ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

今日で8月も終わりです。

2009-08-31 17:35:22 | Weblog
 昨年の8月31日も、まったく同じ題名でブログを書いています。昨年は雨上がりの1日だったようで、散歩の途中に栗のイガが片寄せてあったりとか、秋の気配を記事に書いています。
 
 昨年は夏の日中でも、時間があれば毎日散歩に精出していたようで、そう思うと今年の夏はめっきり歩かなくなってしまいました。別に今年は昨年より忙しいとか、そういうわけでもありません。むしろ暇で、出来る時間はあるにもかかわらず出来ていません。たった1年前なのに、生活のリズムにズレが生じているようです。

 今年の8月31日は、選挙明けの月曜日。永田町の政界地図はその中身を一変させてしまいました。
 これからどうなっていくのでしょう? 楽観論者としての私は良い方向に向かっていくことを期待するのですが、ただ暢気に高見の見物というわけにも行かないでしょう。私たちの投じた一票の重みというものを、その政治家同様、私たち有権者も責任もって担わなくてはいけないと思っています。

 この機に、政治に対して個人的な利益誘導や損得勘定でものごとを判断していくスタイルを卒業し、社会全体がより良い方向に向かえることを考えていける賢明な政治家と、それを支える有権者をより多く育てていかなくてはいけません。
 不安とか失望とかを言っているのではなく、何よりも新しい種を、新しい芽を育てていく事が必要なのではないのでしょうか。政党政治はその組織で動いていきますが、多数の意見が必ずしも民主主義を成立させるものではありません。少数意見にも耳を傾け、実のある議論を国会の場で闘わせて行ってもらいたいと思います。

 政治は常にリアリティーを持って行われていくものです。が、そのリアリティーというものは未来を切り拓く創造力の上に成り立つものです。
 創造力こそが、私たちが力強く前進していく事のできる原動力となるものです。
 
 私たちの今ある姿は、先人たちの創造力によって生み出されたものであるのですから・・・。 

8月30日衆議院議員選挙の投票日です。

2009-08-30 15:51:23 | Weblog
 今日は衆議院選挙の投票日。今朝早々と投票を済ませて、もうすぐ午後4時になろうとしている今、パソコンの前に坐って、さあ今日は何をと考え、やはり選挙の話題を書こうかと、思いをめぐらしているところです。

 選挙権を有して30年近く、そしてそのほとんどにおいて私は、いわゆる無党派層と呼ばれる部類のものなのですが、けれど国政選挙において棄権した事は1度もありません。
 市議会議員選挙において、故郷を離れていて一度棄権に至ったというのが、確か唯一の棄権です。

 日本の歴史上において、普通選挙が施行されたり、また婦人参政権が認められたりしていく過程は、そんなにたやすい道程ではなく、いわば紆余曲折を経て、あるいは苦難の運動の果てに勝ち取って行った権利です。これを無駄にする事は、先人の方々の苦労に対して顔向けできない行為です。

 民主主義というものは、そう簡単に出来上がるものではありませんし、何を持ってこれだといえるものでもないかもしれない。
 社会主義というものが、本当のかたちを見ることなく、崩壊してしまったように、もしかすると民主主義もきわめて危ういものなのかもしれません。

 私たちは今、民主主義国家に暮らし、高度な自由を許された環境で暮らしていると思っているわけですが、それさえもこの先あたり前のように続きうるものではないのです。常に国民一人一人が、どうあるべきかどうありたいかを明確に示していかなければいけないのです。
 それができてはじめての国民主権の国なのではないでしょうか。

 幸いにもこの日本は、世界でも有数なクリーンな選挙、きわめて公平に選挙が行われている国だと思います。この選挙後に多少の選挙違反などが摘発されたりするかもわかりませんが、投票妨害が行われたり、投票後において不正が行われたりすることはないわけです。
 今夜どのような結果となるかは(マスコミの世論調査では色々といわれてますが)わかりませんが、まだ投票所に足を運ばれていない方がおありなら、どうぞこれからでも遅くありません、まだ3時間余りあります。投票所へ足をお運びください。そしてあなたの思うところの候補者、政党に1票を投じて、その権利を遂行してください。

