ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

今日で8月も終わりです。

2008-08-31 14:05:09 | Weblog
 よく降った雨も上がり、今朝はもうさわやかな、秋の空の気配でした。青い空にはうろこ雲が広がり、赤とんぼが飛び、散歩すり道端には落ち栗のイガが、たくさん片寄せられてありました。
 久しぶりの日差しは強く、何日ぶりかに汗の流れる散歩となりました。でも、このまますんなり秋を深めていく、というようにはならないようで、まだまだ残暑の日々は続くようです。
 
 今日で8月も終わり、長かった夏休みも終わって、大方の小中学校では明日から新学期、または前期の後半が始まります。9月に入ると、僕もまたいくつかの学校や保育園などにお邪魔する予定です。子どもたちや先生方とのすばらしい出会いを楽しみにしています。

 さて、昨日雨の中を母校の高校の学校祭に出かけて行きました。これが最後の学校祭になるからで、現在の在校生が卒業すると、その校舎は廃校になってしまうからです。
 これまでの学校の足跡をたどる展示物の中に、僕が書いたイラストや文章を見つけました。懐かしい先生方にもお会いしました。
 何年か前、僕が在校している頃古典を習ったK先生にお会いしたことがありました。その時K先生はしみじみと、
「君んたぁのときはまだ良かった。教師と生徒の関係が、まだ和気藹々としたもんがあった。今は難しいぞ」
 と、言われたことを覚えています。そう、むかし通りにコミニュケーションが取れないことにK先生は苦労されて、教師生活を定年まで勤め上げられたようでした。
 むかし僕が書いたイラストというのは、先生方の似顔絵。先生一人一人の特徴をとらえて、それを4コマ漫画にしてノートに何ページか書いたのを、クラスでまわし読みしていたんです。それがある先生に見つかり、職員室でもその4コマ漫画がまわし読みされたということを、展示物を見ながら思い出しました。
 その頃の母校はまだまだ若い学校でした。若い先生もたくさん居られ、恋の話も生徒たちのものばかりではありませんでした。
 そんな母校の灯は、確実に消えていこうとしています。
 今は駄目で、昔は良かった。だなんていう気は、さらさらありません。時代はその時代その時代を経て、着実にその積み重ねとして推移しているからです。ですから、廃校という事実もその一端ではあります。
 が、その移り変わりの速度というものは、オリンピック選手の世界記録が縮められていくように、速くなっていくもので、その速度に着いて行けないと言うことは往往にしてあります。僕もその部類になりつつあるようです。
 でもまあ、背伸びして着いていく必要はありません。マイペースに歩いていきましょう。無理はいけませんから・・・・。

 

読書感想文の思い出

2008-08-27 14:13:56 | Weblog
 8月も残すところ、後わずかになりました。子供たちの夏休みも、もうちょっとで終わりです。地方によっては新学期の始まったところもあるかもわかりません。

 夏休みの思い出といっても、もう昔のことになりました。高校時代の事となると、30年前になりますか。
 僕の通っていた高校も統合合併となって、その校舎で行われる文化祭も今年が最後なんだそうです。この週末にあるそうなので、ちょっと覗いてみようかなと思っています。
 さて、高校時代の夏休みは勉強というよりも、部活に明け暮れた日々といった方が印象に強いのですが、今日は読書感想文の思い出なぞを、振り返ってみようと思います。

 僕が本を読み始めたのは、中学生になってからで、小学生の頃は教科書がやっとくらいの子でした。
 中学に入ってから少しずつ読み出したんですが、それでも課題図書とか、人に進められて読む本は苦手で、自分の好むものしか受け付けませんでした。
 あれは何時だったか・・・。やっぱり高校生になってからでしたかね。課題図書に井上靖・作の「天平の甍」が出て、それで読書感想文を書くことになったんです。
 しかし、どうやっても読めない。というより読む気にならない。歴史的なものが嫌いなわけではありません。もうその頃には司馬遼太郎の小説は、ちょこちょこ読んでいましたから・・・。
 仕方がないので、解説の部分を読んだりして感想をでっち上げるということをやりました。何とか読破したという子から大体のあらすじを聞いたりなんかもして・・・。まあ、先生にはこりゃ読んでないなということは、きっとばれたと思います。
 さて、大人になってあらためて井上靖作品にめぐり会い、「おろしゃ国酔夢譚」や色々読んでいくうちに、「天平の甍」も読んだんです。
 幾多の苦難を乗り越えて、日本に渡ってきた鑑真和上に、大きな感動を覚えました。なんであの時読まなかったんだろうと思いました。でも、読書というものはそういうものなんです。
 読もうと思う時が自分にとっての旬。その本を必要としている時なのかもしれません。目に見えてどうということではないかもしれませんが、その時に読んだものは、血となり肉となるのではないでしょうか。もしあの時無理やりにも読んでいて、ひょっとしてその面白さに気づいたかもわかりませんが、大事な部分を読み落として終わっていたかもしれません。そしてその後、もうあの作品は読んだからいいやと、二度とページを開くことはなかったかもしれない。

