ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

深まる秋

2007-10-29 13:22:27 | Weblog
 秋祭りが終わりました。毎年恒例となった中山道まつりのフリマも無事終了しました。
 山々の紅葉も彩りを深め、何時もの散歩道に咲くから芋の花も枯れ、藪にからまる山芋の蔓に、むかごの実がころころと連なりなっています。道筋のところどころにある柿の木の実は、熟れて赤みを増してきたようです。
 軽い疲れを身に纏いつつ、今朝もこのいつもの道を歩きながら、秋の深まりを感じつつ、どんよりとした空を見つめています。

10月28日(日)中津川宿秋の中山道まつり

2007-10-25 13:12:53 | Weblog
 今週の日曜日、中山道まつりに本町商店街にてフリーマーケットを出店します。
今年で3回目になりますが、お店をやるのも面白いです。日頃の仕事とは違う、お客さんとのふれあいが楽しみです。
 品物は多種多様、雑貨小物から衣服カバン、陶器から本に至るまで取り揃えています。大きなものではショッピングカーや旅行カバンもありますよ。掘り出し物を探しに、是非お出掛けくださいね。
 場所はまだ確定していませんが、中津川本町商店街通りのどこかに居ります。

「KWAIDAN」11月17日(土)恵那口演のご案内。

2007-10-19 16:28:05 | Weblog
 恵那ひし屋資料館にて、第三回目の口演を催します。十周年「おにひめさま」口演が第一回、天と地のはなし「ふたり紋十・おこんじょうるり」が第二回。そして今回の「KWAIDAN」ー小泉八雲のものがたりーで第三回を迎えます。
 小泉八雲の怪談話を中心に、八雲夫妻のエピソードを交えた、いちかわあつき脚色の、八雲の世界をご堪能ください。
 真夏ではない、晩秋の夜の怪談話もおつなものかも知れません。

庭の金木犀が・・・

2007-10-13 10:03:45 | Weblog
 10月に入り、今、庭の金木犀が盛りと香っています。暑い夏を潜り抜け、周りに咲き誇っていた百日紅や桔梗、紫苑の花が終わりを告げると、待ちかねていたように金木犀が花を付け始めます。しかしその頃には、我が家の縁側もガラス戸を締めてしまうので、金木犀の強い芳香はもっぱら玄関まで出ないと漂ってこないのですが・・・。
 今年この庭にイモリを見つけました。まだかわいい子供のイモリが、この金木犀の太い幹の根元にいたのです。さっそくインターネットで検索してみました。
 紅い腹をしてかわいい丸い瞳をしたこの小動物は、紛れもなくイモリでした。そしてそこには、近年イモリはペットとして人気の高い動物だという記事を見て驚きました。確かイモリは、私たちの身近に棲息する小動物だったにもかかわらず、トノサマ蛙などと共に絶滅危惧種だと聞いていたからです。
 私は十数年前から、散歩しながら近辺の溝や小川をのぞいたりして来ましたが、十数年前には当たり前のようにいた、ドジョウやイモリ、また水棲昆虫のタガメやゲンゴロウなどの姿を見ることは出来なくなりました。
 田んぼにあまり農薬を使わなくなり、蛍が帰ってきたという話しはよく聴きますが、全体の生態系としては確実に姿を消しているものが少なくないのです。
 すぐ近くに蒲の穂のある小沼があって、そこにヒキガエルがたくさん鳴いていたのですが、うるさいと言われて駆除されてしまい、沼の水も少なくなりすっかり姿を変えています。
 よく見ると今までと違ってしまっているという周辺の環境に心を配るゆとりというものを、私たちは日常に取り戻さなければいけないのではないでしょうか。
 庭に見つけたイモリもあれ以来姿を見ていません。子供がいたということはその親も棲息しているはずなのですが・・・。
 庭で一番おおきな木、金木犀はきっとそのイモリの在り処を知っていることでしょう。

語るよろこび。

2007-10-09 17:17:09 | Weblog
この写真は9月2日の口演で、「おはじき」を語っている写真です。お客さんの前で、語る・演じている時の自分は幸福だと思います。もっともっと心も身体も磨いて良いものをお観せしなくてはいけないのだと思います。演じることのよろこび、語ることのよろこびが、少しずつながらわかりかけてきたような気がします。

9月29日の口演終了しました。

2007-10-01 18:59:22 | Weblog
 9月29日(土)瑞浪カフェ「燈(あかり)」さんでの口演、無事終わりました。ありがとうございました。
 語りは聴いていただくお客さんと、語り手が一緒に創り上げていく世界です。素晴らしいお客様に恵まれて、また一つ違った物語世界が展開していった気がします。
 「なんばんきつねつき」に登場するぶきっちょな三太は、私自身でもあり、また多くの三太が、どなたの心の中にもあるのではないかと思います。子供の頃のコンプレックス、それは決してマイナスなことではありません。自分自身をしっかり見つめて、粘り強く生きていくためのバネのようなものではないか、と思うのです。