 偉そうに御免なさいね。私たちは市井の片隅の名も無き庶民ですが、それでも私は常日頃、20歳の息子と政治や世界情勢について、ほとんどスポーツの話題と同じように意見を交わしたりします。
 彼も今朝、成人してより2度目の投票に、近くの投票所へ足を運びました。

 

思い出の味 その2

2009-08-29 15:30:25 | Weblog
 昨日の野球観戦記は、観戦記なんてよべるシロモノなんかでなく、ただのご報告に過ぎなかったですが、いや、あれ以上書いてしまうととめようがなくなって、またすこぶる長い記事になりそうなので止めました。

 この地域の方はやはりドラゴンズファンの方が多いことと思いますが、何といっても私の年代は巨人のV9、王、長嶋の現役を知っている年代です。
 小学校のクラスの中でも圧倒的に巨人ファンが多く、ドラゴンズファンが小さくなっているような時代でした。ジャイアンツのユニホームを揃えて、野球チームを子供たちだけでつくってたりしてましたから(あの頃は大人が介入する少年野球チームなんてありませんでしたから)。

 さて、そうそう。今日の題名は「思い出の味 その2」でした。
 インスタントラーメンの話から数えたらその3かもしれませんが、まあその2ということで・・・。

 私の町に、むかしあった食べ物や屋さんで、忘れられないところというと、生まれ育った同じ町内で営業していた「可知のそばや」です。
 いや、これが正式名称なのかどうかはわかりません。ただ単に「可知」だったのか? 夏バージョンと冬バージョンの2種類の暖簾が下がってたような記憶ですが、そこに名称が書かれてあったかどうかも定かではありません。

 私がこの生涯において一番美味しいと思う中華そばは、この店のものです。
 色んなところでラーメンは食べています。新しいお店が出来ると行ったりもします。が、2度3度と通うところはそんなにありません。また評判のお店とか有名店とかも、少しは足を運んだ事もありますが、やはりその比ではありません。
 ラーメンというものにはそれぞれに思い入れや好みがありますから、これが一番なんてなかなか決められるもんではありませんが。

 もちろん、幼いときの刷り込みということも充分承知していますし、この店は現存していないのですからなんとでも言えるのですが、私は私の子供のころの舌を信じてそう言い切る事にします。
 スープは和風とんこつ系ではなかったかと。といっても白っぽくありませんし、今一般的に和風とんこつといって思い出されるようなものとは一線を画します。
 具はチャーシューにメンマ、ネギとゆで卵半分。なるとかかまぼこが入っていたかどうかは記憶に薄いです。麺はストレート麺だったと思います。

 このお店のそのほかのメニューとして覚えているものに、焼きそばと中華飯があります。
 近ごろB級グルメ「富士宮やきそば」なんて有名ですが、それに負けず劣らずのこってりとした濃い口ソース焼きそばでした。いや、今でいうところの濃い口とはニュアンスというか、種類が違うソースなんですが、とにかく味が濃かったということです。
 それから、中華丼に入った中華飯。中の具にはもやしまで入って、青海苔と紅生姜がたっぷり入ったシロモノでした。あんかけのあんに、ほんのり片栗粉の香りが残っているような一品ですが、これがなんとも言えず美味かったのです。

 白い半袖シャツに白ズボン(年中そのカッコウだったような)、白い前かけをしたちょっと怖そうなおじさんと、白い三角頭巾をしたおばさんが、そのお店をやっていて、高校生の優しそうなお姉さんがいて、時々お店を手伝っていました。

 町内だったので、時々出前も頼んだ事がありました。チャーシュー麺、天津飯、チャーハンに餃子、シュウマイだってメニューにはあったでしょうが、私の舌の記憶に鮮明なのは、やっぱり中華そばと焼きそばと中華飯です。

 おじさんが亡くなり、お店をやめられ、その後おばさんはどこに住んでおられたか、実は私は知っていたのです。しかし、それももう20年近く前のことです。
 その時、あの中華そばもう一度作ってもらえませんか、出来たらレシピ教えていただけませんか? と何度聞きに行こうかと思ったことか。ですが、実行に移す勇気がありませんでした。

