昨年の8月31日も、まったく同じ題名でブログを書いています。昨年は雨上がりの1日だったようで、散歩の途中に栗のイガが片寄せてあったりとか、秋の気配を記事に書いています。
昨年は夏の日中でも、時間があれば毎日散歩に精出していたようで、そう思うと今年の夏はめっきり歩かなくなってしまいました。別に今年は昨年より忙しいとか、そういうわけでもありません。むしろ暇で、出来る時間はあるにもかかわらず出来ていません。たった1年前なのに、生活のリズムにズレが生じているようです。
今年の8月31日は、選挙明けの月曜日。永田町の政界地図はその中身を一変させてしまいました。
これからどうなっていくのでしょう? 楽観論者としての私は良い方向に向かっていくことを期待するのですが、ただ暢気に高見の見物というわけにも行かないでしょう。私たちの投じた一票の重みというものを、その政治家同様、私たち有権者も責任もって担わなくてはいけないと思っています。
この機に、政治に対して個人的な利益誘導や損得勘定でものごとを判断していくスタイルを卒業し、社会全体がより良い方向に向かえることを考えていける賢明な政治家と、それを支える有権者をより多く育てていかなくてはいけません。
不安とか失望とかを言っているのではなく、何よりも新しい種を、新しい芽を育てていく事が必要なのではないのでしょうか。政党政治はその組織で動いていきますが、多数の意見が必ずしも民主主義を成立させるものではありません。少数意見にも耳を傾け、実のある議論を国会の場で闘わせて行ってもらいたいと思います。
政治は常にリアリティーを持って行われていくものです。が、そのリアリティーというものは未来を切り拓く創造力の上に成り立つものです。
創造力こそが、私たちが力強く前進していく事のできる原動力となるものです。
私たちの今ある姿は、先人たちの創造力によって生み出されたものであるのですから・・・。
昨年は夏の日中でも、時間があれば毎日散歩に精出していたようで、そう思うと今年の夏はめっきり歩かなくなってしまいました。別に今年は昨年より忙しいとか、そういうわけでもありません。むしろ暇で、出来る時間はあるにもかかわらず出来ていません。たった1年前なのに、生活のリズムにズレが生じているようです。
今年の8月31日は、選挙明けの月曜日。永田町の政界地図はその中身を一変させてしまいました。
これからどうなっていくのでしょう? 楽観論者としての私は良い方向に向かっていくことを期待するのですが、ただ暢気に高見の見物というわけにも行かないでしょう。私たちの投じた一票の重みというものを、その政治家同様、私たち有権者も責任もって担わなくてはいけないと思っています。
この機に、政治に対して個人的な利益誘導や損得勘定でものごとを判断していくスタイルを卒業し、社会全体がより良い方向に向かえることを考えていける賢明な政治家と、それを支える有権者をより多く育てていかなくてはいけません。
不安とか失望とかを言っているのではなく、何よりも新しい種を、新しい芽を育てていく事が必要なのではないのでしょうか。政党政治はその組織で動いていきますが、多数の意見が必ずしも民主主義を成立させるものではありません。少数意見にも耳を傾け、実のある議論を国会の場で闘わせて行ってもらいたいと思います。
政治は常にリアリティーを持って行われていくものです。が、そのリアリティーというものは未来を切り拓く創造力の上に成り立つものです。
創造力こそが、私たちが力強く前進していく事のできる原動力となるものです。
私たちの今ある姿は、先人たちの創造力によって生み出されたものであるのですから・・・。