ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

1913年生まれの作家。

2012-11-30 14:34:37 | Weblog
 さて、来年生誕100年を迎えるということで、新美南吉作品の朗読公演を来年4月に予定しているというお話を前にしましたが、では新美南吉以外に生誕100年を迎える作家は他にいるのかなと、ちょっと調べてみました。

 それで、最初に行き当たったのが織田作之助。
 映画にもなっている「夫婦善哉」が有名ですよね。森繁久弥・淡島千景主演の映画でした。
 この作家は主に短編を得意として、大阪の庶民生活を描き「オダサク」の愛称で親しまれましたが、1949年34歳の若さで亡くなっています。
 映画監督川島雄三と親交があり、川島監督はいくつかオダサク原作の映画を撮っているそうですが、それは知りませんでした。きっと観ていないと思います。

 次に田中英光。「オリンポスの果実」という作品が有名ですね。今でも夏休みの課題図書の一冊に選ばれたりしてるんじゃないでしょうか? 実はこの田中英光の作品も、小品を少し読んだばかりで、しっかりとは読んだことがありません。ごめんなさい。
「オリンポスの果実」は自らのオリンピック出場体験をもとに書かれたものだそうです。太宰治を師と仰ぎ、1949年に太宰の墓前で自殺してしまいます。36歳でした。

 と、ここまでは南吉も含めてみな夭折の人ばかりなんですが、ひとり長生きをした作家がいました。
 青山光二。私小説家の系列の人で、この人は任侠小説でも人気を博したようです。何度か直木賞候補に上りますが、受賞はしていません。
 90歳のときに書いた小説「吾妹子哀し」で、川端康成文学賞を最年長で受賞し、95歳で天寿を全うしています。
 我が家の蔵書に「吾妹子哀し」あるんですが、すみません、これも読んでません。

 主だったところではそんなとこでしょうか?

 ちなみに先ほど名前の出た俳優森繁久弥も来年が生誕100年になります。この人の映画ドラマはいっぱい観ています。「屋根の上のバイオリン弾き」も名古屋中日劇場で観ました。8000円のS席でしたが、私の買った席はパイプ椅子でした。なんで?

 ほかに外国の俳優さんで言うと、ビビアン・りーとかビクター・マチュアとかですが、海外の作家さんではなじみの名前がなかったので省略しました。(以上氏名の尊称も省略させてもらいました)。
 

一週間ぶりになりました。

2012-11-28 16:04:37 | Weblog
 来年4月の公演の台本書き、図書館まつりでの「ないた赤おに」の絵本劇公演準備と本番、そして映画ロケのエキストラと、なんかバタバタしてましてパソコンの前に座る時間がありませんでした。
 といって、台本書いてる時はパソコンの前に座ってたんですが、開けるのはワードのみで、ブログは開かずじまい。気が付けば11月21日以来になっていたということです。

 さしあたっては12月8日の二人芝居公演がありまして、その稽古と自主練習(なかなか時間が作れない)。それに来年のマーシュマロウ5月公演の稽古も入り、その台本を書いていた4月の朗読公演新美南吉ものの稽古も入り、その合間合間に語りの仕事があって・・・・・・と、こんな風に書くといかにも忙しくて仕方ないように聞こえますが、別に時間に追われてキュウキュウしているわけではなくて、まあ気持ちの持ちようとポイントの切り替えだけなんです。

 私は読書もそして、すべての事象においてことごとく仕事と位置づけてやっています。
 お金になることもならないこともその境目がはっきりしない。

 たとえば、人が足りないと駆り出されて行った映画エキストラのボランティアだって仕事で、自分なりに一生懸命出来ることをやる。
 どこにいても、何もやっても無駄ということはありません。何かが糧になり学びになる。それを見つけるか見過ごすかは、自分自身の問題なんです。

「経済活動の度合いを増やせ!」
 私の耳には常にそういうもうひとりの私の声が聞こえているのか? どうももうひとりの私はどこかへ出かけているようです。お~い、早く戻ってきて!!