 今もおばさんは元気にしておられるのでしょうか? あのやさしかったお姉さんは、どこにみえるのでしょうか? 思い出の味とともにその顔や声が、瞼のうらに懐かしく思い出されます。

 夏の日、店の中には背の高い扇風機が気だるくまわっていて、板敷きの床の下からは微かな川音が聞こえていたような・・・。
 昭和の匂いも味も、だんだん遠くなってゆきます。

ナゴヤドーム観戦記

2009-08-28 19:32:25 | Weblog
 昨日27日はナゴヤドームで、中日対巨人の18回戦を観戦してきました。
 名古屋でのナイター観戦は実に10数年ぶりのことで、ナゴヤ球場の頃の中日対巨人戦以来でした。
 
 その時はまだ怪我する前の桑田が登板して勝った試合だったと思いますが、ドラゴンズにも大豊選手とかが現役でいて、いや懐かしい。まだ保育園児だった息子を連れての野球観戦でした。

 さて、昨日はドラゴンズファンの方々にはたいへん申し訳なかったんですが、ジャイアンツは大事な3連戦を3連勝し、優勝マジック26も点灯するという、巨人フアンにとっては願ってもない、いい試合でした。

 プライムボックスというセンターバックスクリーン上の席で観せてもらったのですが、まるで球場全体を俯瞰するように見下ろす場所で、こんな位置から観るのもはじめての経験でした。球場内の生音がきこえて来ないので臨場感ということにおいては少し物足りないのですが、試合状況をああだこうだと、素人解説しながら観るのが大好きなので、それにはうってつけのところだったかもわかりません。

 

思い出の味

2009-08-27 09:47:56 | Weblog
 一昨日のインスタントラーメンに続いての話なんですが、子供のころの味覚といいましょうか、思い出の味というものを、みなさんお持ちではないですか?

 もちろんおふくろの味というのが代表格かもわかりませんが、それはまた別の機会ということにして、昔こんなお店があって、あの味が忘れられないなんていうのがありませんでしょうか。

 私にはそういうのがいくつかあります。
 そのひとつをご紹介しようと思います。
 この町にあって最後の1館として残った映画館グリーン劇場に、昭和40年代のある期間だけ存在した食べ物、「ぶーちゃん焼き」です。

 このことについては、前に私が参加している同人雑誌「おおきな木」の中でも書いたのでしたが、知っているという人の話にはめぐり合えませんでした。

 何しろもう40年以上前のことなので、私としても確かなことがいえないのですが、その「ぶーちゃん焼き」なる代物は豚のかたちをした回転焼きだったと思います。もちろん鯛焼きのような甘い餡の入ったものではなく、肉まんの具に近い物が詰められたものなんですが、その外側の皮の部分が微妙なんです。甘くない今川焼きというのか、しっとりしていたのかぱりっとしていたのかは記憶が曖昧なのですが、子供心に美味しかった事は忘れられません。

 肉まんというより豚まんなのでしょうが、その皮が絶妙なのです。
 私はそこ以外でそれに類似した食べ物にいまだ出会っていません。あれはなんだったのでしょうか?
「ぶーちゃん焼き」を売っていたおばさんの顔も声もよく覚えていますし、その映画館の最後の常連客だった私にとって、その「ぶーちゃん焼き」があとかたもなく消えた後でも、そのおばさんが売店で働いていた事も覚えています。

 もう一度食べてみたい、出来たら再現してみたい思っている食べ物なんですが、どなたかご存知の方はないでしょうか?

