんので、それきりです。お年寄りとか子供の声は、決して口先で表現してはダメなんです。
小手先の高低でやってはいけません。
的確に感情表現が出来なかったら淡々と読んだ方がいいのですが、この淡々と読むというのが、実は一番難しいんです。
声というものには表情があります。明るいか暗いか、その時の健康状態や精神状態によっても違っている声の質を、どうコントロールして淡々としたものにするかというのは実に難しい。
やっているように思ってらっしゃる方々もおありでしょうが、おそらく大方は単なる色の付かない無表情な朗読をされているんです。
淡々といっても、それはまったく感情を入れないということではなく、的確な間とリズムによってその文章の内容を理解し、伝えることで、そのためには日常とは違う感情表現が必要になってきます。
たとえば、感情の昂ぶるところで大きな声を出すのではなく、ぐっとお腹に力を込めて声を下方に下げてやるとか、いろんな方法がその場面や状況によって試みられます。
まあ、いろいろいいましたがまず第一には、自分の声を知ること。その特徴や長所短所を知って、得意なところを伸ばし、苦手なところを克服する。これが基本的なところでしょうか?
これから時々、「朗読について」気まぐれにつぶやいていこうと思います。
ご興味があればお読みください。質問なんかにもお答えする用意があります。もちろん反問にも。
と書いても、あまり来ないかな~? 地味ですもんね。