 

朗読について 11

2012-11-21 18:28:14 | Weblog
 久しぶりに「朗読について」を書きます。

 今日は音読についてつらつらと想った事を書きたいと思います。

 いやいや、というより私今、内田樹著「街場の文体論」という本を読み終わったところでして、この本を読んでいる行為そのものについて思ったことなんですが・・・・・・。
 例によって私の読書の基本は音読です。ですからこの本も音読で読み通したのですが。

 この「街場の文体論」という本、内田先生の大学での最後の授業、講義を載録したしたものでして、受講生に向けて語られた文体なのです。

 そこで私は講師のごとき口調で声を出して読み出すわけです。が、読書なので対象となる聴き手に向けての朗読ではないわけです。あくまで私が私に向かっての読みなわけです。
 つまり、語り手と聴き手を同時に演じていることになります。

 ここで面白いのは、主観と客観が交錯して同時に私の中に、あるいは外に存在して進行していくことになる。しかし本来は、語るという主体を重んじて音読という行為がなされていくわけなのに、聴き手としての客体がその文章の、あるいは語られていく言葉を受けて大いに感化されたり、感動したり共感したりするわけです。

 いや、日常音読読書を繰り返す中で、私はこのことを無意識にやっていたわけですが、今回それがかなりクリアに浮き上がってきたんです。

 朗読という行為についての基本は、まず私という客体化された聞き手に向けて語られているということ、それを忘れないということだと・・・・・・。

「生成する言葉」どういう言葉が深く相手に伝わる言葉なのか、というこの本の中味ともリンクして、今回は非常に興味深い体感をしたので、ここに書き出してみました。

 

雨の土曜日になりました。

2012-11-17 14:52:24 | Weblog
 昨日はとても晴れていたのに、今日はもう雨です。2日と良いお天気が続きませんね。

 1年を通して雨量の多い日本では、どうしても快晴の日を良い天気といい、雨の日を天気が悪い、といいます。
 もちろん、洗濯物もよく乾くし傘なしでお出かけできて気分もいいので、それはその通りではあるんですが・・・・・・。
 それに、毎年何処其処で雨による災害で被害に遭遇するところがあるので、やはり雨に対する見方がどうしても悪くなりがちです。

 これが中東などの世界の砂漠地帯では、雨は滅多に降りませんから、雨の日が良い天気なんですね。旱魃や、飲み水にも事欠くようなところは地球上にかなり存在する。

 そこへ行くとこの国に住む私たちの暮らしの中で、水に困るというようなことはまれな出来事で、水道の蛇口をひねれば、まあまあ安全な飲料水が手に入り、そこそこ味も悪くない(地域性はままありますが)。それでも、ペットボトルに入った天然水やイオン水などは売れるんですが・・・・・・これはまた別の問題ですね。

 いわば、日ごろ水の恩恵にかなり預かっているのですが、それでも雨は嫌われがちです。当たり前にあるものへ恩恵の念を抱けないということは、まあ水に限ったことではないのでしょうけれど。

 あって当たり前、居て当たり前の存在に、時にはありがとう、と感謝の念を伝えなければと思います。おおげさでなくてもいいから、そっとささやくだけでも・・・・・・ね。

新美南吉を読み直す その2

2012-11-15 10:45:17 | Weblog
 来年生誕100年を迎える新美南吉。ふるさと愛知県半田市や、女学校の教師として暮らした安城市では、第二のふるさととして多くのイベントが開催されるようです。

 私もささやかながら、生誕100年の催しに便乗するべく南吉作品の朗読・語りを計画しています。

 そこで南吉作品を台本にするべく、今ワードで打ち込んでいるのですが、あらためて南吉作品はセンテンスの短い文章だなと驚いています。
 実は読んでいるときにはさほどに気にならなくて、すらすらといっているんですが、これを書き起こすとなると、わけが違います。

 宮澤賢治という人の文章は、逆にセンテンスが長い。なかなか句読点を打ちません。だからといって読みづらいかというとそうでもないんですが、それでも南吉の作品にくらべたら、朗読時に引っかかりは多いんです。

 戦後の童話作家でセンテンスが短いと感じる人は、安房直子という人が真っ先に浮かびます。この人の作品には様々な過去の名作のエッセンスが豊かに繁栄されていて、それが独自の文体にまで熟成されているということがうかがえるんですが、では新美南吉という人は誰に影響を受けて自分の文体を確立させていったのでしょう。そういうことがあったのかなかったのか? 別に文体なんて確立させるもんじゃないというご意見もあります。さもありなんです。その作品ごとに違ってもいい。実際違ってもいる。

