ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

肩が凝りますねえ。

2007-06-28 14:17:09 | Weblog
 毎日記事を書き込んでいきたいのですが、あまり根をつめると肩の凝りがひどいので、なかなか続きません。それに、語り台本や戯曲の執筆もあるので、時間配分を忘れてやり続けると、後のケアがたいへんです。
 元々感が強いたちなのか、子供の頃から着る物一つでも、合う合わないがはっきりしていて、ゴワゴワするものや、チクチクするものは絶対駄目でした。今も、身体に合わない服は、サイズが良くても肩が凝ってしまって着られません。特に首周りがきつかったり、肩幅が余裕のないものは駄目です。
 といって、何時もマッサージばかりしてもらうわけにも行きません。ストレッチや体操である程度ほぐしは出来ますが、ワードをかなり打ち続けても肩こりを解消できる、手頃な解消法ってないですかねえ。

11日ぶりの書き込みです。

2007-06-20 12:06:31 | Weblog
 うかうかしていると、すぐに時が経って行ってしまいます。前回より11日ぶりの投稿になります。その間にあった出来事を、かいつまんでお話します。
 ひとつは、ある人に手紙を出した事。その人は女性です。が、決して色気のある話ではありません。むかし一緒にお芝居を創ったことのある人です。僕は真剣にその人ともう一度一緒に芝居作りが出来たらなぁ・・・と思い、何時からという訳でなく、お誘いの手紙を出しました。が、なかなか困難のようです。
 しかし僕は諦めていません。それはその人にまだまだ秘められている潜在的な可能性を直感するからです。芝居創りをやらなければならない人のように思うからです。何の根拠もない直感ですが、僕はそれを大事にしたい。
 当然僕らには生活というものがあり、食べていかなければならないと言う大前提のもとで日々を暮らしています。そのことについて言われれば、僕はとても甘い生き方をしています。一般的に食べていかれてるのかと問われれば、いいえと答えるしかないでしょう。世間一般からは例外的な収入しかない暮らしをしているからです。別にそれを良しとしている訳ではありませんが、現状としてそうであるのですから、致し方ありません。が、食べてはいけてないですが、生きてはいて、やろうと思うことをやってはいます。爪に火を点すようなことはしていません。それは家族の協力があってのことだと指摘されれば、その通りです。返す言葉もありません。が、人が生きる、人生を歩くとはどういうことだろう。生涯に成し遂げる仕事とは何だろう? と考えるとき、僕はどうしても食べるだけの仕事が出来ません。もちろん、それを両立させている人はいっぱいいます。またそんなこと考えなくても、立派に働いているひとはたくさんいます。なぜ僕はそうじゃないんだろう。
 そう繰り返し自分に問い続けながら、やっぱり僕は自分に出来ることしかやっていない。勉強が足りない、努力が足りないと思いつつも、前を向いて歩くしかない。そこになんらかのひかりをみつけるまで・・・。
 色々のしがらみや、事情はあると思いますが、僕はその手紙を差上げて彼女に、もう一度演劇に関わって欲しいと思うのです。
 それから、先週の土曜日、名古屋大須の七ッ寺共同スタジオで、若い人たちの芝居を観てきました。若い人たちの芝居は文句なくいいものです。もちろん細かなことを言えば限がありませんが、それは若いからいいのです。今しか出来ないことに全力でぶつかればいい。それだけでいい。「少年老い易く、学成り難し」「光陰矢の如く・・・」などと呟く年寄りに、ならないうちに。

ひとり語りについて PART 6

2007-06-09 12:33:31 | Weblog
 今日もまた、ひとり語りについて、勝手気ままな事を述べようと思います。退屈かもしれませんがお付き合いください。
 これまでの中に、心の師ということを何回か述べましたが、その心の師とは誰のことを指しているのか・・・その事をお話します。
 あくまで心の師ですから、わたしが勝手にそう思っているだけで、面識もなければ直接教えを請うたと言うこともありません。ただ、十代の頃にその舞台を観たというその事に尽きるのです。
 その観た順番にいいますと、心の師の一人目は、浄瑠璃語りの人間国宝竹本越路太夫です。
 私が太夫の語りを初めて聴いたのは、今から三十年以上前の、中学生の頃だったと記憶しています。いや、高校生になっていたかもしれません。
 文化庁移動公演の文楽、「恋飛脚大和往来」梅川、忠兵衛の心中話だったと思います。
 竹本越路太夫という方は一般的にいう美声の持ち主ではありません。云わば枯れた声、日本の話芸においてのいい声の持ち主でした。しかし太夫は芸の枯れることを嫌い余力を残して引退し、その後を長く後進の育成に尽力された浄瑠璃語りの大家でした。
 その竹本越路太夫の言葉に「口伝は師匠にあり、稽古は花鳥風月にあり」-義太夫語りにとっては、すべてが芸の肥やしであるー というのがあります。
 語り口をマスターして、闇雲に稽古を重ねるだけでは、芸は向上しません。こんなことがと言うようなことが、いつか肥やしになっていくというのです。例えば風の音一つ、雨音一つにしても、聴き方ひとつで全く違うものに聴こえてくる。そういった一つ一つが身につき、芸に幅を作る。
 私は今だ理屈でしか捉えられていない、要するに身についていない段階を漂っているばかりです。
 さてもうひと方は、私が某会館の嘱託職員をしていた頃の十九歳のときに、音響室から拝見拝聴した、津軽三味線奏者の第一人者高橋竹山師です。
 いうまでもなく、津軽民謡の伴奏という認識だった津軽三味線を独奏のものとした人で、子供の頃に両目が不自由になり、門付けとして各地を歩いたことを原点にもつ方でした。その演奏はさることながら、津軽弁による語りも絶品で、ことにエロ話などは抱腹絶倒ものでした。
 厳しい状況の中で、培われ鍛え上げられていって芸。ぬるま湯につかった環境で仕事をしている今の私には、到底お二人とも雲の上の人ですが、仮にもその思いだけはと、おこがましくも心の師とお呼びしています。
 その他にも、津軽民謡歌手津軽家すわ子さん、最後のゴゼさんといわれる小林ハルさん、昔話の語り部鈴木サツさんと、心の師と呼ぶべき存在はまだまだたくさんおられると思います。