 どうぞ皆さんも、自分に旬な読書をしてください。これまで言ったことと矛盾するかもしれませんが、10代の頃の読書は何にも変えられない宝になります。それからを生きていくためのベースを創ってくれます。自選他薦のものを問わずもちろん前向きな心で読んでください。読書は確かに時間の浪費ですが、決して損はない。自分にとって時間は、ひとつではないのです。

CAFE「燈(あかり)」さんでの口演終わりました。

2008-08-25 10:36:54 | Weblog
 8月24日(日)瑞浪CAFE「燈」さんでの昼夜2回の語り口演終了いたしました。聴いていただいたお客様、またスタッフの皆さんに、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 昼の部親子向けということで語らせてもらった「おこんじょうるり」また、夜の部一般口演として語らせてもらった 新美南吉の世界「手袋を買いに」「狐」の2作品、いかがだったでしょうか。
 
 とりわけ「狐」という作品は昨晩が初演でしたので、初ネタ卸独特の緊張感に包まれました。
 13年語り込んで来た作品、10年ほどの作品、そして初めて語るもの。それぞれに初演当時、あるいは今の私がそこにあるんだな、という感慨を持ちました。
 日々変化するもの、そして変わらないもの。自分の心の遍歴と在り様が、私自身思い知らされた夜でもありました。
 物語は生き物です。常に変容しながらその会場で新たな姿を現します。その瞬間瞬間を見逃さず、捉えていくのが、語りというものなのか。そんなことも考えさせられました。
 本当にありがとうございました。

ひとり語りレパートリー詳細解説PART 9

2008-08-20 13:43:31 | Weblog
        山下明生・作「島ひきおに」

 今年の2月8日以来のレパートリー詳細解説になります。解説作品として11作目の僕の語り作品となる「島ひきおに」についてお話しようと思います。
 
 この「島ひきおに」。もう皆さんも絵本ではお馴染みの作品だと思いますが、僕がこの作品を演ろうと思ったキッカケは、教育テレビのある番組で、俳優の丹古母鬼馬二さんが、語っておられるのを観た時でした。その時まではあまりよく知らない作品でした。
 そこで早速作者の山下明生さんにお手紙を差し上げ、語ることの許可を頂きました。
 
       「鬼」というものの解釈

 昔話や様々な物語に登場する鬼。それははたして、妖怪とかモンスターと呼ばれる類のものなのでしょうか。そして悪の権化というような恐いものなのでしょうか。
 たしかに赤い顔をしていたり青い顔をしていたり、頭には角が生え、目はギンギンとひかり、大きな口には牙もある。そんなのが鬼というもののイメージでしょう。トラの皮のふんどしをして金棒を持っていたりする。そうして鬼に掴まると取って喰われてしまう。
「鬼」というものには、一見雷様のようなもの。あるいは地獄の番人のようなもの。様々なイメージがありますが、この「島ひきおに」の鬼は、ちょっと違うようです。
 外見は確かに恐ろしい風貌をしている。が、寂しがりやの心優しい鬼のようです。ひとりぼっちはいやなのです。みんなと一緒に暮らして一緒に遊びたいだけなんです。けれど、誰も鬼を恐がってそうはなりません。