インスタントラーメンの日

2009-08-25 15:40:04 | Weblog
 今日8月25日は、今から51年前の昭和33年に日清食品がチキンラーメンを売り出した日だそうで、すなわち即席ラーメンというものがはじめて世に出た日なんだそうです。

 私がはじめて即席めんなるものを食べたのは、そのはじめての日より7年ほどのちのことでした。
 5歳のころだったと思います。それもチキンラーメンではなくもっとローカルなもので、母親とともに親戚の家を訪れた際に、そこでご馳走になったのですが、それは1斗缶に入った代物で、何食分くらい詰められていたんでしょうか? 1斗缶ですからかなりの量だったしょう。

 商品名はトノサマラーメン。私の舌の記憶からいうと、後にベビースターラーメンのカップメンが出て、その初期のものが一番味覚としては近いものだったと思っています。

 もうその商品を作っていた会社は存在していないので、二度と味わうことはできませんが、私がはじめて口にしたインスタントメンとして忘れられないものになっています。
 5歳という年齢ながらお代わりをした覚えがありますので、きっと現在の袋麺より小ぶりのものだったと考えます。

 どなたか、トノサマラーメンについてご存知の方おられませんか? 東海地区に限定した商品だったとは思うのですが・・・。

もう秋ですか?

2009-08-23 21:38:21 | Weblog
 朝夕の風に秋の気配を感じさせる涼しさが漂いはじめました。
 部屋の中で鳴かないコオロギが、窓辺を普通に歩いています。

 何かしら夏への過剰な期待を漠然と抱いた少年の日、それが意味もなくしぼんで
消えていく夏の終わり。
 それは淡い恋の予感だったのか、冒険めいた夢の訪れを待っていたのか。

 しかし、おおよその夏は何事も起こらず何もせず、ただ粛々と過ぎて行ってしまい、いつの間にか秋に覆われているのです。

 人生も夏の盛りから初秋の頃へ・・・。けれど、憂いの秋にはしないように心しなくてはと思います。

拝啓 向田邦子さま

2009-08-22 13:39:29 | Weblog
 貴女様が突然、空の彼方に消息を絶たれてから、今日でもう28年の歳月が経ちました。
 そのころ私は21歳になったばかりで、勤め先の研修旅行で、熱海から鎌倉を観光し、その旅先のどこかで事故のニュース速報を目にし、嘘だ、何かの間違いだ。と思い続けて東名高速をバスに揺られ、帰宅後テレビニュースを見るや、それが決定的事実だと知った時、21年生きてきた中で、初めて体験するようなぶつけようのない怒りに襲われ、その後自分の部屋に入って、泣いたことを、今もはっきりと覚えております。

 貴女様の作品は、「七人の孫」(これは微かな記憶の中にあるだけ)から、「だいこんの花」「時間ですよ」と、貴女様が書いていることを知らずに、まだ幼少でありながら観ていて、その後貴女様が書いていることを知ってからは、あなた様の脚本されたテレビドラマはすべて、拝見して参りました。

 そして、小説やエッセイを発表されるようになると、その著作物を待ちかねたように買い、読みました。

 生来がぼんくらに出来ている私は、貴女様が自分の母親に近しい年齢の女性である事など何も考えず、貴女様に恋していたと思います。
 思いますというのは、その時それを恋という感情で認識していたわけでなく、あとから振り返って考えて、そうとしか呼びようのないものだと思うからです。

 私はあの時、すでに翌年の東京行きを決意していました。貴女様のおられる東京、その同じ空の下の同じ空気を吸えるだけでも幸せだと、本気で思っていたようです。
 しかし、その時を待たず、貴女様はこの世から姿を消し、もしかしたら将来お目にかかれることもあるかもしれない、などと考えていたお気楽な楽天家の青年の淡い夢を、見事にお砕きになりました。

 先日、貴女様のご命日がもうすぐだな、などとぼんやり考えながら、とあるリサイクル本の店に立ち寄って、書棚を見ておりますと、すぐさまこの1冊が目に飛び込んできました。

 文春文庫ビジュアル版「向田邦子ふたたび」文芸春秋編という、貴女様のお写真もたくさん載っている1冊です。すぐさま購入し、172ページまで読み進め、いまこのお手紙を書いております。

 あちらでも猫は飼われておられますか? マハシャイ・マミオとは再会されましたか? そちらでは執筆はされていないのでしょうか?
 このごろのテレビドラマの荒廃ぶりを嘆いておられますか? それともそんな下界の些事など、もうご興味ないのでしょうか。