ひとり語りについて PART 5

2007-06-05 13:05:17 | Weblog
 先日は、語りは米作りに似ているというお話しをしました。ちょっと強引なこじ付けになったかもしれませんでしたが、普段思っていたことをそのまま文章にしてしまいました。
 今日は、語りと古典芸能について、あるいは話芸というものについて、私流の見解をお話します。前にもふれたことと重複するかもしれませんが、おさらいのつもりで読んでください。
 私は語りのルーツを、熊野比丘尼の絵解き(尼さんが地獄絵を用いて行う辻説法)や、ごぜさん(目の不自由な門付け芸人)の語る説教節、いわゆる口承芸と言われる類のものに求めます。もちろん、絵解きは仏教布教の目的がありますので、芸というジャンルには属さないかもしれませんが・・・・・・。
 そして、近世に入って話芸は、人形芝居と共に発展していく浄瑠璃語り(文楽から独立したひとり芸としてのものもあります)。そして一番ポピュラーな落語、講談、それに浪曲と、多様になっていきます。物売りの口上(例えば蝦蟇の油など)映画「男はつらいよ」の寅さんで有名な啖呵売と呼ばれるものも話芸の一つ。それから、芸として、そのものを生業とするものとは違うのですが、昔話の語り部というのも、話芸の分類に属するものでしょう。近年これを生業とする人もいらっしゃるでしょうけれど、基本としてはおじいさんおばあさんなどの語るものを指すのでしょうか。私のやっている「ひとり語り」というものも、この語り部というジャンルで呼ばれ、区別しにくいものが世間一般のイメージだと思います。以上に限らず話芸に属するものは、まだあると思います。
 前にも言ったと思いますが、「ひとり語り」は自由なジャンルで、他に適当な呼び名がないので、「ひとり語り」と総称しているのですが、中にはひとり芝居に近いものも、落語の芝居噺に近いスタイルもあり、また西洋のストーリーテラーと呼ぶのにふさわしいスタイルのものもあります。
 これも前に言いましたが、師匠というものがいないので、こうあるべきという型もありませんから、本当に自由なんですが、この自由というのが曲者で、何でもありはいいことばかりではありません。
 私はその語り作品によって、微妙にその語り口を変えているつもりです。例えば、さねとうあきら氏の「おこんじょうるり」を語る時は、浄瑠璃の口説きの口調、泣きの部分などを取り入れているつもりです。また例えば、斉藤隆介氏の「モチモチの木」だったら、講談調のたたみ掛ける口調などです。また、浪曲などの持っている特長も、様々に細かくそのエッセンスを散りばめているつもりです。あくまでつもりでしかないのですが・・・・・・。
 その風土に育つ芸は、必ずそのルーツとつながっていなければ成立しないものだと考えています。先人の培ってきたものを否定し、ぷっつり切り捨てただけでは、新しいものは生まれません。「温故知新」という言葉が大事であると思います。長くなりましたのでこのあたりでやめます。疑問や質問、反論などありましたら、お寄せください。お待ちしております。

6月4日(月)PM2時30分です。

2007-06-04 15:02:31 | Weblog
 今日は午前中から、ずっとオリジナルの語り台本を打ち込んでいます。少し根を詰めすぎたので、今休憩してブログを開きました。
 5月いっぱいで仕上げて、6月から稽古に入ろうと思っていたので、少しずれてしまっています。あまりのんびりしていてはお尻に火がつくので、ピッチを上げて書いていたのですが、ちょっとは先が見えてきて、すべて書き終わったら全体を見直して、語りやすい言葉、また聴きやすいお話として仕上げていこうと思っています。内容は怪談話です。夏場にかけて、一つの目玉にならないかと考えていますが、さてどうなりますか。
 昨日は外仕事をして、ずっとそのままになっていた畑や庭に放りっぱなしにしていた不燃物等を片付て、汗を流しました。まだ、芝居で使ったセットの整理はし終えてはいません。そんなことも考えながら、今日はパソコンの前に、ずっと座っているのです。集中力、集中力。今していることにだけに心を注ぐ。他事に心を移さぬように一つ一つを終わらせていく。これが仕事の処理能力というものでしょう。そう思うとあっちへふらふら、こっちへふらふら、今やっているもの以外のものに気がいってしまう、まだまだ青いです。