 異種族・異民族への恐怖と憎悪ゆえに迫害されるというのが、鬼という存在の根底にあるものだと思います。
 また、怨恨や怨念の果てに人は鬼と化す。というものも「鬼」というもののひとつの形でしょう。ただの怪物ではないのです。
「島ひきおに」の鬼は前者の部類に入る鬼だと思います。その存在の善悪以前に、マイノリティーであるがゆえに迫害される対象となる「島ひきおに」は、それでも友愛を求めて海を彷徨い行くのです。

 僕はこのお話を、仏教的説話のように語ろうと、常々思っています。冒頭、父母を恋い、人を慕って砂浜の石を積み上げ詠うところは、まさしく御詠歌として詠っています。悲しく哀れな煩悩を慰め浄めていきたいというような思いが、僕の中にあるのかもわかりません。自分自身も含めて、人は鬼をつくる側にも、鬼にされる側にも、なり得るのです。

虫に刺される夏

2008-08-16 14:10:04 | Weblog
 我が家は古い木造家屋で、おまけにエアコンがありませんから、窓や縁側は開け放して置かなければ、暑い夏の昼間に家にいることは出来ません。
 居間の窓には網戸がありますが、縁側はそのままの状態。よって、虫は入り放題ということになります。といって、僕が子供だったころのようにめったやたらに虫が入ってきて飛び回る、ということはありません。蠅取りリボンや捕虫ビンなんていりませんが、それでも、現代の生活環境においては、虫の多い生活空間に暮らしていると思います。
 蚊はさることながら、ムカデ・アリ・ゲジ(ゲジゲジは無害な虫です)そしてハチ。
 今年はムカデに3度刺され、アシナガバチに5つ6つ刺されました。
 幸い、免疫が出来ているのか、刺されてもたいしたことは無く、そのままにほうっておいても大丈夫でしたが、ちょっと刺されすぎです。
 それでも、そんな虫たちを徹底的に駆除しよう、除去してしまおうとは思いません。
 蜂の巣は、庭でバーベキューして人寄りがあったので、やむなく駆除しましたが、殺虫剤では殺しませんでした(正直にいうと2匹ばかりはやむなく退治しなければなりませんでした)。
 完全防御した服装で、高枝切りバサミで蜂の巣をつかんで、裏の竹薮まで移動させたのですが、その時ゴム手袋に軍手をしていたのに、どうも刺されていたようで、後日指のいたるところが赤くはれ上がって痒かったのです。

 どこかの国がするような、自国の安全や快適さを優先して、異民族を排除したり、差別したりするようなことは極力したくない。人生はサバイバル。奪うか奪われるかなんじゃないかという考え方が、どうも世の中にはびこっているようです。が、それでは悲しいし、あまりに味気ないじゃないですか。
 ではありますが、自然というものと対峙して人が生きていくことの難しさというものを、身に沁みて考えさせられるこの夏の日々です。

8月14日(木)

2008-08-14 11:13:09 | Weblog
 5日ぶりになります。なんだか夏休みしてしまいました。連日の暑さと、ちょっとオリンピックに見入ったりと、まあそんな日々です。左程に忙しいわけではありません(しっかり稽古して仕事しろ、と常にもう一人の自分に言われてます)

 いやあ、スポーツはいいですね。心身を鍛え抜かれたアスリートが、そのギリギリのところで競い合う。最後に勝敗を分けるのは、勝ちたいという気持ち、そしてその前向きさかな? 1つの試合の中にいくつもの流れがあって、その流れに乗りかかったり落っこちたりする。そのリズムをより多く引き込んだものが勝者となるのです。高い集中力とポジティブなイマジネーション、優れた技術と精神力のぶつかり合い。スポーツは瞬間瞬間の芸術でもあります。
 そこへいくと、僕らの日常は緩やかな時間の連続のようです。緊張と弛緩の度合いが実に少ない。もうちょっと緊張ということを感じなければいけないのかな。
 人前での仕事の機会が多く、口演ということを仕事としていながら、この頃の僕の反省です。オリンピックを観戦しながらの呟きです。
「がんばれ日本!」そして、世界のすべてのアスリートたち!!