 とにかく南吉の文章の上手さはかなり早成で、中学時代にすでに出来ががっているようなところがあります。もちろん、若書きであるという諸刃の剣の要素も含みながら、それが魅力的な方へ相当量傾いているといえる文章。これは宮沢賢治にも言えることです。
 もちろん細かいことを言えば、違うところも多々あるのですが・・・・・・。

 さて、これはある人の言っていた事柄の私のかすかな記憶でお話しするのですが、平和時の文章はセンテンスが長く、非常時になると文章のセンテンスが短くなるということです。ほんとうなんでしょうか? また、平和時には難解なものが好まれ、非常時になると平明なものが好まれていくということもいわれます。

 ちょっと話がそれたかもわかりませんが、そんなことを考えながら、今新美南吉の文章を打ち込んでいます。

11月12日(月)午後8:44現在の私は・・・・・・。

2012-11-12 20:29:14 | Weblog
 芋かりんとうと海老せんべいを食べながら、「HEY!HEY!HEY!」を観ている家族を傍らに見ながら、パソコンの前に座ってブログの更新をしようと、こうしてワードのキィーを打っているんですが、何を書けばいいのか何ともわからず、今現在の状況を書いているのです。どうも今は筆乗りの悪い時期が続いているようです。

 その所為で最近の更新が怠りがちになっているのですが、読書に集中してしている時やセリフ覚えに集中している時、また書き物に集中している時、また仕事でずっと動き回っている時などいろいろに分けられますが、現在はそれらが分散していてまとまらないといった状態のようです。つまり何にも集中が出来ていないということです。

  

イザベラ・バードへの旅。

2012-11-08 15:57:50 | Weblog
 先日マイ・ブームという話で、イザベラ・バードのことをお話したのですが、私は高梨健吉訳の「日本奥地紀行」が読みたくて図書館へ行きました。
 しかし図書館にはなくて、検索して他の図書館からの取り寄せとしてこの本をリクエストしたのでした。
 しかしどういう手違いか、手元に届いたのは私の欲する著作物ではなく、宮本常一著「イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む」という本がやって来たのでした。

 これはしかし、ある意味ラッキーでした。崇敬する民俗学者宮本常一の解説本なのですから、これ以上のガイドブックは他にありません。
 あっという間に読み終えて、そして今中島京子著「イトウの恋」を紐解いています。

 この作品は小説でして、ノンフィクションではありません。もちろんもとをただせばイザベラ・バードと日本人通訳伊藤の物語なのですが、それを題材にしたフィクションなのです。
 しかし、これが見事に描かれている。いや、まだ読了しないので途中経過としてお話しているのですが・・・・・・。

 そもそもが多和田葉子著「球形時間」という作品にイザベラ・バードが登場し、そこを起点として、この旅がはじまったのです。
 調べてみると、高梨役ではない「イザベラ・バードの日本紀行」という本が、講談社文庫からも出ているようですが、そしてその上下巻を今日本屋さんで見つけたのですが、残念! 他に買わなければならない物があって、予算上無理なのでした。

 明治の初めに日本を旅したイギリスの旅行家イザベラ・バードへの旅はまだまだつづきそうです。

眼には見えない会話・・・・・・。

2012-11-07 22:55:52 | Weblog
 先日あるところで絵本の読み語りをしていましてね。いつも何か少し話しをしてから、それで必ずといっていいほどオープニングにもぅていく絵本があって、まあその題名を読んだだけで子供たちの笑いを誘うんです。題名でない場合は1ページ目くらいかな?

 それでその時も子供たちから笑いを誘えたんです。が、次の瞬間先生が「そこ、笑うところじゃないでしょう」って、子供たちの笑いを止めちゃったんですね。
 これは正直やり難かったですねえ。それから子供たちは笑うことを制御されて、少し固まってしまいました。それをほぐすのに少し時間が掛かりました。

 先生にしてみれば読み手の私に失礼だと思われたんでしょうね。お話しはちゃんと聞くものだって。まずはそういうのがあるでしょうから、きちんと礼儀正しく聴かせなくちゃいけないと。
 うん、無理もないところかもしれません。しかしそれは大人の論理です。
 いや、別に先生を批判しているのではありません。対応は様々あっていいし、こうでなきゃダメというのは、原則私の中にはありません。それも然りなんです。だから、後で何も言いませんでしたし・・・・・・でも、ちょっとだけ、ここに記事として載せてしまいました、すみません。