 8月22日。私は正直のところ毎年煩雑に過ぎ行く日々にかまけて、貴女様のことを忘れていることも度々でしたが、今年は上記のこともあって、貴女様を深く偲んでおります。

 40年来の貴女様のいちファンとして、はじめて貴女様に恋文をしたためてしまいました。
 先日このブログにて、近いうちにどなたかに手紙を書こうかなどと述べておりましたが、失礼ながら28年来胸に秘めていた思いを公に致しました。
 ラブレターなど書くこともないだろうと思っておりましたが、こんなかたちで書くことになりました。どうぞこの御無礼を、お許しください。

                          いちかわあつき 拝
 向田邦子様へ

蝉の声

2009-08-21 09:41:14 | Weblog
 ヒグラシの鳴き声からはじまる蝉の合唱も、その夏の隆盛を感じさせる油蝉の合唱となり、そして今8月の半ばを過ぎて、ミンミン蝉とツクツクボウシの声に変わってきました。

 私はこの住処を、勝手に青蜩庵(せいちょうあん)なんて呼んで遊んでますが、我が家の後方にある竹やぶのあたりから、朝夕に聞こえてくるヒグラシの大合唱が、そう名付けた所以でした。
 引っ越してきた当初にくらべると、そのヒグラシの声も幾分小さくなって、数を減らしているように思えます。

 前にも書いたと思いますが、この町にはまだクマゼミは進出してきていないようなんですが、それも時間の問題なのかもしれません。

 何年か前、大阪のビジネスホテルに泊まった時、部屋の中にクマゼミが入っていて、なんとも大きな声で鳴き出し、外へ追い出すのに一苦労したという事がありました。

 中濃地域では盛んにクマゼミの声を聞きます。多治見あたりでも聞くようになりました。
 土岐、瑞浪の辺はどうなんでしょうか? 

 チイチイゼミとか、ニイニイゼミとか子供のころに呼んでいた小さなセミを、近頃あまり見かけなくなった気がします。
 正確なところセミの生態系、分布はどういうことになっているのでしょうか?


8月20日(木)午後5時27分です。

2009-08-20 17:25:50 | Weblog
 毎日欠かさずブログを更新しようと思いながらなかなかそれが果たされません。
 今月も昨日で3回目のお休みになりました。
 実は昨日は早朝、畑の水遣り中に背中を痛めて、なんか1日活発な行動がとれず、ごろごろとして読書と高校野球で過ごしてしまいました。

 寝起きのボウッとした身体のままで動いてしまったのがいけなかったようです。それでなくても寝起きの身体は、なんか定まらなくて、シャキッとするまで時間がかかるのに、陽がでる前にとあせって水をジョウロに汲んだのが、うかつだったのです。

 さて、そんなわけで昨日はパソコンの前には坐れなかったのですが、今日はもう復活です。昨日できなかった仕事も午前中にすませ、午後の空いた時間に昨日読んでいた本を読み切りました。

 それは今から7年前に刊行された渡辺淳一著「キッスキッスキッス」。
 著名人のラブレターを集めた一冊で、その最後には著者自らがもらったラブレター、出したラブレターも掲載されてあります。

 私はいつも、身を入れた読書と読書の合間に、ちょっとライトなものをはさんで読んだりするんです。この「キッスキッス・・・」もそんな1冊のつもりで読み始めたつもりでしたが、いや、なかなか濃いものでした。そりゃそうでしょう、かなりプライベートなものを覗き見るようなものですから・・・。

 ラブレターを書いたなんて、もう何十年前になるのか。誰に書いたやら? 記憶も定かでないですが、書いたことは確かに書いたんでしょうが、もうそんなものどこにも残ってないでしょうね。
 ということにしておきましょう。この先書くこともないでしょうし、もらうこともないでしょうが、でも手紙を書いて出すという行為は、メールよりやはり濃いものを感じます。
 たまには書かなければ、そうだ近いうちに書いてみよう。誰に? さて誰にしましょうか?

 午後5時27分にブログを書き始めて、もう6時を過ぎました。甲子園は第4試合の都城商対智弁和歌山戦、4回裏都城商が4対1で勝っています。