夜明けの森にて・・・そして、もうひとつ。

2008-08-09 15:12:09 | Weblog
 今日は午前中夜明けの森公園へ行きました。夜明けの森は、僕の住む町の郊外にある自然公園なんですが、時々ここで稽古したりします。
 余り人もいなくて静かなので、日陰のベンチに座って、木々に向かって語ったりするのですが、今朝は謎のおじさんに呼び止められました。
「何か取りにきたんか? 」
 僕が片手にビニール袋を持っていたので、そう聞かれたんでしょう。
「松ぼっくりを・・・」
 ついでにバーベキューの時の炭起こしの着火剤代わりに松ぼっくりをと、思っていたんです。
 が、おじさんはそれには余り反応しないで、このあたりで採れる鉱石、水晶などに話は飛んで、近くにある鉱物博物館についても話してくれました。
 おじさんは軽トラックに乗っていたのですが、道の真ん中で車を止めて、それもエンジンまで切って、タバコをふかしながら話し始めたのです。
 昼までには帰らなければならないし、あまり長くなると稽古も何も出来なくなるなぁ~。と思いながら、それでも愛想笑いを浮かべて、相槌を打って会話を続けていました。
 はじめて出会った者同士というよりは、旧知の人のような会話がそこにはありました。
 確かに限られた時間内での行動なので、予定が変わってしまう予想外のことでしたが、迷惑というよりは、少し心地いい気にもなりました。
 まあ、話がうまくかみ合ったかどうかは、別にして・・・。
 やがて一台のワゴン車がやって来て、おじさんは道を空けなければならなくなったので、エンジンを掛けて、じゃぁ!と片手を挙げて僕たちは別れました。
 結局稽古は半分ほどで切り上げ、少し松ぼっくりを拾って家に帰りました。
 あのおじさんは誰だったんでしょう。また夜明けの森で会うかもしれません。その時は、やぁと声を掛け合って、話し始めるのでしょうか。

 そういえばもうひとつ。昨日の午前中には、ある新聞の勧誘員がやって来て、まず玄関にある僕のひとり語りの看板を見て、これは何かと尋ねました。そう聞かれれば、答えないわけにはいきません。これこれこんなような仕事だと説明すると、自分も話を語ることが好きだと、関西弁でいいました。
「まぁ、ひとりしゃべくりのようなもんやけど・・・」
 とか。それから、露骨には新聞を取ってくれといわずに、自分にもネタが2,3あるので聞いてくれと、話はじめました。
 <京阪電車で、いがくり頭の学生が走行中車掌さんに土下座して、「乗り過ごしてしまった。これでは試験に間に合わないので、どうかここで止めて、降ろしてくれ」といったそうです。結局、その子の一生がかかっているということで、その電車は緊急停車して、その子を降ろしてやったという話でした。>
「どうです、ええ話でしょ」
 彼の話しぶりは、どこか芸人のほっしゃんに似ていたので、僕はちょっと、「すべらない話」を期待して聞いていましたが、まあ、そこは素人のしゃべりなのですから、期待してはいけませんでした。
 彼は徐々に僕との距離を詰めながら、勧誘することを忘れずにモーションを掛けてきましたが、
「○○新聞、実家で取ってるので、そこで読むからいいや」
 と断りました。彼はまだネタがあるので、今度聞いてくれといいながら、残念そうに帰って行きました。
 楽しい勧誘員の人でした。ごめんなさいね、取ってあげられなくて・・・。 

今朝の事など・・・。

2008-08-08 11:32:25 | Weblog
 今朝は7時少し前に目を覚ましました。昨夜の雨で、心持ち涼やかな朝でした。
縁側から庭へ出て、ぬれた草々を踏みながら畑に成長したオクラの実をもぎ、ようやく地面に姿を見せ始めた茗荷を摘みました。
 そして朝食の後、日課としている散歩にでかけたのです。
 ここ1ヶ月余りは、語り作品を暗記することを兼ねたウォーキングだったので、今ひとつ歩くということに集中できないものでしたが、今朝は久々に歩くことオンリーの散歩ができました。比較的涼しい風に吹かれながらの約3~4キロのウォーキングでした。