 ただ私がやっているのは「読み聞かせ」ではないんです。やはり「読み語り」なんです。ここのところはわかっていただきたいのです。
 どう違うのかは微妙なんですが、一方的に聞かせる行為ではなく語り合っている。つまり会話、対話をしているのです。もちろん実際にやり取りする場合もありますが、そればかりでなく眼には見えない会話を交わしていることもある。
 そこには言葉の意味合いを越えて、音の交信といったニュアンスも含まれてあるのです。
 子供たちは敏感です。とても感度のいいアンテナを持っています。だから笑いの波長や怒りの波長、様々な感情を理屈ぬきに察する能力を受け止めるのに柔らかい。
 だからこそ傷付きやすくもあるわけで、その時々の子供たちの反応や状態を眺めながらやり取りをするのです。

 そうしてそうやってこの「読み語り」を行う場合、やはり子供たちへ向けて淡々と読むという行為はNGだと思います。
 あくまで的確な感情表現行うというのが条件ですが・・・・・・。

 いやいや、それを何方にもといっているわけではありません。お母さんやお父さん、先生方が絵本を読んであげるのに上手い下手のテクニックを強要するつもりはさらさらありません。だから、本来は読み方のマニュアルなんて存在しないのです。
 ただそこに必要なのは、伝えようとする心であり、借り物でない言葉の実だけです。
 心を込めるということの本質は、その言葉に嘘がないというそれだけのこと。私からあなたへという、しっかりとした対象を結んでいる、それだけのことなんです。

11月になってはじめての更新になります。

2012-11-05 17:46:21 | Weblog
 10月31日以来になってしまいました。PCの前に座らなくなってしまうとこうも遠のいてしまうという、私の悪い癖です。
 いや、それだけアウトドアになっているということで、それも悪いことではないのですが、極端ですよね。

 さて、世の中は「暴走老人」が登場したり、まれに見る犯罪者が現れて、世間を賑わせていますが、私の日常は淡々とそして粛々と、日々を積み重ねて行っています。
 といって、まったく別世界に存在しているわけではないので、そのような情報を受け止めつつ、また東北の被災地のことも実際には何の行動もしているわけではないのですが心にとどめつつ、私の出来ることを出来る範囲にしている毎日です。

 やっぱり世の中は多勢に無勢なんでしょうか? 「暴走老人」を揶揄った人も「暴走」したりしていますが、相対的に人口割合の多い世代は発言力も大きくて、割合の少ない若い人たちの思いはなかなか世の中に反映されることは無い。
 まあ、世間に長けている長けていないといった意味や、立場や地位といったような意味合いもあって難しいのでしょうけれど、やはり若い人たちはどんどん世の中に向けて発言していくべきだろうと思います。だって、どの道若い人たちが担っていけなけれいけない社会なのですから・・・・・・。

 私ももうどうやっても若者の部類には当て嵌まらず、刻一刻と老年の域に近づいていっているのですが、おそらく老年となっても「暴走老人」にはなれなくて、せいぜいがこうあればいいな、ああもしたいなと思いをめぐらす「妄想老人」が関の山でしょう。

 一回り上の方々は、戦後の第一次ベビーブームの世代の方々で、ある人から「団塊の世代」と名付けられて何の文句も無く受け入れておられるようですが、よく考えてみれば団子の塊りと呼ばれているわけで、略さずに「団子の塊り世代」と言われたら腹の立つ人も居られるのではないか?
 私たちの世代も「優しい世代」なんて言われることもありますが、あまり定着はしていませんし、そんなに優しいやつばかりの集まりでもないと思います。
 むしろ現代の若者たちの方が優しい子たちが多いのではないかと思うくらいです。

 私には世間一般にいわれる「老後」というものが無いので、走り続けていかないことには「生」の継続が成り立たないのですが、しかし暴走には至れない。妄想の域に止まるしかない。
 そんなことをつらつらと思う今日このごろです。

 暴走できる方々はどうぞ、突っ走ってくださいませ! 玉と砕けるのもいいじゃないですか。うらやましい限りです。しかし、これからの世界を構築していく人たちの邪魔をすることだけはお慎み願いたい。私たちは次の世代により良く譲り渡していくことが、最大の仕事ではないのかを、肝に銘じて行動してくださいませ。
 それだけが私の願いです。上も下も、右も左もありません。世界はひとつです。