 散歩から帰って、昨日から読み始めた堀田善衛著「方丈記私記」のページを開きました。その前日まで読んでいた、長谷川四郎著「シベリヤ物語」の読後感も覚めやらぬ時なのですが、読書というものには旬というものがあるようなので、今読み始めたことに、何か自分にとっての必然があるように思いながら、読み進めているのです。が、実はこの堀田善衛と長谷川四郎は、筑摩現代文学大系73に両氏の集として、1冊に作品が収められているのであって、ただそれをランダムに読んでいるのに過ぎないのですけれど・・・。
 そしてもう1冊、20世紀の文学史上最も重要な異端文学といわれている、G・バタイユの「眼球譚」も読み始めたのですが、これはなんともここでは感想は述べられません。僕はこの本をまったく中身を知らずに購入したのですが、こういうものだったとは・・・。
 ご興味のある方は、どうぞご自分で読んでみてください。河出文庫より生田耕作訳<初稿版>として刊行されています。

 さて、今日から北京オリンピックが始まります。政治的云々は抜きにして、純粋にスポーツの祭典を楽しみたいものですが、そう簡単ではないのでしょうか。
 人と人の繋がりには常に国境は無いようですがね。

夏休み絵本紹介

2008-08-06 13:55:05 | Weblog
 今日は8月6日です。63回目の広島の原爆記念日です。僕の住む町の小学校では、登校日で原爆の話を聞いてきたようです。といって、家にはもう小さな子がいないので、近所の子の情報です。
 僕たちの小学生の頃も、この日が全校登校日で、僕は怖くて行くのがとても憂鬱な日でした。
 体育館には原爆の写真が展示してあり、また怖い話や映画などを観なければなりません。半端でなく怖くて、夜も寝られなかった記憶があります。
 しかし、後世に伝えていかなければならない事実からは目を背けてはいけないと、今の僕は思います。歴史はしばしば、歪曲されてしまったりする。うかうかするとなかったことにされてしまうかもわかりません。事実を見つめ、真実を探る眼というものを培っていかなければ・・・。ファナティックにならず、常に冷静なその眼で、世の中を見て行きたいものだと思います。

 さて、冒頭が長くなってしまいましたが、久しぶりに絵本の紹介なぞ、しようかと思います。
 先の原爆関連のものからいうと、松谷みよ子・作「まちんと」という、原爆にあった幼い女の子のお話がありますね。それから、山口勇子・作「おこりじぞう」も有名です。
 戦争ものでは特攻隊の話、今西祐行・文 松永禎郎・絵「すみれ島」。戦争の犠牲者は人間だけではないよというお話、たかはしひろゆき作・絵「チロヌップのきつね」。そしてこれは、サンリオから刊行されている「ちいさな瞳の証言者(wojna w oczach dziecka)」という1冊。第二次大戦下のポーランドの子供たちが描いた戦争の記憶の絵画集です。21年前の出版物ですので、いまあるかどうかはわかりません。

 さて、今日1番の僕の夏休みのおすすめの1冊は、舟崎靖子・作 渡辺洋二・絵「やい トカゲ」という絵本です。
 初版発行が1984年、それ以来版を重ねながら読まれ続けている名作絵本です。出版社はあかね書房で、定価は1262円+税。
 遠い夏の日の少年の心が、よみがえって来る1冊です。

ひとり語り口演のご案内

2008-08-05 17:43:27 | Weblog
 8月24日(日)瑞浪市にありますカフェ「燈(あかり)」さんにて、ひとり語り口演を行います。
 
 昼の部午後3時からは、こども、親子を対象に、

 さねとうあきら・作 「おこんじょうるり」 を語ります。

「おこんじょうるり」は語り始めて13年目を迎える、私のライフワーク的作品です。これまでの口演回数でも他に群を抜く、聴き応えのある作品です。
 
 夜の部午後7時からは、あえて大人を対象に、

 新美南吉・作 「手ぶくろを買いに」と「狐」の2作品を語ります。

「新美南吉の世界」と題して新美南吉にも触れて行きたいと思っています。
殊に「狐」は3年ぶりの語り物の新作で、落語風に言わせてもらえれば、この日がネタおろしとなります。お芝居の初日以上に緊張する、初物披露です。

 客席数に限りがありますので、早めにお問い合わせください。

 料金は、昼の部 こども 500円 親子1500円
     夜の部 大人 2000円 (尚飲み物は別途希望者のみにてお願い致します)。

{問合せ先}0572-68-7337(FAX兼用)カフェ「燈」阿部まで、お問い合わせ願います。